2009年09月19日
土佐の三タン
昨日紹介した本には高知にまつわる面白い話がたくさん紹介されているのだけど、その中に、高知の県民性を解説した章がある。
面白いので、そのまま引用すると、
【昭和十二年七月、日中戦争が始まると、八月には高知の歩兵第四十四連隊も中国戦線に動員された。率いる連隊長は陸軍参謀本部出身の和知鷹二大佐。この時期、陸軍は個々の連隊装備を秘匿するために連隊長名を部隊名に冠したので、四十四連隊は「和知部隊」として出征している。
私は「四十四連隊物語」では「(一)旅順要塞に玉砕す」も担当したが、台本づくりの過程で、この連隊の損耗率(戦死者と負傷者の比率)が突出して高いことを知った。
和知鷹二氏は陸軍中将で敗戦を迎え、神奈川県藤沢市に隠棲されていた。「なぜ、四十四連隊の損耗率が突出して高いのか。ご教示賜りたい」との私の依頼状に対しては、「敗軍の将、兵を語らず」の返書がきた。
諦めずにアプローチを続け自宅での取材を許されたが、テレビカメラの前で和知氏は多くの土佐の若者を戦死させたことを詫びたのち、要旨、次のような話をされた。
参謀本部は戦線に歩兵連隊を投入する際には「県民性」を重視した。高知の県民性は「短気」。将棋の駒に例えると香車。ブレーキもバックギアもない自動車同様で、これほど突撃と敵前上陸に適した県民性はない。日露戦争から第二次大戦まで四十四連隊は常に最前線、激戦地に投入された。高知の消耗率の高さの遠因は県民性による。
司馬遼太郎さんは「歴史を紀行する」(昭和四十四年発行)で、訪問した土佐の高知の飲み屋街での体験を次のように書かれ、高知のもう一つの県民性「単純」を示唆されている。
議論である。
どの屏風のかげでも、さかんに議論をし、倦むことを知らない。こんどの旅行中でも背中あわせの一座から、すさまじい議論をきいた。
「犬が利口か、猫が利口か」
初代学生横綱の田内貢三郎さん(高新企業・故人)は、私に「淡白」を挙げた。土佐人の相撲は勝つも負けるも一方的、勝負を諦めるのが早く「水入りの一番を見た記憶がない」そうだ。
以来、私は高知の県民性を「土佐の三タン」と呼び、短気・単純・淡白を挙げることにしている。】
短気×単純×淡白=土佐人