2012年08月17日
仙台での魯迅

FBを見ている皆さんにはバレバレの通り、一昨日から仙台に来ている。宿泊で来るのは初めて。初日は東北大学に転職した旧友を訪問。この旧友、中国の農村部の出身。幼少のころから、「とにかく勉強しかしたことが無かった」という。それだけ勉強しなければ農村出身者が都会の「重点大学」に入ることは不可能なのだそうだ。努力の甲斐あって、日本のロータリー奨学金を得て京大で博士号を取得し、以後、日本の大学で教えている。
東北大学で真っ先に案内されたのが、魯迅像。この日は大学の一斉休暇の日で見学できなかったが、魯迅記念展示室が昨年開設されている。
魯迅は、1904年(明治37)秋、医学の道を志し、東北大学の前身である「仙台医学専門学校」に入学。(本名:周樹人)。在学中に「文学」の道を進むことを決心し、1.5年後にはこの地を去るのだが、彼がのちに作家「魯迅」として執筆した短編小説「藤野先生」には、異郷の地仙台での学生生活、文学への転向を決意する彼の心の動きが、ひとりの教師との交流を素材として綴られている。
「私の講義は、筆記できますか」と彼は尋ねた。
「少しできます」
「持ってきて見せなさい」
私は筆記したノートを差出した。彼は、受け取って、一、二日してから返してくれた。そして、今後毎週持ってきてみせるように、と言った。持ち帰って開いてみたとき、私はびっくりした。そして同時に、ある種の不安と感激とに襲われた。私のノートは、はじめから終わりまで、全部朱筆で添削してあった。(「藤野先生」より)
魯迅をはじめ、 「中国革命の父」孫文も、蒋介石も、汪兆銘も、周恩来も、皆、日本留学組だ。日本留学が無ければ、辛亥革命は無かったかもしれない。『近代中国は日本がつくった』ともいえるのに、その後の対立は残念だ。
