2018年05月
2018年05月31日
西郷隆盛の写真はなぜないのか?

先週末から東京藝術大学で「西郷どん」展が開催されている。大学に寄付していて、年間パスがあるので、2回に分けて見に行った。芸大美術館の地下と3階の展示室全部を使っており、かなりのボリューム。
内容はともかく、不思議なのが、あれだけの維新の英雄にもかかわらず、写真が一枚も残っていないこと。そのため、肖像画や上野の山の銅像も、本人の死後に関係者の証言を基に作られている。この銅像を制作した高村光雲(東京美術学校 彫刻科教授)が、「いろんな人からいろんなことを言われるので、創るのが大変だ」とこぼしたエピソードが残っている。
写真が残っていない理由として考えられるのは、
,箸砲く写真嫌い
NHK「西郷どん」でも、斉彬邸で、写真を写されるのを嫌う場面が出てきた。
暗殺を恐れた
薩摩軍の総大将である西郷は幕府軍からの暗殺を恐れて、素顔が広まることを避けた。
L声政府によって処分された
西郷隆盛の人気は高く、西南戦争後も、同様の士族の反乱が繰り返されることを嫌った明治政府が写真を処分した。
くらいか。
しかし、,蓮△いら嫌いでも、他の維新の志士たちの写真が大抵残っているなかで、それも、明治10年まで生きた西郷の写真だけが残っていないというのは不自然。△癲¬鼠Г梁腟彿殕通はじめ、他の維新功労者たちの写真が残っている中で、西郷だけないというのは不自然。
したがって、もっともありそうな理由は、,筬△陵由から非常に限られていた写真を、の理由で処分した、ではないかと思うのだけど、どうだろう?この件に詳しい方の意見求めます。
2018年05月30日
沖縄セルラー

弱者の戦略として有名な「ランチェスター経営」。決算書が来るたびに、このよい例だと思うのが、沖縄セルラー電話。携帯電話サービスが始まったとき、既に自動車電話などで移動体通信サービスで長年の実績があったNTTは子会社ドコモを通じて直営で全国展開した。
この市場に新規参入したのが、京セラを母体とするDDI(第二電電)と、トヨタを母体とするIDO(日本移動通信)。IDOが関東と中部地方、それ以外にDDIが地区別の「XXXセルラー」子会社をつくった。
後に、IDOとDDIが統合して全国サービスのauができるのだが(事業会社はKDDI)、この時、沖縄セルラーだけは統合されなかった。地域間同士の行き来が盛んで、参入障壁の少ない「本土」では、ドコモへの対抗上、ブランドを統合してシームレスなサービスを提供しなければならなかったが、本土から遠く離れて文化的にも違いのある沖縄では、地元資本との結びつきが大切で、事実、沖縄セルラーの株主である地元企業のネットワークを活用して、ドコモを上回るシェアを確保していた。現在でも、ドコモ以外のキャリアが累積シェアNo.1なのは、沖縄だけである。
この地元密着を象徴するのが、役員構成。社外取締役には、琉球放送の元社長と、やはり沖縄電力の元社長が入っている。監査役には、沖縄銀行、オリオンビール、琉球銀行のそれぞれ現役もしくは元代表取締役が就いている。いわば、オール沖縄体制。一旦、この体制が作られると、ドコモ・SBといえども、これを崩すのは簡単ではない。
ROE12%、ROA14%と、経営効率は他のキャリア同様高い。自己資本比率は82%もあり、業界トップ。株主のことを考えれば、本業以上の収益など見込むべくもない多角化などにうつつを抜かさず、株主還元に努めるのがよい。
この市場に新規参入したのが、京セラを母体とするDDI(第二電電)と、トヨタを母体とするIDO(日本移動通信)。IDOが関東と中部地方、それ以外にDDIが地区別の「XXXセルラー」子会社をつくった。
後に、IDOとDDIが統合して全国サービスのauができるのだが(事業会社はKDDI)、この時、沖縄セルラーだけは統合されなかった。地域間同士の行き来が盛んで、参入障壁の少ない「本土」では、ドコモへの対抗上、ブランドを統合してシームレスなサービスを提供しなければならなかったが、本土から遠く離れて文化的にも違いのある沖縄では、地元資本との結びつきが大切で、事実、沖縄セルラーの株主である地元企業のネットワークを活用して、ドコモを上回るシェアを確保していた。現在でも、ドコモ以外のキャリアが累積シェアNo.1なのは、沖縄だけである。
この地元密着を象徴するのが、役員構成。社外取締役には、琉球放送の元社長と、やはり沖縄電力の元社長が入っている。監査役には、沖縄銀行、オリオンビール、琉球銀行のそれぞれ現役もしくは元代表取締役が就いている。いわば、オール沖縄体制。一旦、この体制が作られると、ドコモ・SBといえども、これを崩すのは簡単ではない。
ROE12%、ROA14%と、経営効率は他のキャリア同様高い。自己資本比率は82%もあり、業界トップ。株主のことを考えれば、本業以上の収益など見込むべくもない多角化などにうつつを抜かさず、株主還元に努めるのがよい。
・弱者のエリア戦略大都市でビリよりも田舎で一番を目指す地方でも強い会社がある場合は、「一騎打ち戦的エリア」(地理的に分断され、地域の独立性が高く、経済規模が小さい)を狙う。
2018年05月29日
自らを磨き続ける
事業環境は常に変化している。変化に適応した組織にするためには、「学習能力」が必要。
ここまではいいだろう。では、「学習する組織」とは何か?
「目的に向けて効果的に行動するために、集団としての意識と能力を継続的に高め、伸ばし続ける組織」
ここまではいいだろう。では、「学習する組織」とは何か?
「目的に向けて効果的に行動するために、集団としての意識と能力を継続的に高め、伸ばし続ける組織」
「学習する組織」は以下のような構造を持つという。入社後組織としてできることもあれば、個人の性格として、入社後変えるのは難しそうな項目もある。
「自己マスタリー」など、「向上心があるかどうか」と言い換えてもいいが、入社後に目標を見つけて「火が付く」ことはあり得るが、偶然に任せるわけにもいかず、自ら組織に貢献できる目標を見つけて努力する「癖」を持った人材を選ぶことは大事だ。
「システム思考」や「メンタル・モデル」「チーム学習」も、スキルというより個人の志向であるため、成人を越えてからの取得は困難だ。成功している組織が、選考に拘るのも当然だろう。
*チームの中核的な学習能力を形成する「3つの力」と、それらを構成する「5つのディシプリン」〇屬魄蘋する力組織の目的や目的地を明らかにするために必要なもので、チームが学習し、意識や能力を広げ、効果的に行動するための基盤。・自己マスタリー:個人の成長と学習に関するディシプリンで、自身の能力と意識を常に伸ばし続けること。・共有ビジョン:組織のメンバーが共有する未来への憧憬のことで、組織に大きな力を発揮させる原動力となるディシプリン。∧雑性を理解する力複雑な現実がどうなっているか、どうすれば効果的に進めるのか、といったことを理解する。・システム思考:現実の複雑性を理解するため、物事のつながりや全体像を見て、その本質を考えるディシプリン。6α賄に対話する力相手の意見をその人の立場になって聴きつつ探求を求め、自分の思考について内省的に話す。・メンタル・モデル:人の心の奥深くに根ざした前提、一般理論、イメージ、ストーリーで、現実の世界を解釈し、行動する際の思考の枠組みとなるディシプリン。・チーム学習:グループで一緒に探求、考察、内省を行い、メンバー間の関係性の質を高め、状況の共通理解や「合致」の状態を作るディシプリン。
2018年05月28日
お金を持っている社長だけが「人格者」
「数字は人格」というと、野村證券のモットーとして有名だが(今は違う

引き継いだダスキン代理店である株式会社武蔵野を、優良企業に育て上げ、現在ではそのノウハウを指導する「経営サポート事業」が収益の柱となっている。700社上の会員企業というから中小企業向けに限ると後発ながらすでに大手。ユニークな研修としては、3日間で108万円掛かる「社長のかばん持ち」というのがあり、小山社長のかばん持ちを108万円払ってしたいという経営者が現在70人・1年3ヵ月待ちだという。
「キャッシュを作る方法は、〇業で利益を出す、減価償却する、6箙圓ら借り入れる、の3つしかない」ことはない。補助金もあれば増資もある。補助金は1/2補助とか2/3補助など、自己資金も必要なので、これを前提に考えるのは邪道だが、少なくとも、事業計画に基づいた増資は立派な資金調達。中小企業向けの本なので、経営権に関わる増資は選択肢に入っていないようだ。

プロローグ:社員にとっては、お金を持っている社長、数字に強い社長だけが人格者どんなに社員を大切にする気持ちがあっても、お金がなければ社員を幸せにすることはできない。そこをはき違えている社長は、社員やその家族を不幸にする。・いざというときに困らないだけのキャッシュを持つ・そのキャッシュをつくるための数字を理解する39:投資先は「お客様」「社員教育」「インフラ整備」の3つだけただし、緊急支払い能力が月商の1-3倍を割り込む投資は危険67:銀行がお金を貸したくなる体質の会社経営計画書+経営計画発表会+銀行訪問(毎月中旬に午前中20分)117:事業計画経常利益→減価償却(有形固定資産の15%)→人件費→粗利益→経費、の順で考える。130:新規事業は赤字期にやってはいけない赤字事業は撤退もしくは縮小させて、黒字事業に人やお金を振り替える。137:営業は質より量売上額と訪問回数はほぼ一致する。163:「売価」と「仕入値」は社長が決める値上げの決断は、社長にしかできない。幹部や社員に任せると、売上を増やしたくて、利益率が悪くなるのもおかまいなしに値引きする。仕入れ担当者は、業者の担当者にいい顔をしたくて、つい高い価格でOKする。186:仮説検証は演繹法だが、理屈にこだわるあまり、事実を都合のいいように解釈してしまいがち。つまり思い込みが発生しやすい。それに対して、帰納法は暗黙知で、まず事実ありき。先入観なく素直にデータを見られるから、正しい答えを導ける。190:顧客データは、お客様ごとに情報を整理する営業マン単位の日報では、異動したときやチームアプローチに支障。
2018年05月27日
兵道と呪詛
元は、昭和5年から翌年にかけて「東京日日新聞」「大阪毎日新聞」に連載された新聞小説。そして、20年ぶりに復刊された本書。なんと、87年も前なのに、まったく古さを感じさせないというのは先週かいた通り。
幕末の薩摩藩で起こった「お由羅騒動」を軸に話は展開するが、そこに幕末の政治の動きを背景に、男女の個人的話も絡んでくる。いわば、話が三段構えになっていて、娯楽小説として今読んでも面白い傑作になっている。
薩摩藩の兵道(ひょうどう)家である牧仲太郎は、どうして、師の教えに背いてまで、由羅派に協力して斉彬の7人の子供を次から次へと「呪詛」(呪い)し、殺していったのか。最後には、藩主になった斉彬本人も殺してしまう。それは、個人的恨みからではなく、西洋科学を信奉する斉彬に対する、「日の本秘伝の兵道」の底力を示し将来に残したい牧の意地だった、ということになっている。
まず、本当に、斉彬の子供は全員不審死だったのか?不審死だったのかどうか不明だが、正室・側室合わせて5人との間にできた男子7人は全員夭折している。成人したのは娘3人だけで、その全員が弟久光の息子の妻になっている。つまり、いとこ同士の結婚。斉彬と久光は異母兄弟なので、あまり問題はなさそう。
江戸時代の乳幼児死亡率は高く、その後の子供時代まで含めて、成人に達するのは1/2程度と推定されている。斉彬の男子たちは最も長く生きた五男・虎寿丸でも5歳で死んでいるので、それまでの死亡率を仮に1/3として、(1/3)^7=1/2187。この死亡率は庶民も入れた平均推定値なので、栄養状態も衛生状態も良い大名家ではもっと低いだろう。流石に、この確率だと、斉彬派の家臣が不審死を疑うのも当然だと思う。
「西郷どん」では、ヒ素による毒殺説を取っていた。

252:赤山靱負→西郷吉之助「斉彬へ、手紙を書いておいた。お前を、庭番にするようにと(中略)この先、当家を背負って立つ者は、軽輩に多いらしい。その中でも、わたしは、お前を、見込んでいる。」318:西郷吉之助→大久保「益満に、昨日、手紙を出した。(中略)江戸中を荒らしまわってーー人を斬るなりーー押し込みもよい、強奪もよい。とにかく、江戸中を騒がせて、見たの御邸へ隠れるのじゃ。(中略)幕府は黙っていまい。人数を向けよう。それを口実に戦うのだ。討幕の挙は、口火さえつけば、一挙に爆発するであろう」512:牧仲太郎斉彬の異国化学が勝つか、日の本秘伝の兵道が勝つか?598:仙波小太郎「益満の企ても、国許の方々の企ても、調所の利殖しておいた金子があればこそじゃ。斉彬公は強兵よりも、富国の策を根本の大事とされたが、いかにももっともじゃ」
2018年05月26日
エピローグ 科学としての人類史
本書の主張をまとめると、「人類の長い歴史が大陸ごとに異なるのは、それぞれの大陸に居住した人々が生まれつき異なっていたからではなく、それぞれの大陸ごとに環境が異なっていたらから」(p365)ということになる。いわゆる、「環境決定論」だ。
環境の中でも人類の発展に決定的影響を与えた要因とされるのが次の4つである。
〆惑櫺修箍斑棆修慮補となりうる動植物種の分布状況の違い
〆惑櫺修箍斑棆修慮補となりうる動植物種の分布状況の違い
食料生産の実践→余剰作物の蓄積→非生産者階級の専門職&大規模集団の形成→軍事的優位
伝播や拡散の速度を大陸ごとに大きく異ならしめた要因
速度が最も速かったのは東西方向に伸びるユーラシア大陸
0曚覆訛舂Υ屬任療素
ユーラシア大陸→サハラ近縁への伝播は容易 X南北アメリカ大陸
い修譴召譴梁舂Δ梁腓さや総人口の違い
面積の大きな大陸や人口の多い大陸(ユーラシア大陸)では、何かを発明する人間の数が相対的に多く、競合する社会の数も相対的に多い。利用可能な技術も相対的に多く、技術の受け入れをうながす社会的圧力もそれだけ高い。
ここで不思議なのが、先行した「肥沃三日月地帯」はなぜその後遅れていったかと、世界最大の大帝国を築いた中国が、なぜ侵略する側に回らず、逆にヨーロッパの侵略を許したかである。紀元前8500年から西暦1450年の1万年間で、社会の発達が最も遅れていたのがヨーロッパであり、「ヨーロッパの社会は、技術を提供する側ではなく、地中海地方東部や肥沃三日月地帯や中国の進んだ技術を受け容れる側」であったのだ(p374)。
まず、前者については、「資源の枯渇」を指摘している。
376:古代において、ギリシアを含む地中海地方東部及び肥沃三日月地帯のほとんどは森林におおわれていた。それが、風化の進んだ砂漠地帯や灌木地帯へと変わっていった過程については、古植物学者と文化人類学者によって解明されている。この地域の森林は、農地を広げるために開墾されたり、建築用や燃料用、加工用製材として伐採されていった。降雨量が少なく、降雨量に比例する森林再生率が低かったために、破壊に追いつくスピードで伐採跡地に草木が茂ることはなかった。
次に、「なぜ中国は、自分たちよりも遅れていたヨーロッパにリードを奪われてしまったのか?」なのだが、この理由が面白い。よく知られているように、中国は紙や火薬などを発明するなど科学分野で長年世界をリードしていた。それだけでなく、1405〜1433年に7回大艦隊をアジア各地から中東にまで派遣している(鄭和の南海遠征)。
そのまま続ければ、ヨーロッパに到達したかもしれないが、その後は中国宮廷内の権力闘争の影響で中止される。宦官派(鄭和)とその敵対派の抗争で、敵対派が勝利したためだった。当時世界最大の船を造った造船所は解体され、外洋航海も禁止された。政治的に統一されていたために、ただ一つの決定によって、中国全土で船団の派遣が中止されたのである。ただ一度の一時的な決定のために中国全土から造船所が姿を消し、その決定の愚かさも検証できなくなってしまった。(p380)
そのまま続ければ、ヨーロッパに到達したかもしれないが、その後は中国宮廷内の権力闘争の影響で中止される。宦官派(鄭和)とその敵対派の抗争で、敵対派が勝利したためだった。当時世界最大の船を造った造船所は解体され、外洋航海も禁止された。政治的に統一されていたために、ただ一つの決定によって、中国全土で船団の派遣が中止されたのである。ただ一度の一時的な決定のために中国全土から造船所が姿を消し、その決定の愚かさも検証できなくなってしまった。(p380)
381:中国の宮廷が禁じたのは海外への大航海だけではなかった。たとえば、水力紡績機の開発も禁じて、14世紀にはじまりかけた産業革命を後退させている。世界の先端を行っていた時計技術を事実上葬り去っている。中国は15世紀以降、あらゆる機械や技術から手を引いてしまっているのだ。政治的な統一の悪しき影響は、1960年代から70年代にかけての文化大革命においても噴出している。現代中国においても、ほんの一握りの指導者の決定によって国じゅうの学校が5年間も閉鎖されたのである。
習近平国家主席は「中華民族の偉大なる復興」を掲げて強力な指導体制を発揮している。かつては、「銃・病原菌・鉄」が民族の運命を決めた。これからの要因になるのはなんだろう?「核兵器・生物兵器・AI」なのか?

2018年05月25日
第4部 世界に横たわる謎
家畜の果たした役割が大きい。人類の長い歴史の中で家畜化できた大型動物は、十数種類に限られる。「ユーラシア大陸では、13種の大型動物が、肉や乳といった動物性たんぱく質、羊毛、そして毛皮の供給源として飼育されていた。人を運んだり、荷物を運搬する手段として活躍していた。戦場で欠くことのできない軍用動物にもなっていた。鋤を牽いたり、肥料を生みだしたりして農業生産にも大きく貢献していた」のに対し、アメリカ大陸で家畜化されていたのは、ただ一種。ラマ/アルパカだけである。
それは、主として、南北アメリカ大陸の大型動物が更新世末期に絶滅したことによるらしい。新大陸には、馬も、牛も、豚もいなかったのだ。それらの動物がもし絶滅してなければ、人類史は違った可能性があるという。つまり、アステカ軍が騎馬隊を持っていれば、1519年にメキシコに上陸したコルテスに勝てたかもしれない。家畜と暮らしていれば、新大陸特有の病原菌が発達して、スペイン軍のほうが感染症で全滅したかもしれないのだ。
かくも、家畜が人類史に果たした役割は大きい。

(帝国書院)
226:中国はいかにして中国になったのか紀元前の1000年間に書かれた記録を見ると、中国民族がすでに、中国人以外を「野蛮人」とみなし、自分たちより文化的に劣っていると思っていたことがわかる。また、同じ中国人のあいだでも、北部の人たちが南部の人たちを野蛮人と見下す傾向にあったことがわかる。248:オーストロネシア後の祖語言語学的証拠と考古学的証拠は、中国南部沿岸から広がり始めた人間集団が台湾に最初に入植し、そのあとで、台湾から広がっていってフィリピンやインドネシアに入植したことをはっきりと示している。272:アメリカ先住民の食料生産南北アメリカ大陸では、ただ一種の大型動物が家畜化されていただけである。アンデス地方とその近隣のペルー沿岸で飼われていたラマ・アルパカは、肉や、毛皮や、毛織物の原材料の供給源であったし、荷役の運搬手段ではあったが、人を乗せて運ぶことはなかった。荷車や鋤を牽くこともなかった。動力源として活躍することもなかった。軍用動物として戦いに参加することもなかった。284:主要な発明・技術の登場コロンブスがアメリカ大陸を発見した当時、ユーラシア大陸の人々は食料の生産においても、さまざまな感染症に対する抵抗力においても、南北アメリカ大陸の先住民よりはるかに有利な立場にたっていた。武器をふくむ技術力においても、政治システムや文字システムにおいても、はるかに優位にあった。このちがいが、両大陸の社会の出会いの結末を決定づけた主たる要因だったのである。310:最初のうちヨーロッパ人たちは、コロンブスが1492年に上陸した西インド諸島に移り住んだ。そして、「発見」当時、100万人以上いたと思われる西インド諸島の人口は、ヨーロッパ人のもたらした疫病にやられてしまったり、戦争で殺されてしまったり、行きずりの殺人の犠牲になってしまったりして、ほとんどの島で急速に減少してしまった。
2018年05月24日
第3部 銃・病原菌・鉄の謎
大量破壊兵器の発達と、医学の発達の両方で、現在では戦争になれば兵器にやられて死ぬものだと思っているが、「第二次世界大戦までは、負傷して死亡する兵士よりも、戦場でかかった病気で死亡する兵士のほうが多かった」というのは興味深い。「過去の戦争で勝利できたのは、たちの悪い病原菌に対して免疫を持っていて、免疫のない相手側にその病気をうつすことができた側」なのだ。
アメリカの西部開拓時代、白人は交戦的なアメリカ先住民に、天然痘の患者が使っていた毛布を贈って殺すということもしている。実際、これで多くの部族が壊滅した。ヨーロッパの都市では、集団感染症で亡くなる住民減を補うために、健康な農民が地方から絶えず都市に流れ込んでいたという。ヨーロッパの都市人口は中世をとおして増えたり減ったりで変わらなかったが、実情はこういうこと。都市人口が継続的に増えだしたのは20世紀に入ってからである。
377:農業・都市の勃興と集団病病原菌は、農業が実践されるようになってとてつもない繁殖環境を獲得したといえる。しかし、病原菌にもっと素晴らしい幸運をもたらしたのが都市の台頭だった。都市生活者は、農民よりもさらに劣悪な衛生環境で密集して暮らしていたからである。ヨーロッパの都市では、集団感染症で亡くなる住民減を補うために、健康な農民が地方から絶えず都市に流れ込んでいた。14:文字は、はるか遠く離れた世界についての知識をわれわれに教えてくれる。昔の出来事をわれわれに伝えてくれる。また、大量の知識を正確に伝達することができる。(中略)ヨーロッパ人が南北アメリカ大陸、シベリア、そしてオーストラリアを征服したことは、文字が知識をもたらし、知識が力をもたらすことを如実に示している。67:あの時、あの場所で、あの人が生まれていなかったら、人類史が大きく変わっていたというような天才発明家は、これまで存在したことがない。功績が認められている有名な発明家とは、必要な技術を社会がちょうど受け容れられるようになったときに、既存の技術を改良して提供できた人であり、有能な先駆者と有能な後継者に恵まれた人なのである。84:文字は、天然素材を観察しているうちに自然発生的に誕生するものではない。したがって発明としては土器よりも難しく(中略)、発祥地は世界に数か所しかない。アルファベット文字に関しては、まったく独自に発明されたのは、人類史上、一度だけである。このほかにも発明がむずかしい例としては、水車、回転式碾き臼、歯車、磁針、風車、写真術などがある。これらは、新世界ではまったく発明されていない。旧世界でも一度か二度発明されただけである。126:宗教と権威の結びつきは、エリート階級による富の取得を正当化した。それ以外に、個の結びつきは、次の二点において首長社会の利益となった。ー匆饒澗里念譴弔僚ゞ気魘νすることによって、赤の他人同士が、互いに殺し合うことなく一緒に暮らすための下地。遺伝子的な利己心とは異なる、他の人々のために事故を犠牲にする行為の実践を民衆に動機づけ、戦場で命を落とす兵士の犠牲のもとに、武力による征服や抗戦を社会全体として効果的におこなえるようにした。
2018年05月23日
第2部 食料生産にまつわる謎
ある人間集団による他の人間集団の征服を可能にする直接の要因が、「銃、馬、病気など」であることは第1部で見た通り。では、どうして、ある地域ではこれらを持つようになり、他の地域では持たなかったのか?
その結論が、「大陸の陸塊がどちらの方向に伸びているか」という、スケールは大きいものの、単純な答えであることに驚く。この究極の要因からいくつかの因果関係を経由して、ある人間集団による他の人間集団の征服を可能にする直接の要因が発生したのだ。


154:食用にすることのできる数少ない動植物を選んで育てれば、それらが1エーカーあたり0.1%ではなく90%を占めるようになり、結果的に1エーカーあたりの産出カロリーを高めることができる。したがって農耕民は、土地を耕し家畜を育てることによって、1エーカーあたり、狩猟採集民のほぼ10倍から100倍の人口を養うことができる。この数字は、食料を自分で生産できる人々は、当初から狩猟採集民よりも人数面において軍事的に優位であったことを示している。178:一歩の差が大きな差へ食料生産を独自に始めた地域は世界にほんの数か所しかない。それらの地域においても、同じ時代に食料生産がはじまったわけではない。食料生産は、それを独自に開始した地域を中核として、そこから近隣の狩猟採集民のあいだに広まっていった。その過程で、中核となる地域からやってきた農耕民に近隣の狩猟採集民が侵略され、一掃されてしまうこともあった。185:農耕を始めた人と始めなかった人紀元前8500年頃には、メソポタミアの肥沃三日月地帯で食料生産がはじまっていたが、気候的にも地形的にも似ているヨーロッパ西部では、その3000年後の紀元前5500年頃になるまではじまっていない。186:すべての食料生産者が狩猟採集民より快適な生活を送っているわけではない。今日、狩猟採集民より快適な生活を送っている食料生産者は、裕福な先進国にしか存在しない。(中略)しかし、世界の食料生産者の大部分は、貧しい農民や牧畜民によって占められているのだ。187:多くの地域において最初の農耕民になった人々は、狩猟採集民より体のサイズが小さかった。栄養状態もよくなかった。ひどい病気にもかかりやすく、平均寿命も短かった。244:肥沃三日月地帯での食料生産メソポタミア文明の出発点は、農耕と家畜の飼育にさかのぼる。この文明は、食料生産の実践が人口の稠密な人間集団の形成を可能にし、余剰食料の貯蔵・蓄積によって非生産者階級の専門職を社会的に養うゆとりができた結果として誕生した。341:東西方向への伝播はなぜ速かったか肥沃三日月地帯の作物は、どうしてそんなに速い速度で伝播していったのだろうか。(中略)ユーラシア大陸が東西の方向に横長であることが影響している。東西方向に経度が異なっても緯度を同じくするような場所では、日の長さの変化や、季節の移り変わりのタイミングに大差がない。354:大陸が東西に広がっていること、あるいは南北に広がっていることは、農業の伝播のみならず、技術や発明の広がっていく速度にも影響をおよぼした。たとえば、紀元前3000年頃に西南アジア付近で発明された車輪は、またたくまに東西方向に広がり、数世紀もたたないうちにユーラシア大陸の大半の地域で見られるようになった。ところが、先史時代のメキシコで独自に発明された車輪は、南米のアンデス地方にまで南下していない。紀元前1500年までに肥沃三日月地帯の西部で使われるようになったアルファベット文字は、1000年もたたないうちに、西はアフリカ大陸北岸のカルタゴまで、東はインド亜大陸まで伝わっているが、先史時代の中米で少なくとも2000年にわたって栄えた表記法がアンデスにまで伝わることはなかった。
2018年05月22日
第1部 勝者と敗者をめぐる謎
第一部では、「何が勝者と敗者を分けたのか」その直接原因に迫る。アメリカ先住民がヨーロッパを植民地化したのではなく、ヨーロッパ人が新世界を植民地化したのはなぜなのか?
結論から言うと、それが本書のタイトルでもある「銃・病原菌・鉄」ということになる。ヨーロッパ人は「銃・病原菌・鉄」を持っていて、新大陸の原住民はこれらを持っていなかった。スペインの征服者ピサロがたった168人でインカ帝国を滅ぼした直接の要因は、「銃器・鉄製の武器、そして騎馬などにもとづく軍事技術、ユーラシアの風土病・伝染病に対する免疫、ヨーロッパの航海技術、ヨーロッパ国家の集権的な政治機構、そして文字を持っていたこと」なのである。
この他、世界各地でヨーロッパ人は競い合って植民地化していった。その過程で、数え切れないほどの虐殺が行われたが、ヨーロッパ人が同時にもたらした天然痘をはじめとしてインフルエンザ、チフス、腺ペスト、その他の伝染病による死者のほうがはるかに多かったというのは興味深い。征服者も労働力として原住民が必要だったので、奴隷にするため一般人まで殺すつもりはなかったが、原住民の大半が免疫のない伝染病で死に絶えた。
また、ヨーロッパ人がもたらした銃をいち早く取り入れた好戦的な民族が、平和的な周辺の他民族を征服してしまうこともあった。日本でも、いち早く鉄砲隊を取り入れた織田信長が天下統一を果たしたが、太平洋ではもっと悲惨な出来事もあったようだ。NZのマオリ族は同じポリネシア人の祖先から分化したモリオリ族を絶滅させてしまった。
「われわれは、自分たちの慣習に従って島を征服し、すべての住民を捕まえた。逃げ延びた者は一人もいない。逃げた者は捕まえて殺した。残りの者も殺した。それがどうしたというのか。我々は、自分たちの慣習に従って行動したまでである」(マオリ族の兵士)
モリオリ族は小さな孤立した狩猟採集民のグループであり、「もめごとは穏やかな方法で解決するという伝統」にのとって会合を開き、無抵抗を決めた。しかし、そんなものは、マオリ族の慣習にはないものだった。
和平も相手を見て行わないといけない。

(NZ代表ラグビーチームが試合前に踊るHAKAはマオリ族の戦いの踊り)https://www.newzealand.com/jp/feature/haka/
95:マオリ族とモリオリ族1835年11月19日、NZの東500マイルのところにあるチャタム諸島に、銃や棍棒、斧で武装したマオリ族500人が突然、船で現れた。12月5日には、さらに400人がやってきた。彼らは「モリオリ族はもはやわれわれの奴隷であり、抵抗する者は殺す」と告げながら集落の中を歩き回った。数の上で二対一とまさっていたモリオリ族は、抵抗すれば勝てたかもしれない。しかし彼らは、もめごとはおだやかな方法で解決するという伝統にのっとって会合を開き、抵抗しないことに決め、友好関係と資源の分かち合いを基本とする和平案をマオリ族に対して申し出ることにした。しかしマオリ族は、モリオリ族がその申し出を伝える前に、大挙して彼らを襲い、数日のうちに数百人を殺し、その多くを食べてしまった。生き残って奴隷にされた者も、数年のうちにマオリ族の気のむくままにほとんどが殺されてしまった。122:スペイン人とインカ帝国の激突1532年11月16日にスペインの征服者ピサロとインカ皇帝アタワルパがペルーの北方の高地カハマルカで出会った。アタワルパはアメリカ大陸で最大かつもっとも進歩した国家の絶対君主であった。(中略)そのときピサロは、168人のならず者部隊を率いていたが、土地には不案内であり、地域住民のこともまったく分かっていなかった。(中略)一方、アタワルパは何百万の臣民を抱える帝国の中心にいて、他のインディアン相手につい最近勝利したばかりの8万の兵士によって護られていた。それにもかかわらず、ピサロは、アタワルパと目をあわせたほんの数分後に彼を捕らえていた。そして、その後の八か月間、アタワルパを人質に身代金交渉をおこない、彼の開放を餌に世界最高額の身代金をせしめている。しかもピサロは、縦22ft、横17ft、高さ8ftの部屋を満たすほどの黄金をインディオたちに運ばせたあと、約束を反故にしてアタワルパを処刑してしまった。132:アタワルパの輿を捧げていたのは、全員身分の高い首長や参議であったが、彼らも全員殺された。輿や吊り寝台の中にいた者も全員殺された。カハマルカ卿も殺されてしまった。他の参議も殺されてしまった。アタワルパに付き添っていた者が身分の高い者だったので一人残らず殺されてしまったのである。139:馬は、紀元前4000年頃、黒海北部の大草原で飼いならされるのとほぼ時を同じくして、それまでの戦いのあり方を一変させている。人々は馬を持つことによって、自分の足だけが頼りだった時よりもはるか彼方まで移動できるようになった。奇襲攻撃も可能になったし、敵方の精鋭部隊の反撃の前に引き揚げることができるようにもなった。馬は黒海周辺で最初に導入されてから、あらゆる大陸に広がっていった。そして馬は、二十世紀初頭にいたるまでの6000年のあいだ、戦場における有効な武器であった。141:疫病に免疫のある人たちが免疫のない人たちに病気をうつしたことが、その後の歴史の流れを決定的に変えてしまっている。天然痘をはじめとしてインフルエンザ、チフス、腺ペスト、その他の伝染病によって、ヨーロッパ人が侵略した大陸の先住民の多くが死んでいるのだ。たとえば、アステカ帝国は、1520年のスペイン軍の最初の侵攻には耐えているが、その後に大流行した天然痘によって徹底的に打ちのめされた。
2018年05月21日
1万3千年にわたる人類史の謎
あちこちで引用される現代の名著。1998年ピューリツァー賞受賞作というから原著が出版されてから20年になる。「識者が選ぶ朝日新聞”ゼロ年代”の50冊」(2000-2009年に出版された本が対象)で堂々の一位に選ばれたので、読んだ方は多いと思う。遅ればせながら、文庫本で読んでみる。
本書で筆者が問いかけるのは、なぜ人類は世界のさまざまな場所でそれぞれに異なった発展をとげてきたか、ということだ。
「世界には氷河期が終わってからの1万3000年間に、文字を持ち、金属製の道具を使い、産業を発展させた社会が生まれた地域がある。文字を持たない農耕社会しか登場しなかった地域もある。また、石器を使って狩猟採集生活を送る社会がずっと続いていた地域もある。こうした歴史的な不均衡は、現代の世界にも長い影を投げかけている。それは、金属器と文字を持つ社会が、金属器も文字も持たない社会を征服し、あるいは絶滅させてしまったためである」(プロローグ)
1937年ボストン生まれの生理学者、進化生物学者、生物地理学者という筆者はハーバード大学とケンブリッジ大学で博士号を取得。現UCLA教授。奥さんは日本人という。
大著なので、4部に分けて紹介したい。

(本書のカバーになっている Sir JohnEverett Milais, Pizarro seizing the Inca of Peru, 1845
絵では流血の一つもないが、実際は、インカ王アタワルパの輿を挙げていた高官と従者は全員殺された)
26:紀元前1万1000年、最終氷河期が終わった時点では、世界の各大陸に分散していた人類はみな狩猟採集生活を送っていた。技術や政治構造は、紀元前1万1000年から西暦1500年のあいだに、それぞれの大陸ごとに異なる経路をたどって発達した。28:さまざまな民族のかかわりあいの成果である人類社会を形成したのは、征服と疫病と殺戮の歴史48:人類の多様性現存している世界の6000種の言語のうち、1000種はニューギニアでしか使われていない。
2018年05月20日
ハードウェアのシリコンバレー
著者は2001年から深圳で電子機器製造に従事し、2011年にEMS企業JENESIS(ジェネシス)を現地で創業した方。
広東省深圳市は中国の南部、香港のすぐ北に位置する都市だ。統計によると、現在の人口は1400万人。北京市、上海市、広州市と並ぶ中国の四大都市の一角。この街は、「ハードウェアのシリコンバレー」と呼ばれている。世界中のソフトウェア・エンジニアがシリコンバーに集まるように、深圳には世界中からハードウェアの開発者たちが集まる。それは、深圳に電子機器産業において世界一にサプライチェーンがあるからだ。設計、認証、基板実装、部品調達、組立、物流にいたるまで、ハードウェアの開発・製造に必要なものすべてが車で一時間以内にあるという。
一人一人は超合理的で情に流されない中国人だが、深圳全体を見てみるとエコシステムという形で人の力を借りて生きる世界が生まれている。日本は真逆だ。一人一人の人間は親切だが、全体を見てみるとバラバラ。協力することなく、ばらばらに動いている。(おわりに)という指摘は興味深い。16年間にわたる深圳での仕事で、数々の辛酸も舐めてきた筆者だが、結論がこれなのだ。アダム・スミスの「神の見えざる手」を彷彿させる。

10:2001年当時、「白牌」(ノンブランド)を製造する企業はほとんどが台湾や香港の企業だったが、製造拠点そのものは深圳に移っていた。台湾、香港企業がODM(開発・製造委託)、そしてその下で組み立てを担当する深圳工場がOEM(受託製造)という役割分担だった。21:アイディアが固まれば後は早い。企画案を固め、ブロック図(基本構成要素や機能をブロックで示したもの)を書けば、後はODM企業に投げるのだ。アイディアを具体的な試作品に落とし込むのは彼らの仕事である。79:中国企業との取引5か条,垢戮討鮴悪説で考えなければならない指示通りのものができない、約束が守られないのは当たり前。向うができない、やってくれないことを前提に計画する。現金の着金がすべて中国での取引は、現金かつ前金がすべて。契約書も発注書も意味がない。部品を買うのも、設計を依頼するのも、手付金を支払わなければ始まらない。そして一度払った金は契約が履行されたかどうかにかかわらず、決して返ってこない。6謀戮僕弋瓩魏,敬佞韻覆100点を求めない。到達可能なゴールを明示する。とてもできそうにない目標、あるいは割に合わない要求だと向うが判断した場合、逆ギレするかトンズラする。し茲靴動里修Δ砲靴覆中国人はメンツを重んじる。相手のメンツを潰さないように常に配慮する。ゲ室蠅肪誉擇蕕覆どうしてもその価格が飲めないのならば、発注数を増やす、付属品を減らす、要求品質を下げるなど条件を細かく見直す。さもなくば、なにげないお願いで節約した以上の損害を被る。中国人とのビジネスは一回一回が勝負。向うは「この先の付き合いを考えてサービスする」などという概念は存在しない。一回ごとの取引で必ず利益を出そうとする。おわりに:日本のスタートアップへのアドバイスハードウェアの性能は必要最小限に抑える。主体であるサービス、コンテンツ、BMを実現する。
2018年05月19日
お由羅騒動
今年の大河ドラマ「西郷どん」にも冒頭出てきた「お由羅騒動」。藩主・島津斉興の愛妾お由羅の方はわが子久光を藩主の座につけたい。そうなれば、藩主の母として権力を揺るがないものにできる。本来、とっくの昔に藩主を継ぐはずの斉彬は父斉興が嫌っていて、40を超えるというのにまだ藩主になれないでいる。
斉彬に子ができると、世襲第一の大名家で斉彬の勢いが増す。これを恐れたお由羅は、兵道家・牧忠太郎に命じて、誕生した斉彬の子供を次々と呪い殺す。子供4人が次々と謎の病気で早世したため、斉彬の藩主就任を願う藩内の斉彬派と、斉興・お由羅派の間で「お家騒動」が起こる。
このお由羅騒動を題材にして昭和の初めに大ヒットしたのが本書。戦前の作品だが(1930-31)、まったく違和感なく読めるのにびっくり。明治期の作品は読むのに骨が折れるが、昭和に入るころには、ほぼ現在と同じ口語文体になっていたようだ。
直木三十五は、1891年大阪の生まれ。本名・植村宗一。早稲田大学英文科中退。1923年、菊池寛が創刊した『文芸春秋』に参加して文壇ゴシップ欄を担当。毒舌で人気になったという。その後、『南国太平記』などの成功で流行作家となった。筆名は本名の一字「植」を2分して直木,年齢に応じて三十一,三十二,三十三と変更,以後三十五を名のったということ(笑)。1934年に亡くなった後、菊池寛の発意で翌年、大衆文学を対象とした文学賞「直木賞」が設定された。(コトバンク「ブリタニカ国際大百科事典」)

(早稲田ウィークリー「早稲田偉人列伝」から)
16:当主斉興の祖父、島津重豪は、英傑にちがいなかった。彼はシーボルトが来ると、第一に訪問した。それから、大崎村に薬草園を作ったし、演武館、造士館、医学院、明時館の設立、それによって、南国偏僻の鹿児島が、どんなに進歩したか?彼自らは「琉球産物誌」「南山俗語考」「成形図説」を著し、洋学者を招聘し、鹿児島の文化に、新彩を放たしめたが、しかし、それはことごとく、多大の金のかかることであった。17:斉興は、茶坊主笑悦を、調所笑左衛門と改名させて登用し、彼の献策によって、黒砂糖の専売、琉球を介しての密貿易を行って、極度の藩財政の疲弊を、あざやかに回復させた。344:わしが、この藩財を立て直す時には、三十か年かかると思うた。(中略)それから江戸、大阪、鹿児島と三か所を、年中廻って、30年が、20年でこれだけになった。三か所に積んだ軍用金が380万両、日本中を敵として戦っても3年、5年のほどは支えられよう。
2018年05月18日
北海道が中国32番目の省になる⁉
世界の土地所有制度を見ると、およそ三つに分かれている。ヽ姐饋佑土地を所有できない(ミャンマー)、土地の流通がほとんどなく、事実上、外国人が土地を所有できない。売買されているのは賃借権(イギリス)、3姐饋佑療效禄衢に制限がある(フィリピン)。
日本のように外国人であっても自由に土地を売買できるのは、フランスやアメリカなど先進国でも一部に限られるが、日本の場合の最大の問題は、土地を売買しても「登記の義務がない」ということだ。なので、外国人所有実態に限らず、実態の把握ができないので、相続が起こると「所有者不明」という事態が起こる。所有者不明の土地は既に410万ヘクタールで九州の面積を上回るという。
2005年に札幌第一合同庁舎で開かれた、国土交通省と北海道開発局が主催した「北海道夢未来懇談会」では、北海道チャイナワークの張代表が「北海道人口1000万人戦略」と題して基調講演を行っている。
’昔喊綮唆箸箏築業を中心に海外から安い労働力を受け入れる
∨務て仔伴の入国管理法を制定し、海外から人を呼び込む
授業料の安い様々な大学を設立し、世界から学生を募集する
中国メディアでは、「北海道は10年後には中国の32番目の省になる」と予想されているそうだ。中国では土地の私有が認められていないので、環境が良くて、自由に売買できる北海道の土地に目をつけるのは当然だろう。

*密かに、かつ着実に進められる、中国資本による大規模な土地買収。・北海道の森林や農地、観光施設など広大な不動産が、中国資本に買い取られている。・中国資本は、水源地や資源がある場所を狙うように買収を進めている。・日本の土地法制化では、土地の取得は国籍を問わず誰でもできる。しかも登記の義務はない。・中国人が個人で日本法人を立ち上げ、土地を買収するケースが増加。入国管理制度を利用して在留期間を更新し、やがて永住権を取得。
2018年05月17日
日本ことわざ文化学会
筆者は「日本ことわざ文化学会」会長だという。どれだけ会員がいるのか知らないが、こうした筆者いうところの「庶民哲学」のようなマイナーなことに情熱を燃やすというのはいかにも早稲田らしい(文学部卒)。
「ことわざが言っている中身は社会生活や人間のありようなどを主に森羅万象に及んでいる。庶民の哲学とみなすのは一つひとつのことわざを口にしたのは無数ともいえる名もなき庶民であり、彼らの多種多様な思い・気持ち・考え・批評・認識などの結晶がことわざに表現されていると考えられるからだ」(はじめに)
日本には古代から現代まで5万以上のことわざがあるそうで、世界の国々にも同様にある。ドイツには25万を収録することわざ辞典もあるらしい。「世界のことわざの総数は計り知れない」
この辺りはかろうじて知っているが、もう何十年も使っていない。「おけら」など、身近にいなくなれば、言っても理解されないので早晩忘れされられる運命にある。
「疾風勁草を知る」激しい風にさらされることによって、はじめて強い草であることがわかる。人間も同様で、逆境に遭遇してその人が乗り越える力を備えているか否かがわかる。中国の古典に基づく。「這っても黒豆」言い争いに負けても自分の非を認めず、自説を主張するような極め付きな頑固者に対する譬え。「おけらの水渡り」ものごとを途中で止めてしまうことの譬え。おけらとは、コオロギに似た体長3cmほどのバッタ類の昆虫。普段は地中にいるが、水の上を泳ぐこともできる。しかし、すぐに泳ぎを止めてしまうことから。
2018年05月16日
ガリヴァーから『パシフィック・リム』
太平洋の名前は、史上初の世界周航に出かけたマゼランが、南米の最南端の荒れた海峡(現マゼラン海峡)を抜けた時、穏やかな海が広がっていたので"Mare Pacifico"「平穏な海」と呼んだことに由来する、というところまでは高校の世界史で誰もが知っているところ。
この「太平洋」を舞台にした小説や映画さらにノンフィクションを論じた本。副題に、「ガリヴァーから『パシフィック・リム』まで」とある通り、スティーヴンソンの『ガリヴァー旅行記』(1726)から始まり、映画『パシフィック・リム』(2013)まで縦横無尽に描く。
大きくは、\祥里砲茲訛席人里糧見→⊃¬叡浪就F鄲席人里悗慮諺暸じ什澆痢嵎弧晴宗廖塀藉に捕鯨船員が持ち込んだ疫病とアルコールで現地人が激減し、植民地支配下で中国人苦力を導入。フランス人、中国人、現地人の混血進む)という流れ。
『パパラギ』は話題になった1980年代に読んだ覚えがあるが、ドイツ人による「でっち上げ」であったとは!ドイツが植民地にしていたサモアの酋長が言ったという形を取って、自分の西洋文明批判の主張をしたのだ。しかも、元は第一次世界大戦の敗北によって植民地を失った同胞ドイツ人に向けて書かれ、なぜかそれが60年も経って1981年に日本語に翻訳されたときは、開高健や村上龍から天声人語までが称賛した。「誤解」というのは、面白い。
この「太平洋」を舞台にした小説や映画さらにノンフィクションを論じた本。副題に、「ガリヴァーから『パシフィック・リム』まで」とある通り、スティーヴンソンの『ガリヴァー旅行記』(1726)から始まり、映画『パシフィック・リム』(2013)まで縦横無尽に描く。
大きくは、\祥里砲茲訛席人里糧見→⊃¬叡浪就F鄲席人里悗慮諺暸じ什澆痢嵎弧晴宗廖塀藉に捕鯨船員が持ち込んだ疫病とアルコールで現地人が激減し、植民地支配下で中国人苦力を導入。フランス人、中国人、現地人の混血進む)という流れ。
『パパラギ』は話題になった1980年代に読んだ覚えがあるが、ドイツ人による「でっち上げ」であったとは!ドイツが植民地にしていたサモアの酋長が言ったという形を取って、自分の西洋文明批判の主張をしたのだ。しかも、元は第一次世界大戦の敗北によって植民地を失った同胞ドイツ人に向けて書かれ、なぜかそれが60年も経って1981年に日本語に翻訳されたときは、開高健や村上龍から天声人語までが称賛した。「誤解」というのは、面白い。
9:「平和の海」という幻想マゼランはポルトガル人だが、スペイン王の援助を受け、1519年8月、セビリアから世界周航の旅に出発した。1520年11月に、南米の最南端の荒れた海峡を船団が通り抜けると、そこには穏やかな海が広がっていた。「平穏な海」という名前が与えられた。(中略)マゼランは、フィリピンのセブ島近くのマクタン島で起きた戦闘で亡くなり、出港地のスペインには戻れなかった。22:海外に乗り出す点で後発国であったイギリスは、北アメリカのニューファンドランド島から東海岸沿いの北西航路を探求した。そうした探検家の一人ヘンリー・ハドソンが、ディスカバリー号で三度の航海をおこない、1610年にハドソン湾を発見した。その後1670年に、ビーバーなどの毛皮貿易のための「ハドソン湾会社」が設立される。途中で小売会社に転身し、デパートなどを持つ企業体として、現在まで存続している。東インド会社などよりも生きながらえた勅許会社なのである。140:こうした(『宝島』の)スティーヴンソンに憧れた作家に中島敦がいた。中島は喘息の病気の中で、健康対策と現地手当の給与加算を求めて、南洋庁で働くためにやってきたのだが、自分とスティーヴンソンを重ねているのは間違いない。妻に宛てた1941年10月1日付の手紙で「僕は今迄の島でヤルートが一番好きだ。一番開けていないで、スティヴンスンの南洋に近いからだ」と述べている。143:ゴーギャンとタヒチ幻想スティーヴンソンは、1888年から三度南太平洋を旅行し、最後は94年に西サモアの邸宅で亡くなった。それに対して、画家のポール・ゴーギャンの一度目のタヒチ滞在は1891年から3年にかけて、帰らぬ旅となる二度目が95年からで、タヒチからマルケサス(マルキーズ)諸島へと移った。(中略)ゴーギャンの時代には、すでにタヒチは混血や文化の混交が進んでいた。159:文明批判の道具としての先住民同工異曲に見える先住民の声による警告本や説教本のフォーマットを作ったのが、サモアに滞在した経験を持つドイツ人エーリッヒ・ショイルマンによる『パパラギ』(1920)だろう。ドイツ語で書かれていて、スイスで戦後に復刊されたものが、日本でも1981年に翻訳され、たちまち人気を得た。再版の帯には、開高健や村上龍から天声人語までの賛辞が連ねられている。241:イエローペリルタヒチにおいて、北杜夫は中国人が帳場を預かるホテルに泊まり、中国料理店で食事をしていた。そして、「タヒチにはもはや純潔のタヒチ人はいない。すべて、中国、フランスとの混血である」と断定している。タヒチに疫病とアルコールを捕鯨船員が持ち込んだせいで、人口が激減してしまった。そこでコプラ生産に必要な労働力を補うために、1860年代に中国人の苦力が香港から連れてこられた。その後、中国人たちは島の商業を握るようになっていく(池田節雄『タヒチ』)
2018年05月15日
チームの生産性を最大化する
「合う、合わない」「理解できる、理解できない」というのが、思考特性の違いにあるというのは誰もが経験している。均質的な組織のほうがツーカーで分かるので、居心地がいいのだが、皆が同じ思考をすると問題を見逃し、大失敗をする可能性が高い。名著『失敗の本質』でも、優秀な人材がたくさんいた旧軍が戦争に敗れた一因をそう分析している。
そこで、Diversity Management(自分とは違ったものの見方を認め、活用する)が重要になってくるのだが、この分野でやはり先行しているのは移民国家であるアメリカ。EMERGENETICSは、脳科学の理論と70万人以上の統計を基にして、アメリカで開発された、人間の行動特性と思考特性を分析するツールだという。
そこで、Diversity Management(自分とは違ったものの見方を認め、活用する)が重要になってくるのだが、この分野でやはり先行しているのは移民国家であるアメリカ。EMERGENETICSは、脳科学の理論と70万人以上の統計を基にして、アメリカで開発された、人間の行動特性と思考特性を分析するツールだという。
EMERGENETICSでは、人を【4つの思考特性】によって分類する。
(析型(青)
構造型(緑)
社交型(赤)
ぅ灰鵐札廛鳩(黄)
その上で、【行動特性】には、
ー己表現性
⊆己主張性
柔軟性
の三つがあり、こちらは、それぞれ全員が持っていて、それぞれの「強弱」で測られる。
読んでみて納得。それぞれのタイプ別に「取り扱い説明書」があり、本人が注意すべきことと、他人がどう接すれば理解を得やすいかが明らかになっている。これを上手く使えば、構成員の満足度を高めながら、組織パフォーマンスが上がりそうだ。
筆者は、「中小企業経営のカリスマ」として有名な、武蔵野の小山社長。武蔵野ではEMERGENETICSを導入し、例えば、新規営業は思考特性に基づいて「二段構え」でやるのだそうだ。
1回目:「黄」あるいは「赤」の社員が行う相手が同じ特性の場合→契約成立違う思考特性→保留2回目:フォローの得意な「青」か「緑」が再訪→契約成立もしくは、思考特性の異なる二人が「ペア」で営業
これで新規営業の成功率が高くなったという。また、新卒学生の内定者フォローでは、同じ思考特性の社員にフォローさせることで、内定辞退を防止している。

2018年05月14日
起業家が成功するには、何を考え、どう行動すべきか?
この本の著者のように、「20年で1000人の起業家を支援」とまではいかないが、社会に出て以来30年会で100人くらいの起業家に関わってきた。その経験から、本書の内容におおむね納得した。
多少違うというか、日本の読者に注意を要すると思ったのは以下の点。
/卦事業のアイデアが浮かんだ段階で重要なのは、行動すること
筆者は、「事業計画より行動」を強調するが、ここで言っている事業計画とは「正式な事業計画」のことで、アメリカの事業計画書は大変立派なものが作られることが多い。これは、アメリカのスタートアップが最初から投資家から資金を調達することを前提にしているからだろう。しかし、実際は、事業計画書だけで資金調達できることは稀で、多少なりとも実績が必要。そのためには、まずは行動して、プロトタイプを作り、潜在顧客の反応を確かめる必要がある。BMに修正はつきものなので、ある程度「これでいける」と方向性が見えてから本格的な事業計画書を書くほうがいい。日本では多くの場合、作りなさすぎ。
∈脳限の費用とリスクと責任とで、アイデアを実現させる
賛成。大金をベンチャーが調達すると記事になるので、そうしなければ成功しないように思いがちだが、その結果を見ると、資金が潤沢にあれば成功するというものではない。資金があればあったで、それをどう使うか、経験がないと、逆に失敗する原因になる。特に、創業初期の段階で資金に余裕があると、金銭感覚が甘くなってしまい、後で大失敗する。
ミノベート(少しだけイノベート)
真理。成功するためには、「画期的なアイデア」がないとダメと思っている人も多いが、現在大成功している企業を見ても、「世界初」というのはほとんどない。逆に、最初に出したところは、予期できない障害を乗り越えられなかったり、後発企業との競争に負けることが多い。スプレッドシートはLotus 1-2-3がMS Excelにとって代わられ、プレゼンソフトはHarvard GraphicsがMS PowerPointに、ワープロはWordPerfectがMS Wordになった。SNSも、Facebookが世界初ではないが、その使い勝手の良さで今や世界ユーザー20億人だ。iPhoneも個々の技術は、どれも既存のものばかりだ。

著者:1997年の設立以来、1000人超の起業家を支援したNPO Endeavor CEO
以下、その1000人のアントレプレナー調査に基づく
・新規事業のアイデアが浮かんだ段階で重要なのは、行動すること
1000人のアントレプレナーのうち、事業を立ち上げた際、2/3は事業計画を書いてなかった。
・最小限の費用とリスクと責任とで、アイデアを実現させる
アントレプレナーの61%が、事業を立ち上げる際に1万ドル以下しか使っていない。
・共同経営者と権利や責任を明記した契約書が必要
アントレプレナーの大半が、親友や家族などのパートナーと事業を立ち上げる。だが、問題が生じたときにどうするか、事前に決めてないと、将来、醜い争いになる。
・ミノベート(少しだけイノベート)
成功をつかむアントレプレナーは、既存のBMに少しアイデアを加えている。その方がリスクやコストを軽減でき、失敗も少ない。
・スタートアップが失敗する一番の理由は、時期尚早の事業拡大
慌てて会社を大きくしようとして失敗する。
・メンターアントレプレナーは「一匹狼」ではいけない。事業を大きくするには、複数のメンターから適切なアドバイスをもらい、それに従うことが重要。
2018年05月13日
「ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書」
KLへの行きに機内で見たのが「チャーチル」で、帰りに見たのがThe Post(原題)。今年のアカデミー賞最有力候補と言われているだけあって、良かった

同作は、1971年、ベトナム戦争における不都合な真実が書かれたアメリカ国防総省の最高機密文書(ペンタゴン・ペーパーズ)が、メディアの報道によって明らかにされた事件を描いたものだが、脚本では、「ニューヨーク・タイムズ」に次いでこの文書を報じた「ワシントン・ポスト」の女性社主、キャサリン・グラハムにスポットが当てられていた。(Forbes Japan)
現在のWashington Postは一流紙としてNY Timesと肩を並べているが、この事件まではWashington DCの地方紙に過ぎなかった。女性社主のキャサリンは、新聞社のオーナー一家に生まれ、一度も働かないまま専業主婦になっていた。新聞社の社長に就いたのは、彼女の夫であった。
それが、突然、夫は自殺する。そのために急遽就任したのがオーナーであるキャサリンで、本人も取締役会も、お飾りだと思っていた。ところが、国防総省の最高機密文書を自社の記者が入手したことで思いがけず決断を迫れるのだ。
先に報道したNY Timesは既に国から報道を差し止めされている。同じ機密文書を報道すればWashington Postも罪に問われ、経営陣は逮捕されるかもしれない。それだけでなく、発行停止になって会社がつぶれてしまう可能性もある。編集長はジャーナリストとして記事にしたいのだが、あまりのリスクの大きさにキャサリンにオーナー判断を求める。
キャサリンは、最悪、潰れてもいいとの覚悟で記事にする。国から告訴され、裁判の結果は・・・無罪
アメリカの三権分立が「報道の自由」を守った。



2018年05月12日
フェニキアからローマまで
まるでインディ・ジョーンズのように行動力のあるアメリカの考古学者による「聖書がどのようにして成り立ったか」をめぐる旅。聖書の成り立ちに深くかかわるフェニキアからローマまで11都市を訪ねる。世界中で最も読まれ、世界史に大きな影響を与えた聖書をめぐる旅は、『ダビンチ・コード』のように刺激的だ。西洋史に興味のある人は、本書を持ってカーギル博士の旅をなぞりたくなるだろう。
なぜ11もの都市が舞台になったのかと言えば、聖書の成り立ちが「入り組んだ複雑な経緯をたどった」から。「無謬、無矛盾の、完全な神の言葉として天から授かったのではなく、何十人もの人が執筆し、何百人もの名もなき人々が編集して作り上げた。正典化のプロセスは数年どころか何世紀もの歳月を要したし、鶴の一声ではなく、多数の有力な意見を積み重ね、今日の聖書ができあがった」のである。
時代によりさまざまな視点で多くの人が関わったため、聖書のそれぞれの書には、食い違う主張も存在する。しかし、著者は言う。
「それでいいのだ」
聖書に含められた矛盾があったから2000年に渡る学問的格闘があり、今日のユダヤ教、キリスト教の伝統の多くが生まれた。唯一神だけが存在するという主張とイエスも神であるという主張が議論を尽くして、三位一体説がある。だから、「それでいいのだ」ということ。

(バビロンのイシュタル門想像図:ベルリンのペルガモン博物館に復元された門がある)
なぜ11もの都市が舞台になったのかと言えば、聖書の成り立ちが「入り組んだ複雑な経緯をたどった」から。「無謬、無矛盾の、完全な神の言葉として天から授かったのではなく、何十人もの人が執筆し、何百人もの名もなき人々が編集して作り上げた。正典化のプロセスは数年どころか何世紀もの歳月を要したし、鶴の一声ではなく、多数の有力な意見を積み重ね、今日の聖書ができあがった」のである。
時代によりさまざまな視点で多くの人が関わったため、聖書のそれぞれの書には、食い違う主張も存在する。しかし、著者は言う。
「それでいいのだ」
聖書に含められた矛盾があったから2000年に渡る学問的格闘があり、今日のユダヤ教、キリスト教の伝統の多くが生まれた。唯一神だけが存在するという主張とイエスも神であるという主張が議論を尽くして、三位一体説がある。だから、「それでいいのだ」ということ。

(バビロンのイシュタル門想像図:ベルリンのペルガモン博物館に復元された門がある)
10:聖書がある日魔法のように現れたのではない完成した文書として天から授かったものでも、イスラームで教えているコーランの成り立ちのように、ひとりの人物が啓示を授かり、その言葉が一言一句記録されたのでもない。それどころか、聖書の内容は何度も議論を重ねて決議しても、なかなか全体の合意で決まることはなかった。じつのところ、初期教会会議は聖書の正典の問題をあまり取り上げず、その決定を、典礼を改革し、政治指導者・宗教指導者のために正式の聖書を作成し翻訳する人を受けた、優れた個人に委ねた。11:聖書だけが古代に書かれたユダヤ教、キリスト教の書というわけではなかった他にもモーセやヤコブやイエスについて古代に書かれた非常に多くの書が存在した。(中略)聖書に含める書の選定糧は煩雑で、政治が絡む場合も多々あった。16:私は旧約聖書を指して「ヘブライ語聖書」という用語を使う。イエスから何世紀も経ってようやく、後世のキリスト教徒は初期キリスト教徒の文章を正典化し、それをこれまでのユダヤ教文章と区別して、自分たちのキリスト教徒の聖書を「新約聖書」、ユダヤ教文章を「旧約聖書」と呼んだ。
2018年05月11日
アイデアを事業に仕上げる
世の中、「アイデアマン」と言われる人はいる。飲み会では盛り上がるが、そのまま実行されることはまずない。一方、事業を回せる人もいる。大企業の人材は大抵このタイプだ。
リクルートが凄いのは、「アイデアを事業に仕上げる」仕組みである。その辺の中小企業も、アイデアを事業にしてはいるが、売上数億円で、社員を数人雇って終わっている会社がほとんど。それも、偶然なので、これを繰り返すことはできず、新事業に挑戦して大抵失敗する。
リクルートは大企業なので、それぞれの新事業が目指すところが数百億円にもなる。この「1→10」にスケールする力がスゴイ。そして、それは、一部の優れた社員によるものでも、偶然の産物でもなく、確立された「手法」なので、繰り返すことができる。

・新規事業創造の手法事業の「種」となるアイデアを見出し、その種を高速で磨き上げながら市場に出す仕組みや、事業を継続的に成長させていく・自社だけでなく産業構造全体を俯瞰してビジネスを設計する手法「リボンモデル」・「不」の発見消費者や企業、社会などに「不」(不便、不満、不安など)が存在するとき、それを解消するイノベーションの実現にビジネスチャンスがある・New RING新規事業提案制度。アイデアの選別から、事業化して軌道に乗せるところまでをサポートする。・マネタイズ設計「1→10」の段階の最初に、継続的に収益を上げる仕組み「マネタイズ設計」を行う。,修離機璽咼垢紡个靴特がお金を払ってくれるのか誰が、「どの財布」からお金を出すかコスト優位性のあるオペレーションを継続的に行える仕組み・「フィジビリ」で「価値KPI」を探すフィジビリを行い、KPIの中で最も事業の価値向上に直結する指標「価値KPI」何かを探る。・「ぐるぐる図」を回す現場と経営層の間で情報を行ったり来たりさせることで、仮説を進化させ、新事業として展開できるレベルに、ビジネスモデルを磨き込んでいく。・「型化」を突き詰めるKPIを上げるために効果があった社員個人の「ふるまい」を、誰もが真似できる「型」に落とし込んで横展開する。
2018年05月10日
「おばあちゃん大国」日本
もうすでに、日本では女性の三人に一人が高齢者(65歳以上)の「おばあちゃん大国」なのだそうだ。さらに2年も経てば、女性の二人に一人は50歳以上になるとのこと。こうなったら、アラサーやアラフォーなど「若い方」となり、貴重な存在になるのは間違いない
IoTやAI、自動車のEV化など一気に押し寄せ、IT技術者不足は既に顕在化している。シリコンバレー(SV)では既に10年前からプログラマーの平均給与が1000万円を越えている。特に不足しているAI系では、実績のある技術者なら3000−4000万円ということだ。
SVだから高い、ということではなく、これは世界的傾向。例えば、Huaweiは日本法人で「初任給40万円」として話題になったが、Huawei本社(中国)での初任給平均は83万円だそうだ。海外では、日本のようにポテンシャル採用ではないので、最初から学生の能力に応じて初任給が違うのが当たり前。インドでも理系で最高峰のIIT卒業生は、初任給15万ドル(1700万円)でFANGなどSV企業がインドまで採用しにやってきている。
今のところ、日本だけが国際的IT技術者価格統一の流れに出遅れていて、それは、英語と終身雇用のせいだと思われる。いくら技術者でも、英語で他の従業員や顧客とコミュニケーションできなければ仕事にならないし、初任給に15万ドル出す会社は、それを生涯保証しているわけではない。それに見合う働きをしなければ、翌年には解雇される。
国会で議論されている「働き方改革」など、子ども扱いもいい加減にしろと思ってしまう。SVで社員の労働時間管理しているところなど聞いたことがない。それは、大卒であれば自分の健康管理位できて当たり前というのが世界標準のため。見ているのは、給与に見合う結果を出しているかどうかだけ。日本企業に競争力が無くなれば元も子もないわけで、野党の言う「労働者保護」は、「皆で貧しくなろう」に聞こえる。


IoTやAI、自動車のEV化など一気に押し寄せ、IT技術者不足は既に顕在化している。シリコンバレー(SV)では既に10年前からプログラマーの平均給与が1000万円を越えている。特に不足しているAI系では、実績のある技術者なら3000−4000万円ということだ。
SVだから高い、ということではなく、これは世界的傾向。例えば、Huaweiは日本法人で「初任給40万円」として話題になったが、Huawei本社(中国)での初任給平均は83万円だそうだ。海外では、日本のようにポテンシャル採用ではないので、最初から学生の能力に応じて初任給が違うのが当たり前。インドでも理系で最高峰のIIT卒業生は、初任給15万ドル(1700万円)でFANGなどSV企業がインドまで採用しにやってきている。
今のところ、日本だけが国際的IT技術者価格統一の流れに出遅れていて、それは、英語と終身雇用のせいだと思われる。いくら技術者でも、英語で他の従業員や顧客とコミュニケーションできなければ仕事にならないし、初任給に15万ドル出す会社は、それを生涯保証しているわけではない。それに見合う働きをしなければ、翌年には解雇される。
国会で議論されている「働き方改革」など、子ども扱いもいい加減にしろと思ってしまう。SVで社員の労働時間管理しているところなど聞いたことがない。それは、大卒であれば自分の健康管理位できて当たり前というのが世界標準のため。見ているのは、給与に見合う結果を出しているかどうかだけ。日本企業に競争力が無くなれば元も子もないわけで、野党の言う「労働者保護」は、「皆で貧しくなろう」に聞こえる。

2017:日本人女性の1/3が高齢者(65歳以上)の「おばあちゃん大国」2019:IT技術者が不足し始める2020:女性の1/2が50歳以上となり、出産可能な女性数が大幅減2023:団塊Jrが賃金の高い50代となり、企業の人件費がピークに2024:生産年齢人口が激減し、全国の80%の道府県が生産力不足に陥る2042:高齢者人口が4000万人とピークを迎える・労働力不足外国人労働者も、AIも、女性・高齢者も切り札にはならない。−先に受け入れた欧州もテロや暴動で混乱−これから増えるのは後期高齢者で、65-74歳はむしろ減る・戦略的に縮む人口が減っても国力が衰えないように、社会をコンパクトで効率的なものに作り替える。−「便利すぎる社会」から脱却。過剰サービスを見直し、不要な仕事そのものをなくす。−人が住む地域とそうでない地域を明確化し、効率的に行政サービスが行なえるようにする。−国際分業を徹底し、日本の得意分野に注力する
2018年05月09日
「黄金のポートフォリオ」のつくり方
「1024頭のゴリラを体育館に集めて、コイン投げを教える。すると1頭が、10回続けて表を出した。普通なら『ラッキーなだけ』で終わるが、金融界ではこれが『天才』になる」(ジャック・ボーグル)
資産運用では、経済成長の恩恵を最も受けられる株式に投資するのが一番(下図)。そして、「長期に渡ってアクティブ運用がパッシブ運用を上回ることはない」というのが現実。
モダンポートフォリオ理論による下げ相場にも強い「黄金のポートフォリオ」が出てくるのだが、巻末に、山崎元氏による「日本版オール・シーズンズ・ポートフォリオ」が出てくる。
山崎案
・国内株式(TOPIX連動ETF) 15%
・外国株式(先進国)ヘッジ無し 5%(ニッセイ外国株式インデックスファンドなど)
・外国株式(先進国)ヘッジ付き 10%(野村AM Funds-iなど)
・金(ETF) 10%
・J-REIT 5%
・長期国債 20%
・ヘッジ付き外国債券 15%
・個人向け国債(変動10年)20%

1.資産配分が全て.螢好・成長バケツ安定・安心バケツに分けて投資する。2.マーケットのタイミングを計る必要はないドル・コスト平均法で定期的に買う。3.人生の質を高めるために「夢バケツ」をつくる4.リバランスで、損失を最小に抑えて利回りを最大にする年1回だけでよい。
2018年05月08日
日立精神
日立はかつて電機業界の「野武士」と言われた。東芝は「公家」と言われ、名門でおっとりしていたのに対し、茨城の田舎町から鉱山設備の会社としてスタートした日立は挑戦者であった。
そんなイメージは持っていたものの、今回本書を読んで、「日立精神」というものを初めて知った。以下は、筆者による解説。ソニー(東京通信工業)の「設立趣意書」もそうだが、やはり、大きくなる会社は創業者がしっかりとした考えを持ち、またそれを明文化して社内に徹底させているものだ。
そして、成功した会社は成功したが故に、創業理念を共有しない応募者が増える。そうして、創業精神は薄まっていく。変えるものと変えないもの。時代に合わせて新たな目標設定をするのが経営者の役割だ。
\儷某兵茲粒拓者精神自主独創の精神で失敗を恐れず、志を持って行動を起こし、専門技術を実践・深耕し、自然科学や社会科学の知識の勉強体得を怠ることなく、苦難に立ち向かって実力をつけよ。∪処世術の習得などに心を奪われることなく、広い視野と高い道徳心を持ち、損得より善悪、正直に行動して信用を勝ち取れ。特に、製品の品質と信頼性の向上に全力を尽くし、製品事故を起こした場合には、臭いものにふたをせず、失敗を隠すことなく、誠実に迅速に対応し、顧客の迷惑を最小限にする万全の努力をして顧客の不信をなくすこと。顧客の対応が終わった後、失敗の経験を拾う「落ち穂拾いの会」を開いて、同じ失敗を二度と繰り返さないよう、当事者と経営幹部が一体となって、技術面と精神面の両面から事故に至った原因を洗い出し、再発防止策を確立し、類似製品なども検証し、事故ゼロを目指して事業部全体の品質保証体質水準の向上に努めること。O其┛戝広く知恵を集め、やみくもに付和雷同するのではなく、上下分けへだてなく、とことん議論をし、表面的な一致を求めるのではなく、結論が出たことに対しては、有言実行・一致協力して前に進めること。
2018年05月07日
マレーシアの不動産価格

先日のKL出張では、現地の不動産も見る機会があったのだが、価格が安いので驚いた。不動産物件の価格は、土地価格+建設費+デベロッパーの利益である。デベロッパーの利益までは分からないが、土地代と建設費が安いということなのだろう。
このマレーシア不動産情報サイトによれば(上図も)マレーシアの物件価格が格安である理由を、
2006年頃まで外国人の不動産購入に対する規制が厳しく、不動産市場に外国資金が多く流入してなかった
▲泪譟璽轡△旅馘斂明僂33.1万k屬函日本(37.8万k屐砲9割程度である一方で、人口が2014年時点で約3026万人と、日本(約1億2708万人)の1/4以下の人口であることから、住宅用地が多く依然として土地価格が安い
C録漫β翩などの災害がほとんどなく、日本ほど厳しい建築・耐震基準が課せられておらず、建物の構造が比較的シンプルで建築コストが多く掛からない
としている。
最初にKLを訪問した15年程前、日本ゼネコンの現地法人の方と食事したが、その方も、「ホント、簡単に建ててますよ!」と言っていたので、建設費も安いのだろう。
問題はROIなのだけど、賃貸利回りは常に供給圧力が強いので、低いようだ。グラフの数字1崚たり16万円は数字が古い気がする。今回見ていると120屬任△譴弌30万円位ではないか。リンギットも回復傾向にある(下図)。

2018年05月06日
NIKE株式上場
NIKEは1980年に上場する。10年前にVCに投資依頼した時はどこにも相手にされなかったが、1971年に自社ブランドのNIKEを作り、その後、バウワーマンの考案したワッフルトレーナーのヒットで独自ブランドを持つメーカーに変身していた。
上場して有名になったNIKEは、HBSなどの研究対象になる。HBS教授はこう言ったという。
「一般に、会社の経営者が戦術や戦略を考える人物であれば、会社の将来は有望だが、君は運がいい。バットフェイスの半分以上がそれをやってくれるのだから」
バットフェイス(ダメ男)とは、NIKEの経営陣のこと。社内でそう呼ばれていたらしい。ナイトが一人で創業したブルーリボン社だったが、変わり者だが能力のある人材を継続して採用し、定着できているのはナイトの一番の才能なのだろう。経営会議では、軽蔑やあざけりの言葉、罵声が飛び交うのが当たり前だったという。逆に言えば、そうやって本音でぶつかっても揺るがない信頼感が経営陣にあったということだ。それは、皆が、「上司からは避けられ、運に見放され、社会に拒絶され、見た目や品の良さなどには恵まれない」負け犬だったからだという。
当時のNIKE経営陣
ヘイズ:ナイトの元上司。非常に優秀な会計士ながら、PriceWaterhouseでは太り過ぎでパートナーになれなかった。
ジョンソン:9-17時までの普通の世界では生きられなかった。
ストラッサー:保険弁護士でありながら、保険と弁護士を嫌っていた。オニツカとの裁判を担当したのを機に入社。
ウッデル:有望な陸上選手でありながら、不慮の事故で夢を失う。
SHOE DOGのDOGには、「負け犬」の意味がある。

NIKE株価は1980年に上場してから400倍になっている(時価総額10兆円)

NIKE株価は1980年に上場してから400倍になっている(時価総額10兆円)
422:最強の経営陣半端な罵声ではない。互いに罵り合い、乱暴な言葉が次から次へと降ってくる。アイデアを出したり、拒否したり、会社に迫る脅威について徹底的に話し合っている時は、人の気持ちなど後回しだ。私も含めて、いや特に私に対してそうだ。バットフェイスの連中も従業員も、社長である私を”帳簿係のバッキー”といつも呼んでいる。448:American Selling Priceこの戦いは決して想像できなかったもので、絶対に臨まないが避けても通れない。負けることは滅亡を意味する。政府の要求する2500万ドルは、我が社の1977年度の売上額にかなり近い数字だ。仮にそれを支払えたとしても、今後、輸入税額が40%も上がったら、払い続けることなどできない。505:上場1980年12月2日@$22来週のこの時間にはバウワーマンは$9M分の株を持つ。ケイルは$6.6M。ウッデル、ジョンソン、ヘイズ、ストラッサーはそれぞれ$6M。
2018年05月05日
成長資金の獲得
この本の特徴のひとつは、およそ半分が資金繰りのことであること。1962年のブルーリボン(後のNIKE)創業後、数字にこだわって限界まで成長を追求したナイトは常に運転資金に悩まされることになる。オニツカからの輸入販売で、輸入代金と社員の給与は毎月支払う必要があり、一方、在庫して販売するために数か月は掛かるため、売掛金の回収は先になる。売上は創業以来毎年倍々で伸びていたので、常に資金不足に陥っていた。
ブルーリボン設立時の資本金は$1000。ナイトが51%、オレゴン大学陸上部コーチのバウワーマンが49%を出している。現在価値なら、100万円くらいだろう。当然すぐ足らなくなり、次に出資と貸付をしたのが社員第二号で、事故で車いす生活になっていたやはり元陸上選手のウッデルと彼の母親。
この間、銀行融資で運転資金を賄うのだが、このためにナイトは個人保証のうえ自宅を担保に入れている。個人保証と担保差し入れは何も邦銀の専売特許ではない。しかし、業容拡大で、融資額も増加し、直ぐに与信限度を超えるようになる。銀行は成長スピードを抑えるように指示するが、ナイトは聞く耳を持たない。銀行との対立は次第に深刻化する。
創業して10年経ち、1970年代になるとシリコンバレーでVCが勃興する。ナイトは彼らに投資してもらおうと、ブルーリボンの持ち株会社を作り「スポーツ・テク」と名付ける。「ハイテク好きの投資家を惹きつけるため」だった。だが、どこも投資しなかった。輸入靴を売るだけの会社に興味を持たなかったのだ。
最終的に成長資金を提供したのが、日商岩井。日商岩井のポートランド支店が、NIKE取扱高の4%マージンを取ることで「商社金融」と呼ばれる仕入先への支払と、売上代金の回収との資金サイトの差を負担したのだ。
そうやってなんとか資金繰りをつないでいたのだが、ついに、言うことを聞かないナイトにBank of Californiaが切れ、取引を停止する。その時、日商岩井ポートランド支店経理部の"Iceman"こと伊藤が社内ルールを破って、約$2M、現在価値なら10億円相当の銀行借入を全額肩代わりするのだ

Iceman伊藤の話は本書ではそれだけで終わっているが、この話を追ったBS1スペシャル「ナイキを育てた男たち」によれば、Iceman伊藤はその後、社内ルールを破ったということで退職勧告される。失意の中ポートランドを引き上げる引っ越し準備をしていたところ、本社の経理担当役員から連絡が入る。
「よくやった」
伊藤氏は、「正に離陸しようとしているナイキをこれで終わらせていいのか。なんとか助けたい」という思いだったという。最終的には、この思いが認められ、伊藤氏は日商岩井(現在の双日)での仕事を定年退職まで全うした。

168:私は週に6日はPWに勤務し、早朝、夜中、週末、休日をブルーリボンに充てていた。友人もいなければ、運動もできないし、まともな社会生活も送れなかったが、別にそれで構わない。確かに生活のバランスを崩していたが、気にはならなかったし、それどころか、もっとバランスを崩したいくらいだった。203:結婚生活私は物思いにふけるあまり、雑貨店に車で買い物に行っても手ぶらで帰ってきて、彼女に頼まれたものさえ忘れていたりする。間近に生じた銀行との危機やオニツカからの搬送の遅延などが常に頭に浮かんでは消えるのだ。226:株式公開1970年当時、VCの会社が急成長しつつあった。VCというコンセプトが姿を現しつつあったが、その堅実な投資先はまだ限られていた。(中略)ウッデルと私は株式公開を宣伝する広告を打ち、大きな反応が出るのを待った。(中略)ほぼ誰からも反応がない。私たちは1株1ドルで何とか300株を売った。買ったのはウッデルと彼の母親だ。結局、私たちは株の公開を取り下げた。
2018年05月04日
会計士Phil Knight
スタンフォード大学MBA→世界一周(日本でオニツカと販売契約)→オレゴンに戻ってブルーリボン社を創業したフィル・ナイト。当時まだ24-25歳だった。
資金のないナイトは会計士資格を取り、日中はプライス・ウオーターハウス(PW)のポートランド支部で企業監査の仕事に就く。NIKEは週末起業で始まったのだ。
NIKEはアグレッシブなイメージがあるが、実は創業者のナイトは会計士でMBA。NIKEの成長を(当時はオニツカシューズ輸入販売のブルーリボン社)限界まで追求するナイトは、無謀にやっていたのではなく、数字を理解したうえでギリギリまで追い込んでいたのだ。当初、自分は給料を取らず、逆に、PWでの給料を会社成長のためにつぎ込んでいる。

107:ランナーはからかわれる対象車のドライバーがスピードを落としてクラクションを鳴らす。「馬にでも乗ってろ」と叫んでビールやソーダをランナーの頭めがけて投げつける。115:Price WaterhousePWはさまざまな顧客を抱えていた。興味深い新進の企業や、定評のある会社、材木、水、電力、食品を売る会社などあらゆる会社を担当していた。こうした会社の監査を担当しながら、その内部を調べ、解体してまた食いたてながら、どういう会社が生き残り、どういう会社が潰れるのか学んでいった。どういう会社のものが売れ、どういう会社が売れないのか。どのようにトラブルに巻き込まれ、どのように脱却したのか。会社を安定させ、あるいは失敗させる原因は何か。丁寧にメモを取った。純資産の不足が破綻の主な原因であることを何度も肌で感じた。116:デルバート・ヘイズ私にとっても頭の中では数は美だった。ある程度まで私も分かっていたことだが、数字は秘密の暗号を表し、すべての数列の背後には深遠なプラトンのイデア論がある。会計学の授業ではそういうことを学んだ。少しだが。スポーツも同じだ。トラックを走ると、数字に対する強い敬意が生まれる。数字に表れる自分こそ自分そのものであり、それ以上でもそれ以下でもないからだ。
2018年05月03日
靴にすべてを
話は1962年にナイトがスタンフォードMBAを終了して、世界旅行に出発するところから始まる。旅の相棒はスタンフォードで同級生だったカーター。最初に目指したのはハワイ。そこにしばらく残ることにしたカーターを置いて、ナイトは日本に向かう。
彼には、日本の靴メーカーを見つけて、独占販売契約をするという目的があった。当時、Nikonがドイツ製品をしのぐ光学性能でアメリカで認められた頃。ナイト氏はスタンフォード大学で、「日本のカメラがドイツのカメラを打ち負かせるのなら、日本のアスレチックシューズだって、ドイツのアディダスやプーマを打ち負かせられるはずだ」と書いていた。
東京で会ったアメリカ人から、オニツカのことを聞いたナイトは神戸に向かう。初対面にもかかわらず、創業社長鬼塚の鶴の一声でアメリカ西部の独占販売権を貰えることになったナイト。実は、まだ会社も作ってなかったが、会社があって販売実績もあると嘘をつく。はったりだったが、オニツカも「とりあえず1年だけやらせてみるか」というつもりだったのだろう。
NIKEの始まりが日本のスポーツシューズ販売のためだったというのは興味深い。創業時はBlue Ribbon社で、オレゴン大学の陸上部コーチであったバウワーマンもタイガーシューズを気に入り、49%を出資してパートナーになる。その後、オニツカとの間に疑心暗鬼が生まれて、ナイトは自社ブランド品の製造を決断するのだが、その製造は日本ゴムだった。NIKEは日本と縁の深い会社なのだ。
第1部 オニツカとブルーリボン
52:オレゴンを出る時、最も心躍らせた2つのことまず、日本人に自分の馬鹿げたアイディアを売り込むこと。そしてアクロポリスの丘の前にたつこと。65:闘争心の指導者バウワーマン私には、彼と父の二人以外に認めてもらいたいと思う人はいなかったし、二人ほど私を認めてくれない人もいなかった。69:オニツカタイガーバウワーマン「あの日本のシューズだが、すごくいい。私を契約に加えてくれないか」74:アメリカ西部独占販売権タイガーシューズのアメリカ西部での独占販売を任せてもらえないかと要請し、それから至急300足を送ってくれるように発注した。1足3.33ドルだからざっと見積もって1000ドル分。バウワーマンの援助があっても、私一人では払いきれない額だ。

2018年05月02日
製品設計と生産技術の一体的革新
長年、日立で技術者として勤務し、特に生産技術で活躍された方による、「製品設計と生産技術の一体的革新」の本。全ての事例は、著者の46年間に渡る日立勤務時代の実体験に基づく。NHK Project Xにはならなかったが、ミニProject Xと言える。
著者の総括は次の通り。デジタル化が進んだことでモジュール化が進み、製造は部品の組み立ての割合が多くなった。熟練工でなくともできるので、安い賃金を求めて、工場は海外に移転して行った。今、日本で下記のような原則が生きるのは、生産設備と部品をつくるメーカーなのだろうか。
*基本原則*〇業を再生するには、他社が容易に真似のできない製品を作る必要があるが、製品開発の後で生産技術を考えるという方法では成功しない。製品設計と生産技術の一体的開発が重要であり、将来の顧客価値を満たす「待ち伏せ製品開発」が必要である。同時に、高精度要素技術開発などによる製品構造の簡略化と、後戻りのない生産方式を実現する技術革新が必要である。技術革新の基本的考え方は、「物理現象の基本原則」に基づいて、製品機能や製造設備の機能構造を考え、先端科学技術を活用して、キーコンポーネントのコア技術を開発することである。5蚕僂よび開発手法の積み重ねが重要である。あるプロジェクトで生み出された製品・製造設備の革新技術および開発手法は、蓄積され、次のプロジェクトにも継続して伝承されて、新たなアイデアに発展し、次々とスパイラル状に増幅適用される。
2018年05月01日
マレーシアの不動産はバブルなのか

日本の1990年代の不動産バブル崩壊は、生産年齢人口の減少(上図)による不動産需要の減少と、円高対策で金融緩和したため、その資金が不動産投資に流れ需要を先食いした反動が出たためだった。その後、世論の反対で銀行の不良債権を初期に解消できなかったため、これが金融危機へと発展した。
では、マレーシアではどうか。まず\源最齢人口の減少だが、現在がピークで今後減少すると予測されている(下図)。人口問題なので、大規模な移民政策を取るなどしない限り、予測が狂うことはほとんどない。
しかし、注目すべきはその減り方で極めてなだらかであること。日本のように戦後のベビーブームと後に続く高度経済成長による出生数の急減がなかったためで、経済政策を誤らない限り、生産年齢人口減少による崩壊は直ぐにはなさそうだ。
