2020年03月
2020年03月31日
「リスクを生きる」人だけが知っている人生の本質
「身銭を切る」、つまり、失敗して「授業料」を払った体験から学ぶことの方が人は多い。理想的には、先人の知恵を学んで、失敗を避けられればいいのだが、なかなかそうはいかない。かくして、人類は同じ失敗を歴史上繰り返すことになる。
著者は、レバノンでギリシャ正教の一家に生まれ、Wharton MBA、パリ大学で博士号。NYUでリスク工学の教授。『ブラック・スワン』で有名になった。
レバノン出身ということもあるのだろう、「干渉屋」であるアメリカ政府には辛辣。アメリカ国務省は、アフガニスタンに侵攻したソ連に対抗するため、反体制イスラム教組織の誕生、訓練、支援に手を貸した。それが、アルカイダで、後に3.11を首謀することになる。
イラクでは政権交代を仕掛けた。独裁者は去ったが、権力の空白から内乱に陥っている。今では、奴隷市場が生まれている。
実は、アメリカは同様のことを冷戦下で何度も起こしてきたのだが、失敗したら手を引くだけで、リスクを取ってないから、真の意味で学ばなかったのだ。ベトナムでは例外的に自らが巻き込まれ、大変な痛手を負ったので、それからしばらくは自重していた。ところが、3.11で本土が攻撃を受けて、アフガニスタン、ついでイラクへと侵攻した。
「干渉屋たちは、結果が不確実性に満ちている場合にはシステムに余計なちょっかいを出すべきでない、ということを理解してない」
*世界を正しく見通し、歩むためのカギは「身銭を切る」こと不確実性が増す今日、リスクと向き合い、価値ある生き方をするための指針。・身銭を切る実世界に対してリスクを背負い、良い結果と悪い結果のどちらに対しても、その報いを受ける。・実体験から得られる知識は、推論から得られる知識よりも優れている身銭を切ることは、この世界を理解する上で欠かせない条件である。・「助けるため」だと言って、他人の問題にちょっかいを出す「干渉屋」2003年のイラク侵攻や2011年のリビア最高指導者の排除を推し進めたが、失敗に終わり、問題をこじらせている。・干渉屋たちは、自分たちの行動が招いた結果に対する代償は支払わないつまり、失敗の被害を被っていない。だから、彼らは失敗から学ばない。・少数決原理複雑系の世界では、大きく身銭を切る、ごく少数派の集団が全体に影響を及ぼし、残りの人が彼らに従わなければならないことがある。
2020年03月30日
BBC「英国階級調査報告」
2013年にBBCが実施した「英国階級調査」の分析を担当したのが、LSE社会学部教授のMike Savage。本書の著者である。通常、このような調査ではサンプル集めに苦労する。幾ばくかの謝礼を払ってアンケートに協力してもらうのが普通だ。
ところが、本調査には多くの人が関心を示し、さずか数週間で16万1000人もが回答を寄せたという。この結果は、2年を費やして解析され、現在のイギリスには7つの新しい階級が存在するという、新しい社会学的モデルが誕生した。
そして、BBCがこの解析を元に「階級算出装置」を作成したところ、公開して1週間もたたないうちに700万人がこれをクリックして、自分の階級を確かめたという。700万人はイギリスの成人の5人に一人にあたる。
最後にある著者の主張は、「格差解消のため正面から政治が取り組むべきだ」というもの。それはいいのだけど、かつての労働政権の時の例を持ち出し、「最大98%の所得税と最大85%の相続税」というのはどうか。こんなことをすればイギリスのエリートが他国に逃げ出すのに決まっている。50-70年代当時でも、高率の累進課税を嫌った富裕層がアメリカはじめ他国に移住してしまい、経済がだめになり、国全体が貧しくなったため、これを放棄したのだ。
現在では、人材獲得競争と人材のモビリティはより高まっており、そんなことをすれば、イギリスがすっからかんになる。格差解消のために次にやるとすれば、国民全員に最低限所得を保障する「ベーシックインカム」だろう。
では、日本はどうなのか気になるところ。グローバル化で、先進国はどこも似たような階級になっているような気がする。「技術系中流階級」は日本風に言えば「おたく系技術者」だろうし、「新富裕労働者」はマイルドヤンキーっぽい。
*上流、中流、労働者階級。この3分類は、もはや現状にそぐわない!英国の社会学者が、21世紀に登場した新たな7階級を提示し、資本主義の先に生じた「階級格差」を分析する。・BBCが実施した「英国階級調査」「3つの資本」の蓄積の違いによる、「7つの階級」【3つの資本】〃从兒駛棔併饂困判蠧澄∧顕住駛棔篇蝋ァ⊆駝、文化活動)社会関係資本(社会的ネットワーク)【7つの階級】エリート:経済・文化・社会関係資本すべてを、極めて豊富に持つ確立した中流階級:経済・文化・社会関係資本を偏りなく持つが、エリートよりかなり少ない。技術系中流階級:経済資本は豊富だが、社会関係資本は少ない。新富裕労働者:経済資本は豊富だが、文化的活動は活発ではない。伝統的労働者階級:経済・文化・社会関係資本を偏りなく、プレカリアートより多く持つ。新興サービス労働者:文化・社会関係資本は豊富だが、経済資本は少ない。プレカリアート:経済・文化・社会関係資本のいずれも、極めて少ない。・今日、職業階級と政党支持との関連性はなくなり、能力主義的な政治が支持されている。だが、広がる格差を解消するためには、平等主義的な政治を取り戻す必要がある。
2020年03月29日
「2万年前の石を無心に叩く男がいる」
「2万年前の石を無心に叩く男がいる」
静かな男声のナレーションをバックに、夜明けの山頂において舞い踊るようなしぐさで演奏するシルエットが映し出され、清澄な石の音が響き渡る。
という大手音響メーカーのCMが1986年に流れたらしい。サヌカイトの名は、これによってより全国に知れ渡った。それが、下の映像。場所は、香川県丸亀平野の北東部に位置し、西の土器川、東の大東川に挟まれた標高224.5mの青ノ野山山頂だ。
学生時代〜新入社員の時を通じて、TVを持ってなかったので、どうも記憶がない。そういえば、音響メーカーのCMを見なくなって久しい。
160:サヌカイトこれらのサヌカイトは宮脇聲子のご尊父、明治生まれの声明指導者でもあった故・長尾猛が私財をつぎ込んで買った住居の裏山から60余年にわたって採掘されたものである。長尾はその愛娘に聲子と命名されるほど、仏教音楽に用いる「聲石」の音色一筋に探求を続けれ来られ、その志を聲子がしっかりと今に受け継いでいるのである。162:夜明けのサヌカイト「2万年前の石を無心に叩く男がいる」サヌカイトの名は、大手音響メーカーのCMで流されたこの映像によって、より全国に知れ渡ることになった。1986年夏、香川県丸亀平野の北東部に位置し、西の土器川、東の大東川に挟まれた標高224.5mの青ノ野山山頂で、二回目のサヌカイト演奏を行った。169:讃岐のサヌカイトとその時代背景石器としてこの石が多く利用されたのは後期旧石器時代中頃の2万年前あたりからである。主要な産出地は香川県の中央部に位置する国分台と綾北平野を挟んで対する城山一帯の他、大阪と奈良の境にある二上山、広島と山口の境にある冠山、佐賀の多久、岐阜の下呂などがあげられる。なお香川県にかぎってみれば、国分台と城山はともにサヌカイトの原産地としてだけではなく、後期旧石器時代の遺跡としても重要視されており、ここからの原石を用いて作られた石器には様々な種類がある。172:サヌカイトの時代と環境瀬戸内海地方でこの国府型ナイフ形石器が最も普及していた時代はヴュルム氷期(7万年前〜16000年前)の最終段階で、海面が現在より50-150m低下していたと言われている。50mを最低の海退とした復元古地図を見ると、塩飽諸島はすべて陸続きとなり、断続した湖沼が確認される。この地図から分かるように、サヌカイト石器が大量に発見された現在の島々は当時、平原の湖沼近くに位置した丘陵で、その尾根は季節ごとに移動してくる動物の群れや水辺に集まる鳥類を一望できる格好の場所であったと想像されている。176:吉野川上流「土取遺跡」(父の郷里)土取遺跡から旧石器時代と弥生時代の石器が出土しており、それがなんとサヌカイトだった。179:あとがき旧石器時代は、500万年とも600万年ともいわれる人類史のおよそ1/3を占める長い時代で、遊動と狩猟採取という世界共通の文化基盤の上に成り立っている。そのため旧石器時代の一翼を担う音楽はかなり普遍的特徴を持つと考えられ、世界的視野に立ってこの研究が必要となっていくる。
2020年03月28日
旧石器時代・音楽の源流
「先史時代の壁画洞窟、それは絵画芸術の揺籃にとどまらず、人類のイマジネーションをよびさます音響装置だった」
こんな方が地元出身者だとは知らなかった。著者は1950年香川県多度津町の生まれ。パーカッショニスト。1970年代、近藤等則、坂本龍一、阿部薫らと音楽活動を展開。民族音楽、古代音楽の研究を深め、縄文鼓を復元・演奏した<縄文の音世界プロジェクト>は各方面から注目を集めたという。
絵画は美術館で、音楽は音楽ホールで、と別れたのは現代社会の都合でしかない。「先史時代の壁画洞窟は、音響装置でもある」という仮説に基づき、実際にフランスにある後期旧石器時代のクーニャック洞窟で鍾乳石を叩いて演奏している。壁画は音響効果の良い場所に描かれており、シャーマンによってなんらかの儀式が行われていたと推定される。
44:東南アジアの鼻笛日本で民族音楽を一般の人たちに広めようと学会で孤軍奮闘してきた民族音楽者の小泉文夫は、フィリピン、ルソン島の山岳民族、イゴロット族の音楽調査に赴いた際、かれらの鼻笛の音に触れ、その感動をこう記している。「人間の心から心へ伝わっていくためには、必ずしも大きな音もいらないし、あるいは音などまったく必要ないかもしれない。そう思わせる音楽が実際にある事実に、私は驚かされたのだった」106:ロルブランシュ博士の絵画技法ヨーロッパ壁画洞窟の大きな特徴はほとんどといってよいほど写実的かつリアリスティックな動物の絵で占められていることだ。しかしこれだけの絵画技法を持ちながら人間の姿をリアルに描いたものは皆無に等しく、半人半獣の形で描かれたものがいくつか見られるにすぎない。それでも、人間を描こうとしなかった彼れらがなぜか自らの身体の一部である掌だけはそのまま写し残した。これがネガティブハンドとよばれるもので、絵というよりは烙印といってもよい図像である。110:鍾乳石での演奏鍾乳石は低い祠のように入り組んだ岩壁から山羊か牛の乳房のように垂れ下がった短いもので、丁度座って演奏するのによい高さだった。演奏にはあらかじめ用意しておいた生木と枯れ枝の二種のスティックや、博士からいただいた洞窟熊の骨、そして素手も用いた。122:壁画は誰が描いたのか洞窟壁画の研究の礎を築いたちえるブルイユ神父は、洞窟壁画はたんなる芸術ではなく、呪術儀礼を表したものだと提唱してきた。すなわち呪術者が洞窟に入り、絵を描くことで獲物である動物に生や死を与え、こうした呪術を通して自然界の生物への支配力をたかめたというのだ。しかしこのブルイユ神父の呪術説に先史学者のルロワ=グーランはまったく否定的で、図像をもふくめて呪術の存在を示すものは絵画の中には何一つもないとまで言い切っている。この碩学がとった壁画解釈の方法は男性対女性という二つの原理で以て洞窟全体の壁画が構成されているという構造主義に立脚したもので、個々の図像を安易な民俗学的例でもって理解することに警告を発していた。
2020年03月27日
宇宙物理学者から見た人類の未来
1kgの小麦を栽培するのに必要な水:1500L
1kgの牛肉を得るのに必要な水:その10倍
今日、全世界のエネルギー産出量の30%、取水量の70%が食料生産に費やされているという。現在76億人の世界人口は、2050年までに90億人になると予測されている。発展途上国の発展で、平均所得は高くなり、食肉はより求められる。淡水が足りなくなるのは明白だ。
そこで注目されているのが「人口肉」。大きく分けて二つの種類があり、一つは「植物由来」で、もう一つは動物から採取した組織を育てる「培養肉」。アメリカのImpossible Foodsや、Beyond Meat、ビル・ゲイツも出資しているというMemphis Meatなどがある。
ある意味、さらに状況が深刻なのが水産資源で、乱獲で水産資源はかつての1割にまで減っている。このため魚の値段は上がり、魚肉を人工的に造ろうとする企業が現れている。こちらは、細胞培養が主流のようだ。
*食糧問題や気候変動など、問題を抱える地球と人類の未来を、科学的な見地から読み解く
・現在76億人の世界人口は、2050年までに90億人になる。現代の農業技術なら、その数を支えるだけの食糧供給は可能だが、食料生産に必要なエネルギーや水には限りがある。
・地球温暖化による平均気温の上昇が、危険な「臨界点」を超えないために、どう行動するか。将来の世代のために、自分たちの満足をどの程度まで抑えるべきか(倫理的な問題)。
・バイオテロ
2011年「H5N1亜型鳥インフルエンザのウィルス」をごく簡単に、より有害にできる実験。ウィルスが誤って放出される、バイオテロリストに悪用されかねない。
・機械学習
機械がどう判断するか正確には分からず、バグがあってもそれを突き止められる保証はない。システムの判断が、個人に由々しい影響を及ぼす恐れ。
2020年03月26日
米中新冷戦の幕開け
「権威主義国家が強制や情報の歪曲、世論捜査などの強硬な手段を用い、主に民主主義国家の政治環境や情報環境を鋭く『刺す』『貫通する』ことで、自国の方針を飲ませようとするもの」を「シャープパワー」というらしい。
経済大国となった中国がこれを積極的に展開し、米国はこれを2014年頃から警戒するようになった。孔子学院は中国政府の中国語教育機関で、2004年に韓国で開学。以来、中国の経済力を背景に世界で盛り上がる中国語学習熱を反映して、2019年8月までに世界530カ所に設置されているという。日本でも、立命館大学など私立大学15校にある。国別では米国が多く、全米に89あるそうだ。
ここで行われるのは、「パブリック・ディプロマシー(公共外交)」と呼ばれる、「文化交流などで相手国の世論を味方につけ、自国に有利な環境づくりを行う外交手段」だ。今日では、FBIが孔子学院を中国共産党によるスパイ活動容疑で捜査している。
日本にとって最大の懸念は、米国における、中国や韓国の反日的パブリック・ディプロマシーだ。特に、従軍慰安婦問題など歴史認識を巡る問題について、韓国側の活動に中国系米国人が協力するなど「中韓共闘」の様相を呈している。アメリカに移民した韓国系米国人が多いので、彼らが中心となって
慰安婦像の設置運動が全米で行われている。
従軍慰安婦問題については、以前から歴史的事実と異なる点が研究者から多く指摘されているが、「嘘も100回主張すれば、事実となる」(ゲッペルス)。日本政府もしつこいくらいの主張が必要だ。
経済大国となった中国がこれを積極的に展開し、米国はこれを2014年頃から警戒するようになった。孔子学院は中国政府の中国語教育機関で、2004年に韓国で開学。以来、中国の経済力を背景に世界で盛り上がる中国語学習熱を反映して、2019年8月までに世界530カ所に設置されているという。日本でも、立命館大学など私立大学15校にある。国別では米国が多く、全米に89あるそうだ。
ここで行われるのは、「パブリック・ディプロマシー(公共外交)」と呼ばれる、「文化交流などで相手国の世論を味方につけ、自国に有利な環境づくりを行う外交手段」だ。今日では、FBIが孔子学院を中国共産党によるスパイ活動容疑で捜査している。
日本にとって最大の懸念は、米国における、中国や韓国の反日的パブリック・ディプロマシーだ。特に、従軍慰安婦問題など歴史認識を巡る問題について、韓国側の活動に中国系米国人が協力するなど「中韓共闘」の様相を呈している。アメリカに移民した韓国系米国人が多いので、彼らが中心となって
慰安婦像の設置運動が全米で行われている。
従軍慰安婦問題については、以前から歴史的事実と異なる点が研究者から多く指摘されているが、「嘘も100回主張すれば、事実となる」(ゲッペルス)。日本政府もしつこいくらいの主張が必要だ。
*中国が展開する外交戦略「シャープパワー」・Public Diplomacy文化交流などで相手国の世論を味方につけ、自国に有利な環境づくりを行う外交手段。中国はワシントンなどの都市で英語ラジオ番組を放送するなど、米国で活発に展開。・Sharp Power最近、米国はこれを「シャープパワー」だとして警戒。権威主義国家が強制や情報の歪曲、世論捜査などの強硬な手段を用い、自国の方針を飲ませようとするもの。・孔子学院米国内の中国政府の中国語教育機関を相次いで閉鎖。航空工学やロボット工学などの最先端分野を専攻する中国人留学生のビザの有効期限を5年から1年に短縮。・米国で、中国や韓国の反日的パブリック・ディプロマシーが活発特に、従軍慰安婦問題など歴史認識を巡る問題について、韓国側の活動に中国系米国人が協力するなど「中間共闘」の様相。
2020年03月25日
データ至上主義
人は生まれてから死ぬまで何をしているか?
この質問に、「情報の処理」と答えたのは、著名ファンド・マネージャーの藤原敬之氏である(『日本人はなぜ株で損をするのか?』序文)。
科学技術の発達で明らかになったことは、「生き物はアルゴリズムで、キリンもトマトも人間もたんに異なるデータ処理の方法に過ぎない」ということ。そう言われれば、教育も「データ処理方法を教える」ことともいえる。
さらには、「経済とは欲望や能力についてのデータを集め、そのデータをもとに決定を下す仕組み」といえる。資本主義と共産主義は、「競合するイデオロギーでも倫理上の教義でも政治制度でもない」。本質的には、「競合するデータ処理システム」で、資本主義が分散処理なのに対して、共産主義は集中処理する。ある条件下では分散処理が効率的で、別の条件下では集中処理が効率的なのだ。
1914年以来60年間にわたって優位に立っていた共産主義は、デジタル革命が進展するにつれ、資本主義国家との経済格差が開いてくる。それは、「テクノロジーが加速度的に変化する時代には、分散型データ処理が集中型データ処理よりもうまくいくからだ」。
これにいち早く気づいた小平は、1978年に「改革開放」路線に舵を切る。経済のデータ処理方法を分散型に切り替えた中国共産党は生き残ったが、それをしなかったソ連は崩壊した。
「これは、21世紀に再びデータ処理の条件が変化するにつれ、民主主義が衰退し、消滅さえするかもしれないことを意味している。データの量と速度が増すとともに、選挙や政党や議会のような従来の制度は廃れるかもしれない」
210:データ至上主義母体である二つの学問領域にしっかりと根差している。その領域とは、コンピューター科学と生物学。生物学がデータ至上主義を採用したからこそ、コンピューター科学における限定的な躍進が世界を揺るがす大変動になったのであり、それが生命の本質そのものを完全に変えてしまう可能性が生まれた。生き物はアルゴリズムで、キリンもトマトも人間もたんに異なるデータ処理の方法に過ぎない。211:経済とは欲望や能力についてのデータを集め、そのデータをもとに決定を下す仕組み自由主義資本主義と国家統制下にある共産主義は、競合するイデオロギーでも倫理上の教義でも政治制度でもない。本質的には、競合するデータ処理システム。資本主義が分散処理を利用するのに対して、共産主義は集中処理に依存する。資本主義は、すべての生産者と消費者を直接結びつけ、彼らの自由に情報を交換させたり、各自に決定を下させたりすることでデータを処理する。214:資本主義が共産主義を打ち負かしたのは、資本主義のほうが倫理的だったからでも、個人の自由が新生だからでも、神が無信仰の共産主義者に腹を立てたからでもない。そうではなくて、資本主義が冷戦に勝ったのは、少なくともテクノロジーが加速度的に変化する時代には、分散型データ処理が集中型データ処理よりもうまくいくからだ。共産党の中央委員会は、20世紀後半の急速に変化を遂げる世界にどうしても対処できなかったのだ。216:権力はみな、どこへ行ったのか?資本主義や共産主義と同じで、民主主義と独裁性も本質的には、競合する情報収集・分析メカニズムだ。独裁制は集中処理の方法を使い、一方、民主主義は分散処理を好む。過去数十年のうちに、民主主義が優位に立った。20世紀後半に特有の状況の下では、分散処理のほうがうまく機能したからだ。
2020年03月24日
知能と意識の大いなる分離
ビッグデータ活用で、Google Flu Trends(GFT)の例が出てくる。「グーグルが私たちの電子メールを読んだり、活動を追ったりするのを許せば、グーグルは従来の保険医療サービスが気づく前に、感染症が流行しかけていることを私たちに警告できる」のだ。
実際のGFTは過去5年間の数千億回にも上る検索データをマイニングし、45個の検索キーワードをもとにインフルエンザ予測モデルを組み立てた。だが、実際は、それほど有効ではなく、2009年の豚インフルエンザは予測できず、2012年年末の流行は実際よりも50%過大に評価したという。結論としては、気温予想に基づく単純なモデルの方が正確で、その後サービスは廃止された。
だが、それから10年近くたつ今、今回のコロナウイルスの世界的流行を予測できたのかどうか気になる。中国ではGoogleが使えないからGFTでは無理だが、共産党が情報統制できる中国なら、これを機に、予測システム作成が可能かもしれない。
168:グーグルが私たちの電子メールを読んだり、活動を追ったりするのを許せば、グーグルは従来の保険医療サービスが気づく前に、感染症が流行しかけていることを私たちに警告できる。182:不平等のアップグレード自由主義に対する三つの実質的な脅威/祐屬完全に価値を失うこと⊃祐屬禄乎弔箸靴討澆疹豺腓砲楼輿海箸靴撞重ではあるが、個人としての権威を失い、代わりに、外部のアルゴリズムに管理されること0貮瑤凌佑論簑佗垈跳腓任靴も解読不能のままであり続けるものの、彼らが、アップグレードされた人間の少人数の特権エリート階級となること*これらの超人たちは、前代未聞の能力と空前の創造性を享受する。彼らはその能力と創造性のおかげで、世の中の最も重要な決定の多くを下し続けることができる。(中略)ところが、ほとんどの人はアップグレードされず、その結果、コンピューターアルゴリズムと新しい超人たちの両方に支配される劣等カーストとなる。185:医学は途方もない概念的大変革を経験している20世紀の医学は、病人を治すことを目指していた。21世紀の医学は、健康な人をアップグレードすることに、狙いを定めつつある。
2020年03月23日
人間至上主義革命
自由主義が共産主義に勝利して30年経つ今からすると信じがたいのだが、「1914年から1989年まで、これら三つの人間至上主義の宗教間で凶悪な宗教戦争が猛威を振るい、最初は自由主義が次々に敗北を喫した」。
第二次世界大戦でファシズムは敗れたが、それは主に共産主義のソ連に敗れたのであって、アメリカ軍やましてやイギリス軍に敗れたわけではない。戦時中の犠牲者は、イギリスとアメリカは50万人ずつだったのに対して、ソ連の死者は2500万人にも上る。もし、ドイツがソ連との不可侵条約を破らなかったら、西ヨーロッパはファシズムに、東ヨーロッパは共産圏になっていたかもしれない。
第二次世界大戦以降も、独立したアジア・アフリカ諸国の多くが共産主義を標榜した。1956年にソ連の最高指導者ニキータ・フルシチョフは西側諸国に向かってこう豪語している。
「諸君が好むと好まざるとにかかわらず、歴史は我々の味方だ。我々は諸君を葬り去るだろう!」
フルシチョフは本気でそう信じていたし、第三世界の指導者や西側諸国の知識人たちの間でもそう信じる人が多かったという。
「ケンブリッジやソルボンヌやバークリーの学生たちは、『毛沢東語録』に目を通し、チェ・ゲバラの勇ましい写真をベッド脇の壁に飾った」
著者は自由民主主義が救われたのは「核兵器があったから」で、それによる脅しがなければ、世界は共産主義に飲み込まれていた可能性もあるという。そして、1980年代になって最終的に自由主義を救ったのは、技術革新の波だった。
第二次世界大戦でファシズムは敗れたが、それは主に共産主義のソ連に敗れたのであって、アメリカ軍やましてやイギリス軍に敗れたわけではない。戦時中の犠牲者は、イギリスとアメリカは50万人ずつだったのに対して、ソ連の死者は2500万人にも上る。もし、ドイツがソ連との不可侵条約を破らなかったら、西ヨーロッパはファシズムに、東ヨーロッパは共産圏になっていたかもしれない。
第二次世界大戦以降も、独立したアジア・アフリカ諸国の多くが共産主義を標榜した。1956年にソ連の最高指導者ニキータ・フルシチョフは西側諸国に向かってこう豪語している。
「諸君が好むと好まざるとにかかわらず、歴史は我々の味方だ。我々は諸君を葬り去るだろう!」
フルシチョフは本気でそう信じていたし、第三世界の指導者や西側諸国の知識人たちの間でもそう信じる人が多かったという。
「ケンブリッジやソルボンヌやバークリーの学生たちは、『毛沢東語録』に目を通し、チェ・ゲバラの勇ましい写真をベッド脇の壁に飾った」
著者は自由民主主義が救われたのは「核兵器があったから」で、それによる脅しがなければ、世界は共産主義に飲み込まれていた可能性もあるという。そして、1980年代になって最終的に自由主義を救ったのは、技術革新の波だった。
83:1914年から1989年まで、これら三つの人間至上主義の宗教間で凶悪な宗教戦争が猛威を振るい、最初は自由主義が次々に敗北を喫した。共産主義とファシズムの政権が多くの国を支配下に治めただけでなく、自由主義の中核を成す考え方が、よくても幼稚、悪くすれば危険そのものとして笑い物にされた。個人に自由を与えさえすれば、世界は平和と繁栄を享受できるだって?86:自由民主主義が救われたのは、核兵器があったからこそだ。NATOはMAD(相互確証破壊)ドクトリンを採用した。このドクトリンによれば、ソ連による通常兵器の攻撃にさえ全面的な核攻撃で応じるという。「もしそちらが攻撃してくれば、我々は必ず、誰一人生き残らないようにして見せる」と自由主義者たちは脅した。99:2016年現在、現実的に見て、それ(自由主義)に取って代われるものは存在しない。だが、ほかならぬこの成功が、じつは自由主義の破壊の種を宿しているかもしれない。勝利を収めた自由主義の理想が、今や人類を駆り立て、不死と至福と神性に手を伸ばさせようとしている。
2020年03月22日
天皇の軍隊の終焉
「歴史を振り返ってみれば、国家が公的武力(天皇の下での軍隊)に依った時期は、律令国家としての8世紀の奈良時代までと、明治維新以降昭和戦前期までの二回だった。それ以外の時期は私的武力(武家の私的主従関係下に組織)の時代であり、笹山は、防人の歌を採録した大伴家持の意識の裏に、天皇の公民兵だとの皇軍意識、部門の名を負う大伴氏ゆえの自負を読み取っていた」
というのが、言われてみれば衝撃的。日本・百済の連合軍が新羅・唐の連合軍と朝鮮半島で戦った「白村江の戦い」が663年だから、それから間もなく武家が私兵を抱えるようになり、「公的武力」はなくなったことになる。
それでは、1274-1281年の元寇の際はどう対応したのか?鎌倉幕府にあっても、外交は朝廷の責任だったが、朝廷は対応を幕府に一任する。つまり、実質的には外交権も幕府にあったようだ。特に二度目の弘安の役(1281)の際は、元・高麗軍を主力とする約5万人の将兵が乗る軍船9百艘に加え、旧南宋軍を主力とする将兵10万人・軍船3500艘、合わせて将兵15万人・軍船4400艘という世界史上最大規模の艦隊で日本は侵略を受けた。防衛する鎌倉幕府の御家人たちは前回の文永の役の反省も踏まえて奮闘し、最後は来襲した台風に助けられて、これを撃退している。
従って、日本が対外戦争で再び敗北するのは、白村江の戦いから実に1282年後のポツダム宣言受諾ということになる。終戦の翌年、昭和天皇はこう言っている。
「戦争に負けたのはまことに申し訳ない。しかし、日本が負けたのは今度だけではない。昔、朝鮮に兵を出して白村江の一戦で一敗地にまみれたので、半島から兵を引いた。そこで色々改新が行われた。これが日本の文化の発展に大きな転機となった。このことを考えると、この際、日本の進むべき道も、おのずからわかると思う」(1946年、侍従次長であった稲田周一による天皇陛下の言葉)
軍国主義の勃興91:問いゞ謀譴療膵颪任△詁本と、その国民である日本人は、いかなる安全観を持ってきたのか。また、その対外意識の中で中国はいかに位置付けられていたのか。憲法や議会を含めた日本の政治制度の中で、日本の軍事制度はいかに位置付けられていたのか、またその特徴はどんなところにあったのか。B耋僂魍容世掘朝鮮を併合して植民地帝国の一つとなった日本が、あるべきアジア太平洋地域の国際秩序をめぐり、アメリカやイギリスなどの国々と、いかに対立を深めていったのか。92:西嶋定正(中国古代史)古代の日本が、国家としての自らのアイデンティティを確保し、国内支配のための権威付けを行うためには、朝鮮半島の王朝を日本が従属されているとの虚構、また、中国の歴代王朝と対等の関係を築いているとの虚構が必要だった。1930年代の戦争は何をめぐる闘争だったのか180:宣戦布告の可否を左右した中立法37年8月中旬から上海・南京の戦場で戦われた日中間の戦闘は、蒋介石のドイツ人顧問をして「ヴェルダン以来、最も激しい戦闘」と表現されるものでしたが、日本は中国に宣戦布告せず、また中国も宣戦布告しませんでした。日本が宣戦布告しなかった理由は、アメリカ中立法を避けるためでした。チ軅鑪浪爾寮ー軍関係194:板垣征四郎(関東軍高級参謀)「満蒙は対露作戦に於いては主要なる戦場となり対米作戦に於いては補給の源泉を成すものであります。従って満蒙は実に米、露、支三国に対する作戦と再重大なる関係があります」(1931年3月 歩兵学校教官に向けた講演)198:三谷2002満州事変は、天皇に直隷するはずの軍隊への天皇指揮権=統帥権の実質が、軍エリートの計画的な意思によって初めて解体されたという意味での象徴的な意味。β臉翼賛会の成立から対英米開戦まで255:政府による、三国同盟・翼賛会・日米交渉という三つの施策の裏面には、当時の日本にとって最大の懸念であった日中戦争をいかに終結させるかという問題意識が一貫して流れていた。258:1941年1月10日 駐英大使の重光葵「独逸が海の英国に勝つと判断することはできぬ」日独伊三国同盟「橋を切って本丸に立て籠もらんとするもの」259:近衛文麿 日中和平への期待「戦争を終結できると楽観しており、日中戦争の方はひとまず忘れて、日本は南方に進出し、資源の面での対米依存から脱却し、北方の防衛力を強化できる」日本軍の武装解除についての一考察304:降伏条件四条件を必須のものと考える軍部にとって、国体護持以外の三条件中、最も重視されていたものが、自主的武装解除、すなわち、連合国による日本軍隊の武装解除の拒絶だった。320:天皇制維持の一項を残しておけば、昭和天皇自身の不安を、より早期に解消し、より効果的な日本降伏を演出できた。英米が無条件降伏に固執した理由.熟∧き込み▲Εルソン路線の失敗の教訓(交渉による平和では、第二のヒトラーの登場を再度許してしまうかもしれない)328:軍保有物資の処分戦禍に疲弊し、食料や物資の欠乏に困窮していた国民にとって、混乱の中で多くの物資を担いで復員してきた兵隊の姿は、軍隊に対する国民の最後の信頼を徹底的に失わせるに十分であった。
2020年03月21日
天皇と軍隊の近代史
1930年代の日本の軍事と外交を専門とする東京大学大学院の加藤教授による最新刊。東京大学教養学部で話した学術俯瞰講義、『岩波講座 日本歴史』の1章として寄せた論文、『考える人』での論考などを中心に編んだ8章と、今回書下ろしの長い総論からなる。そのため、全体としてはまとまりを欠き、名著だった『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』などと比べると読みにくい。
本のテーマは、明治以降終戦までの「天皇と軍隊の関係」にある。明治維新は、「官軍」によって行われたことになっているが、実体は薩長土肥、なかでも西郷隆盛率いる国内最強の薩摩藩軍に抵抗する諸藩は負けたのだ。従って、戦後は幕府の代わりに薩摩藩が新政府を作ると思っていた関係者も多かった。
明治維新後は旧士族の不満から各地で反乱がおこり、その最大のものが明治10年の西南戦争。この内乱に懲りた新政府は、「天皇の軍隊」として軍の再編を行う。天皇が「大元帥」となったのはこれ以降だ。
私兵的結合を廃し、「国内政治勢力に惑わされない中立不変の軍事力」とするために「統帥権独立」が定められたのだが、昭和になり、これが軍部により読み替えられ、逆に政治利用されるようになった。つまり、政府による統制が効かず、軍部の独走を許してしまった。
終戦に当たり、日米双方による天皇利用の下りは興味深い。
はしがき:天皇と軍隊の間に特別な関係が創出されていった背景には、明治ゼロ年代における士族反乱状況に対応するため、いくつかの政治主体間に争われた軍事力再編構想の競合があった。私兵的結合を廃し、国内政治勢力に惑わされない中立不変の軍事力の樹立が、西郷隆盛による内乱を経験した社会には不可欠だった。総論5:本土決戦に突入する前、日本軍の絶望的な抵抗を止めうる唯一の力を持つ天皇という地位の存在意義に、英米側が利用価値を認めている間に終戦に持ち込むしかない、と南原らは考えていた。戦争最終盤にあって、なお700万人の軍隊を無傷で内地に抱えていた日本軍。その武装解除を命じられる唯一の存在としての天皇に、アメリカと日本の双方が注目していたのである。46:武力をもって国家を保護することを自らの任務と心得てきたはずの将校らは、危機の時代にあって国内の危機(共産革命や農民一揆)からも国家を保護するのが自らの任務だと読み替え、軍人の政治不関与を謳った軍人勅諭の核心部分を破壊していったといえよう。
2020年03月20日
┘侫蝓璽疋螢辧Ε魯ぅ┘〜金融危機から何を学べるか
シュンペーターと同じくオーストリア学派のハイエク。「社会の繁栄の原動力は創造性や起業家精神、イノベーションであり、これらは自由市場のある社会でなければ実現しない」という立場をとった。
ベルリンの壁崩壊後は当たり前に思えるこの考えも、20世紀の大半支持を得ていたのはマルクス主義の方だった。1929年に始まった世界大恐慌はマルクスが予言した「資本主義の崩壊」が来たと連想させ、ケインズは政府の大規模な財政政策を主張した。LSEのロビンズは、LSEをイギリスの経済学の国際化を主導する機関にすることを目指し、ハイエクをLSEに招く。
「ケインズとは全く逆に、そのようなとき政府は介入したいという衝動に抵抗しなければならないというのがハイエクの見解だった。不況は必要悪であり、過去の資本の過剰蓄積が原因となって生じる整理期間に過ぎないと考えていた」
経済を刺激する政策は短期的な問題は緩和するかもしれないが、非効率な資本ストックの水準が維持されやすくなるため、いずれは景気回復を妨げてしまう。また、政府の介入は、モラルハザードを招く。危機的状況になっても、政府の救済策があると学習すると、次の危機に備えず、好況時により大胆になり、次の経済危機を招くことになる。
222:この学派はヨーロッパの大部分を席巻していたマルクス主義の集団主義とは対照的に、個人やその自由な活動の重要性を強調する。カール・メンガーが説明した自生的秩序は、「平和な社会の実現とは、人々が活躍できる社会構造を生み出す法の支配の結果にほかならない」という概念だった。224:LSEロビンズはイギリスの経済学を前世紀的なものから脱却させるため、その役割にふさわしい他の学派に精通した理論家を探していた。彼はLSEをイギリスの経済学の国際化を主導する機関にすることを目指し、ケンブリッジ大学のジョン・メイナード・ケインズに反論するハイエクを擁護しようとした。226:ハイエク対ケインズハイエクは、ケインズとは経済学のほとんどの面で意見を異にしていたと語るだろう。ケインズは実践的なイギリスの経済学者で、経済学の実用性を重視し、より体系的なヨーロッパの思想形式を顧みる暇はほとんどなかったが、ハイエクは正反対だった。228ケインズとは全く逆に、そのようなとき政府は介入したいという衝動に抵抗しなければならないというのがハイエクの見解だった。不況は必要悪であり、過去の資本の過剰蓄積が原因となって生じる整理期間に過ぎないと考えていたのだ。これはノーベル賞を受賞したポール・クルーグマンの言う景気後退の「二日酔い理論」に似ている。経済を刺激する政策は短期的な問題は緩和するかもしれないが、非効率な資本ストックの水準が維持されやすくなるため、いずれは景気回復を妨げてしまう。231:1944『従属への道』TVが普及する前の時代に600万人もの読者を得た同書は大ベストセラーであり、アメリカで人々が戦後の生活に目を向けるようになるにつれて、ハイエクの名は同国民のあいだに広まった。235:社会の繁栄には多様性が必要だと考え、各社会の内部の格差にも寛容格差がなければ互いが進歩することもない。ハイエクによれば、これは倫理的な考え方ではないが、歴史的に観察されること。237:1976『貨幣発行自由化論』貨幣は政府ではなく民間企業によって発行されるべき。通貨の供給者間の競争によって流通通貨の中でももっとも安定した通貨が残ることになり、この競争を通じて自己規制も実現する。241:世界金融危機金融市場は自由度が高すぎたのではなく、むしろ自由が十分に与えられていなかったのであり、金融危機前の時点ですでに多くの規制が実施されていた。政府の規制によって、投資家の間では「自分たちはリスクや債務不履行から保護されている」という誤った期待が実際に生じて居t。ハイエクは、金融市場が規制されていなければ、信用とみずからの評判を守る機関が自然に発展すると主張するだろう。
2020年03月19日
Д茵璽璽奸Ε轡絅鵐據璽拭次漸燭イノベーションを促進するのか
今日の世界的なイノベーション・ブームにつながる理論的支柱を作ったのはオーストリア出身の経済学者シュンペーターだった。彼が資本主義を発展させるのは「創造的破壊」であり、それをもたらすのは「起業家」であると言い出したのは約100年前のことだ。
その後、ケインズの『一般理論』が出版され、ケインズの評価はシュンペーターを上回るのだが、それは世界的な大恐慌が起こり、政治家も国民もそれに対する処方箋を求めていたからであった。シュンペーターがケインズの本の題名に異議を唱えたというのは面白い。彼は、『一般理論』の「一般」という言葉に反対した。それは「ケインズの理論は不況期の経済というごく限定的な対象にしか当てはまらない」と考えていたからだ。
彼の「経済成長には安定した政府、とくに法の支配と私有財産の保護が必要」という考え方は、その後広く受け入れられ、実際に、世界各国でそれを裏付ける事例が観測された。彼は「立憲君主制のもとで上院と下院の二院制議会を持つイギリスの制度」を最も称賛した。それを真似した日本では「安定した政府」をもたらさず、「創造的破壊」が起こらないのはどうしたことだろう。
その後、ケインズの『一般理論』が出版され、ケインズの評価はシュンペーターを上回るのだが、それは世界的な大恐慌が起こり、政治家も国民もそれに対する処方箋を求めていたからであった。シュンペーターがケインズの本の題名に異議を唱えたというのは面白い。彼は、『一般理論』の「一般」という言葉に反対した。それは「ケインズの理論は不況期の経済というごく限定的な対象にしか当てはまらない」と考えていたからだ。
彼の「経済成長には安定した政府、とくに法の支配と私有財産の保護が必要」という考え方は、その後広く受け入れられ、実際に、世界各国でそれを裏付ける事例が観測された。彼は「立憲君主制のもとで上院と下院の二院制議会を持つイギリスの制度」を最も称賛した。それを真似した日本では「安定した政府」をもたらさず、「創造的破壊」が起こらないのはどうしたことだろう。
191:シュンペーターはアメリカで5か月にわたって講演を行い、これによって彼の名はさらに広まったが、オーストリアに帰国した直後に第一次世界大戦が勃発した。グラディスはイギリスに戻っており、夫とは疎遠な状態になっていた。1920年代になると、彼はまだ離婚していなかったにもかかわらず、自分は結婚してないと語るようになった。196:『一般理論』が1936年に出版されて以来、ケインズの評価はシュンペーターを上回っていた。シュンペーターのほうはケインズの本の題名にすら意義を唱えた。具体的には『一般理論』の「一般」という言葉に反対したのだが、それはシュンペーターが「ケインズの理論は不況期の経済というごく限定的な対象にしか当てはまらない」と考えていたからだ。198:シュンペーターの経済学シュンペーターは断固として資本主義を擁護し、「創造的破壊」のおかげで人々の生活は飛躍的に進歩したと主張。199:「競争による打倒」「創造的破壊」が起きるため、長期的に継続する独占はほとんどないと考えた。成功したイノベーターはしばらくのあいだ独占の利益を得られるかもしれないが、同じ業界の他のプレーヤーはすぐにその製品を模倣しようとする。(中略)いずれ競争相手に模倣されて市場価格が下落するため、あらゆる起業家の利益は一時的なものにすぎない。200:経済成長には安定した政府、とくに法の支配と私有財産の保護が必要彼が最も称賛したのは、立憲君主制のもとで上院と下院の二院制議会を持つイギリスの制度。資本主義性に安定をもたらす非政治的な行政部門。シュンペーターの「創造的破壊」はそのようなシステムの中でしかうまく機能しない。214:ファーウェイのようなテクノロジー企業は収益の約10%を研究開発に費やしており、これはイノベーションを推進している世界的な大手企業の研究開発費と同規模である。ファーウェイの15万人の従業員の半数は研究開発に従事している。216:シュンペーターの業績資本主義は起業家に依存しており、起業家には支援制度が不可欠であるという事実を示したこと。彼は生産者と消費者の動きに関する経済学的な単純な仮説を否定した。
2020年03月18日
Ε献腑鵝Ε瓮ぅ福璽鼻Ε吋ぅ鵐此租蟷颪鬚垢戮か、控えるべきか
第6章は、本blogにも何度も登場しているケインズ。奨学金を受けて通ったイートン校では39もの賞を取ったというイートンの歴史に残る優秀な学生だった。その後別の奨学金を得てケンブリッジ大学に入学する。
当時のイギリスではオックスブリッジを出た優秀な学生は国家公務員になった。公務員試験を受けたとき、皮肉にも経済学の成績は良くなかったらしい。そのため、その年の公務員試験で2位に甘んじてしまった。合格者は試験の成績順に空いているポストを選べ、花形は大蔵省だったが、その年の空席は一つしかなかった。
そのポストに就いたのは公務員試験を1位で通過したオックスフォード大学出の古典主義学者であったオットー・マイヤーだった。この結果、ケインズはインド省で社会人生活をスタートすることになる。
1920-30年代にかけて、大恐慌への対策でケインズが従来の「大蔵省の見解」に反する、財政出動を訴える型破りな政策を売り込もうと奮闘していた時、大蔵省で、そしてのちにイングランド銀行で彼と主に対立したのは、ほかならぬオットー・マイヤー卿だったという。
ケインズの積極的財政政策は次第に世界各国で受け入れられていく。一つには、不況期における政治の役割を強調したことは、「政治的役割」を果たして票に結びつけたい政治家にとって受け入れられやすかったこと。二つ目には、有権者にとっても即効性のある政策は魅力的だったこと。そして、ケインズは名文家で、話も上手なコミュニケーターであったことが影響した。
株式市場を、誰が優勝するかを当てる美人コンテストに例えるなど、分析とともに比喩が秀逸なのだ。
160:イートン校では39の賞を取り、歴史と英語の最優秀賞と数学の主な賞すべて、そして化学でも賞を一つ授与された。彼は熱心に勉強し、父の習慣にならって自分の時間の使い方を細かくチェックした。162:『平和の経済的帰結』ドイツには1919年に課された戦後の賠償金を支払う能力はないと主張。この本はイギリスとアメリカで過去最高の売り上げを記録。163:ケインズは同性愛者として長年遊んだあと、1921年にロシア人バレリーナのリディア・ロポコワの演技を見て彼女に恋をした。二人は不倫関係になり、4年後にロポコワが夫との離婚を成立させると結婚した。当時ケインズは42歳、ロポコワは33歳で、ケインズは生涯彼女と添い遂げた。学者としては珍しいことに、ケインズは前例となったリカードやフィッシャーのように投資家でもあった。彼は大金を賭けたものの、破産しかけたことも何度かあった。1936年当時の彼の財産は50万ポンド以上で、現在の金額にすれば2700万ポンドという驚くべき額に上っていたが、1937-38年の不況期にそのほぼすべてを失ってしまった。そのころ彼は株式投資の資金を借り入れ、多額のレバレッジをかけていたのである。それでも彼が1946年に死去したときに所有していた投資資産の価値は40万ポンド(現在の1200万ポンド)にのぼり、芸術作品と書籍のコレクションの価値は8万ポンド(現在の250万ポンド)に及んだ。165:ケインズ革命イギリスの大蔵省は古典派の見解に従い、経済は長期的には自己修正すると考えて景気回復を受動的に待つ姿勢だったが、ケインズはこれに批判的だった。「しかし、この長期という言葉は現状を誤った方向に導く指針である。長期的にはわれわれはみな死んでいる。大嵐の時期に、嵐が去って時がたてば海はまた静まるとしか言えないのであれば、経済学者の仕事とはあまりに安易で意味のないものになる」166:ニューディールケインズのアイデアの一部は実行に移されたが、彼の移行に完全に沿う形ではなかった。彼は、FDR大統領のもとで1933年に成立した全米産業復興法など、一般にニューディールと呼ばれている政策によってアメリカの銀行システムと輸送インフラが改善されると考えていたが、同大統領の計画における財政支出、つまりs景気刺激に使われた額は、ケインズが必要と考えてたGDPの11%より大幅に少なかった。178:通常時と違って投資が金利の動きに反応しない場合、金融政策だけでは経済を活性化できない。つまり、投資を増大させて経済成長を促すためには財政政策も必要になる。
2020年03月17日
ゥ◆璽凜ング・フィッシャー〜1930年代が再来する恐れはあるのか
株価が暴落を続ける現在は11,2年前のリーマンショックを思い出させる。人の記憶とは本当に頼りにならないもので、アベノミクス相場が5年も続くと、リスクに鈍感になってしまう。
リーマンショック後、再注目されたのが、大恐慌時代を生きたアーヴィング・フィッシャーだ。フィッシャーはイェール大学で学び、教えた計量経済学者で、1930年に計量経済学会を共同創設し、その会長に就任した。「この学会は経済学の定量的な側面を発展させ、ノーベル経済学賞受賞者のほぼ全員がこの学会のメンバーになっている」。
フィッシャーは、投資にも熱心で、株式の信用取引で一時は1000万ドルという大学教授としては驚異的な資産を築いている。リカードやケインズなどの例がはあるが、経済学者が投資家としても成功するというのは稀だ。
しかし、その後の大恐慌でその全てを失い、1932−37年にはアメリカ大統領の顧問を無償で務めたのは、アメリカ経済を立て直し、それによって自分の財政状況も回復させたいという意欲に彼が突き動かされたからだといわれている。彼は「負債デフレ」を研究し、「デフレの罠」という考え方にたどり着く。
「フィッシャーが唱えた解決策は、ルーズヴェルト大統領やその側近らに宛てた手紙で彼が繰り返し勧告したように、基本的にはリフレーション(統制インフレ)だった。中央銀行は貨幣数量説の彼の公式に従ってマネーサプライを増大させ、それによって物価を1926年の水準にまで上昇させるべきだという提案である」
今から考えれば、この考え方は正しい。しかし、彼が仕えたフーヴァーやFDR政権は、リフレ策をとることはなく、採用したのはケインズ流の公共投資だった。これでアメリカ経済が立ち直ることはなく、「すぐにアメリカ経済は回復する」と言い続けたフィッシャーは社会的な信用まで失ってしまう。
彼の資産がもとの価値を回復することはなく、借金が消えることもなかった。大学近くに構えていた家を維持できなくなり、これは大学が好意で買い取り、フィッシャーは家賃を払って住んでいたが、これも払えなくなり、妻に先立たれたフィッシャーは一人質素なアパートで暮らしていたという。
124:フィッシャーの業績は、学術的な経済学の本場がヨーロッパからアメリカに移り、それとともに経済学が数学や統計学と強く関連付けられる転換点になった。彼は1930年に計量経済学会を共同創設し、その会長に就任した。この学会は経済学の定量的な側面を発展させ、ノーベル経済学賞受賞者のほぼ全員がこの学会のメンバーになっている。126:1932−37年にはアメリカ大統領の顧問を無償で務め、初めはハーバート・フーヴァーに、その次にはフランクリン・D・ルーズヴェルトに仕えた。アメリカ経済を立て直し、それによって自分の財政状況も回復させたいという意欲に彼が突き動かされていることは明らかだった。この経験は彼が「負債デフレ」の研究に取り組むきっかけにもなた。負債デフレとは、人々や企業が負債を返済する一方で消費をや投資を控えるため、経済が停滞すると物価が下がり、経済が永続的なデフレ・スパイラルに陥ることがあるという考え方だ。134:レバレッジをかけていれば、急成長する市場で多額の資産をあっという間に築くことは十分に可能であり、フィッシャーはこの手法で1000万ドルという驚くべき額の資産を蓄積したとみられる。140:1873~96年にかけてアメリカ国内の物価の下落とともにドルの価値が上昇したことを確認し、これが長期の不況につながったと主張した。マネーサプライが金の量によって決定されていたため、マネーサプライの増大のペースが、多数の取引を実現させて経済成長を維持すできるほどの水準に届かなかったのだ。これに対する明らかな解決策は、米ドル効果に含まれる金の量を減らしてドルの価値を下げることだった。それによってインフレ率が上がりすぎたら、ドルと兌換できる金の量を増やせばよい。142:指数化という考えを負債に当てはめて、投資家の収益をインフレから保護することもできる。レミントンランド社の理事でもあったフィッシャーは、インフレ率に関係なく投資家が一定の実質収益を得られるインフレ連動債を初めて開発した。143:1932年になってもアメリカ経済は回復基調には程遠く、フィッシャーが予測した「1929年の暴落からの急速な回復」が実現する可能性はますます薄れてきたようだった。1929年に約4%だった失業率は25%に及び、GDPは40%以上減少した。また、株価暴落以降に破綻した銀行の数は約6000行にのぼっていた。こうした恐ろしいニュースにもかかわらず、フィッシャーは依然として不況はまもなく底を打ち、1933年には経済は停滞から急速に脱すると考えていた。しかし、それは実現しなかった。144:大恐慌の場合、「過剰な負債」は投資銀行の高圧的な営業によって企業が無謀な借り入れをしたことに端を発している。負債バブルが崩壊すると資産価格の下落がさらなる下落を招く、際限のない悪循環が生じた。フィッシャーが経験から知っていたように、これが始まると自己の負債を返済することは困難になる。そして資産はさらに投げ売られ、企業の倒産が増加し、銀行のバランスシート上で不良債権が生じると銀行取付すら発生した。148:銀行システムがレバレッジをかけすぎた状況に陥り、不良債権や資本不足に悩まされるようになった金融危機後の時期に、経済活動への信用の流れが激減する可能性があったことも意味している。それが現実になったのが日本で、同国では銀行や企業の財政問題などにより経済成長が数十年にわたって滞った。149:デフレの罠一部の部門や製品市場で価格が下落するのは珍しいことではないが、全般的または平均的な物価水準の下落が持続することは、実際のところ日本で起きるまではまれな出来事だった。このような場合においてフィッシャーが唱えた解決策は、ルーズヴェルト大統領やその側近らに宛てた手紙で彼が繰り返し勧告したように、基本的にはリフレーション(統制インフレ)だった。中央銀行は貨幣数量説の彼の公式に従ってマネーサプライを増大させ、それによって物価を1926年の水準にまで上昇させるべきだという提案である。150:Helicopter Money Dropデフレとの戦いは消費者の意識や企業の行動を変化させる必要があるため、当初の印象より複雑なプロセスになる。ベン・バーナンキは2002年の講演で、日本は「ヘリコプターマネー・ドロップ」を検討すべきだと主張した。これは経済に貨幣を直接注入する手法で、本質的には国民にお金を無料でプレゼントする策である。151:ミンスキー・メルトダウンミンスキーはフィッシャーなどの人々の思想を採り入れながら、マクロ経済学モデルではたいてい無視されている民間企業の負債が金融危機を引き起こすという説を考案した。そして、資産価格の上昇局面で投機的なバブルが生じており、これは経済全体に影響すると警告した。ミンスキーが建てた金融不安定性仮説は信用バブルがどのように生じるかを説明しているのに対し、フィッシャーの負債デフレ説は信用バブルが崩壊して景気が後退し、不況に陥る過程を解説している。155:1933~39年にかけて、フィッシャーは国家の問題と自らの財政危機を解決するために一心不乱に努力したが、どちらも失敗に終わった。国は彼の勧告に従わず、彼の資産がもとの価値を回復することはなく、借金が消えることもなかった。
2020年03月16日
ぅ▲襯侫譽奪鼻Ε沺璽轡礇襦然丙垢糧生は避けられないのか
4章は、「ケンブリッジ学派」の創始者でもあるアルフレッド・マーシャル。経済学が学問として成立したのはマーシャルの尽力によるところが大きい。マーシャルがケンブリッジ大学を引退する5年前に、政治経済学部を創設したのは1903年のことだ。それまでは哲学や数学など、他の勉強をしている学生がその応用として学んでいたにすぎない。それより100年ほど前に生きた「近代経済学の父」と言われるアダム・スミスは、グラスゴー大学の道徳哲学教授であった。
マーシャルが生きた19世紀ビクトリア朝は大英帝国の絶頂期であり、イギリスはかつてない繁栄を謳歌していた。その一方で、食うや食わずの工場労働者も増え、格差や貧困が広がっていた。マーシャルが生涯、研究の対象にしたのは格差問題であった。
格差をなくすだけなら共産主義の方がいい。しかし、これを実施したソ連でも中国でも労働生産性は落ち、イノベーションは起こらなくなった。所得分配の平等性を高める政策と、それによる労働意欲の低下とのあいだにトレードオフがあることを発見したのはマーシャルであった。
103:1890『経済学原理』イギリスにおいてアルフレッド・マーシャルの『経済学原理』は、アダム・スミスの『国富論』やリカードの『経済学および課税の原理』とともに、経済思想の発展における三大分岐点のひとつになっている。一般的な見方では、イギリスの政治経済史は三つの異なる時代、すなわち古典派、リカード派、マーシャル派または改革リカード派の各時代に分かれる。(マーシャル生誕100周年)104:アダム・スミスが『国富論』を著したときと同様に、マーシャルも『経済学原理』の執筆に10年を費やした。第8版の修正点をすべて示した第9版は、マーシャルの死後の1961年に王立経済学会によって第二巻として出版された。マーシャルは合計すると約40年を本の改訂に費やしたため、彼の人生のほぼ半分はこの画期的な仕事に捧げられたことになる。106:マーシャルにとって、あらゆる研究は格差や貧困への関心に由来するもの「私はこの25年間、貧困の問題に専念してきて、それに関係のない質問に答えるための研究はほとんどしていない」(1893「高齢貧困者に関する王立委員会」)110:中国の億万長者がアメリカよりも多いことは注目に値する。そして、その数も驚くべき速さで増えている。10年ほど前には、所有資産額が10億ドルに達する中国国民はわずか3人しかいなかったが、今では何百人もいる。これは、その国民の平均所得がコスタリカと等しい国で起きた大きな変化だ。113:先進国.哀蹇璽丱覯平均賃金が下落し、国際貿易から利益を得た人々、すなわち技能水準の高い労働者や資本所有者の所得はさらに増えた。その一方で、技能水準が中程度以下の労働者は先進国では負け組になっている。技能偏重型の技術的変化経済の技術志向が強まってくると、その状況から最大の恩恵を受けるのは、やはり技能水準がもっとも高い労働者。116:所得分配の平等性を高める政策と、それによる労働意欲の低下とのあいだにトレードオフ「社会主義の最大の危険は、所得分配の平等化を進める傾向にあるのではない。私はそれに害があるとは考えていない。むしろ最大の危険が潜んでいるのは、世界を未開の状態から徐々に発展させてきた精神活動を弱体化させてしまう、社会主義の影響力の方である」(マーシャル)119:この数十年間のアメリカにおける格差の著しい拡大は、アメリカのやり方に問題が生じていることを示唆している。いっぽうのヨーロッパは、高齢化社会によって年金支出が増大するなど、コストのかかる福祉国家政策を支えきれなくなっているという別の問題を抱えている。120:ケンブリッジ学派ケンブリッジ大学を退職するまでの10年間に彼が教えた弟子の中で、もっとも重要な経済学者はジョン・メイナード・ケインズである。ケインズはピグーとともに、マーシャルの思想を支持するケンブリッジ学派の形成にあたって重要な役割を果たした。ケインズが経済学に関して正式な学位や資格を持っていなかったことはよく知られているが、当時のケンブリッジ大学ではそういう学生が多かった。彼らは正式には数学を学び、そのなかで本当に興味をもてる分野を見つけていったのだ。(中略)したがって、ケインズのマクロ経済学はマーシャルの思想、とくに「経済学は政策として解決策を提示する必要がある」という考え方にもとづいている。
2020年03月15日
カール・マルクス〜中国は富裕国になれるのか
カール・マルクスが、ドイツ生まれのユダヤ人というのは知っていたが、改めて読んでみるとなかなか複雑。
「マルクスは一般に、トリーアで昔から代々続いてきたユダヤ教ラビの家系に生まれたと言われている。マルクスのユダヤ人の祖先たちは領主に対して、その領土内に住めるという恩恵のために特別な税金を支払わなければならず、また彼らの職業は一般に商業や金融業に限られていた。
この社会的秩序はフランス革命後に暴力的な終焉を迎えた。共和国となったフランスが神聖ローマ帝国の領土を奪い、トリーアは1797年に同国に併合されたのである。そして、この町ではすべての市民が法の下で平等とされるようになった。1811年にプロイセンのカール・アウグストフォン・ハルデンベルク宰相は『ユダヤ人解放令』を発布してユダヤ人に居住と職業の自由を与え、従軍の権利も認めた。カールの父であるハインリヒ・マルクスにとって、フランス革命はチャンスを与えてくれたものであり、彼はユダヤ人には禁じられていた職業である弁護士になることができた。
しかし、そのわずか数年後に政府は後戻りし、ユダヤ人弁護士の個人開業を禁止した。ハインリヒは改宗を決断したが、それは彼一人ではなかった。18世紀のドイツのユダヤ人社会における有力者の一族は、1830年までにほとんどキリスト教に改宗した。その大部分はカトリックを選んだが、マルクスの父親はプロテスタントを選択した。それは彼が啓蒙主義者であったからである。」(p73)
つまり、1818年にマルクスが生まれた時には、あるいは幼少期の内には、一家はプロテスタントに改宗していたことになる。これが、表面的なものであったのか、それとも、抜本的なものであったのか分からないが、こうした一家の背景が社会制度への興味や疑問を植え付けたのかもしれない。
さて、本題は「マルクスが今の中国をどう思うか」だ。現在の中国はマルクスが考えた共産主義制度とは全く違う。中国は依然として共産党が支配する共産主義国家であるが、市場経済の導入で経済は大きく成長した。
これまで、資本主義が成り立つには、「法の支配や私的財産保護などの市場経済を支援する制度」が必要とされてきた。中国は、これらの制度が十分に発達していないのに経済が大きく成長したので、「中国のパラドックス」と呼ばれる。
著者は、そうした公的な制度を補う者として、「社会資本などの非公式な制度」を上げる。元々、中国には個人間の関係を重視する文化的傾向があり、これが共産主義性の内部で起業家が登場することにっつながったのではないかと云う。
ソ連では、市場経済の導入が遅れ、経済破綻から政治制度の破綻につながった。プーチン大統領は皇帝のようにふるまい、国民はそれを支持している。民族の歴史的な傾向というのは無視できない。
75:エンゲルス『イギリスにおける労働者階級の状態』1845彼はブルジョアの家族を持つ典型的な資本化であると同時に、マルクスなどの政治的に危険な人々と関係し、彼らの資本を提供した革命家でもあった。84:中国経済の変容中国が異例なのは、計画経済からの移行によって国営の企業や銀行の多くが解体されるいっぽうで、人口の半分がいまだに農村部に住んでいる発展途上国でもある点だ。また、中国は世界市場と統合された「開放経済」でもある。85:中国は制度が十分に発達していないのに経済が大きく成長した「中国のパラドックス」中国は依然として共産党が支配する共産主義国家である。したがって独立した司法機関が存在しないため、当然ながら法の支配や私的財産保護などの市場経済を支援する制度は脆弱である。88:社会資本などの非公式な制度→共産主義性の内部で起業家を登場させた中国の起業家はよく整備された法律や金融の制度がないことを克服するために、「関係」というソーシャルネットワークを活用した。また個人間の関係を重視する文化的傾向も、自営業の発展や民間部門の印象的な登場を促す要因として、社会資本が重要な役割を果たすことにつながった。96:収穫逓減の法則中国とソ連の場合、利益は予想どおり減少し、労働意欲の欠如は生産性の低下につながった。(中略)収益性の欠如は市場改革の必要性を物語っており、経済の停滞はマルクス主義の原則を放棄するきっかけになった。皮肉なことに、資本主義経済に訪れると考えられていた結末は、実際には共産主義諸国にやって来たのである。
2020年03月14日
▲妊凜ッド・リカード〜貿易赤字は重要な問題か
第二章は、デヴィッド・リカード「貿易赤字は重要な問題か」である。リカードはそれまで支配的だった「重商主義」(貿易黒字と保護主義に特徴)に対して、「比較優位説」を発表して、その後の自由貿易の流れを作った。
よく知られたように、リカードは、ポルトガルとイギリス両国のワインと織物の生産性を比較し、イギリスはポルトガルからワインを買い、ポルトガルはイギリスから織物を買った方が両国とも豊かになれることを示した。
ユダヤ人であったリカードは、クエーカー教徒と結婚したために家族から勘当されるのだが、ワーテルローの戦いでイギリスの勝利に賭けて国債取引を行い、この一度の投資によってイングランドでも有数の資産家になった。後に国会議員となり、保護主義的な穀物法廃止の理論的中心人物になる。
今日の英米は何十年も貿易赤字を続けている。それで大丈夫なのか?という疑問がある。トランプ大統領は明確にNOと考えて、保護主義的政策を取っている。この答えは、どうやら、「国による」ということになる。
まず、アメリカは基軸通貨国だから、何年貿易赤字を続けても、ドルで払える。では、イギリスはどうかだが、ポンドは長期的に下落している(下図)。円に対しては過去50年間で1/15と価値が激減しているし、ドルに対しても1/2程になった。
ただ、貿易統計が捉えているのはモノの移動であって、付加価値の高い「不可視」の資産が適切に計上されれば、アメリカの巨大な貿易赤字は実際には黒字になるという試算もある。金融や高等教育の強いイギリスでもその傾向がある。
経済統計の刷新が必要だ。

46:国際貿易は18世紀後半の経済学者が優先的に取り組んだ課題の一つだった。保護主義的な穀物法が否定され、世界経済に対する自国市場の解放が支持されたことで、イギリスの繁栄に貢献したグローバル化の時代が幕を開けたのである。50:19世紀初めには世帯の上位1%が国富の50%以上を所有し、この数字は20世紀初頭には70%近くまで上昇した。所有財産の額が60万ポンドを超えていたリカードは、イギリスに179人いた百万長者には数えられなかったが、財産額が50万ポンド以上に上る338人の中には入っていた。57:ハーヴァード大学の経済学者のリカード・ハウスマンと彼の共著者のフェデリコ・シュトゥルツェンエッガーの推算によると、収入を生み出すが目に見えない「不可視」の資産が適切に計上されれば、アメリカの巨大な貿易赤字は実際には黒字になるという。イギリスでも事情は同じかもしれない。64:リカードはまた、労働力は資本の不動性について非現実的な仮定をしたことについても批判されている。彼の比較優位論が成立するのは、資本が国家間では国内ほど自由に移動しないからである。もし国家間でも資本が自由に移動するならば、イギリスの資本はポルトガルに移動し、ワインだけでなく織物もそこで生産されるようになるだろう。
2020年03月13日
幕末に茶葉輸出を始めた伝説の女商人
先日も書いた通り、明治から昭和にかけて日本の近代化を財政的に支えたのは、輸出される一次産品、中でも明治初期に金額が大きかったのは生糸と茶葉であった。そこまでは日本史でも習うから常識だが、茶葉輸出を幕末に始めたのが、長崎の女商人であったことは知らなかった。
その名は、大浦慶。代々、燈明に使われる菜種油を扱う油商。元々、江戸に幕府が開かれて、やがて長崎が唯一の交易港に指定され、京や大坂、堺や博多などの商人が移ってきて繁栄を築いたらしい。油商は河内から来たものが多く、上方から菜種油を仕入れて、瀬戸内海を船で運んでくる。しかし、幕末までには九州でも菜種が栽培され、カルテルを組んでいた老舗油商は地油を扱う中小事業者に押されていた。かといって、長年の取引を大事にしてくれる得意先もあるので、すぐに経営が傾くわけでもない。
そんな中、若くして女主となった大浦屋の慶は、輸出に目を向ける。本業である油商では、番頭の目が厳しくて、自由に商いさせれもらえなかったからだ。輸入品の扱いは御用商人が決まっていて、新規に参入するのは困難だ。そこで、丸山の遊郭に遊びに来るオランダ船員に託して、かさばらない品をいくつかサンプルとして預ける。
数年ののち、お茶のサンプルはイギリス人商人の手に渡り、そこから初注文が来る。注文は来たが、茶葉を仕入れたことはない。店で飲む茶葉を買っていた茶屋から買えるだけ買うが全く足りない。女中の一人が嬉野出身なのを頼って、産地に買い付けに出向き、なんとか、農家が自家消費用に残してあった茶葉をかき集める。
日本の茶葉輸出はそこから始まったらしい。大浦屋は発展し、その利益が志士たちを支え、大隈重信や坂本龍馬、岩崎弥太郎たちとの交流がある。だが、幕末になって、長崎外に横浜や神戸が開港される。元々お茶の大産地であった駿河のお茶に、製法の違いもあって、嬉野茶はおされるようになる。そんな時、支店を開設すべく横浜に出張した番頭の友助が現地で客死する。
17:長崎の地は江戸に幕府が開かれてまもなく町割りされ、その際に京や大坂、堺や博多などの商人が移ってきて今の繁栄を築いた。70:葡萄牙との交易で培った町ぐるみの知恵と手法を御公儀が当て込んで長崎会所を設けたのは元禄11年だというから、かれこれ160年近くもの歴史がある。交易で得る利は莫大で、しかしそれらがすべて残らず江戸の御公儀に送られるわけではなく、長崎の町人にも割り前が配られる。土地を持つ町人にはおよそ60坪につき約130匁の「箇所銀」、土地を持たぬ借家人にも一戸につきおよそ30匁の「竈銀」が下されるのだ。富裕な町年寄から裏長屋住まいの日雇い人足にまで、分け隔てなく配銀される。127:1863年の今では、長崎から移出される品のうち茶葉が占める割合は2割近くに上っているのである。茶畑も増えて収穫量は年々上がり、今年も続々と茶葉が運び込まれてくる。八十八夜の早朝から行う初済みの一番茶に始まり、晩夏の二番茶、三番茶が大村の湊から船で着く。140:西洋の人々が欲しがる茶葉や生糸は、日本では驚くほど廉価であるらしかった。つまりヨルト商会やガラバア商会にとって、茶葉交易は途方もなく儲かるビジネスだ。大浦屋から仕入れた茶葉を異国でいくらで売っているかは知る由もないが、友助は十倍の値ではきかぬだろうと察しをつけている。239:茶葉の製法の違い長崎は窯で炒る。駿河、宇治は蒸して揉む。釜炒り茶は赤茶色が主で、上物は金色を帯びて匂いもそれは香ばしい。蒸し茶は抹茶のごとき色を持ち、生の葉の香りを強く残している。251:横浜からの茶葉移出量は長崎の倍以上。しかも百金につき30ドルの値。

2020年03月12日
.▲瀬燹Ε好潺后狙府は経済のバランスを調整すべきか
刺激的なタイトルが付けられているが、これは日本語版だけ。原題は、"The Great Economists: How their ideas can help us today"といたってまともである。日本語版の副題「12人の偉大な経済学者と考える現代の課題」に近い。
第一章は、「アダム・スミス〜政府は経済のバランスを調整すべきか」。もちろん、スミスは市場主義者なので、市場の機能に歪みをもたらすことは反対だ。
「しかし、スミスは国家の経済力を形作ることが不可能だとは唱えていない。市場の効率性を改善するための政府の規制や政策は正当だと考えていた。彼の生きていた時代にイギリスでは重要な構造変化が起きたが、それは国家が制定した条件の下で可能になった」
24:アダム・スミスの生涯とその時代初期の経済学者の多くがそうだったように、スミスも経済学を教わったことはなく、1737-40にかけてグラスゴー大学で物理学と数学を学んだ。彼がストア哲学にも関心を持ったのはこのころである。初期の経済学者はたいてい哲学者でもあり、デヴィッド・ヒュームやジョン・スチュアート・ミルなどの人々は経済思想の形成に大きな影響を与えた。26:『国富論』1773-76年にロンドンで執筆アメリカ植民地の独立戦争に対する平和的解決を支持するよう、イギリスの国会議員に影響を及ぼすことを目的としていた。スミスは『国富論』の最後の段落で、イギリスは「自国の将来の展望や計画を、実際の平凡な状況に合わせて調整すべきである」と述べた。これはのちのどの版にも残された分で、植民地主義を含むあらゆる面で経済発展に影響を及ぼすべきは市場であり、国家ではないというスミスの不変の信念を反映している。29:サービスの国際貿易はそれほどには自由化されておらず、これがイギリスにとって不利な点になっている。いっぽう、サービス貿易が解放されている分野ではイギリスは成功を収めやすい。高等教育は海外市場で成功しているイギリスのサービス業の好例である。32:マニュ・サービスロールス・ロイスはエンジン自体の販売よりも、エンジンの保守・点検などアフターサービスによる売上の方が多いにも関わらず、いまだにサービス業者ではなく製造業者とみなされているのだ。42:政府は経済のバランスを調整すべきか市場の機能に歪みをもたらすことを意味するならば支持しなかったはず。彼は貿易については特に強硬で、そうした制約的な政策は市場にとって非効率的であるだけでなく、他国との貿易という側面を歪ませるものだと考えた。圧倒的に大きなサービス部門や貿易赤字の継続が、いまだにこうした脱工業化社会の特徴。スミスの経済モデルでは、政府は経済を根本的に変えることはできず、市場の機能の仕方を歪ませるだけ。しかし、スミスは国家の経済力を形作ることが不可能だとは唱えていない。市場の効率性を改善するための政府の規制や政策は正当だと考えていた。彼の生きていた時代にイギリスでは重要な構造変化が起きたが、それは国家が制定した条件の下で可能になった。
2020年03月11日
人間の「基本的欲求」
マズローの人間の「5段階欲求」は余りにも有名。その原著"Motibation and Personality"が出版されたのは1954年で、今から66年も前のことになる。それでも、今でも心理学では勿論のこと、ビジネススクールの組織論やマーケティングでも必須の概念である。
有名なだけに、「5段階欲求」だけで分かった気になって終わっている人も多い。私もそうだったのだけど、読むとマズローの理論はそれだけではないことが分かる。
まず、「人間の欲求を述べることは、人生の本質を語ること」という命題がある。「人間の願望は、通常それ自体が目的なのではない。その背後には、その人にとって基本的な目的がある」のだ。例えば、車が欲しいのは、車を持つ人に劣等感を感じたくないためだったりする。願望はその目的に達するための手段であり、目的ではない。
・人間は常に何かを欲しており、完全に満足することはほとんどない。一つの願望が満たされると、また別の願望が現れる。・人は達成できそうなものを希望する。到達の可能性の要因に注目することは、動機付けの相違を理解する上で重要。・「基本的欲求」の5段階下層にある欲求が満たされると、次の欲求が出現する。\戸的空腹時に食物を求めるなど、出発点となる最下層の欲求。5つの欲求の中でも最も優勢。安全の欲求安全や保護、恐怖からの自由に対する欲求。所属と愛の欲求友達や恋人、家族との愛情に対する欲求。ぞ鞠Г陵澣自尊心や他者からの承認に対する欲求。ゼ己実現の欲求自分の潜在的な能力を実現し、自分に適していることをしたいという、最も高次の欲求。・5つの基本的欲求のヒエラルキーは不動ではない。例えば、創造への動機(自己実現)が他の何よりも重要である人の場合、創造性は基本的満足を欠いていても出現する。・5つの基本的欲求は、1つの欲求が100%満たされた後に、次の欲求が現れるというわけではない。優勢な欲求がある程度満たされるにつれ、新しい欲求が徐々に現れてくる。
2020年03月10日
コツコツ
1994年に出版された『凡事徹底』の続編が25年ぶりに出た。著者の鍵山氏はイエローハットの創業者である。「掃除運動」が有名だ。
「暮らしの環境、職場の環境から始めて、方々の環境をきれいにすることが、日本人の心を奇麗にしていく大きな力になる。しかも、誰にでも、いつでもできる」
ご本人が職場の掃除から始めた。「1,2年経てば効果があるだろう」と思っていたそうだが、そうはならなかった。社長がトイレの便器掃除をしている横で、社員が平気でトイレを使い、しぶきがかかってくる

結局、イエローハットでは、何人かが手伝ってくれるようになるまで10年、大方の人がやるようになるまで20年掛かったそうだ。その間、信念を持ってやり続けられたのはスゴイ。
これは、社員が感化されてそうなったのか、それとも、10年経つ間に社員が入れ替わり、鍵山社長の考えに添う社員が残り、また入社したためかは気になる。1/3が変われば、後は付和雷同だから、早い。
*日本人の美徳とは何か。人間として成長するにはどうすればよいか。・かつて日本人は、自分で自分を規制するという美徳を持っていた。だが、近代社会が個人に富の増大をもたらした結果、欲求を規制していた尺度が変化し、美徳は失われた。・日本人の美徳「忍耐心」「謙譲」「調和」「勇気」(下村胡人)人に対する愛と思いやり、他者への配慮。・人間というものは、人から愛され、守られていることに対してはきわめて鈍感。逆に、自分の意に沿わないことに対してはとても敏感。・水中の陣「背水の陣」よりも厳しい「水中の陣」に身を置き、本気で決断すると、それまで見えなったことがよく見えるようになる。自分を成長させたいと思うなら、そうした厳しい環境に身を投じる。・人生にも仕事にも問題はつきもの。この問題にどう対処するかで、仕事も人生も変わる。問題の対処に失敗しても、そこから学ぶことで、失敗を次の成功へのエネルギーに変えられる。
2020年03月09日
任せるリーダー
著者は、アドラー心理学を取り入れた企業経営コンサルタント。
「1on1ミーティング」とは、「上司と部下の間で、週1回〜月1回、30-60分程度、用事がなくても定期的に行う1対1の対話」のこと。従来の半期に一度が多かった人事査定での面談から、もっと頻繁に、そして「査定」ではなく、「中長期的な自立的人材の育成」と「エンゲージメントの構築」に重点が置かれている。そのためには、すぐにフィードバックした方が効果が上がるし、本人の納得感も高くなる。
根底にあるのは、数年前に日本でも話題になった「アドラー心理学」で、原因論ではなく目的論の立場をとる。人の行動や感情には、原因もあるが、それは影響因子に過ぎず、「決定因子は個人の自己決定にあり、そこには常に目的」がある。同じ体験をしても、反応は人さまざまで、そこには個人の自己決定がある。
1on1にはスキルが必要で、5つが挙げられている。人は自分で気づかないと成長しない。そのために指示よりも「質問」が大事で、質問して相手に気づかせる。また、フィードバックは客観的な「事実」のみを伝える。推測や意見は部下を不快にする。
根底にあるのは、数年前に日本でも話題になった「アドラー心理学」で、原因論ではなく目的論の立場をとる。人の行動や感情には、原因もあるが、それは影響因子に過ぎず、「決定因子は個人の自己決定にあり、そこには常に目的」がある。同じ体験をしても、反応は人さまざまで、そこには個人の自己決定がある。
1on1にはスキルが必要で、5つが挙げられている。人は自分で気づかないと成長しない。そのために指示よりも「質問」が大事で、質問して相手に気づかせる。また、フィードバックは客観的な「事実」のみを伝える。推測や意見は部下を不快にする。
●会社と社員のエンゲージメントが高まる・組織のアジリティとスピード向上・意欲向上・スキルアップ・問題の早期発見●1on1に必要な管理者のスキル〃皇相手の話を共感して丁寧に聴く。1on1のベース。「相槌」「沈黙」などのスキル。⇒Φい鼎相手のプラス面に注目し、自らもプラスの感情を持って接する。人は勇気づけられると、自律的に困難を克服しようとする活力が高まる。質問上司が部下に「自己決定」を促すことで、有能性が向上する。それには、「どのような方法をとればうまくいくと思いますか?」と質問し、提案に対して「やってみましょう」と承認を与える。ぅ侫ードバック部下に、目標と行動とのギャップを伝える際は、客観的な「事実」のみ伝える。推測や意見を交えたフィードバックは相手を傷つけ、上司への反感を生む。シ詼を体験させる失敗経験にも学びがある。従って、部下の体験に対して先取りして説教しない。そうではなく、「その体験から何を学びましたか?」と質問する。
2020年03月08日
「イノベーター理論」の投資への応用
1962年に社会学者のエベレット・M・ロジャーズによって提唱された「イノベーター理論」。これによれば、「革新的な商品・サービスは新しい物好きが購買を先導し、普及率16%を超えると一気に加速する」という。
株の買い時はアーリーアダプターが手を伸ばすタイミングで、売り時はアーリーマジョリティが手を出したタイミングだという。つまり、「キャズムを超える前に買い、超えた後に売る」。
本書の「市場規模から逆算して売買を判断」(p127)では、パズドラの例が出ていて、ダウンロード数が「1300万DL」を超えたあたりから株価が崩れはじめた。これを参考にして、モンストでも100-200万DLで買って、1000万DLを超えてきたら「そろそろ売り時」と投資判断したという。
国内オンラインゲーム人口は約3000万人と推定されているので、100-200万DLというのは、普及率3-6%。イノベーター層を超えて、アーリーアダプターが手を伸ばすタイミングである。1000-1300万DLは普及率33-43%でアーリーマジョリティの間。実際に売上が落ち始めるのはまだ先だが、株価は先読みして動くので、アーリーマジョリティが終わって成長率が伸び悩むのに先行して天井を打つ。
3倍株の深堀‖膤主の考えを想像するBMを人に説明できるレベルまで理解する「これまでの業績」ではなく、「これからの業績」を予測ね益の使い道によって、会社の成長フェーズをつかむイ修硫饉劼両ι覆鯀ぶ理由を探る投資をした後のフォロー(1日5分)・ビジネスにトラブルは生じていない?・経営方針の変更はない?・経営陣が自社株を売っていない?・想定していた売上高や純利益は達成できそう?上昇株二つのパターン・実質を伴って上がる株=数カ月かけてじわじわ上昇・期待だけであがる株=短期間で急上昇・急下落「イノベーター理論」(エベレット・M・ロジャーズ1962)Innovator: 2.5%Early Adapter: 13.5%・・・買い時(キャズム:普及率16%を超えると世の中に定着)Early Majority: 34%・・・最終期に売り時Late Majority: 34%Laggard: 16%株価チャートの「買ってはいけない」・下がり続けている株・誰からも見向きされていない株株価チャートの「売ってはいけない」・上昇トレンドが続いている間・すぐに損切
2020年03月07日
小型株集中投資
似たような本はこれまで沢山読んでいるが、自分ではなかなか実践できないので、ダメ押しでもう一冊。筆者は東京理科大学卒業後、ベンチャー企業(「トラベルコ」を運営するオープンドア)に入社。就職先も、「いまは無名だが、近い将来有名になりそうな伸びしろの大きい会社」という投資基準と同じ考えで選んだという。
そこで、仕事を通じてビジネスや会社の仕組みを理解したことで、投資のパフォーマンスは劇的に改善する。就職しての学びは、このようなものだったという。
・お客さんを喜ばすのがビジネス
・上司もお客さんの一人だから喜ばせる対象
・徹底的にユーザー目線で考える
・できない理由を並べても1円も生まない
・できる方法を考えるのが価値創造
・創業社長と雇われ社長では圧倒的に強さが違う
・経営で大事なのはやらないことを決めること
この間に、仕事で使っていたアフィリエイト広告のファンコミュニケーションズや、趣味でやっていたスマホゲーム「パズドラ」のガンホー、出雲社長の講演を聞いて興味を持ったユーグレナなど小型株集中投資で資産を一気に増やす。会社は26歳で辞め、専業投資家となった。その後も、モンストのmixiや、北の達人で順調に資産を拡大させている。
それで、どのような観点でスクリーニングしているかのチェックポイントが以下の通り。
‐緇譴靴5年以内
∋価総額が300億円以下
A篭伴卍垢現役
ぜ卍垢箏弍調管瑤大株主
ス盂慘鬚凌径桓勸がいる
社員の平均年齢が若い
Г澆鵑覆欲しいと思う商品を提供している
┳価チャートが上昇トレンド
類書とほぼ同じなのだが、他で見たことがないのがァ峭盂慘鬚凌径桓勸がいる」。大学での就職活動時に多くのベンチャー企業を見たが、当時、高学歴で優秀な学生の間で人気のあったベンチャー企業は、その後ほぼ例外なく上場して、大きく株価を伸ばしたという。
高学歴(筆者は「一流大学卒」の意味で使っているようだ)=ビジネスで優秀とは限らないが、確率論としては正しいし、引く手あまたの一流大学生から選ばれる企業は、営業でも強いと言えるだろう。新卒採用がうまくいっていれば、Α崋勸の平均年齢が若い」にも自然となる。「社長も若い方が投資対象として魅力的」というのは、VC投資でも同様だ。
2020年03月06日
軍閥
南宋の宰相に復帰した秦檜は、漢土の統一を目指し国づくりに励む。南に遷都した南宋は北の金国との国境が定まっていない。頭領楊令が死んで衝撃を受けたものの梁山泊は中原に居座ったままだ。
領土を広げるべく度々南に侵入してくる金軍と主に対峙しているのは、西の岳飛軍と、東の張俊軍だ。この両軍は、南宋の軍隊ではなく、南宋から認められて領地を持ち、そこから上がってくる税金で軍を維持している「軍閥」だ。
中国の歴史を見ると、特徴的なのが、混乱期になると必ず現れるこの軍閥。近代では、清朝が崩壊した後、蒋介石の国民党が中国を統一するまでの「軍閥時代」が有名。歴史が繰り返すとすれば、いつかまた軍閥時代が来る。今の中国は核兵器も、サイバーテロもこなす軍事強国。この国が万一分裂したら、どうなるのか?
55:秦檜中華を一つに。74:法宋代に入って変法を試みることは、出来上がった建物の、土台を動かすようなことだった。実際、王安石以後、新法党と旧法党の対立は、宋滅亡まで続いた。230:岳飛軍と張俊軍は、対金軍戦において、南宋の重要な防壁となっている軍閥の存在というものは、秦檜の軍の考え方とは、相容れないものだ。軍は、いささかなりとも、国家からの独立性を持っていてはならないのである。
2020年03月05日
陣形
いよいよ北方「大水滸伝」全51巻の最終偏となる『岳飛伝』。これだけでも全17巻ある。
一連の作品を読んでいて頻繁に出て来るのが、「陣形」。鶴翼、円陣、方陣、魚鱗など。本文中に特に解説がないので、調べてみる。
まず、背景として、時代は南宋成立後なので12世紀だ。主な兵器は、刀、戟、槍、弓矢。大砲も登場するが、耐久性や精度に難があり、まだ実用化に至っていない。火器の性能が上がると、的になるのを避けるため密集体形が取られなくなるが、それまでは密集することで攻撃力を増し、被害を減らしていた。その密集の形が「陣形」ということになる。
以下、Wikipediaを参照にした、水滸伝に登場する陣形。
魚鱗:中心が前方に張り出し両翼が後退した陣形。「△」の形に兵を配する。底辺の中心に大将を配置して、そちらを後ろ側として敵に対する。戦端が狭く遊軍が多くなり、また後方からの奇襲を想定しないため駆動の多い大陸平野の会戦には適さないが、山岳や森林、河川などの地形要素が多い日本では戦国時代によく使われた。全兵力を完全に一枚の密集陣に編集するのではなく、数百人単位の横隊(密集陣)を単位として編集することで、個別の駆動性を維持したまま全体としての堅牢性を確保することから魚燐(うろこ)と呼ばれる。
多くの兵が散らずに局部の戦闘に参加し、また一陣が壊滅しても次陣がすぐに繰り出せるため消耗戦に強い。一方で横隊を要素とした集合のため、両側面や後方から攻撃を受けると混乱が生じやすく弱い。また包囲されやすく、複数の敵に囲まれた状態のときには用いない。特に敵より少数兵力の場合正面突破に有効である。対陣のさいに前方からの防衛に強いだけでなく、部隊間での情報伝達が比較的容易なので駆動にも適する。
実戦では、武田信玄が三方ヶ原の戦いに於いてこの陣形で徳川家康と戦闘し、これを討ち破っている。家康は後の関ヶ原の戦いで西軍の鶴翼に魚鱗をもって対峙した。
鶴翼:両翼を前方に張り出し、「V」の形を取る陣形。魚鱗の陣と並んで非常によく使われた陣形である。中心に大将を配置し、敵が両翼の間に入ってくると同時にそれを閉じることで包囲・殲滅するのが目的。ただし、敵にとっては中心に守備が少なく大将を攻めやすいため、両翼の部隊が包囲するまで中軍が持ち堪えなくてはならないというリスクも孕んでいる。そこで中央部本陣を厚くし、Y字型に編成する型がある。完勝するか完敗するかの極端な結果になりやすいため、相手より兵数で劣っているときには通常用いられない。こちらの隙も多く、相手が小兵力でも複数の方向から攻めてくる恐れのある場合には不利になる。部隊間の情報伝達が比較的取りにくいため、予定外の状況への柔軟な対応には適さない。
円陣:大将を中心として円を描くように兵で囲む陣形。全方位からの敵の奇襲に対処できる防御的な陣形。移動には適しておらず迎え撃つ形となる。人数が拡散するため、局所的な攻撃に長時間対応するには適しておらず、攻撃を受けた場合には直ぐに別の陣形に移して戦闘する必要がある。こちらから攻撃する場合には用いない。
2020年03月04日
心身統一法
今回、本書を読むきっかけになったのは、昨年来の「頚椎椎間板ヘルニア」が発端。先月、同郷の先輩経営者とランチした際に、なかなか完治しなくて困っていると話したところ、昔、やはり「頚椎椎間板ヘルニア」がなかなか治らずに難儀したそうだ。
それが、ある日、中村天風の本で、「病に対しては、自分自身を常にもう一人の自分で守らせていくような考え方で生きていく」というのを読んで、納得。「もう治るだろう。気にしない。」と決めたら、それからすぐに治ったそうだ。
天風の考え方の根幹には、「Astral Body(非物質な霊体)が人間の正体」というものがある。それは、「心」ではなく、ましてや、「肉体」でもない。「人間は心も体も生きるための道具」であり、「いちばん尊いのは霊魂というひとつの気体」だというのだ。
14:自然法則に背かないようにする「心」の態度を終始一貫積極的であらしめる。「体」は、常に訓練的に積極化する。15:心身統一法健康と運命を完全にする生命要素(生命の力)をつくる。‖領胆力H獣芭っ嚢堽ダ採η塾80:ヨガの大哲学者カリアッパ先生親兄弟でも、手もさしのべないほど病みやつれている人間に、全然どこの馬の骨とか豚のしっぽかわからない縁もゆかりもない人間に、そして、いつ死んでしまうか分からないようなやつれている人間に、「お前は俺の行くところへおいで。まだお前は死ぬ運命じゃない。まだお前は救われる道を知らないでいるから俺と一緒においで」ということを言われたときに、この言葉に何の反抗も感じなかったのは、ありがたいから、私の心の中にも真心があったがためだと思う。133:つねに積極的な言葉を使う習い性となれば、もう大した努力をする必要がない。人生に生きる場合、常にあとうかぎり善良な言葉、勇気ある言葉、お互いの気持ちを傷つけない言葉、お互いに喜びをよく与える言葉を実際に使う習慣をつくる。179:クンバハカ→体の抵抗力肛門を締めて、おなかに力を入れて、肩を落とす。206:神や仏に求めたり願ったりしてはいけない。神や仏というものは宇宙真理の代名詞だから、これは崇め尊ぶべきもの。宇宙にたった一つしかないところの実在である真理を、自分だけにいいように悪用しよう、利用しようとするのは、たいへんな間違い。222:エレクトロンとプロトンが人間の正体宗教では「霊魂」と言っている。霊魂というのは見えざる一つの気体、これが自分。240:肉体≠自分そうかといって、心が自分だと思うと、人生を生きる場合に非常に生きづらい負担をよけいに感じる。心が自分だと思うと、精神至上主義に陥ってしまう。人間は心も体も生きるための道具。いちばん尊いのは霊魂というひとつの気体。244:病自分自身を常にもう一人の自分で守らせていくような考え方で生きていく。246:Astral Body(非物質な霊体)霊魂が存在して、その気が我々の肉体を守っている間は生きていられる。死というときは、この気と体が離れる。249:軍事探偵泥棒と詐欺。人殺しも。陸軍大学で1年間いかにすれば巧妙に詐欺することができるか、いかにすれば巧妙に泥棒することができるかという教育を受ける。340:精神統一気を散らさないで心をはっきり使う練習をしていくと、習いは性となって、求めず、期せず、努力しなくて精神が統一するようになる。342:第三の目インドの仏像には必ず額に星(第三の目)。第三の目というのは、心の中あるもう一つの目。霊性心意識の出たものはみんな第三の目を付けければならない。362:幸福な人生自分の命に対する自己認証を高度にする。自分の生命に与えられた力は一切の生物を凌駕して強い力を持っている、いわば力の結晶と同様のものだという考え方。382:潜在意識心というものの行う思考の直接の源は、意識。その意識に実在と潜在の二つがある。そして実在意識は思考や想像の源をなして、潜在意識は力の源という役割を行う。
2020年03月03日
積極一貫
1988年に発行された中村天風の講演集。定価はなんと9800円だ。昭和34年から昭和43年にかけての講演録音からテープ起こししたもの。その分、内容の繰り返しが多く、冗長ではあるが、冗談も織り交ぜ、天風の息遣いが分かる。
昭和43年(1968)に亡くなった天風を知る人は少なくなったと思うが、戦前から戦後にかけ、皇族から大臣、事業家、人間国宝、オリンピックメダリストまで、「天風会(現・中村天風財団)」会員として薫陶を受けた著名人が多数いる。原敬(元首相)、東郷平八郎(元帥)、山本五十六(元帥)、浅野総一郎(浅野セメント創業者)、西武一(オリンピック馬術金メダリスト)などが含まれる。
名門の家に生まれたが、手に負えない乱暴者で、修猷館(福岡)在学中の16歳の時に喧嘩で相手を刺殺して退学している(正当防衛で無罪)。親族で農商務省次官をしていた前田正名男爵の紹介で、玄洋社の遠山満に預けられた。その気性の激しさからついた渾名は「玄洋社の豹」。
この時、陸軍中佐で軍事探偵(スパイ)の河野金吉に付いて日清開戦前の満州及び遼東半島の偵察、調査に従っている。約1年の偵察行動の間に中国語を習得したというから、頭脳明晰であったのは間違いない。英語は幼少のとき、家に出入りしていた英国人夫妻に遊んでもらっているうち自然と覚えたという。
1902年、26歳の時に、参謀本部諜報部員として採用され、特殊訓練を受けたのち、満州に潜入。日露開戦前の情報収集と後方攪乱を工作している。3年後に帰国するが、選抜された軍事探偵113名のうち、帰還したのはわずか9名だった。致死率93%。
翌年肺結核になり、当時、結核の最高権威であった北里博士からも見放されている。治療法を求め、医学、宗教、哲学、心理学の書を読み漁る。事態は好転せず、「座して死を待つよりも」と救いの道を求め、世界旅行。その間に、コロンビア大学医学部に留学していた中国人の「替え玉」となって授業に出席、試験もクリアして、医学部を「卒業」する荒業で旅費を工面している。
2年間の遊学の間、各界の最高権威に直接会って教えを乞うが、欧米で得るものなし。諦めて帰郷の途上、カイロのホテルで偶然会ったのがヨガのカリアッパ大聖人。同師に連れられて、ヒマラヤ山脈カンチェンジュンガ山麓のゴーグ村で2年余り修行。日本人初のヨガ直伝者になっている。
2年間の欧米遊学と2年間のヒマラヤでのヨガ修行ののち、1913年(大正2年)4年ぶりに帰国の途に就くが、その途中、上海で竹馬の友である山座圓次郎中国大使に会う。同氏の要請で第二次辛亥革命に参加。最高政務顧問として孫文を助けたものの、2か月にして革命が挫折。帰国後は、「東京実業貯蔵銀行頭取をはじめ、いくつかの会社を経営し、実業界で大いに活躍」(略年譜)とある。
恩人ともいえるカリアッパ大聖人。さぞや世界的な有名人かと思ったのだが、ウェブ上にはほとんど情報がない。どれも中村天風の本からの引用で、カリアッパ大聖人本人に関する著述が見当たらない。意図的に出さないようにしているという書き込みもあるが、果たしてどうか。
2020年03月02日
日本列島回復論
山水郷の復活で、日本列島の「回復」を図ろうという本書。様々なヒントがあったが、具体的な方法が本文にない。実は、それは「あとがき」に簡潔にまとめられており、それは下記の通り。
著者によれば、「そのためには何が必要なのか。本書では、芯となる考え、思想を形にすることを優先したため、具体的な方法については触れていません」とある。「具体的な処方箋はそれこそ現場の数だけあるので、安直な答えは書けない」と言いつつ、「政策側が最低限検討しなければならないこと」が記されている。
私としては、グ奮阿和膸神。「高等教育の無償化」については、かつてトップクラスであった欧州の大学が、無償化して没落していった史実を踏まえると、賛成できない。やはり、人間は無償というのにありがたみを感じないのだ。これには、奨学金の充実で、優秀な学生は無償化することで対応したい。
世界同一賃金導入を発表したユニクロの柳井正社長は、「将来は年収1億円か100万円に分かれて、中間層が減っていく」と予言した(2013年)。グローバルな資本主義社会においては、能力差による格差の拡大は不可避なのだ。
しかし、仮に年収100万円でも、山水郷の恵みを享受できれば、生活していくことは可能だ。実際に、40代で三重県に移住して「年間10万円」の生活費で暮らしている人がいる。5%の人が1億円を稼ぎ、95%の人が100万円の年収になっても、今とGDPはそう変わらない。むしろ、税収は累進課税で増えそう。
「今の日本は、すごくいい時代。選択肢が多く、インターネットや物流の発達によって、情報やモノの面で、田舎でも東京と変わらないような暮らしを送ることができる。夏には爽やかな風が部屋に入り、東京では必須だったエアコンも必要ない。もしかしたら、こんな平和で恵まれた時代は、今だけなのかもしれない」(三重県で年間10万円の生活費で暮らす男性)
しかし、仮に年収100万円でも、山水郷の恵みを享受できれば、生活していくことは可能だ。実際に、40代で三重県に移住して「年間10万円」の生活費で暮らしている人がいる。5%の人が1億円を稼ぎ、95%の人が100万円の年収になっても、今とGDPはそう変わらない。むしろ、税収は累進課税で増えそう。
「今の日本は、すごくいい時代。選択肢が多く、インターネットや物流の発達によって、情報やモノの面で、田舎でも東京と変わらないような暮らしを送ることができる。夏には爽やかな風が部屋に入り、東京では必須だったエアコンも必要ない。もしかしたら、こんな平和で恵まれた時代は、今だけなのかもしれない」(三重県で年間10万円の生活費で暮らす男性)
297:土建国家過疎対策、治山治水、電源地域振興等を名目に、大量のお金が山水郷にバラ撒かれてきたのです。しかし、状況は一向に改善しませんでした。299:政策側が最低限検討しなければならないこと
〇蛙絛燭痢崟犬る場」としてのポテンシャルを最大限に発揮させるような施策が必要全ての山林田畑には所有権が設定されていて、河川・湖沼・海には漁業権や水利権がある。狩猟も、猟友会の存在が暗黙の参入規制に。住む人がいなくなっても、権利だけは残る。
移住者用の家断熱性能を高め、再生可能エネルギーを有効活用できる家にすれば、ほとんど光熱費は掛からない。戸建てより集合住宅の方がエネルギー効率は高く、シェアカーの利用も。
山水郷をSociety 5.0の「はじまりの場所」にするための規制緩和や特例措置遠隔医療・遠隔教育は必須。公共サービスについても、地域の自由な創意工夫を認める。
ぜ治体への権限移譲危機感に基づく創意工夫や試行錯誤がイノベーションの源。ス眦教育の無償化子育てで一番お金がかかるのが、高校、大学への進学費用。高校、大学が無償になれば、田舎暮らしのハードルが下がる。
2020年03月01日
日本で一番自殺率の低い町
日本で一番自殺率の低い町は、徳島県海部町なのだそうだ。これは調査当時で、現在は平成の合併で海陽町になっている。
私は海陽町に3回行ったことがある。正確には、海部町の隣の海南町(当時)。最初は20代の新入社員の頃。二回目は、30代で家族と一緒に。3回目は5年前に自転車で。それは、新卒で勤めた会社の先輩がその町の出身で、同じ四国出身ということで仲良くしていたから。
その町の雰囲気と、泊めていただいた時のこと、そして先輩の性格を考えると、「開かれたコミュニティ」というのが何となく理解できる。それは、正にここに書かれた通り。都道府県別で見ても、徳島県は自殺率低位に位置する。他は関西圏が多いのは、同様に、「つかず離れずの距離感」が関西圏にはあるからのような気がする。(下図:「都道府県格付研究所」2010年統計)

288:人間にとって生き心地の良い社会とは何か〜徳島県海部町海部町の自殺率が国内では離島を除いて最も低い(統計数理研究所医療健康データ科学研究センター岡檀『生き心地の良い町』)。「開かれたコミュニティ」とでも呼ぶべき絶妙なバランスの共同社会。死を覚悟するまで追いつめられることがない。・いろんな人がいてもよい、いろんな人がいたほうがよい(多様性の尊重)・人物本位主義を貫く(地位や肩書に惑わされない。立身出世主義からの自由)・どうせ自分なんて、と考えない(高い自尊感情と自己効力感)・「病」は市に出せ(悩みは抱え込まずにシェアする)・ゆるやかにつながる(つかず離れずの距離感。監視より関心)海部町が、江戸時代初期、木材バブルに沸いたときに一獲千金を求めて裸一貫で集まってきた人達によって人口が急増したという町の歴史。よそ者たちが作った町。