2018年07月

2018年07月31日

人脈力:田中角栄

天才 (幻冬舎文庫)
石原 慎太郎
幻冬舎
2018-01-24


成毛氏の総括は、「『俺』の一人称でしか描けない、男が惚れる胆力」。「『俺』の一人称」というのは、『天才』が一人称で書かれているから。

読んでみると、なるほど、「天才」なのだと思う。男女ともに、そして、大蔵省のエリート官僚から新潟の無学の選挙民まで幅広い支持を集めた。その魅力の秘密は、田中自身が「無類の人間好き」であったところからくる。人はまず、自分に興味を持ってくれる人が好きだ。

伝説になっている大蔵大臣着任時の「官僚の中の官僚」と言われた大蔵官僚を前にした就任演説。これを言われたらエリートたちは感動する。

「私が田中角栄だ。小学校高等科卒業である。諸君は日本中の秀才代表であり、財政金融の専門家ぞろいだ。かくゆう小生は素人だが、トゲのある門松は、諸君よりいささか多くくぐってきている。いささか仕事のコツは心得ているつもりである。私はできることはやる、できないことは約束しない。これから一緒に国家のために仕事をしていくことになるが、お互いが信頼し合うことが大切である。従って今日ただ今から大臣室の扉はいつでも開けておく。事務次官ばかりでなく、今年入省した若手諸君も、誰でも我と思わんものはなんでも言ってきてくれ。上司の許可を取る必要はない。思い切り仕事をしてくれ。しかし責任のすべてはワシが背負う。以上。」

127:選挙が好きな政治家
選挙を人と出会う場と考えている。選挙を勝ち負けで考えていない。負けてもそれを残念と思わない。

128:情の人
初恋の人が離婚。「俺の秘書にならないか」

131:誰に対してもリベラル
学歴がないという出目を利用はしていたが、決して反知性主義ではない。

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2018年07月30日

コードシェア便の罠

MM






















先週のソウル出張で落とし穴だったのが「コードシェア便」。共同運航で、購入した航空会社と実際の運航会社が違う。

今回、大手オンライン旅行代理店で予約を取った時は航空会社「アシアナ」と表示されていた。昨年5月に行った時もアシアナで、(One Worldではないからマイルは付かないし、ラウンジも使えないのだが)問題なかったのでこれにした。おそらく、「運航会社 AIR SEOUL」との記載もあったのだろうが、そこまで見てなかった。

当日、成田に着いてアシアナでチェックインしようとしたら、AIR SEOULに行けと言われる。ここで初めてコードシェア便だと気づいた。AIR SEOULカウンターに行ったら、長蛇の列。LCCは人件費節約のため、カウンターを最小限しか開けない。結局、45分並んでチェックイン。帰りの仁川空港でも同じくらい掛かった。

後で調べたら、AIR SEOULで直接取ったほうが料金も安いようだ。ただし、アシアナで買うと、預入手荷物料金と、機内食(ほんとに軽食!)が含まれている。おそらく、AIR SEOULでそれらを追加しても、AIR SEOULで直接買うほうが安いとは思う。

一番困ったのが、毛布がなかったことブランケットを頼んだら、「買ってくれ」と言われた。販売しているのである。軽装で行ったのに、機内は冷房が効きすぎ。危うく、風邪を引くところだった。飲み物は紙コップ一杯の水のみ。あとは有料で、コーヒーを注文したら300円だった。

これらも全て事前に分かっていれば、対策が取れたのだが、認識してなかったのが失敗。しかし、同じフルサービスのエアライン同士でコードシェアならサービスレベルもそう違いはないので大した問題はないが、フルサービスの航空会社とLCCがコードシェアは混乱を生む。AIR SEOULがアシアナの子会社だからこういうことが起きるのだが、コードシェアにするなら、アシアナ便として買った乗客にはブランケットと飲み物は無料でサービスすべきだろう。
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2018年07月29日

朝ドラには働く女子の本音が詰まっている



NHK「朝ドラ」は、「テレビドラマ界のエリート」なのだそうだ。何しろ、TV離れが言われる時代に、近年は平均視聴率20%越えが普通になっている(表)。これは、全TV放送を通じてトップクラスだ。

時代をさかのぼれば、90年代初めまで視聴率20%どころか30%を超えていた時代もあった。当時、単身世帯が1/3、共働きが1/3、専業主婦世帯が1/3と仮定すれば、専業主婦のほぼ全員が見ていた勘定になる。

それが、90年代半ばから2009年まで凋落傾向が続く。2000年以降はインターネットの普及によるTV離れの影響が大きいと考えられるが、90年代後半の落ち込みの原因は何だろう?共働きが増えて、麻の時間の余裕がなくなったか?

2010年の「ゲゲゲの女房」(松下奈緒)から回復基調に入る。放送時間がそれまでの8:15から8時開始に変わったのもこの作品から。主婦がダンナや子供を送り出してから見るものから、自分が出勤前に見られるようにとの配慮か。今では、BSでの7:30放映もある。

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2018年07月28日

延世大学

MM



























25年ぶりにソウルに行ったのが昨年5月。今回は、28年ぶりに延世大学を訪問した。1990年の秋、9-12月までGSIS(Graduate School of International Studies)という英語で教える大学院にLBSからの交換留学生として通ったのだ。

大学院生は、親が三星や現代などの当時海外進出を始めたばかりの韓国財閥あるいは外交官などで海外で教育を受けた帰国子女、幼少の頃家族で米国に移住した在米同胞、それに私のような海外からの留学生(一学期だけの交換留学生もいれば、2年間のフルタイムも含む)が1/3ずつくらい。

延世大学は韓国の名門私立大学でミッション系。1885年にアメリカの長老派教会によって設立された朝鮮で初めての西洋式病院が前身になっている。有力家系の子弟が多く、しばしば「韓国の慶応」とも言われ、実際に慶応大学と姉妹校提携を結んでいる。ちなみに、THE(Times Higher Education)ランキングではアジア20位で、100位以下の早慶よりはかなり上になる。

キャンパスは新村の山手にあり、正門からだんだんと傾斜がきつくなる。奥に、キャンパスを見下ろすように立っているのが大学の創設者で初代学長の名前を冠したUnderwood Hall(写真右)。美しく広大なキャンパスは映画撮影にも使われ、『猟奇的な彼女』『アイリス』『応答せよ1994』などがここでロケされた。

それで、28年ぶりに訪れた感想なのだが、ほとんどの建物が新しく、大きくなっていて、一つの町のよう。SK(韓国最大手の携帯電話会社)やKUMHO(タイヤメーカー)POSCO(鉄鋼メーカー)など企業名が付いた建物も多く、企業寄付を多く集めていることがわかる。

韓国の受験戦争は日本とは比べ物にならないくらい厳しく、超名門の延世大学キャンパスを歩く学生はどこか誇らしげ。名門大学に入れなければ未来はないと、海外留学を選ぶ人も多い。ただ、海外留学にはお金がかかるので、それも無理そうな一家は、家族での海外移住をめざす。日本と同じ一人当たりGDPになった韓国だが、未だに海外移住が多いのはこうした理由がある。
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2018年07月27日

怜悧力:Bill Gates

成功者の地頭力パズル
梶谷 通稔
日経BP社
2009-11-19


成毛氏にとってビル・ゲイツはかつての上司。しかし、直接会うのは年に4回ほどだったという。それも1回につき5時間ぐらいで、二人きりではない。要するに、日本法人の幹部を集めての会議ということだ。

マイクロソフトの入社試験の例が出ている。
・世界中にピアノの調律師は何人いるか
・富士山を動かすのにどれだけ時間がかかるか
・ニューオリンズを流れるミシシッピ川の一時間当たりの流水量はどれだけか

今では「フェルミ推定」としてよく知られているが、マイクロソフトは1980年代からこうした問題を面接に取り入れていた。「ビジネスの素養を問うためにはあらかじめ答えが決まっている出題をしても全く無意味」だからだ。

せっかくだから、富士山問題を考えてみる。最も素直に捉えれば、富士山の体積を求めて、それを運ぶのにどれだけ時間が掛かるか、と考えてもよさそうだ。富士山の高さは3776m。これくらいは日本人なら誰でも知っているだろうから、ここまでは常識。

次に底辺面積。山梨県、静岡県にまたがっていることは知っているが、どのくらいの底辺があるか?いくら富士山が日本一でも、浮世絵に描かれたようなプロ―ポーションではないから、直径が高さの10倍だとする。ここは当てずっぽう。直径=38km
底面積:π(38/2)km^2=約1000㎢

問題は体積。円錐形なら、3.8km x 1000㎢の1/3でいいが、あの曲線をどう考えるか?数式に置き換えたいところだが、時間もかかるので、えいやッと1/4にしてしまおう。

富士山の体積:3.8 x 1000 ÷ 1/4 = 950㎦

では、これだけの土砂を運ぶのにどれだけの時間が掛かるのだろう?日本の大型ダンプカーは20t積みだが、20tて体積はどれだけか?ダンプカーの荷台を推定してみる。幅3m x 長さ5m x 高さ1mくらい?これだと、15�屐�

1㎢=1000m^2=百万��

なんと、1㎢を運ぶのに、百万�屐�15�屐疚�7万台これじゃ、いつまでたっても終わらないから、本気でやるなら、ベルトコンベヤーを駿河湾まで引いて、船だろう。船なら、100万tとかあるから、一隻でダンプカー5万台分だ。

採用面接なら、この辺で終わりだろう。ところで、富士山の体積はいくらか?(調べてみると)ダンプカーの荷台に積めるのは、比重が高いことからかなり少なくて、10t車で6�屐�20tなら12�屬箸いΔ海箸砲覆襪蕕靴ぁ�

Yahoo!知恵袋で質問している人がいた。この回答者は、「ゼロ合目は浅間神社(標高850m)なのでそれを起点にすると、およそ底面の直径が20km、高さが3776m-850m=2926mの円錐」として計算し、3063億㎥としている。つまり、31㎦。確かに、ゼロ合目から考えるほうがよさそうだ。

MM






































50:マイクロソフトの入社試験
*MSに限らず、SVの企業では、質問からその意味を受けてが考えなくてはならない形を取る
・「何でこんな意味不明な」の「意味」を考えるところから審査
・想定外への対応力
・面接を受ける側が面接官にどんどん質問をぶつけていく形
・ビジネスの素養を問うためにはあらかじめ答えが決まっている出題をしても全く無意味

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2018年07月26日

絶望力:タモリ

タモリ論 (新潮新書)
樋口 毅宏
新潮社
2013-07-13


成毛氏は、「近年の『テレビを観ていない』という主張が散見される状況に疑問を感じ、やたらとテレビを観るようになった」という。なんだ、やはり、現役?の時はあまり見てなかったのだ。「皆が見なくなっているなら、俺が見てやろう」というあたり、さすが「逆張り派」である。

それはさておき、成毛氏のお気に入り番組の一つがNHK「ブラタモリ」である点は、私と共通している。私の場合、「笑っていいとも!」も「タモリ倶楽部」も見ていなかったから、タモリ番組を継続して見るのはこれが初めて。なぜ、タモリがこれほど長年にわたって人気を保てているのか不思議に思っている人は私だけではないようで、本書以外にも何冊か本が出ているようだ。

本書の分析では、タモリは「悲しみをまといながら笑いを提供する孤高の人」ということになる。タモリは私生活を切り売りしないし、パーソナリティすら前面に出してこない。「究極の諦念」が人々を飽きさせないのか。

MM


















115:タモリはあれだけテレビで身をさらしながら、ほとんど見の切り売りはしてこなかった
視聴者はタモリがどんな人だか、分からない。TVというメディアは、人間のパーソナルを赤裸々に暴く特徴があるが、タモリはその範疇に入ってこない。

117:「あの人は可哀想な人だぞ。恐ろしく孤独な人だ」
本書に出てくる、タモリと仕事をしたというカメラマン

118:「古川ロッパと自分は似ている」(タモリ)
古川ロッパは戦前・戦後に活躍した芸人だが、絶望をつづり続けた救いのない日記があまりにも有名。タモリが指摘するロッパとの共通点は、自分にも他人にも期待しない「究極の諦念」。

119:タモリは決して専門家にならない
彼ほどのキャリアを持つ著名人であれば、コメンテーターといった役割を求められることが多い。事実、北野武や松本人志など、こういった求めに喜んで応じている。だが、タモリはコメンテーターなどやらない。何か一廉の人物と思われたいというようなところがない。

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2018年07月25日

金策力:山中伸弥



私が、おや?と思ったのは、ノーベル賞受賞を受けての山中先生の第一声。研究を支えている国に感謝したのである。その時点で既に100億円を超える研究費支援を貰っていたから当然といえば当然なのだが、それをそう思わないのが普通の研究者である。真っ先にそう口にした山中先生は、「経営者」なのだと確信した。

成毛氏に言わせれば、山中先生の強みは「金策力」。「研究より予算獲得、学問に収益性を持ち込んだビジネスマン」ということになる。これは、アメリカでの研究経験が大きそう。アメリカでは研究者代表が資金獲得、人材獲得、PRに駆けずり回り、チームで成果を上げることを競う。この体制を日本に持ち込んだのが山中先生と言えそうだ。

これには、東大阪の町工場の息子という育ちも関係しているだろう。父親は同志社の工学部(当時、専門学校)を出て、ミシン部品工場を継ぐ。技術者であり、経営者。父親の働く姿を見ていたことが、後のアメリカでの研究経験と重なったのではないか。



67:科学者を怒らせる質問「これが何の役に立つんですか」
なぜ怒るのか、その理由は何の役にも立たないから。

71:役割分担が生んだノーベル賞
「自分で実験をするというのは、もはやありえません」
山中は研究そのものよりも、研究環境の整備に傾注している。

72:全ては研究のため
研究をするためには金が必要で、金を集めるためには誰もが納得する目的が必要。

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2018年07月24日

宇宙力:Srinivasa Aiyangar Ramanujan



「あらゆる学者の中で優れているのが数学者、次に物理学者、その次が化学者、一番下が医者」(HONZメンバーの医者)なのだそうだ。その数学者の中でも、「人類史上最高の頭脳を持つ」といわれるのがインドの数学者であるS・ラマヌジャン。

1887年南インドに生まれ、数学以外の科目がダメで大学は卒業できなかったものの、数学は常に満点だった。しかし、次第に研究結果がインドの数学会で話題になり、1914年に渡英。ケンブリッジ大学で新しい公式を次々と発表し、世界の数学界に衝撃を与えた、とある。渡英して3年が経った頃、体調不良となり、1919年に帰国。マドラス大学の教授に就任したが、翌1920年に32歳の若さで亡くなった。留学時の差別による過度なストレスが原因と言われている。

「19世紀数学の宝物といえる素数定理やテータ関数の関数式等を発見した」(藤原和彦)のだが、成毛氏は、「ラマヌジャンの特別なところは新しく発見された公式の価値や意味の全貌が、19世紀どころか、いまだに数学者の中でも、理解が及んでいないところ」だという。

ラマヌジャンのノートブック(3冊)を埋め尽くす3254の公式を一つずつ証明しようという試みは、ハーディの時代から幾多の数学者によってなされてきた。「イリノイ大学のバートン教授は20年間これのみに心血をそそぎ、1997年にやっと5巻本として完成させた。だが、これは証明が完了しただけで、公式が持つ意義、数学における位置づけや応用などは手付かずのまま」というのだからスゴイ。


62:ケンブリッジ大学講師ハーディとの出会い
「このインド人は狂人か、天才かのどちらかだ」

63:ハーディの研究室
「ラマヌジャンは毎朝、半ダースほどの新定理をもって現れた」
ラマヌジャンの新定理にハーディが厳密な証明を与え、論文にしていく。
ハーディはラマヌジャンの邪魔をしないようにつとめた。

63:説明のつかない才能
「ラマヌジャンの公式が放つ異様な輝きを帰納と類比、例証と計算といったことだけに帰着させようとするのは、単に我々が他の要因を思いつかぬ、ということだけなのかもしれない。ラマヌジャンは、我々の百倍も頭が良い、という天才ではない。なぜそんな公式を思いついたのか見当がつかない、という天才なのである」

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2018年07月23日

SF力:Elon Musk



先週読んだ成毛さんの本が面白かったので、他のも読んでみる。こちらは、本好きの成毛氏が面白かった自伝・評伝から、それぞれの人物の「何が本当にすごいのか」を解説したもの。自分で読んだことのある本も多いのだが、成毛さんの視点が入っていて興味深い。

最初は『イーロン・マスク』。3年前に原著で読んで、おそらく、本blogでこれまでで最も長い10日間にわたって紹介した。

彼の強みは「SF力」だという。彼には空想と現実の区別がついていない。マスクは、学校に通うようになってから高校生の後半になるまでいじめを受けていた。いじめを受けていたから好んで読書したのか、他の子たちをバカにしていたからいじめられたのか分からないが、「これが吉と出た」。普通の子どもが友達と遊ぶ時間を、本を読む時間に使えたからだ。好んで読んだのはSFで、ここでロケットや電気自動車につながるSF力を身につけることができた。

非常識とも思える要求を部下や取引先に求め、「できない」という部下を次々とクビにするので、不平不満は多い。これはかつてのAppleのジョブズも同じ。ただ、二人とも、事業に賭ける執念が凄く、社員のだれよりも働いていたことは部下が知っていたので、成果が出るまで何とか組織が持った。成果が出始めれば、資金も付いてくるので、不平不満も抑えられる。

成毛氏は、「私もマイクロソフトの社長時代には定期的に社員をクビにしていた。(中略)経営は情実ではできない」と感想を漏らしている。

MM











・イーロン・マスクが世に出たのは1984年。南アフリカの業界紙が、マスクが開発した宇宙を舞台にしたSFビデオゲーム『Blastar』のコースコードを掲載した。マスク13歳。

・14歳のとき、SF作家ダグラス・アダムスの『銀河ヒッチハイク・ガイド』を読み、「本当に難しいのは、何を問えばいいのかを見つけることだ」に感銘を受ける。
・「唯一、人生において意味のあることは、啓蒙による人類全体の底上げに努力すること」
・毎日2時に学校が終わると書店に直行。フィクション、コミック、ノンフィクションの順番で6時まで本を読み漁る。トールキン『指輪物語』、アシモフ『ファウンデーション』、ハイライン『月は無慈悲な夜の女王』など。

・ジョブズと同じで三流、四流の人間が苦手
・社員をクビにすることを厭わない
・10年以上にわたってマスクの秘書をつとめた名物社員が昇給を求めたためクビ

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2018年07月22日

FURY



4年前のブラッド・ピット主演戦争映画。先週BSでやっていたのを見た。「プライベート・ライアン」はそのリアルさで見る者を驚かせたが、それに匹敵するリアルさ。ドイツ兵だけでなく、アメリカ兵も、そして市街地戦に巻き込まれた市民もバタバタ死ぬ。

主人公War Daddy(ブラピ)が乗るのは、アメリカの中型戦車シャーマンM4。映画中盤、4台のM4で進軍中に、ドイツの重戦車ティーガに攻撃される場面がある。瞬く間に3台が破壊され、残ったのは主人公が乗るFURY1台。頭脳的な操車でティーガの後ろに回り込み、装甲が薄いエンジン部分を打ち抜き仕留める。

撮影に使用された戦車はホンモノだという。特に、ティーガは現存6台中、唯一走行可能な貴重な1台が撮影に使われた。第二次世界大戦中の戦車で傑作と言われるティーガだが、いくら性能が良くても製造されたのはたったの1354台。それに対して、シャーマンは最初から量産を考慮して設計され、大戦中に5万台以上が製造された。

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2018年07月21日

映画インサイダー



新入社員だった1980年代、「受動喫煙」という言葉もなく、職場ではタバコは吸いたい放題だった。入社2年目の人事異動で私の机の三方とも喫煙者となり、子供の頃に気管支炎をこじらせて慢性化していた私には耐えがたい職場環境になった。新入社員の私が先輩方に直接言いにくい。ある時、別の部署の部長に相談してみた。

「タバコの嫌いな人もいる。オフィス内は禁煙にすべきではないか。」

「オレの生産性が落ちる。オレより稼いでから言え。」

絶望した私は、留学を目指すことにした。これだけが留学の理由ではないが、「この環境で仕事は無理」と思ったのは事実。

この映画は、実話を基にした作品。内部告発がいかに大変なのか、報道機関も民間企業であり、株主の利益と報道の自由が対立した時どうするのか、など今でも解決していない重要問題が扱われている。内部告発したタバコ会社の元重役が、失業したことで家族を失ったものの、その後、高校の化学教師として州の最優秀教師賞をもらったというのに多少救われる。CBSの看板ドキュメンタリー番組"60 minutes"のプロデューサーだった主人公はこれを機にCBSを退職。公共放送のPBSに移ったそうだ。

新入社員時代から30年。再来年の東京オリンピック準備で、飲食店の禁煙も進みそう。やっと、ここまで来た。

MM
















厚生労働省は30日、受動喫煙対策を盛り込んだ健康増進法改正案が施行されたとしても、世界保健機関(WHO)の基準に照らし合わせれば、現在の最低ランクから1段階しか上がらないことを明らかにした。多くの先進国や五輪開催国は屋内を全面禁煙とし、喫煙室の設置もできない。国際基準とはほど遠く、規制の甘さに批判の声が出そうだ。(日本経済新聞 2018/1/30)

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2018年07月20日

ビジネスヒントはここにある



マイクロソフト社長として、ベースとボーナスで数億円は年収があったと思われる成毛氏が、「年功序列・終身雇用」の支持者であるというのは興味深い。理由は、「実用化の目途のたたない研究開発は、成果主義では生まれない」からというもの。これは真だろう。

ただし、それをどこが担うか、という点では議論の余地がある。欧米では、「基礎技術は大学や研究機関で、応用開発は企業で」という分担になっている。利潤組織である民間企業が実用化の目途のたたない研究開発を続けるのは難しいからだ。

日本は例外的に、年功序列・終身雇用制度の下で、給与水準を押さえながら(熟練技術者の給与水準は先進国最低だ)、企業が基礎開発のリスクを取ってきた。しかし、成功した研究者がその対価を企業に求めて訴訟したことで、年功序列・終身雇用が崩れてきた。企業にしてみれば、大多数の失敗する開発に携わる研究者に長年給与を払いながら、リスクを取っていない研究者に、成果が上がった時は莫大な報酬を渡すというのでは計算が合わなくなる。

既に大学のランキングでは、他のアジアの大学に完全に負けている(表)。大学で負けているのに、科学技術で負けてなかったのは、学部卒の新入社員を企業が時間とお金をかけて育ててきたからだが(世界的には、技術者はMS以上を差し、PhDも普通)、一部の成功者が社員のまま対価を求めるようになれば、このシステムは維持できない。

欧米のように、大学や専門研究機関を基礎研究の中心とするなら、その資金はどこが出すのか?EUは高税率で国立大学と研究所を支え、私立大学中心の米国は企業や卒業生の寄付でそれを支えている。日本はどちらも拒否してきたが、第三の道はあるのか?


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194:浜松フォトニクスは完全年功序列
自分の雇用が守られていることを実感できなければ、日々、無理難題に取り組めるはずがない。日本企業の宿痾と見られがちな年功序列・終身雇用は、科学技術の基礎を養う上で、極めて有効。

198:新聞のテレビ化
新聞の電子版からニュースが減って、代わりにコラムが増えている。面白くなくなったので、新聞購読を止めた。

205:コンビニ店員ほど多種多様なタスクをこなしている労働者はいない
マルチタスクをこなせるスーパージェネラリストに、飛びぬけて優秀な人はいないかもしれないが、決して楽ではない仕事をこなせるのだから、飛びぬけて仕事に不向きな人もいないはず。


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2018年07月19日

「本物」を手に入れるための方法



4章「本物」を手に入れるための方法は、小技ではなく、面白いヒントがある。

「プレゼントは高くないものを大量に届ける」も流石だ。プレゼントをなぜ送るかといえば、相手に何かを伝えたいから。どうせ送るのだったら、費用対効果を最大にしよう(=相手に喜んでもらう)という工夫がある。ましてや仕事で送るのであれば、相手に何の印象も残さないプレゼントでは仕事をしているといえない。

マイクロソフト社長時代に、成毛氏が学生の内定式で毎回話していた、「最初の3年間は24時間365日仕事だけをしろ。仕事以外で許されるのは、週に一度の入浴くらい。恋人がいる人は入社までに別れを告げ、いない人は、すぐにパートナーを作り、やはり入社前にふっておくべき」は、後半はともかく、新入社員の将来を思えば当然だろう。

「1日8時間働くのと、1日24時間働くのとでは、経験値が3倍異なる。社会人になりたての時期の3倍の差は、どの会社でどんな業務をしているかの違いよりも、遥かに重要である。この頃に離された距離は、その後、どれだけ頑張っても埋められるものではない。だから自分のために死にものぐるいで頑張らなくてはならない」

これで、成毛氏はマイクロソフトの業績を上げるとともに、当時の新入社員たちから未だに感謝されているそうだ。一生食べていける基礎を作ってもらったのだから、当然だろう。流行りの「働き方改革」に騙されてはいけない。「働き方」の選択肢があるのは、3年間死に物狂いでがんばって「一人前の入り口」に立ってからの話で、普通の働き方なら5年以上かかる。成毛氏の言うとおり、この頃に離された距離は埋められない。

MM



























薔薇100本で¥24800

131:プレゼントは高くないものを大量に届ける

・お祝いの花に胡蝶蘭は選ばない。他社からも送られ、ほかの胡蝶蘭に埋もれる。あっという間に忘れられてしまう。
・大量の薔薇を送る。赤と白を半分ずつ、花束にせず、花屋さんに先方のオフィスまで台車で運んでもらう。社長から社員に、「成毛さんから薔薇をたくさんもらったので、帰りに好きなだけ持って帰ってください」とメール。その結果、社員全員にお祝いの気持ちが届く。
・差し入れも、ドリンク剤やカップラーメンを箱単位で送る。受け取った人が一人で消化できないので、同僚と分け合う。

134:マイクロソフト内定式の挨拶
・即戦力は期待しない代わりに、「最初の3年間は24時間365日仕事だけをしろ。仕事以外で許されるのは、週に一度の入浴くらい。恋人がいる人は入社までに別れを告げ、いない人は、すぐにパートナーを作り、やはり入社前にふっておくべき」

136:孫正義さんのゴルフ
1打目のショットからゴルフの魅力に取りつかれ、まずは達成計画を作ったのだという。それは1年目にはスコア90台、2年目には80台、3年目には70台を出すという恐るべきものだったらしい。そして驚いたことに、孫さんはその目標のすべてを達成したのだ。

149:日本人の9割には英語は要らない
どれだけ一生懸命に英会話を身に付けても、ほとんどの人にとって外国人と話すことはない。

150:簿記を学んでおく
英語やMBAよりも、ほとんどの日本人に必要なのは簿記の知識。簿記は経理部員だけのための技術ではなく、経営のための根幹技術。簿記の知識がなく、勤務先や取引先の財務状況を知らずに働いていては、判断を誤る。

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2018年07月18日

人のやらないことをやる



「逆張り派」を自認する成毛氏は、当然、人のやらないことをやる。といいつつ、第三章で明かされている具体例は、驚くというより、「そういう人もいるよね」くらいの小ネタが多い。

基本は家で食べるのが好きで、お客さんも家に呼ぶという成毛氏が、わざわざ通うのは「家庭ではできない技をもった」店。その筆頭に挙げているのが、赤坂の小料理屋「津やま」。高級料理に飽きた人が来るような家庭料理の店らしい。その他、TKGには燻製醤油を垂らすというのがこだわりらしい。私はゴマ油を垂らすのが好きだけど、これも試してみたい。

一番意外だったのは、テレビの視聴時間が多いこと。あれだけ本好きな人で(毎日一冊ペース)、TVも見るというのは珍しい。普通、どちらかでなければ、仕事する時間が無くなるので、これはセミリタイヤしてからの話なのかもしれない。

必ず録画する番組が週に46本、1日あたり7本弱ということ録画して後でまとめて見るので、一日中TVを見ていることもあるそうだ。ただし、ドラマは一切なくて、ドキュメンタリーである。『国際報道』(NHK BS1)『サイエンスZERO』(NHK Eテレ)はなるべくリアルタイムで見るということ。他に、『夢織人』(終了)『世界水紀行』(BS日テレ)、『昭和偉人伝』(BS朝日)、『アナザーストーリー』(NHK BS premium)、『ブラタモリ』(NHK総合)など。

私は1日1時間くらいしか見ないので、この中で重なっているのは、『ブラタモリ』(必ず)、『アナザーストーリー』(時々)、『サイエンスZERO』(時々)だけ。他に必ず見ているのが、『ガイアの夜明け』『カンブリア宮殿』(ともにTV東京)と『探検バクモン』(NHK総合)。あ、『西郷どん』も見てます。家族全員で見るのはこれだけなので。

ブラタモリ琴平



































「ブラタモリ」香川編で使われたフリップ(香川大学創造工学部 長谷川修一研究室)
90:「帰れる場所」を作る

・赤坂の小料理屋「津やま」
味、雰囲気、もてなしのどれを取っても申し分がない。簡単にはつぶれないような店、すなわち店主が代々続いている、あるいは地元に根付いている店。

95:旅に日常を持ち込む
・穴が開く寸前の靴下と薄くなったパンツ専用保管箱→旅先で捨てる
・パジャマも同様

114:外での食事に無駄な大金をかけるくらいなら、そのお金で食材を買って、家で食べるほうがいい。外で食べるのは「家ではできない料理」。

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2018年07月17日

逆張りの発想



1990年代のITの王者といえばIntelとMicrosoft。全盛時代のPCはWindowsのOSとIntelのMicroprocessorで動き、併せてWintelと呼ばれた。そのマイクロソフト日本の社長を91年から2000年まで務めたのが成毛氏。ITバブルのピークで辞めたのも見事だった。

株式市場がバブルの頂点に、靴磨きの少年までもが株の話をし始めたのを聞いて、バブル崩壊を予見したジョセフ・ケネディ(JFKの父親)の逸話を彷彿させる。ジョセフ・ケネディがバブル崩壊前に株を全部売っていなかったら、ケネディ大統領誕生もなかったはずだ。

MSを辞めた後の成毛氏だが、投資会社のインスパイアを設立。自己資金とファンドでVC投資をされていた。それも、後進に道を譲られ、現在は早稲田大学の客員教授や、読書好きが高じて始めた書評サイトHONZが中心になっているようだ。そういえば、スルガ銀行の社外取締役も先月の株主総会(荒れた!)まで続けていた。

「逆張りタイプ」を自認する成毛氏。意外なことに、これまで人生に目標らしきものをもったことはないという。マイクロソフトに入ったのも、勤務していた会社で大阪転勤を命じられ、それが嫌でたまたま転職したのが出版社のアスキー。出社したら、初日にマイクロソフト出向を命じられたらしい。そこで売りまくって社長になった。

成功するための「ウン・ドン・コン」に納得。ビル・ゲイツはとてつもなく秀才で、恵まれた家庭に育ちながら、マイクロソフト創業からWindows95まで20年間コミットし続けた。Web時代になってからの成功一夜物語とは全く違うビルがそこにいる。彼には、「ウン・ドン・コン」があったのだ

生産年齢人口











9:私は35歳からおよそ10年間、マイクロソフトの社長を務めた。そして、2000年に社長を辞した理由の一つは、「誰もが大声で『IT』と呼びだしたこと」だった。時はITバブル絶頂期。「世間がIT一色に染まったから、ソフトウェア会社の社長を辞める」という発想は、逆張り以外の何物でもないはずだ。

12:1975年、ビルは19歳でマイクロソフトを創業する。しかし、同社の株価が本格的に上がり出すのは「Windows95」の発売以来だ。その間およそ20年、ビルはどこまでものになるかわからない技術に、ひたすら投資していたことになる。この長期投資が、結果としてビルを桁外れの「逆張りの成功者」に押し上げたことは言うまでもない。

14:運の総量は決まっている
人生で成功するには「ウン・ドン・コン」が大事だといわれる。運と鈍感さと根性である。(中略)
 運については説明するまでもないだろう。人生の成功者に、「あなたはなぜ成功したのか」と聞くと、たいていは「運がよかったから」と答える。「俺が努力したから」などと答える人には、もう次がないと思ったほうがいいかもしれない。自分の成功要因をよく理解できていないからだ。
 この世には多幸な人と薄幸な人がいる。もともと持っている幸運の量が変えられないなら、大事なのはつまらないことに運を使ってしまわないことだ。(中略)
 二つ目の鈍感さも重要な要素だ。世間を見回せば、成功者には鈍い人が多いことに気付くはずだ。彼らの長所は、失敗しても、やたらとくよくよしたり、必要以上に落ち込んだりしないこと。じつはこのタイプは成功にも強い。望み通り事が運んでも「なんだ、この程度」で済んでしまうから、さらに大きな成功を目指して淡々と努力することができる。(中略)
 三つ目の根性はどうだろう。(中略)ここでいうのは、同じことを飽きもせずダラダラと続けられる気質である。実際、強いスポーツ選手にはそういう根性を持った人が多い。

22:ビルは、桁違いの能力と経験の持ち主で、一番好きな歴史上の人物はナポレオン。関連書物を世界で一番所有していると自負している。戦術を熟知した彼には、同世代として、密かな期待を寄せているのでる。

shikoku88 at 21:53|この記事のURL│Comments(0)│本 | 仕事

2018年07月16日

社会科学としての経済学



経済学は社会科学の中でも、長年、二流と見なされてきた。それは、「科学」というほど体系だっておらず、また再現性にも乏しいからだ。その傾向は、数式モデルを中心とした理論経済学が登場するまで続くのだが、一方、ますます経済学を一般社会から分離してしまったかもしれない。

著者は戦後のマルクス研究を主導した宇野弘蔵。教条的な『資本論』読解を批判し、純粋な科学として再構成することを企てた。その独創的な資本論読解により宇野学派と呼ばれる学派を形成した。

こうして宇野によるマルクス経済学の解説を読むと、明らかに、マルクス経済学の方が古典経済学より、社会科学としての完成度が上。戦前戦後の多くの秀才がマルクス経済学に惹かれた理由がわかる気がする。

「日本のように、大学で『資本論』が研究されてきた国はあまりない。マルクス・エンゲルス全集が、曲がりなりにも完成したのは日本が初めて。日本では大学で大正末から昭和の初めにかけてはマルクスの『資本論』が盛んに研究された」(p73)

『資本論』の危険性が当初から認識されて、研究が制限された欧米に対し、日本では自由に研究でき、世界のマルクス経済学研究のトップを行っていたというのも興味深い。

序:マルクス経済学『資本論』
経済学の原理として明らかにされる経済法則は、法則として当然のことであるが、自然法則と共通の一面を有しながら、他方では全く異なった特殊の面を持っている。それは人間の意識的行動によって展開される法則によって自然法則に支払せられるように支配せられるということから生ずる。

15:資本の原始的蓄積
商品経済というのは、形式的には個人的に自由平等の関係です。そこで部分的にはともかく、社会的には封建社会自身が崩壊しないと商品経済が基本的関係にならない。だから資本主義の発生には、この封建社会の崩壊で、土地の領主の農民に対する直接的支配がなくなって、自由になり、同時に土地を失った農民が、労働力をも商品として売らざるをえなくなるということ。

17:労働力という商品は特別
労働力を商品として買うとその代価を払えば、必ずその代価以上の価値が得られる。(中略)人間は一日いっぱい働くと、必ず一日の生活資料以上のものを生産することができる。

233:マルクス経済学説
1867年に発刊された『資本論』第1巻によってその基礎が確立される。もちろんそれまでにマルクスは1843-44年以来20数年にわたって経済学の研究をしてきたのであって、『資本論』第1巻はその成果をなすものである。(中略)それは従来の経済学説のほとんどあらゆるものを批判的に検討して得られたものであって、彼自身にとってはもちろんのこと、その後彼の学説を取る人々にとっても、単なる一学派をはすというものではない。アダム・スミス、リカードによって確立した古典経済学の科学的伝統を引き続きつつ、それを科学的に完成したものとなっている。

240:マルクス経済学の意義
マルクス主義は、ドイツの哲学とイギリスの経済学とフランスの社会主義とをその三つの源泉とするといわれるのであるが、『資本論』はドイツ哲学とフランス社会主義とを克服しつつそれを新たな思想的背景として、イギリス経済学にはとうてい達成しえなかった経済学の原理的体系を根本において完成したものである。

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2018年07月15日

欧米の捕鯨船で栄えた緑の島



世界自然遺産に日本で四番目に登録された小笠原諸島。実は、戦後長らくアメリカが統治し、1968年に返還されてから今年は50周年。その記念に、本書を読んでみる。

まず、160年余り前まで無人島だったという事実。そのため小笠原諸島には他では見られない貴重な動植物が生育し、「東洋のガラパゴス諸島」とも呼ばれる。記録に残る最初の発見は、寛文10年(1670)の遠州灘で遭難した1隻のミカン船によるもの。阿波国海部郡浅川浦の船で、前年の11月15日に紀州の宮崎でミカンを積み込み、江戸へ向かっていた。この船が2月20日(太陽暦4月9日)に漂着したのが母島だった。

しかし、江戸時代末ごろに最初に住み始めたのは、欧米人やハワイ人だった。欧米の捕鯨船が水や食料の補給のため寄港したのである。つまり、一つ間違えれば、アメリカ領やイギリス領になっていた可能性もあった。

「英国は、アヘン戦争を前に中国滞在同胞避難所として占領を画策、米国は、ペリーが浦賀来航直前に父島に寄港し貯炭所用地を買収していた。開国後、島の重要性に気づいた幕府は、小笠原回収に外国奉行水野忠徳一行を派遣した」

この英米相手の外交が見もの。幕府の外交が、長い鎖国にもかかわらず、なかなかのものであったことが分かる。

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65:1840アヘン戦争
南京条約が締結されて、もはや英国商人たちは清国官憲を恐れる必要がなくなった。また、広東に近い香港島が英国に割譲された結果、英国は極東における重要な拠点を手に入れることになった。こうして英清関係が逆転すると、英国の小笠原諸島に対する関心も急速に薄れ、つい数年前まで広東やマカオの英国人たちから注目されていたボニン諸島占領問題は、いつの間にか忘れ去られていったのであった。

120:小笠原回収
無人島回収にあたって幕府が最も懸念したのは、外国からの干渉であった。なかでもその成否の鍵を握ると考えられたのは、1827年におけるビーチー艦長の領有宣言という実績を持つ英国の動向であった。
 幕府の通告に対し英国公使オールコックは、水野らが咸臨丸で現地へ渡航した後の文久2年2月12日、安藤対馬守邸における会食の際、初めて英国の意向を明らかにし、三日後これを文章にして通告してきた。

121:英国公使オールコックの書簡
・ビーチー艦長の領有宣言にあまりこだわっていない
・むしろイギリスの事跡をアメリカ、ロシアのそれと同等とみなし、いずれも不完全であるとしている
・ビーチー艦長の領有宣言が英国政府によって正式に承認されていなかった
*幕府は小笠原回収を英国公使に通告。英国側からの反論はなし。当時の緊密な日英関係という背景。

136:文久元年12月4日(1862年1月3日)外国奉行水野忠徳を長とする小笠原島回収団の一行が咸臨丸で品川沖を出帆
・寛文10年(1670)のミカン船の漂着以来192年ぶり
・中浜万次郎も通弁として乗船
・前年に太平洋を横断した経験者は艦長の小野友五郎(当時測量方)と松岡磐吉の二人、それに水夫50名中11名のみ。幕府の洋式船が年々増える中で、航米経験者もそれぞれ他の船に移った?

215:治外法権
父島には咸臨丸が帰航した後も、小花作之助を長とする幕府の役人が駐在しており、港は以前と変わらず外国船が自由に出入りしていた。疫病のため下船を許されて滞在するもの、船内の過酷な使役を逃れて島内へ逃げ込む水夫、また、便船を得て島外へ去るものなど、常に外国人の往来があった。島庁もあえてこれに干渉せず、税関もない自由港であった。したがって当時の小笠原島は、条約に定められた開港場ではなかったが、内地の居留地のそれと同様な特権を持つ外国人が居住するという特殊な日本領土であった。

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2018年07月14日

なぜ国宝級の作品が海を渡ったのか




25年前ボストン近郊に住んでいたので、ボストン美術館によく行った。日本にあれば国宝と言われる日本美術を多数所有することで知られる。もう一つ、アメリカにはフリーア美術館(DC)があり、こちらも国宝級の日本美術を多数所蔵している。これも、駐在中に何度か足を運んだ。

この二つは日本美術コレクションでは双璧と言われているが、それ以外にも、メトロポリタン美術館、シアトル美術館、クリーブランド美術館なども日本の美術館が敵わないほどの日本美術を保有している。欧州でも、大英博物館、V&A博物館、ギメ美術館、ライデン国立民族学博物館などが知られる。

「なぜ、これほどまでに日本の美術品が欧米に渡ったのか?」を解き明かす本。「日本で誰も見向きもしなかったときに、それを評価した外人蒐集家がいたから」という答えに驚きはないが、どうして、そこまで一夜にして評価が一変してしまうのか?神仏分離令に、僧侶までがそれまで大切にしていた仏像や仏具を顧みなかったというのはどういうことなのか?など経緯を見るにつけ、疑問と憤りは尽きない。

本書の最後のほうに、「フランスでも生前のゴッホを評価しなかったために、国内に作品がほとんどない」という話が出てくる。それで、返還を決めた松方コレクションの中から、ゴッホ作品など12点は日本に返還されなかったのだが(松方が購入していた作品だから返還しないというのもおかしな話)、一画家の評価の問題と、日本美術全体への全国的(それも国家指導者による)無関心ではスケールが違う。海外で評価されたことで、見直されるというのも主体性がなくて悲しい。

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喜多川歌麿 「鮑取り」(東京国立博物館所蔵)「松方コレクション」でフランスから買い戻される

はじめに:明治維新以降大量に海外流出
・経済環境の激変により大名やその家臣が古美術品や道具類を処分
・廃藩置県により大名が東京に転居→大邸宅処分
・大名道具は旧藩地にて二束三文で処分
・神仏分離政策→廃仏毀釈
・新政府の要職に就いた薩長土肥武士の文化的程度が低かった
・欧米文化を自国よりも優れた文化としてとらえる風潮

15:正木直彦が見た廃仏毀釈
廃仏毀釈の際に興福寺の五重塔を取り壊すということで入札が行われた。これをある人が15両で落札した。廃材を何かに利用しようと考えたのだろう。ところが壊そうとすると足場を組むなど余計な費用がかかるため落札者が逃げてしまった。仕方がないのでときの奈良県令で、廃物家として有名だった四条隆平は、五重塔の周りに薪を積んで焼き払うよう命じた。しかしながら類焼を恐れた町民が、焼き払うのはどうかご勘弁願いたいと愁訴したため、火を付けることもできない。やがて四条が県令を辞めると命令はさたやみとなり、五重塔は命拾いをすることになった。

19:安政元年に日本が開国して以降、日本美術の品質の高さは急速に海外の好事家や芸術家に知れ渡った。その喧伝に大きな役割を果たしたのが万国博覧会の存在だった。ひとまとまりの日本の古美術品が初めて万国博覧会に出現したのは1862年にあったロンドン万博でのことだった。ただし出品物は駐日英国公使ラザフォード・オールコックらが提供したもので、日本独自の出品ではなかった。

36:モースは両手にチョークを持つと左右から同時に絵を描いてひとつの絵を完成させるのを得意とした。この特技を見た人は誰もが驚嘆の声を上げたという。(中略)来日して一ヵ月後の7月16日、モースは東京大学理学部動物学生理学教師として二年間、お雇い外国人として雇用されることになる。

250:サザビーによる驚きのオークション
ヴェヴェールが浮世絵コレクションを松方に売却した際、ヴェヴェールはすべての浮世絵を手放したと信じられていた。しかしながらヴェヴェールは、どうしても手放したくない作品を手元に置くとともに、その後も浮世絵の蒐集を継続していた。

・最も驚いたのは東京国立博物館。ヴェヴェールは所有するすべての浮世絵コレクションを松方に売却し、東博がすべて所蔵するものだと信じられていた。

��1974ヴェヴェール浮世絵コレクションのオークション412点£1M@サザビー
��1975 410点
��1977 415点
��1997 197点£2.4M 作品の質では過去三回を上回る内容

255:松方幸次郎「日本国民のために浮世絵を買い戻す」という決意
・林忠正がパリに送り込んだ作品は浮世絵版画だけでも総数156,487枚
・「林氏さへなかつたら、錦絵はこうまで海外へは流出せずに済んだものを」文化史家石井研堂
・松方コレクションの浮世絵8000枚=林氏持ち出しの5%

256:日本人の多くが浮世絵に価値を認めなかった。特に上流階級や知識人ほど浮世絵を低劣なものとして蔑んだ。
「このような卑俗なものは、当館にはふさわしくありません」山高信離(元幕臣・帝国博物館長)

268:若冲ブームを演出した人 ジョー・プライス
フランク・ロイド・ライトが浮世絵に見入っているのをよそに店内(マディソン街の瀬尾商店)をぶらつくプライスの眼がひとつの作品に止まった。伊藤若冲の「葡萄図」である。プライスはこの絵が自然の本質をとらえていると直感したという。(中略)ベンツのガルウィングを買う予定だったお金で「葡萄図」を購入した。

270:現在の若冲ブームの遠因はブラキオポッド?
ブラキオポッドの採取にやって来たモースが、フェノロサを日本に連れてくる。そのフェノロサから浮世絵を譲ってもらったのがライトである。さらにライトのお供で日本美術店に来たプライスがある日本画に眼を止めることで、やがて若冲ブームが起こる。

271:具眼の徒としての外国人
廃仏毀釈の嵐が吹き荒れる中、仏教美術に注目し高く評価したのは具眼の外国人だった。旧大名家や旧武家から古美術品が大量に市場へ流出した際、それらに美術的価値を認めたのは具眼の外国人だった。あまりに低俗なため芸術品として日本では認められなかった浮世絵に、高い芸術性を見出したのは具眼の外国人だった。写楽が日本ではまったく無名だった頃、その作品を1300円で取引していたのは具眼の外国人だった。日本では忘れ去られていた俵屋宗達に注目し、その価値を喧伝したのは具眼の外国人だった。

2018年07月13日

すべて小さく考えよ



「すべて小さく考えよ」を信条とする経営者が世界最大の小売業を創ったというのが面白い。しかし、本書を読めば、小売業の本質が「小さく考える」ことにあることがわかる。

気になるのは、Amazon Effectの中で、ウォルマートがどう対処しているかということ。歴史の示すところは、成功者ほど、時代が変わったときについて行けない。

*1962年アーカンソー州にディスカウントストアのウォルマート1号店を開店。創業から30年で世界最大の小売チェーンに成長。

・経営陣と全従業員の間によきパートナーシップを築いた。
・従業員と利益を分かち合うことで、彼らの働く意欲を高めた。
・従業員に会社の営業内容を数字で示すことで、彼らの意欲を高め、能力を最大限に発揮させた。
・絶えず変化するというウォルマートの企業文化の徹底を図り、全員に、会社の発展の節目ごとに変化を強要した。
・従業員が贅沢にとらわれると、「お客に仕える」という最も重要なことに集中できなくなる。ゆえに贅沢を戒めた。

・会社が大きくなるほど、「小さく考える」ことが重要になる。
�。嬰垢瓦箸鵬然覆筌機璽咼垢覆匹硫�善を検討する
��店舗間・社員間での意思疎通を大切にする
��社員が現場(店舗)で集めた情報を重視する
�じ従譴棒嫻い噺�限を持たせる
�ジ従譴療弘�に改善案を出すよう奨励する
�α反イ鬟好螢爐砲掘�官僚化と闘う

・サム流「成功のための10か条」
�,△覆燭了�業に夢中になりなさい
日々最善を尽くしていれば、周囲もあなたの情熱に感染していく。
�⇒�益を全ての従業員と分かち合いなさい
彼らをパートナーとして遇すること。そうすれば、彼らもあなたをパートナーとみなし、一緒にどんな業績でも達成できる。
��パートナーたちの意欲を引き出しなさい
日々、パートナーたちに刺激を与え、やる気を起こさせる。停滞してきたら、管理職の職務を交替し、緊張感を与える。
�い任�る限りパートナーたちと情報を共有しなさい
彼らは知れば知るほど、より一層理解し、理解すればするほど関心を持つようになる。
�ッ�かが会社のためになることをしたら、惜しみなく称賛しなさい
人は皆、称賛され感謝されることを喜ぶ。
��成功を祝い、失敗の中にユーモアを見つけなさい
深刻になり過ぎず、リラックスすること。楽しみを見つけ、いつも熱狂的でいなさい。
�Г垢戮討僚抄醗�の意見に耳を傾けなさい
お客に接する店員こそ実情を知っている。
�┐�客の期待を越えなさい
お客の期待を少しでも上回るものを提供しなさい。そうすれば、彼らは何度でも戻ってきてくれる。
��競争相手より経費を抑えなさい
たとえミスをしても、効率のよい運営をしている限り、回復できる。
��逆流に向かって進みなさい
人とは違う道を行き、旧来の考え方を無視すること。もし皆が同じ方向に進んでいるなら、逆の方向へ行き、独自の市場を見つける。

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2018年07月12日

バークシャ・ハザウェイ副会長Charlie Munger



チャーリー・マンガーはウォーレン・バフェットの右腕で、バークシャ・ハザウェイの投資は二人がいることで成り立っている。

もともと、バフェットの投資スタイルは、師匠で、バリュー投資の創始者とも呼ばれるベンジャミン・グレアム教授に教えられた通りで、「株が割安なら買う」というものだった。その頃買った、ニューイングランドの毛織物紡績企業がバークシャ・ハザウェイで、ちょうど輸入品に押されて業績が悪化しつつあった時期。安く買えたものの、業績を立て直すことはできず、投資としては失敗だった。この会社を投資事業の箱に変えたのが、現在のバークシャ・ハザウェイである。

「チャーリーの最大の功績は、今日のバークシャ・ハザウェイを設計したことである。彼が私に示した青写真はシンプルだった。『そこそこの会社を割安な価格で買おうとするのではなく、素晴らしい会社を適正な価格で買いなさい』この指示通りに投資事業を進めてきた結果として、現在のバークシャがある」(バフェット)

「良いキャリアを築くために守るべきルール」というのが心に響く。
・自分自身が買おうと思わないものを売らない
・尊敬しない人のために働かない
・いっしょに仕事をして楽しい人々とだけ働く

*バークシャ・ハザウェイ副会長Charlie Mungerの投資哲学

・株価の短期的な変動に賭け、手っとり早く金持ちになろうとするのではなく、事業の長期的な成長に投資する
・その上で、座して待つことが重要
・お金をもらって格付けしている格付け会社の格付けは信用できない
・複雑さは不正や誤りの温床になる。金融機関の経営はデリバティブの活用によって複雑化している。
・将来性のある企業に投資する機会に恵まれた時に積極的に買えるよう、手元に現金を蓄えておく
・良いキャリアを築くために守るべきルール。「自分自身が買おうと思わないものを売らない」「尊敬しない人のために働かない」「いっしょに仕事をして楽しい人々とだけ働く」

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2018年07月11日

戦略転換点




丁度30年前、VC新入社員の2年目、私はインテルの日本法人に訪問していた。当時の東京事務所(管理部門)は「丸ノ内ビルヂング」にあった。今の「丸の内ビルディング」に建て替わる前の、大正時代に建てられた9階建てのビルである。

そこで会っていたのはインド人の財務部長。インド人と話したのはあれが初めてだった。愛想が丸でなく、「どうして、子会社を上場させることが株主の利益になるのだ?」とファイナンス理論で押してくる。当時の私には反論できる理論も英語力も足らず、タジタジとなった。なるほど、これだけ仏頂面だから、何が起こっても驚きそうにない→だから「インド人もびっくり」なのかと妙に納得。

財務部長がダメでも、「トップに会え」がVCの掟。しかし、日本法人社長はつくば本社にいたり、アメリカの親会社に行っていたり、そもそも財務部長が突破できてないから、アポが取れない。

そうこうするうち、本社からグローブ新社長と、ムーア会長が社長交代の挨拶で来日することになる。「こうなったら、本社社長に直訴しよう」と就任パーティに押しかけた。名刺交換し、「日本法人を上場させましょう。すごい株価が付きますよ!」と訴えたのだが、「財務部長に話しておいてよ」で終わり

話は進まなかったが、二人の名刺は今でも取ってある。あの時、Intelの株を買っていれば戦略転換点を見誤った。

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*戦略転換点「企業の生涯において根本的な変化が起こるタイミング」
この転換点を境にして、業界構造が大きく変わる。

*10Xの変化
競合企業、供給企業、顧客など、ビジネスに影響を与える要素のうち、どれか一つが大きく変化すること。戦略転換点は、この変化によって生じる。

*コンピュータ業界の場合、マイクロプロセッサーの登場が10Xの力となり、業界の構造が「縦割り型」から「横割り型」へと変化した。その結果、従来の業界構造で君臨していた企業は衰退し、代わって、新興企業が勢力を伸ばした。

*戦略転換点の見極め
・「主要なライバル企業」「自社にとって重要な補完企業」の入れ替わりがありそうか
・変化を素早く察知する「カサンドラ」人材の声を聞く(営業の中間管理職に多い)
・新技術などが登場した時は、「初期バージョンの罠」に注意し、その重要度を慎重に見極める
・あらゆる関係者を集めてディベートする
・常に「恐怖心」を持って事に当たる

*戦略転換点を乗り越えるためにすべきこと
・将来、どんな企業でありたいかを、明確にイメージする
・経営資源を新しい方針に合わせて再配置する
・リスクヘッジすることなく、一つの目標に全力を注ぐ

*戦略転換点を迎えた時、多くの企業は衰退する。その最大の理由は、決断を躊躇して、じっと立ち尽くすこと。

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2018年07月10日

中国はなぜ軍拡を続けるのか



1990年代前半の米国駐在中、近所に上海出身の夫婦がいて、仲良くなった。二人は米国留学中に天安門事件(1989)が起き、中国制裁に踏み切った米国は留学中の中国人全員に永住権を与えた。「ラッキーだった」と言っていた。

自国民の平和なデモに、軍隊が装甲車や戦車を持ってあたり、実弾を発砲するという中国共産党の対応に衝撃を受けた西側諸国は日本も含めて、経済制裁を行なった。1978年に始まった��小平の「改革開放」路線が定着して10年になり、豊かになれば民主化も進むと考えていたからなおさらである。

この制裁解除に他国に先駆けたのは日本だった。海部俊樹政権は対中円借款を早くも1990年末に再開。92年には天皇訪中も実現させた。これで、恩にきてくれるかと思えば、中国は経済発展に伴う経済格差拡大の不満を外に向かわせるため、愛国主義運動が始まる。日本からの借款、投資、技術支援が行われるほど、反日教育が強化されるという異常事態である。

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*人民解放軍の増強を続ける中国共産党

・1990年代中国は大規模な外資導入に成功し経済発展したが、二つのディレンマ
�”戮諒�配・再配分に失敗→農民が経済発展から受ける恩恵は少なく、既存秩序への不満
デモ、暴動、テロといった「群体性事件」の発生件数は、1990年代半ばの年間1万件未満から、最近は20万件を上回る。
��農民の不満に対応するため、西側諸国を仮想敵国と位置付け、排外主義的ナショナリズムを煽った

・人民解放軍の量は多いが、質は低く、総合的な能力は1980年代のソ連軍程度?






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2018年07月09日

デフレマインドなど存在しなかった❓



著者は慶応義塾大学教授で2011-2016年に日銀政策委員会審議委員を務めた。前総裁の白川氏から、現総裁の黒田氏への移行期にあたる。

「異次元緩和」に効果はあったのか?については、
・異次元緩和により、円高と株安は是正
・実質GDP成長率はQQE導入前よりも低い
・円安なのに輸出数量は増えなかった
・「物価上昇率2%」を達成できてない
ということになる。

円高と株安是正は「物価上昇率2%」達成のための手段であり、目的ではなかったから、結果は失敗だったといっていい。後に残ったのは、今や日本最大の大株主になった日銀のETF保有残高24兆円と、これまた400兆円にも上る国債保有残高だ。日銀が長期国債を全部買ってしまうため、国債市場で売買が成立せず、値段が付かないという異常事態が続いている。

「異次元緩和」の前提は、「デフレマインドの克服」にあった。デフレで、将来、物価が安くなると思っていれば、今は買い控える。そのために、さらにデフレが深刻化するというのが、デフレスパイラルだが、これを克服するために、「物価上昇率が2%になるまで金融緩和を続ける」と日銀が宣言したのだ。

ところが、統計データで物価が下落している時でも、アンケートを取ると「物価が上がった」と答える人が多い。つまり、デフレマインドはそもそもなかったのではないかと著者は分析する。しかし、物価が上がるのなら経済理論的には早く買ったほうがいいのだが、日本ではそうなっていない。

背景には、賃金が下落している中で、社会保険料の負担が上がり、可処分所得の減少が続いている現実がある。生活が苦しく、また、それが悪化しそうだから、消費に踏み切れないのだ。筆者はこれを「日本型デフレ」と呼んでいる。経済学の教科書には出ていない、新たな経済現象だ。

結局、日本のデフレは「構造的な問題」であるため、金融緩和で解決できないと考え、大規模な金融緩和には消極的だった白川前総裁の考え方が正しかったということになる。

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【日銀ETF買いと日経平均の推移】’16年7月までは年3.3兆円、以降は年6兆円でETFを買ってきた日銀。日経平均1万円割れの底値から反発する原動力になってきた

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2018年07月08日

別様の可能性



昨日は、どうして松岡正剛という現代の碩学が誕生したのか、最も大きな影響を受けたと思われる高校時代について書いた。いよいよ、本書の本題なのだが、こちらはかなり手ごわい。

「世」という本質の大半が首尾一貫しなくともかまわない「疑(もどき)」でできている。

というのが主題。簡単に言うと、
・社会は整合的にはできてはいない
・特に、日本はデュアルスタンダードが伝統
・ところが、明治日本は欧米列強に対抗して、天皇の下ピラミッド型の国家の確立を目指したためにおかしくなった
ということになる。

日頃、論理的で首尾一貫が好きな私だけど、それは仕事での話。「コンシステンシーが一番えらいなどということはまったく立証不可能なのである。ぼくには、世の中は首尾一貫を求めすぎてつまらぬ社会を量産してきたとしか思えない」には共感する。

生産年齢人口

















6:社会は整合的にはできてはいない
コンシステンシーが一番えらいなどということはまったく立証不可能なのである。ぼくには、世の中は首尾一貫を求めすぎてつまらぬ社会を量産してきたとしか思えない。

44:果報はなかなかやってはこない。本田宗一郎が「果報は練って待て」と言っていたように、勝ち負けのことなんてどっちに転んでもいいように、腹を決めておけばいいはずだ。

62:エマニュエル・トッド
相続には自由に決める相続(イギリス・アメリカ)、子供に平等に分ける(フランス)、長子が相続する(ユダヤ・ドイツ・日本)、大家族を構成して相続財産をプールする(ローマ・中国・イスラム)があるという。

161:大学四年の春に父が死んで借金をのこした。やむなく広告取りをした。なんとか返済して工作舎という数人のグループをつくり、オブジェマガジン「遊」を創刊した。

181:日本の教育の本道は昔から感染教育であり感染学習なのである。感染のために門人がいて門弟ができ、師匠と弟子が生まれていった。

181:世界の神話では、「つくる」「うむ」「なる」という基本動詞によって世界の発生と神々の発生が説明されてきた。
 これらは一連の神々の動作のように見えながら、「つくる」では往々にして作るもの(主体)と作られたもの(客体)が分離してきた。ユダヤ・キリスト教やギリシア自然哲学はここが明快だ。その分離した主体には「うむ」という自主行為が強調された。「つくる」と「うむ」とは一連なのだ。ピュシス(physis)とはそのことだ。
 これに対して「なる」は、こうした主体の分離自立を促さないですむ。「なる」には「つくる」がなくてかまわない。

200:孟子の湯武放伐論
日本では天皇家に易姓革命をもたらさないようになっていたからで、性がなければ皇位の簒奪もおこらないとみなされてきたからだ。『大鏡』には嵯峨天皇の子の源融が皇位につきたいといったところ、関白の藤原基経が「いったん姓をもらって氏性をもった者は皇位につけない」と諭したという話がのっている。姓のない親王だけが天皇になれたのである。

202:北一輝
北は日本の国体が三段階にわたって変化してきたと見る。第一期は「藤原氏ヨリ平氏ノ過渡期ニ至ル専制君主国時代」である。鎌足と不比等がつくった天皇制律令国家から摂関時代までを天皇制による専制君主国だと規定した。まあ、そうだろう。第二期は「源氏ヨリ徳川氏ニ至ルマデノ貴族国家時代」である。先生天皇に代わって武家政権が国家を統治した。これも当たっている。そして第三期が、「武士ト人民トノ人格的覚醒ニヨリテ各々ソノ君主タル将軍マタハ諸侯ノ私有ヨリ解放セラレントシタル維新革命ニ始マレル民主国時代」だというのだ。この見方は大胆だ。

222:折口信夫
ぼくは折口にめろめろだ。ずっと以前から長らくめろめろで、いまもってめろめろだ。『死者の書』は日本文芸史上のベスト5に入れている。

223:折口の思索と万感の特色
�.泪譽咼箸悗瞭瓦譟�「そもそもは神をさす言葉で、常世から時を定めて来たり訪う者のこと」
��言葉を伝える者についての深い思索。語り部、かきべ、巡遊伶人、ほかひびと、うかれびと、漂泊伶人などについて、独自のイメージ。
�2里砲劼修燹屬燭鬚笋瓩屬蝓廚魄豐咾靴動Δ靴拭�「生命が美しい」
�ぁ屬燭泙佞蝓Δ燭泙靴鼎瓠廚箸いΔ海箸魍凌�していた。折口は魂を一人の体にずっと内在しているものではなく、体に出入りする動きを持っているものとみなしていた。魂は「外来魂」なのである。
�ヅ傾弔聾戎澄淵▲�ツカミ)ではあっても、現人神ではない。天皇の力は神から一時的に付与されたものであって、ミコトモチを発意していないときは人にすぎない。

日本の芸能は、この「何かの」を面影として継承するために「擬きの芸」に徹した。『翁』はそうしたモドキの芸能の原初にあたっていた。神を擬いた芸能だったのである。

236:デュアルスタンダード
明治期に新たな国学のリーダーとなった大国隆正以降になると、この顕幽のデュアルスタンダードは一方的な主君への忠誠におきかわり、万世一系の臣民国家の紐帯として解釈されるようになって、ついには宮中祭祀からオオクニヌシを除外した。
 古来のデュアルスタンダードは破られたのだ。これは「見えない世」の公式な否定であり、近代ナショナリズムの勃興であって、国体論の実体化であった。かくて明治日本はピラミッド型の国家の確立をめざし、そのまま日清・日露、日韓併合、満州事変へと邁進していった。
 そういう国家間に根本の疑問を呈したのが折口だったのだ。折口は、モドキの本来が壊されている、こういう昭和日本は直情しすぎている、安心して死ねませんと言ったのだ。

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2018年07月07日

読書家松岡正剛の誕生



「千夜千冊」で有名なので、書評家かと思っていたが、「生涯一編集者」らしい。「千夜千冊」は1000冊をとっくに超え、現在1678夜になっている。因みに、私の読書記録は10年前にWeb上でつけるようになってから本書で1735冊になった。その多くは、本blogでも紹介している。

それはともかく、どうしてこれほどの読書家になったのかの経緯が「第九綴 歴史の授業」に出てくる。高校生になって歴史にはまった松岡少年は、歴史書を読みまくる。ウェルズの『速度の歴史』、ルネ・クロジェの『地理学史』、羽仁五郎の『明治維新』、遠山茂樹らの『昭和史』、グロリエの『書物の歴史』、モルウの『建築の歴史』などから始まり、そこから先は雑食で「やたらめったら読んだ」という。

興味深いのは、友人らと「共読」していたという点。いわば、友達と読書を競い、感想を言い合って、読書体験を加速させていた。

二年生で水泳部のキャプテンになったYは、クラス一番の成績でもあったのだが、ある日、ぼくが『カラマーゾフの兄弟』を読んでいないことにがっかりしたと詰り、大審問官の場面について「一ヵ月後には松岡の感想を聞きたい」と言った。何かを試されているようで、親友だと思っていたYがこんなことを言い出したことにびっくりしたが、引きそうもない要請に気圧されて読んだ。(p96)

調べてみると、松岡正剛が通っていたのは都立九段高校。この後、早稲田大学文学部フランス文学科に進学することになる。

教育とは、カリキュラムの内容だけでなく、先生の質、そして生徒の質に左右される。その現実を無視して導入された都立高校学校群制度(1967-1981)で、都立高校はボロボロになった。学力差がある生徒が同じ教室にいるから、授業は能力の高い生徒には退屈で、逆に低学力の生徒はついて行けない。松岡少年が体験したような、生徒同士の刺激も激減したことだろう。

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2018年07月06日

サイコパスとしての土方歳三

ヒトごろし
京極 夏彦
新潮社
2018-01-31


「人殺し集団」とも言われる新選組。規律の厳しいことでも知られ、内部の権力闘争も絡んで、殺した人間は取り締まり対象の浪士よりも、隊士のほうが多かったらしい。それもそのはず、新選組は、サイコパスで人殺しが大好きな土方歳三が、大手を振って人殺しをするために近藤勇を担いで造った殺人集団だったという小説。

精神科医の春日武彦氏が「情性欠如者の逆説」として書評を書いている。

「……情性欠如型の人のすべてがすべて犯罪に陥るというのではない。社会的により高い階級の人では、特に、そのようなことがない。犯罪的でない情性欠如型の人は、あらゆる種類の地位においてしばしば驚くべきことを遂行することがある。これは『屍を越えて進む』鋼鉄のごとき堅い人達であるが、彼らの目的はまったく主我的のものであるとは限らず、理想に適うものでもありうるのである」と。つまり進む道さえ誤らなければ、彼らは「文藝春秋」や「プレジデント」のグラビアを飾る可能性もあるというわけだ。

親の愛をあまり受けることなく、しかし、裕福な家で不自由なく育てられた歳三は、小さなころ偶然人が斬られるところに遭遇し、「刀で人を斬る」ことに魅せられる。江戸時代のことなので、刀を持つにはまず武士にならなければいけない。また、武士であっても何の理由もなく殺していいわけではないが、そこに都合よく、幕府が京都の不逞浪士撲滅のため、「浪士隊」を結成することになる・・・。

同じくサイコパスとして登場するのが、新選組で同志となる沖田宗治郎。小さい頃から生き物を殺すのが好きで、ホンモノの人を殺してみたくなって元服する前から辻斬りをしていたというのは、神戸での酒鬼薔薇事件を思い出させる。サイコパスは実際に存在する。
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2018年07月05日

絶対に風邪をひけない人へ



内容は類書とほとんど同じなのだが、「MBA医師」で出版できたのか?という本。とはいえ、毎年同じ失敗で風邪をひいてしまう私はこうやって時々復習して、気が緩まないようにするしかない。そんなわけで新刊が出るとつい手に取る。

人は一生のうちで200回ほど風邪をひくらしい(米国調査)。実はこの回数は人によってそれほど違いはない。問題は、風邪をこじらせるかどうか。一流の人は、重症化せずにすぐに回復するので、周りから見て風邪をひいているように見えない。

本書では風邪対策を、
�”�邪をひく前
��風邪をひいてから
�I�邪をぶり返さないために
の三段階に分けている。

まず、風邪をひくリスクを減らすために、以下が推奨されている。

・ガムや飲み物で常にのどを湿らせておく
・できるだけ鼻呼吸する
・1日11回手を洗う
・手洗い後はペーパータオルで完全に乾かす
・乾いた手をアルコール消毒して完全に乾かす
・1日3回以上うがいをする
・飛行機や新幹線は一番後ろの席を選ぶ

「飛行機や新幹線は一番後ろの席を選ぶ」というのは実践してなかった。日常生活と比較して、密閉空間である飛行機は実に113倍も感染リスクが高いという。もし、風邪を引いた人が機内に居て、咳やくしゃみをすると、ウイルスは2-4mも飛ぶ。そして、その飛沫は45分間も空中に残存する。

飛行機では選択肢があれば、すぐに搭乗出来て、到着後最初に降りられる前方に席を取る人が多いと思うが、風邪のことを考えると、一番後ろの席がよさそうだ。

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2018年07月04日

歴史は繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は喜劇として。



「歴史は繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は喜劇として」

何度も聞いたことがあるが、これを誰が言ったのかは知らなかった。カール・マルクスの言葉だったと、これを読んで初めて知った次第。正確には次の通り。本書の冒頭である。

「ヘーゲルはどこかで、すべての偉大な世界史的な事実と世界史的人物はいわば二度現れる、と述べている。彼はこう付け加えるのを忘れた。一度目は偉大な悲劇として、二度目はみじめな笑劇として、と」

これは何のことを言っているのかといえば、一度目はナポレオン・ボナパルトによるクーデターで、二度目はその52年後に起こった、彼の凡庸な甥ルイ・ボナパルトによるクーデターである。以下、本書の「解説」から。
「偉大な悲劇」が、1799年11月9日(共和暦8年霧月18日)、ナポレオン・ボナパルトがフランス革命をクーデターで流産させたことを意味しており、「みじめな笑劇」が、その甥のルイ・ボナパルトが、第二共和制の下で民主的に大統領に選出されながら、同じく1851年12月2日にクーデターで共和制を流産させ、大統領権限を大幅に強化した新憲法を制定して独裁体制を樹立し、翌年には国民投票を経て皇帝に即位し第二帝政を樹立して、ナポレオン3世と自らを称したことを意味している。この二つの事件は相互に直接的には関係ないが、マルクスの目から見れば、クーデタで共和政を崩壊させた点では伯父と甥とは歴史的に同じ役割を果たしたことになるから、「ルイ・ボナパルトのブリュメール18日」という表現には「大きな皮肉」が込められていることになる。

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2018年07月03日

誰がアパレルを殺すのか

誰がアパレルを殺すのか
杉原 淳一
日経BP社
2017-05-25


『日経ビジネス』の記者二人によって書かれた、「アパレル産業不振の犯人を突き止める」という本。著者略歴を見ると、お二人とも1981年生まれとある。10歳で不動産バブル崩壊。20歳でITバブル崩壊。大学卒業時は就職氷河期だ。そんな中、第一志望だったかどうかは分からないが、杉原氏は2005年に日経新聞社入社→その後日経BPに出向、染原氏は2004年に日経BP入社ということなので、優秀なのだろう。この時期、不本意な就職から、フリーターになってしまい、結果、キャリアを積めなかった人も多い。

取材の結果あぶりだされたのは、従来型のアパレル産業に携わる企業が「内輪の論理」にとらわれ、目前に迫る現実を受け入れようとしない状況である。それが証拠に、アパレル産業全体が縮小する中で、ユニクロに代表されるように、きちんとしたマーケティングと企業努力で大躍進した企業もある。

驚くのは原価率の違いで、かつて、アパレルの原価率は20%が常識。これが、ユニクロでは40-50%であり、かつ、SPAとして安くつくっての上であるから、同品質のものなら定価で1/3と考えてよい。ブランド品が半額でも、品質だけ考えれば、ユニクロで定価で買うほうがまだ安いと感じるのは当然なのだ。

メルカリに出品されている商品の4割がアパレルだという。

MM

















はじめに
3:深刻な「分断」
分業体制が進み過ぎた結果、例えば「川上」で生地を生産している企業は「川下」の小売店で何が起こっているのか、ほとんど把握していない。逆もまた然りだ。

3:業界全体に蔓延する「思考停止」
多くの関係者が、過去の成功体験から抜け切れずに目先の利益にとらわれ、年々先細りして競争力を失っていた。

115:もう「散弾銃商法」は通用しない(柳井正)
アパレル不振の原因は「ムダに商品を作り過ぎた」と喝破。「服は情報」と定義し、GoogleやAmazon.comをライバルと見る。

162:「在庫は顧客のクローゼットにある」ゾゾタウン
ゾゾタウンは「誰が」「いつ」「何を」「いくらで」買ったかというデータを握っている。下取りでは、買った時期から逆算して、どれくらいの経年劣化が考えられるかを計算し、適切な価格を提示できる。

164:フリマアプリの王者メルカリ
出品商品におけるアパレルの割合は約4割(婦人服26%、紳士服8%、子供服13%)

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2018年07月02日

いまを知り、未来を生きるために



東大の経済学者による経済史の入門書。学部の講義用教科書として使われることを想定している。そのためか、値段も4000円と高め。当然、経済史を学ぶ機会のなかった、あるいは、学び直したい社会人にも、記録の残る人類5000年の経済史が網羅されており、満足感がある。

本書が問いかけるのは、
�〃从僂呂覆疾�長するのか?
�⊃洋爐呂い�にして十万年もの間、生存してきたのか?
�7从僂麓尊櫃砲い�に成長してきたのか?

��については、ほとんどの時代で経済はほぼ成長しておらず、その成長率は「100年で」数%にしかならない。当然、その時代を生きた人は成長を実感することはなかった。年に数%という、それまでの成長率からすれば驚異的な成長をする国や地域が現れたのは、大航海時代以降の話だ。フロンティアの拡大と技術革新によって経済成長が始まる。

一人当たりGDP推移

































27:際限のない要望
人間以外の動物は、満腹すれば、それ以上、無理に食べようとはしません。生理的ないし動物的な欲求が満たされても、ヒトの欲望はそこで止まることをせず、先々のことを考えて、生理的欲求を超えて満たそうとする。

189:ヨーロッパ近代の「商業革命」
新大陸からもタバコ、唐辛子、トマト、カボチャ、ジャガイモなどがヨーロッパに伝わり、嗜好品としても食料としても、近世以降のヨーロッパの人々の生活を大きく変える役割を果たしました。(中略)大雑把にいって、ジャガイモは麦類の穀物と比べるなら、同じ面積で2倍ないしそれ以上の熱量が収穫できるので、近世以降のヨーロッパの人口増加を支えた重要な食料となりました。また、イタリア料理といえば、トマト、唐辛子を多用し、食後は深煎りのコーヒーが定番ですが、そうなったのは、早くとも16-17世紀のことで、それ以前のイタリアには、古代ローマも含めて、ペペロンチーノやトマトソースのパスタやコーヒーはありませんでした。

259:表12-2
古代帝国の中心部であったイタリア、中国、インドのGDPは、1-1500年の1500年間に約2倍程度に成長し、100年あたりの成長率は4-6%ほどで、実感できる成長ではありませんが、古代帝国周辺部のフランスの100年当たり成長率は中心部の2倍の水準に、さらに辺境部(イギリス、ドイツ、ロシア、日本)は中心部の3倍の成長率を示しています。

456:戦闘の長期化
戦闘が短期間で終わったのは、戦場の兵士を支える補給が、当時の兵站能力では続かなかったからです。ところが、鉄道の普及と、自動車の発明は兵站を一変させました。19世紀までの書戦争よりもはるかに多くの物資と交代要員を、はるかに迅速に前線に送り込み、負傷兵・死体と故障した武器などを後方に送り返すことが可能となったのです。

458:総力戦
交戦中の国が、その国の有する人的・物的・金銭的な諸資源のすべてを戦争目的のために優先的に投入し、動員することによって戦われる戦争を指します。総力戦体制とは、こうした総力戦が可能となるように政治・経済・社会・生活を権力的に組織した状態を意味します。

466:ヴェルサイユ条約
戦後処理は、ロシア革命と戦債問題とが色濃く影を落として、ドイツの賠償責任という仕方に変換されてしまいました。当時、ヴェルサイユ講和会議にイギリス大蔵省首席代表として出席していたJ.M.ケインズは、民間人損害に対するドイツの賠償には賛成していましたが、英仏が支出した全戦費と今後支給するであろう軍人恩給まで賠償額として請求するのはいかにも無理だし、しかもドイツには英仏とベルギーの損害額と全戦費を支払う能力は到底ないのだから、それを無理強いするならドイツ経済は確実に破綻し、ドイツ国民は死滅し、したがって、ドイツ経済と密接な関係にあったヨーロッパの経済全体も大きな損失を被るとして、条約の賠償条項に反対しました。

472:第二次世界大戦
つまり、第二次世界大戦は、大恐慌によって世界経済が分断された状況で、有限の市場を奪い合うことーーつまり経済の失敗ーーに起因する外交的・軍事的衝突が嵩じて発生した戦争ですから、その開戦原因は第一次世界大戦とはまったく異なります。第二次世界大戦の開戦原因は、第一次世界大戦後の経済の不安定・不均衡と、ドイツの対英仏復讐心とが遠因になっていますから、第二次世界大戦は第一次世界大戦の戦後処理がもたらした戦争と考えることができます。

536:本書の主張
大きく強い規範の再建を一挙に目指すのではなく、小さく弱い規範を、美的価値や身体的礼にも注意しながら、一つずつ再建する中で、進化論的に次代を構築しよう。一挙的な伝統主義・合理主義を振りかざして次代を構想するするユートピアを唱えるなら、それはほぼ間違いなくディストピアしかもたらさない。

shikoku88 at 20:44|この記事のURL│Comments(0)│本 | 経済

2018年07月01日

決めた!



週末、ミドリムシで上場したユーグレナの出雲社長の講演を聞いた。実は、出雲社長とは10年前に仕事で会い、ユーグレナ専用ファンドをつくって投資した先。この10年で最も成功した投資になった。逆に、講演するのを聞いたのは初めて。

・多摩ニュータウンのサラリーマン家庭に生まれる
母親は専業主婦で、周囲に起業家はいなかった。「何も変わったところのない普通のサラリーマン家庭」大学生になるまで一度も海外に行ったことはなかったというから、1980年生まれということを考えると、その通りなのだろう。

・起業を目指したきっかけ
大学1年の夏休みに、一か月間バングラデシュのグラミン銀行でインターン。この時に、年収3万円の貧困農民が、マイクロファイナンスの貸金でヤギを買い、乳を搾ることで豊かになっていく現場を目撃。衝撃を受ける。と同時に、カロリーは足りているものの(昔からコメの産地で長年輸出していた)、他の栄養素が足りず、栄養失調になっている人も見る。

・ミドリムシとの出会い
東京大学に戻った出雲はサークルの後輩である鈴木健吾からミドリムシのことを聞き、農学部への点部を決意(入学は文化3類)。鈴木とのミドリムシ研究が始まる。ミドリムシは食物連鎖の下位にあり、増えれば食べられる。研究室では、ミドリムシだけをクリーンルームに入れて、人口光を当て、莫大な費用をかけて培養する。3か月間で採れるのは(乾燥させれば)たったのスプーン一杯だったという。

・ホリエモンとの出会い
大学卒業後、一旦、東京三菱銀行で働くが1年で退職。その間もミドリムシ研究を続けていた。その後ライブドアの堀江貴文と出会い、ライブドアの出資を得てユーグレナを設立。最初の投資家はホリエモンだった!

・ミドリムシ大量培養技術の確立
いくらミドリムシが地球上で唯一の「動物であり植物」のため、人間が必要とする栄養素を全て持っているとしても、クリーンルームで培養するのでは話にならない。それだけのコストがかかるなら、そのお金でいくらでも他の食料を買える。石垣島のクロレラ培養施設を借りて、2005年12月に屋外での大量培養実験に成功する。これがユーグレナの最大の知財。

・ライブドア事件
2005年8月にライブドア本社の一角を借りて創業したユーグレナ。2006年1月にライブドアに強制捜査が入り、ユーグレナも六本木ヒルズを出ていくことに。資金難で苦境が続く。

・インスパイアと伊藤忠商事の出資
2007年インスパイアが出資し、永田曉彦を社外取締役で派遣する。永田はIPO前にユーグレナに転籍。私がインスパイアからの紹介で最初にユーグレナを訪問したのは2008年。当時の売上は年商数千万円で赤字。しかし、今期から伊藤忠商事との資本業務提携で数億円の売上が見込まれるという。伊藤忠の食料部にヒアリングし、これを確認。投資を決める。

・2012年12月マザーズ上場
その後、順調にミドリムシ食品(サプリ)や化粧品売上が拡大し、2012年12月東証マザーズに上場し、大変な人気になった。2年後には東証一部へ市場変更。


"The rest is a legend"という感じなのだが、最も謎なのは、客観的に見れば、�‖舂滅殕椶棒�功するかどうか分からないという技術的な問題、培養できても�△修譴�市場に受け入れられるかどうかというマーケティングの問題など、壁は大きいのに、出雲社長がミドリムシを信じ続けられたこと。少なくとも、大学でミドリムシに出会ってから、大量培養に成功するまで5年かかっている。

出雲社長は東大に行ったくらいなので、頭はいい。頭がいい人があまり起業に向かないといわれるのは、起業には何年も同じことを追い求め続ける、ある時はバカにも見える「愚鈍」さが必要だから。頭がいいと、リスクも予測できるし、他からの誘いもある。これを振り切って、ミドリムシ一筋に集中できたことが出雲社長の最大の才能だろう。

どうしてそれができたのか?出雲社長の答えは、「そう決めたから」というシンプルなものだった。
shikoku88 at 18:30|この記事のURL│Comments(0)│本 | 仕事
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