2012年04月23日

権威に逆らうためには、「権威」が必要

学問の下流化
学問の下流化
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私の「職業訓練」第三弾。

13:いまの人文社会科学系学問の危機 
・大衆社会の中での学問のポピュリズム化(学問の下流化) 
・学問のオタク化(専門学会内部の内輪消費のためだけの研究という自閉化) 
知的大衆や他の学会からの侵犯を許さないための「自己防衛」や学会内部の「知の支配」の手段 
学問の洗練という名で実のところは異端と多様性を排除する「知の官僚化」 

84:戦前型日本社会の終焉 東京オリンピック+東海道新幹線開通 
S39(1964)の社会変化は敗戦による変化よりも大きい 
地方対中央、ムラ対都市、演歌対ポピュラー、大衆文学対純文学、大衆対知識人という近代日本の枠組み終焉(『戦後世代の風景』松本健一1980) 
農林漁業人口 S30 41% → S40 25% 

262:反抗少年トニー・ブレア 
Fettes College, Edinburgh 1966-1971在学 
前任校長 1945-58 「拡張の時代」 
McKintosh 1958-71 「蓋をしている時代」 守旧派最右翼のPublic School 
Prefect Fagging System 

電球 丁度先日『ブレア回顧録』を読んだばかりだったので、ブレアのパブリック・スクールがどうだったのか興味深かった。Fettes Collegeは、昔でいえば、007の「James Bondの出身校」として、あるいは最近では『ハリー・ポッター』シリーズの魔法学校のモデルとして有名なエジバラの学校だ。ブレアは、1971年にFettesを卒業しOxfordに進学している。典型的な英国の学歴エリートコースであり、ブレアは、首相になってから、「わたしが今日あるのは特権的教育のおかげであることは否めない」と言っている。(p263)

しかし、在学中のブレアは問題児であったようで、他の生徒がいずれも短髪の時に、彼だけは長髪。学校の規則が嫌で、脱走さえしている。(Public Schoolは全寮制だ) 「当時のパブリック・スクールは、伝統的校風から自由で個人主義的な校風に変化し始めた時であったが、フェテス・カレッジの校長アイアン・マッキントッシュはきわめて保守的だった。・・・上級生が下級生を使役するファギングを改善することもなかった。」(p263)

ここで仮に、ブレア在校時の校長が、物わかりのいい人物だったらどうだったろうか?仮に、ブレアが反抗する理由もないほど自由な寄宿生活だったとしたら。ブレア首相は誕生しなかったのではないかと思う。権威に逆らうことで自己意識が芽生え、ブレア少年が何度も質問したように、「どうしてこの規則があるのか」を問うことで思考が磨かれる。カミナリおやじの効用もこれと同じだろう。

権威に逆らうためには、「権威」が必要で、これは成長の糧だ。1969に描かれた村上龍にも通じる。


shikoku88 at 08:09│Comments(0)TrackBack(0) | 教育

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