2009年01月24日
ダイエーと7-ELEVEN
今日は月一回の法政大学エクステンション「日本の企業家史」の日。今回の企業家は、ダイエーの中内功氏と7-ELEVENの鈴木敏文氏。
ダイエーはフィリピン戦線で死線をかいくぐった中内氏が神戸に復員して始めた会社。日本の高度成長とともに大きくなり、ついには1972年、三越を抜き小売売上高日本一を達成する。
しかし、頂点を極めるということは、衰退の第一歩でもある。1973年の石油ショックは安い石油と有利な為替レートに支えられた高度成長の終焉を告げ、安定成長時代に対応できなかったダイエーは売上こそ日本一の座を維持するものの、利益ではライバルの後塵を拝するようになる。
逆に、1974年、石油ショックの不景気の中で創業された7-ELEVENは、その利便性の高さと、需要情報を正確に収集するPOSシステムの導入、そして店舗在庫を徹底的に削減しながら品切れを起こさない多頻度小口配送システムで瞬く間に増殖していく。
最初の出店から5年後の1979年には東証二部に上場。2年後には一部へ。
趣味性の高いものは専門店で、チョットした物はコンビニで、というのが流れとなり、スーパーは両方から侵食されて、7-ELEVENの親会社であるヨーカ堂でさえも不振が伝えられている。