2012年09月28日
President Emeritus

2期6年間務めたLBS日本同窓会会長を昨日退任。これを機に、同窓会の歩みを振り返ってみる。
1996-7 K先輩がMLの整備。初の全体「同窓会」開催。初回70人以上の出席者だったが、2回目、3回目と段々出席者が減り、最後の開催では30人を切った。
1998 活動停止期
1999 1998年にLBSのDeanとなったJohn Quelch(CBE, 現在は上海のCEIBSの学長)の発案で、Global Advisory Boardが発足。日本は麻生泰氏(麻生セメント社長)がQuelchとOxfordの同窓という縁で選ばれる。
麻生社長から招集がかかり、7-8人の同窓生有志が麻生セメント東京本社に集合。麻生社長から、 日本での同窓会活動の状況について質問。この2年間活動が無いことが分かり、お叱りを受ける。
2000 自営業で比較的時間の自由の利く私が同窓会活動を再開することにする。 前回の経緯の分析から、以下の点を変更する。
・二部構成
Part 1 主に同窓生を講師とする講演
Part 2 懇親会
それまでは懇親会だけであったが、多忙な卒業生が多く、ただ「楽しく歓談」だけでは来ない。そのため、「何かを学べる」「誰か新しい人に会える」構成とした。
講演会では、各界で活躍する同窓生に無償で講師をお願いし、また、同窓会という「閉じた組織」であることを活かし、業界の話を率直に話してもらうことで、「他では聞けない話が聞ける」と評判になった。初回の講師は、トレンドマイクロのネギ社長。インド人唯一の日本の上場企業社長。
・ゲスト参加の容認
会場に余裕があれば、同窓生がゲストを連れてくることを許可した。当時MLで連絡がつく同窓生は100名程度。そのうち同窓会に足を運ぶ、関心の高い同窓生は半数程度に限られるので、何度か開催するうちに「いつも顔ぶれが同じ」ということになる。同窓生に新たなネットワーキングの機会を提供するため、また、同窓生に同僚・友人を同窓会に連れてくる「特権」を与え、同窓生であることのメリットを感じてもらうため、「ゲスト参加OK」とした。完全オープンではなく、同窓生が知り合いを連れてくることで、参加者の質を担保した。
・懇親会の簡素化
90年代の実施期は、ホテルの宴会場を借り7000-9000円で実施していた。2部構成にして懇親会の開始時間が講演の後で遅くなったこともあり、簡素化し会費を3000-5000円とした。講演が面白く、成功した時ほど、参加者は会話に夢中で、飲食が進まない。これで十分だった。その後の実験でも、会費が5000円を超えると参加者が減ることが分かった。
・Reminderに参加予定者の表を載せた
「あの人が来るなら私も出よう」ということがある。なので、約一月前に開催の案内をした後、1週間ごとに集計した参加予定者の表を付けて再案内した。現在では、FBのイベント開催機能を使うなどして、これが自動でできるようになりつつある。
2000-2003 こんな工夫をすることで、 年間4-5回の開催で毎回30-70人の同窓生+ゲストが集まるようになった。公式な同窓会組織はなく、ボランティアとして自分1人で講師者への依頼、会場手配、当日の司会を行った。また、同窓会の模様は必ずAlumninews(同窓会誌)に写真付きで投稿し、MLで把握できていない同窓生にも活動状況を知ってもらうようにした。
2004-2007 4年の間Alumninewsに毎号日本同窓会の活動が載り、LBS内で日本同窓会が「世界で最も活発な同窓会」として注目を集めるようになった。大学から指名で、International Alumni Boardの理事に日本人として初めて就任。毎月の電話会議に加え、仕事もないのに、年2回ロンドンでの会議に参加。
2004-2005 仕事の都合で高松に引越。これを機に、同窓会規約を作り、K先輩に初代同窓会長をお願いして同窓会活動から退く。
2006-2009 初代同窓会長が任期半ばで退任。丁度、東京に拠点も戻ったので、2代目会長に就任(1期目)。
2009-2012 同窓会長2期目。昨晩の会長交代セレモニーにはロンドンから学校を代表してIACメンバーがはるばる参加してくれた。大学からの記念品としてAquascutumのカフスを頂いた。写真では見難いが、当然、LBSロゴ入り。2008年にAlumni Service Awardを頂いたときはAquascutumの銀皿。どうやら、LBSグッズは全てAquascutumらしい。
今回、私もよく知っている良い人にバトンタッチできたので安心している。これから一年間は同窓会規定により、President Emeritus(名誉会長)となる。