2008年02月24日

日窒コンツェルン4

9c806840.jpg昨日は月に一回の法政大学エクステンション講座「日本の企業家史 戦前編」の日。

今回は日窒コンツェルンを創った野口遵。「日窒」と言ってもピンとこないだろうが、現在の旭化成や水俣病で多額の債務を負いながらもなんとか事業継続しているチッソ(旧:日本窒素肥料)の前身。この辺りは高校の日本史で習ったのでなんとなく記憶にあった。

主に九州で事業展開した後、国内が財閥系に押さえられていたことから新天地を求めて朝鮮半島に進出。当時世界最大規模の電源開発とそれによって生み出される電力を元にした化学コンビナートを形成し、「半島の事業王」と尊称される。

金沢の貧乏士族の子で何の後ろ盾も持たなかった野口が一台で築き上げた日窒コンツェルンは事業の8割が朝鮮半島にあったため、敗戦と共に瓦解する。野口は昭和15年ソウルで脳溢血のために倒れ、その後帰国して療養。3000万円の財産も全額寄付してしまう。今の価値で1000億円以上の大金だ。

その寄付によって創られた財団法人野口研究所と朝鮮奨学会は敗戦で多くの財産を失いながらも、現在でも活動を続けているようである。

shikoku88 at 11:46│Comments(0)仕事 | 教育

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