2017年11月

2017年11月30日

第2章 海兵隊の組織論的分析

OODA Loop














アメリカ海兵隊の歴史から始まり、いよいよ本論に入る。

第二次世界大戦以来、アメリカ海兵隊の使命は「機動戦」にある。現在の機動戦の概念を開発したのは朝鮮戦争でパイロットとして活躍したジョン・ボイド空軍大佐。それを理論モデルとして論文や書籍を出版したボイド・チームによって興味深い指摘がされている。

「トヨタ生産システムは、相互信頼、任務命令、個人責任、調和とフロー概念、なかんずく時間の操作を中核とするアイデアが機動戦と通底する」



43:海兵隊は、「常在戦場」の絶えざる不確実性との闘争をほとんど本能化している。海兵隊、一方でかたくなに伝統を守りつつ、他方で自らを持続的に変えていく革新性を維持できているのは、その組織本能のためである。

44:コンティンジェンシー理論
・環境
・組織志向(組織と環境の接合面であり、環境変化を組織内に取り込む「場」)
・組織構造
・成員属性
・組織過程

50:機動戦(敵軍を不安に追い込んで動揺や混乱を招き、自軍を有利な立場に確保する戦い)
・相手に勝る戦況観察や情勢判断、意思決定、素早い行動
・機動戦を行う組織は自律分散的・協働的なネットワーク型
・指揮統制は、現場の適応性や自発性を尊重
・理想的な兵士は、相互に信頼し合い、作戦行動に関するプロフェッショナルで自律分散型のリーダーシップをもつ

66:人事システム
海兵隊の昇任制度の特色は、能力・業績・職務経験の昇進基準を厳守し、特進を認めないこと。日本型組織に似て各職位に必要な経験を一段階ずつ積み上げて査定される等級昇進。

67:優秀な人材を採用担当者に任命
毎年約4万人の素質のよい入隊希望者を募集

69:ブート・キャンプ
下士官の指導教官が訓練生に個人主義的・自己中心的なメンタリティをつちかった市民生活から隔離し、罵声を浴びせながら徹底的にしごく過酷な訓練

shikoku88 at 21:17|PermalinkComments(0) | 仕事

2017年11月29日

第1章 アメリカ海兵隊の歴史



海兵隊というと肉体派であまり頭脳的ではないイメージだが、20世紀の陸上戦の五大戦術革新のうち三つを発明している。つまり、とても創造的な組織であり、それが「どうしたら創造的な組織を創れるか」を生涯研究してきた野中先生の興味を引き、長年研究対象にしてきた。

海軍も演習に熱心で、特に図上演習は精緻であった。ミッドウェー海戦の図上演習では、敵空母が予想外に早く現れ、演習開始早々に空母2隻(赤城・加賀)が沈没してしまう。これは実際に起こったことと同じだ!(実際はそれ以上に悪かったが)

この図上演習では、演習のルールを審判役であった宇垣参謀長官が自ら破り、勝手に一隻だけの沈没にしてしまう。なぜなら、空母2隻が沈んでしまったらそれで日本側の敗北が決定的になり、作戦が続けられないからだ。同席していた山本長官もそれに異議を唱えなかった。

とても良い仕組みを作ることにたけているのに、希望的観測や義理人情が優先し、その結果、重大な結果をもたらしてしまうのは戦後の日本企業各社で繰り返されている。
6:20世紀の陸上戦の五大戦術革新
ゝ々壇天眄錙淵疋ぅ長駛彪海離魯ぅ鵐帖Ε哀如璽螢▲鵑装甲部隊を創設、対仏戦で実施)
空挺襲撃(アメリカ陸軍のビリー・ミッチェル将軍が考案、ドイツ軍が対仏戦で実施)
水陸両用強襲(アメリカ海兵隊アール・H・エリス少佐が考案、対日戦で実施)
ざ畧楾匐支援(アメリカ海兵隊が開発、ニカラグアの内戦で実施)
ザ中機動強襲(アメリカ海兵隊が「垂直包囲」として前線の後方の決定的地点に部隊を輸送、朝鮮戦争で実施)

13:艦上演習
指揮官の希望的観測ではなく、徹底した実証に基づいて正直に評価。演習後の評価会には、多くの若手下士官も参加させ、異なる階級間の多様なアイデアと概念の交換を促進。演習の評価が指揮官の人事に結びつけられ、上級指揮官の更迭も行われた。

14:海兵隊幕僚アール・H・エリス少佐
日本を近い将来の敵として論じ、真珠湾攻撃の20年も前に太平洋方面の戦争は日本軍の急襲で始まることを予見した。さらに、予想される日本の前進基地との戦いに対応するべく、アメリカはマーシャル、カロリン諸島を一直線に北上し、日本本土を叩くべきであると主張した。

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2017年11月28日

アメリカ海兵隊の組織論的研究



日本的組織論の名著『失敗の本質』(1984)著者による、アメリカ海兵隊の組織論的研究。『失敗の本質』では、第二次世界大戦で「なぜ日本は負けたのか」の組織的分析を行った。その結論は、米軍は「未来の環境に対して自らの目標と構造を主体的に変えることのできる組織」となっていたのに対し、日本軍は過去の成功体験に過剰適応し「自己革新組織」たりえなかった、というものであった。

「未来の環境に対して自らの目標と構造を主体的に変えることのできる組織的能力」のことを著者は、「知的機動力」と呼び、それが本書の表題となっている。アメリカ海兵隊はこれからの組織のあり方を示唆しており、その組織の特徴は、日本企業に共通する点が多いという。

例えば、両者とも、暗黙知を共有することで言葉を使わずにわかりあえることを重視している。「われわれの指揮の哲学はまた、暗黙的に意思疎通する人間の能力を活用しなければならない。暗黙的コミュニケーションーーお互いを理解し合い、言葉の使用をよくわかった重要なものだけにとどめ、あるいはさらにお互いの考えていることを察し合うことのほうが、コミュニケーションの手段としては、詳しい明示的な指令を使うよりももっと早くて効果的であると信じる」(アメリカ海兵隊の教科書"War Fighting"p243)

では、その暗黙知をどうやって共有しているかというと、まず第一に適性のある新兵をリクルートすること(採用担当には各隊から選ばれたエースが当たり、採用実績は高く評価される)から始まり、過酷なブートキャンプ(新兵訓練)、そして世界中での作戦活動を通じて実現されている。

これは給与水準の高い投資銀行やコンサルティング会社などでも同じ。どうりで、GSなど海兵隊出身の役員が多いわけだ。

はじめに:
・戦争を直視し、研究し、それに備えることは世界の常識
・わが国は戦後、現実を直視しない「非武装中立」という、戦争忌避イデオロギーとポピュリズムの下に、戦争と軍隊の理論的研究を怠ってきた
・アメリカ海兵隊ほど興味深い組織に出遭ったことがない

・デジタル革命のただ中で、人間中心主義のデジタル化
海兵隊員は、そのような潜在能力としての暗黙知を入隊後のブート・キャンプや常時世界を回遊し、リアルな戦闘、災害・人道支援、自国民救出作戦を行う海兵遠征隊を通じて体得すると同時に、徹底的に知的対話と実験を通じて形式化し、組織的に共有・蓄積し、卓越性を無限に追及する専門的職業意識を極めようとしている。

shikoku88 at 19:19|PermalinkComments(0) | 仕事

2017年11月27日

盛岡市先人記念館

麒麟




















盛岡で最終日に寄ったのが「盛岡市先人記念館」という変わったところ。「もりおか歴史文化館」にはもちろん、初日に寄った。それ以外に、「先人記念館」があるというのは珍しい。

それで気になる、盛岡の先人は誰かというと、「個室」が与えられた3人は次の通り。
新渡戸稲造
米内光政
金田一京助

新渡戸稲造は札幌農学校出身のキリスト教者ということは知っていたが、盛岡藩士の三男に生まれた士族であったことは知らなかった。『武士道』を書くにはふさわしかったわけだ。

米内正光は、日本海軍最後の海軍大臣。開戦前に日独伊三国同盟に反対し、総理大臣も務めた。展示によれば、家が貧しかったので、学費が掛からない海軍兵学校に進学したそうだ。この点、日露戦争で活躍した秋山兄弟(松山出身)と同じ。戦前、軍隊が貧しい家庭の子供の身の立て方だったことがわかる。

金田一京助は国語辞典や教科書の編者として有名な言語学者。アイヌ民族の叙事詩「ユーカラ」を生涯をかけて研究した。アイヌの文化や言葉は明治以降、新政府が日本への同化政策を取ったことで、急速に失われた。今、記録だけでも残っているのは、金田一京助の功績だろう。石川啄木とは小学校同級生以来の親友で、貧しかった啄木の面倒を生涯見た。

しかし、上記三人とも、活躍したのは戦前〜戦中にかけてのこと。戦後はどうなのだと思いたくなるが、まだ存命中の人を祀り上げるにはリスクが伴う。死んで何十年か経って、評価が固まってしか、税金でこうした施設を作るのは不可能だろう。

岩手県の県民性は、「寡黙で辛抱強い、典型的東北人」ということ。長い冬の間、読書にふけったり、絵を描いて過ごしたりするので、学者や芸術家も多いそうだ。
shikoku88 at 20:47|PermalinkComments(0)旅行 | 美術館・博物館

2017年11月26日

さながら極楽浄土のごとし

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三陸ジオパークの中心に位置するのが「浄土ヶ浜」。ここは、驚いたことに、夏の間海水浴場になる。ここで泳いだら気持ちよさそう。

鋭くとがった白い流紋岩が林立し、一つ一つ違った表情を見せて海岸を彩ります。松の緑と岩肌の白、海の群青とのコントラストはまさに一見の価値あり。

浄土ヶ浜の地名は、天和年間(1681〜1684)に宮古山常安寺七世の霊鏡竜湖(1727年没)が、「さながら極楽浄土のごとし」と感嘆したことから名付けられたと言われています。 

浄土ヶ浜の岩肌は、
5200万年前にマグマの働きによりできたりゅう紋岩もんがんという火山岩で、二酸化ケイ素を多く含むため白い色をしていると考えられています。また、マグマが流れた模様「りゅう構造こうぞうやマグマが急に冷やされたときにできた板状の割れ目「節理せつりを観察することができます。

shikoku88 at 17:08|PermalinkComments(0)旅行 | 史跡・公園

2017年11月25日

藝大で初のフラメンコ公演

麒麟



























東京藝術大学音楽学部にはたくさんの楽器専攻があるが、ギターはない。現代音楽でおそらく一番使われている楽器であるギターがないというのは意外。やはり、明治の欧化主義からスタートした音楽学部としてクラッシック音楽重視ということなのだろう。

従って、東京藝術大学のコンサートホール「奏楽堂」でギターコンサートが催されたことはないのだそうだ。まして、欧州で長年厄介者扱いされてきたロマ族のフラメンコをや

その伝統が破られ、今日、クラッシックギター、フラメンコギターのコンサートが奏楽堂で開催された。今年春から開催されている「ビバ!エスパーニャ〜グラナドスのスペイン」の第4回目。私は、初回に続いて今回出席が叶った。

クラッシックギターの鈴木大介、益田正洋の超絶技巧。エンリケ坂井のフラメンコギターに大迫力のManuel de la MALENAによる歌。最後に登場した三枝雄輔の踊りに、おばさんたちが興奮。あれで、かなり若返ったのではないか(笑)。

14:00 第1 部 レクチャー「スペインのギター音楽」

講 師:濱田 吾愛 (フラメンコ歌手・本学非常勤講師)

川崎市生まれ。音楽評論家の父の影響で幼いころから各種の音楽に親しむ。立教大学文学部卒業後、音楽出版社勤務を経てフリーランスのライターとなる。2004年より東京藝術大学で非常勤講師としてスペイン音楽を講義。エンリケ坂井氏にカンテ・フラメンコを師事。スペインでもシンポジウムや公演に参加。2010年8月『物語で読むフラメンコ入門〜 用語辞典A to Z 』を出版。ライブ活動のほか、2011年カンテクラスを開設。

     

15:20 第2 部 コンサート「クラシック、そして灼熱のフラメンコ」

曲 目:タレガ 《アルハンブラの思い出》

    ソル 《モーツァルトの〈魔笛〉の主題による変奏曲》

    グラナドス(リョベート編曲)《スペイン舞曲集》より第5番

    ロドリーゴ 《3 つのスペイン風小品集》

    ファリャ《はかなき人生》より〈スペイン舞曲〉※デュオ

    フラメンコ(曲目未定)

出 演:鈴木大介、益田正洋(ギター)

    エンリケ坂井(フラメンコギター)

    マヌエル・デ・ラ・マレーナ(歌)

    三枝雄輔(踊り)


shikoku88 at 18:38|PermalinkComments(0)イベント | 音楽

2017年11月24日

「此書を外国に在る人々に呈す」

遠野物語 (新潮文庫)
柳田 国男
新潮社
2016-05-28


先月の遠野訪問からひと月経ってしまったが、原文を読んでみた。驚くほどコンパクト。しかも、158pのうち『遠野物語』は87pで、後は山本健吉、吉本隆明、三島由紀夫による「解説」が三本もついている。87pに込められた物語は119本にも及び、平均1pにも満たない小話である。

原文を読んでみると、簡潔にして無駄がなく、まるで漢文を読んでいるよう。これが明治時代の文語体というものらしい。三島由紀夫は本書の解説「小説とは何か」の中で、「全文自由な文語体で書かれ、わけても序文は名文中の名文」といっている。

扉裏には、「此書を外国に在る人々に呈す」とあり、柳田が本書を海外の人に読んでほしいと思っていたことがわかる。おそらく、明治人として、「日本にも長い歴史と文化があるのだ」といいたかったのかと思う。その一環なのか、注意書きで、アイヌ語への言及が至る所にあるのも興味深い。

7:序文
国内の山村にして遠野より更に物深き所には又無数の山神山人の伝説あるべし。願わくは之を語りて平地人を戦慄せしめよ。

14:遠野郷のトーはもとアイヌ語の湖
伝へ言ふ、遠野郷の地大昔はすべて一円の湖水なりしに、其水猿ヶ石川と為りて人界に流れ出でしより、自然にかくの如き邑落をなせしなりと。

16:遠野郷より海岸の田之浜、吉利吉里などへ越ゆるには、昔より笛吹峠と云ふ山路あり。

21:孫四郎は途中にても其鎌を振上げて巡査を追ひ廻しなどせしが、狂人なりとて放免せられて家に帰り、今も生きて里に在り。

shikoku88 at 18:40|PermalinkComments(0) | 史跡・公園

2017年11月23日

南部藩の人口

麒麟
























盛岡で最初に寄ったのが、もりおか歴史文化館。国内でも海外でも、新たな土地に行けば、まず最初に公立の博物館によって歴史・地理・文化を把握することにしている。それをしてから見学するのと、いきなり観光地に行くのとでは当然、理解が違ってくる。

驚いたのは、現在の岩手県の中央部と北部、そして下北半島(青森県)まで領地としていた「南部藩の人口が江戸時代を通じて5%しか増えなかった」という記述。日本全体では、江戸幕府が成立した時代の1227万人から明治維新の3330万人まで2.7倍に増えている(上図)。特に増えたのは江戸時代前半で、享保の改革までにすでに2.5倍になっている。こちらの資料では、南部藩の人口は29万人から35万人に20%増えているが、全国平均に対して著しく少ないことに変わりはない。

これは、日本史で習った通り、平和な時代になって農民が増えたことと、各藩が新田開発を進めたから。江戸時代半ばでそれが止まったのは、人力で開発できる場所はそれまでにほぼ開発しつくされたから。再び人口が増えるには、明治時代になって石炭を使ったエネルギー革命を待たなければならない。

しかし、東北地方ではそうではなかった。当館での展示によれば、江戸時代を増えたり減ったりしながら、結局増えていない。寒冷な地で無理やり稲作を進めたからという説明を読んだことがある。江戸時代は米本位制であったので、コメの増産が何より重視された。各藩は領内で生産されたコメを大坂に送って、資金に変えた。

南部藩の記録によれば、宝暦飢饉(1755)で5万人、天明飢饉(1783)で4万人の餓死者が出ている(それ以外に疫病者数万人)。直接原因は冷夏によるコメの不作だが、藩が飢饉に備えて米を十分に備蓄していなかった人災でもある。本来、定期的に発生する不作に備えて、日ごろから黒字財政にして食糧備蓄すべきなのだが、政治の視点がなかなか長期的にならないのは今も昔も同じようだ。

shikoku88 at 21:15|PermalinkComments(0)旅行 | 美術館・博物館

2017年11月22日

ランチェスター戦略の成功事例



新版になって入れ替えられた事例から、興味を持った会社を紹介したい。

87:「短髪専門」松原理容所(高松)
高松といっても、市町村合併で高松市になった牟礼町で、周辺はたんぼと住宅が混じる田舎。この場所で80年以上続く昔からの床屋。技術コンテスト短髪部門四国一。短髪に絞った当初2年は売り上げが下がったが、3年目からは毎年増客し、四国一の床屋に。

115:過疎地の結婚式場で上場「アイ・ケイ・ケイ」(伊万里)
伊万里からスタートして地方都市ばかり全国展開。強い敵とは戦わない。2010年に株式上場し、現在東証一部。売上180億円、経常利益18億円。

190:母子家庭の親子営業で家事代行サービス
中高齢者(70歳前後)を対象。スタッフは全員がシングルマザーで、幼い子供を連れてお掃除に伺う。掃除のクオリティは低い。家庭の主婦ができるレベル。中高齢者にとって、ひ孫のような世代にあたる子供と定期的に会えるというのが売り。お掃除というより、お話し相手として受け入れられている。リピート率100%(亡くなるまで)。
営業もシングルマザーが子供を抱っこして、チラシをピンポン渡し。新聞折込やポスティングの1万枚に1件の成約確率から、50枚に一件の成約率に上がる。
バックエンド商品として、相続、葬儀、老人ホーム紹介など。提携の専門業者に紹介(手数料)。

最も興味を持ったのが最後の「家事代行サービス」。スタッフ全員がシングルマザーで、営業も仕事も幼い子供連れで行う。運営会社自体が、ダスキンなど老舗に対して「掃除のクオリティは低い」と公言しているのがすごい。

シングルマザーが子供を抱っこして飛び込み営業。幼子を抱いているお母さんを見て、ドアを開けてくれる確率は高い。飛び込み営業で「50枚に一件の成約率」というのはすごい。しかも、いったん契約すると「亡くなるまで解約なし」だという。中高齢者にとって、実の孫やひ孫の顔をめったに見れないところ、「孫の世代がひ孫のような世代を抱えて、定期的に訪問するというのが売り」なのだそうだ。
shikoku88 at 21:49|PermalinkComments(0) | 仕事

2017年11月21日

人生の成功公式:y=ax2+b



新版が出たので、再読。理論は変わらないが、事例が新しくなった。

初版は2002年に出て版を重ねて12万部。ベストセラーではないが、14年間Amazon「中小企業経営」ジャンルでほぼ毎週1-5位というのがスゴイ。ほとんどのビジネス書は出版されて1年も過ぎれば、中古が1円で売られている。ところが、本書は10年過ぎても1000円前後。買った人(本の内容から大半は中小企業経営者)が、「これは手元に置いておきたい」と売ってないのだ。

私の専門はベンチャー企業経営。「高い成長目標を掲げて、足りない経営資源を積極的に外部から調達する」点が普通の中小企業との違いだが、それでも、基本は「弱者」である。ソフトバンクの孫社長は起業にあたって3000冊のビジネス書を読んだそうだ。そして結論は、「孫氏とランチェスターだけ読めばいい」だったという。そのせいだろう、初期のソフトバンクはランチェスター戦略を取っている。

「人生の成功公式 y=ax2+b」というのは分かりやすい。一握りの天才を除き、凡人が成功しようと思ったら、「時間をかけるしかない」というのが結論だ。投入時間は二乗で効くので、素質が劣っていても、過去の実績がなくても、それを覆せる。

1:日本の場合、従業員10人までの会社が80%(個人企業含む)、30人までが94%

173:無料のYou Tube投稿
Googleが買収したので、検索で一番上に出やすい。みんな動画を見るが、投稿はほぼしないので、チャンス!

258:「うらみ」と「のろい」と「たたり」の経営
「初心7年」独立して7年もたつと初心の素直さや原点の心をすっかり忘れ、自己中心的になる社長が増える。さらに「横着15年」といわれる通り、15年もたつと自分に直言する人がいなくなるため、経営が横柄になってくる。

265:人生の成功公式 y=ax2+b
y: 人生
a: 素質
b: 時間(「必勝」は人の3倍。労働時間で√3=1.7倍。「圧勝」は人の4倍。労働時間で2倍)
b: 過去の実績(/討虜盪此↓⊃討亮係り、親の事業相続、ぜ分のお金、ド堝飴此↓Τ慘髻

shikoku88 at 23:04|PermalinkComments(0) | 仕事

2017年11月20日

ランチェスター秘密の人生法則



転職後、「休日は一年間に5日だけ。残りは全部仕事に投入することに決めました」

それで、企業調査会社(東京商工リサーチ)で3年で九州一、5年で日本一に。当然、年間労働時間は4000時間を軽く超えていたという。これだけやれば、自ずと成果が上がるから、楽しくなってくる。

労働時間削減が声高に言われているが、それは「一人前」になってからの話。せめて一人前になってから、さらに上を目指すか、ペースダウンしてワークライフバランスを取るか考えたらいい。そうなる前に努力を止めたら、一生「半人前」として愚痴を言って過ごさなければならなくなる。

どうせ仕事をするなら楽しいほうがいい。

16:35歳からでも「人生を逆転した人」の条件
普通は変わらない。だが、例外はある。
[匹リーダーとの出会い
いいリーダーは強制力を発揮して、部下や弟子が持っている能力のギリギリまで要求していく。
強制力
人が変わるためには、「昨日までと違う行動」をしなければいけない。
すなお
良いものには従う。がんばっている人は素直に認める。
ぅ蝓璽澄爾猟構蠅鮓る
素直でない人は、リーダーの悪い点を見つけようとする。
タ祐屬2種類
・自分で考え、自分で計画、自分で実行できるタイプ(3%)
・リーダーがいないと行動の変化が遅くなるタイプ(97%)
140:素質の高い人が多い仕事を選ばない
学校時代の成績が思わしくなかった人が就職するとき、役所のような、学校の延長線にあるような仕事を選んではいけません。役所の場合は、仕事がうまくいっているかどうか、成果を測定するのがむずかしいので、他人に対する評価は何をしたか、どういう実績を出したかではなく、「どういうミスをしたか」「どういう失敗をしたか」で決めてしまう、減点主義が中心になります。

147:ちょっとダサイほうが売れる
ベルーナ「ダサいチラシ作りがノウハウ」客層は田舎のダサイ50代以上の女性

176:仕事の中に趣味と置き換えができる研究分野を作る
・まず、決めた研究目標に500時間を投入する「入門卒業の時間」
・1000時間を投入すれば、「中の上」にはなれる。
・3000時間を特定分野に集中して投入し、研究したり実際に行動を起こして物的証拠を集めるならば、応用知識が高まるばかりか、もう一段上の知恵も出るようになり、「県内トップクラス」になる。
・さらに1万時間をある特定分野に投入して研究や証拠集めを続けたならば、独創的な考えが持てるようになるばかりか、「全国トップクラス」になれる。
260:本気はワザを超える!
弱者は本気でやる。本気でやると道が拓ける。
お客さんは、本気になっている人を助けてくれる。

shikoku88 at 22:51|PermalinkComments(0) | 仕事

2017年11月19日

国指定特別天然記念物「焼走り熔岩流」

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八幡平を降りて、隣の岩手山のすそ野にあるのが、1732年の噴火の際、標高1200m付近から流出した溶岩流の「焼走り」。実際に当時住んでいた住民が溶岩流を見て、そう名付けたのあろう。全長約4km、最大幅1.5kmにも達する国指定特別天然記念物である。現在に至るまで自然状態のままに維持され、溶岩流の成り立ちなどが詳細に観察できる。

不思議なのは、噴火から300年近く経った今でも植生が蘚苔類のシモフリゴケやハイイロキゴケといった地衣類が多くを占めることだ。植生の回復は、通常.灰陰▲ぅ織疋蝣松と変遷をたどるが、「焼走り」はまだ第一段階ということになる。これは極めて遅い。

岩手山の寒冷な気候が一因であるのは間違いないが、他にも要因がるのかもしれない。
shikoku88 at 18:44|PermalinkComments(0)旅行 | 史跡・公園

2017年11月18日

東洋一の硫黄鉱山

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八幡平頂上はすでに「冬」で紅葉は見逃したが、山の中腹に興味深い遺構がある。それが、かつて「東洋一の硫黄鉱山」と言われた松尾鉱山緑ヶ丘アパート。ご覧の通り、他に何もない山の中に突然廃墟と化した巨大アパート群が現れる。

歴史を調べてみると、大正から昭和にかけて約50年間にわたって操業している。
明治15年 松尾村の佐々木和七氏によって、自然硫黄の大露頭が発見される
大正3年 中村房次郎氏が松尾鉱山蠅鮖駛楸30万円で設立
昭和に入り松尾鉱山の成長期となり、終戦直後に松尾鉱山は最盛期となる(緑ヶ丘アパート11棟建設
・昭和47年(
1972)閉山

閉山の理由は、石炭から石油へのエネルギー革命で、石油精製の副産物として硫黄が安価に入手できるようになったため。

このアパートは建設当時、県庁所在地の盛岡にも無かった、最先端の水洗トイレも取り入れられた鉄筋コンクリートのアパートで、しかも、光熱費や水道代は無料最盛期には、従業員約4,000人、家族を合わせると約15,000人がこの「雲上の楽園」で生活という。

麒麟


























当時の小学校の運動会風景
shikoku88 at 17:53|PermalinkComments(0)旅行 | 史跡・公園

2017年11月17日

トーマス・マンの亡命日記



「ふつう亡命は熟慮と準備ののち、あるいはそれが叶わない場合でも、みずからの決断によって始まる」(はじめに)

トーマス・マンの亡命が、本人の決断でなく、「気軽な旅のさなかに突如相手から通知された」というのが興味深い。「相手」というのは、ナチス・ドイツである。ナチスに批判的なトーマス・マンをナチスのほうから排除したのだ。

そのため、「ミュンヘンの自宅には、仕事場、家族、草稿、資料その他暮らしのいっさいを残している。すべてと切り離されて、身一つのまま国外に放逐された」(はじめに)

しかし、トーマス・マンは幸運だった。ノーベル文学賞受賞者として世界的名声を確立していた彼は、最初スイスの庇護を受け、後にアメリカに亡命することになる。ナチスとの戦いに連合国が勝利したのに、戦後、アメリカで吹き荒れたマッカーシズムにより、再びスイスに亡命を余儀なくされるのは運命のいたずらか。

日本人にとっては当事者となったWar in the Pacific(太平洋戦争)に当然関心が高いが、War in Europe
(欧州戦争)を一人の文豪の日記を通して見ると、そこにはほぼ同時に起こったまったく違う戦争があった。

レマルクのこと
15:このときレマルクは34歳。4年前に『西部戦線異状なし』でさっそうとデビューした。1929年1月の発売後、たちまちベストセラーにおどり出て、半年で百万部を突破。直ちに英語、フランス語、イタリア語、ロシア語、スペイン語に訳され、秦豊吉による日本語訳は同年10月、中央公論社より刊行。三か月たらずで120版に達した。

18:ドイツの女優マレーネ・ディートリヒは『嘆きの天使』の大ヒットののち、アメリカの映画会社に引き抜かれ、ハリウッドで活躍していた。このとき37歳のディートリヒと、妻ある身のレマルクとの恋愛はドイツ亡命者仲間のなかの公然の秘密だった。

大戦勃発の前後
57:独ソ不可侵条約
激しく敵対していた同士が、それぞれの同盟国を裏切って締結した。(中略)極秘の「付属秘密議定書」こそまことの条約だった。東部及び中部ヨーロッパを両国の勢力圏に分割することを取り決め、ポーランドは独ソで分け、バルト三国はソ連の勢力図に分配する旨がうたわれていた。(中略)マンは続けて同日の日記に書いている。「イギリスにとっては『寝耳に水』(中略)日本の懊悩(中略)戦争の危機が深まったことは疑いない」

67:第二次世界大戦における最大の謎
5月24日1230「戦争指令第13号」ドイツ装甲部隊の進撃停止
ラムゼイ提督指揮下のイギリス海軍は政府の許可を待たずダンケルクより撤退

終わりと始まり
169:終戦時のドイツ国民
マンは性急で苛立っている。ナチス思想を否定するどんな声も聞かれない。ヒトラーによる政権掌握に手をかし、90%をこえる国民投票で歓呼し、集団殺戮、破局、すべてを容認した。その罪を認めるどんな言葉も語られない。

再度の亡命
194:マッカーシズム
マクルーハンによると、ラジオは「部族の太鼓」であって、その声は人の心の深層に働きかけ、ちょうど深い密林で打ち鳴らされる太鼓のように陶然とした恍惚感に導いていく。おりから急速な共産主義の拡大におびえていた人々に、「部族の太鼓」はとりわけ効果的に鳴りひびいた。

shikoku88 at 19:08|PermalinkComments(0) | 政治

2017年11月16日

八幡平

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八幡平は全国でも有数の紅葉の名所。特に、全長27kmの八幡平アスピーテラインは屈指の絶景ドライブルート。見ごろは9月下旬から10月中旬ということで、今回は残念ながら紅葉は終わっていた。行きかう車もほとんどなく、閑散。

途中までの天気は悪くなかったのだが(上の写真)、頂上付近は嵐のようで、山頂レストハウスではストーブを焚いていた。

途中の「熊の泉」を少し歩いてみるが、すでに雪が積もっていて、足元が悪いので断念(下の写真)。この足跡は何だろう?


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shikoku88 at 20:35|PermalinkComments(0)旅行 | 史跡・公園

2017年11月15日

言葉を離れる

言葉を離れる
横尾忠則
青土社
2015-09-25


小さなころから絵を描くのが好きで、絵本の模写に熱中していた横尾少年は、本を読まないまま大きくなる。両親は尋常小学校しか出ておらず、「小説を読んだら不良になる」といわれて育ったそうだ。商人だった父親は、「絵描きは河原乞食と同じや」ともいい、中学校卒業後は知り合いの商社に入れてもらうことになっていた。それが変わるのは、中学校の先生が高校進学を進めてくれたから。

話はそこから、「偶然が偶然」を呼び、想定外の連続。これを読むと、自分で果敢に人生を切り開いていくことも大事だが、時には流されることも大事だと思えてくる。あるいは、基本流されてもよくて、時々「ここぞ」と思うときだけ主体性を発揮するぐらいでいいのかもしれない。

どちらにしろ、二つの人生を歩むことはできないのだから、「神様の計らい」と感謝しつつ、与えられた場所でベストを尽くすことなのだろう。


8:小学校に入る前から絵を描くのが好きで絵本の模写に熱中
・両親は尋常小学校しか出ていない
「小説を読んだら不良になる」「絵描きは河原乞食と同じや」
・10代の終わりまでの約20年間というもの読書には無関心

33:模写が僕にとって読書の代行であった
・模写は対象の相手を殺すこと
・相手を殺すことで自己が生きる。生殺し、半殺しではだめ。
・相手の息の根を止めるだけの技術が必要

49:偶然が偶然をよぶ
・因果の法則
・母「神様の計らい」

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2017年11月14日

データ・サイエンティストはこう考える



著者はアマゾンの元チーフ・サイエンティスト。創業期からベソス社長と一緒に顧客にとって使いやすいプラットフォームを作ってきたという。カスタマーレビューによるランキングもその一つだ。

シリコンバレーに多い「移民エンジニア」の一人で、東ドイツ生まれの元物理学者。話は1949年、彼の父親が東ドイツを占領していたソ連軍にスパイ容疑で連行されるところから始まる。父親は6年間拘束されたのちに釈放されたが、結局、なぜ逮捕されたほか、なぜ釈放されたのかもわからずじまいだった。東ドイツの崩壊後、著者は秘密警察のファイル公開を請求したが、すでに父親のデータは破棄されていた。一方、驚いたことに、彼自身のファイルも見つかり、秘密警察に監視されていたことが分かった。

それで、著者がプライバシー保護に敏感になったかというと逆で、「われわれが自らに関するデータを共有すれば、それにともなうリスクを上回る本質的で明らかな価値が生まれる」と信じるようになる。データには発見と最適化の機会があり、「大切なのは、そうしたデータを集め使う組織の利益を、われわれ自身の利益と確実に一致させること」なのだ。今日、ソーシャルデータの量は18か月ごとに倍増している。2000年に丸一年かけて生み出されたのと同じ量のデータが、今ではたった一日で生み出されている。奇しくも、半導体の「ムーアの法則」と同じだ。

著者がそういう結論に至った思考過程はこの本の本論ではないので、詳しくは書かれていない。ここからは私の推論だが、母国東ドイツでの体験で、国家がデータを独占することの恐怖を思い知らされたのではないか。プライバシー保護に重点が行くと、個人も社会全体も不便になる。「データには発見と最適化の機会」があるのだから、むしろこれを共有することで新たな価値が生まれる。

データが共有されれば、誰かが恣意的に改ざんすることができなくなる。これは、ブロックチェーン技術の根幹となっている。

【目次】
■はじめに データ、データ、データ! すべてがデータになる時代

■序章 常識を逆転させたアマゾン
「編集者による製品レビューよりもカスタマーレビューの方が役に立つ」。
私はアマゾンのチーフ・サイエンティストとしてジェフ・ベゾスとeコマースの価値観を
築き上げた。本書ではフェイスブックやウーバーなど巨大データ企業の秘密を解き明かす。

■第1章 データの積み重ねが財産になる
1節 毎日100億回以上グーグル検索される
2節 データはA/Bテストで毎分精製される
アマゾンでは2000年代初頭に、データ・サイエンティストたちが顧客とサイトとの
交信のデータを徹底的に分析、さまざまなことを明らかにした。たとえば顧客が
ある商品を購入するか否かを予測するうえでは、その商品と他の商品の関連性が大事だ。

■第2章 「いいね!」はあなたを映す鏡
1節 プライバシーは幻想である
2節 ネット上で「忘れられる権利」
フェイスブック上のクリックでIQ、政治信条や性的指向は正確に予測される。
あるいはタッチスクリーンの触れ方やスマホを握るときの手の震え方も個人を特定する
には十分だ。デジタル世界に刻まれた痕跡があなたという存在を浮かび上がらせる。

■第3章 そのつながりが経済を動かす
1節 ザッカーバーグが広めた「ソーシャルグラフ」
2節 信頼が新たな市場を生み出す
AT&Tによる他者とのつながりを利用したマーケティングでは契約率が5倍になり、
米国ではソーシャルなメッセージが34万人を追加で投票に向かわせた。アマゾンも
知人から勧められた商品は買うという特性を発見し、新しいプログラムを始めた。

■第4章 1兆個のセンサーがあなたを記録する
1節 位置も人間関係も感情もすべて読み解く
2節 「偽の自分」はつくれない
全米では毎月1億件のナンバープレート情報が集められ、車がいつどこにいたか
特定される。肌に貼れる最新の無線センサーは汗からストレスを探知し、視線追跡装置
は従業員の注意力を測定。さらに思考の一端を読み取るfMRIスキャナーも登場。

■第5章 もしフェイスブック・ユーザーが死んだら
フェイスブックでは年100万~1000万人が死んでおり、誰がアカウント管理するかという問題が起きている。あるいはエアビーアンドビーでは信頼感を醸成するため政府IDなど幅広い個人情報が要求される。データ企業の透明性を高める方法とは。

■第6章 ウーバーのドライバーは悩んでいる
ウーバーで高い評価を確立したドライバーは他の配車アプリにも自らを登録するべきだろうか。あるいは同僚に見られる可能性を承知でリンクトインではどれほどの情報を提供するべきだろう。ユーザーがデータ企業に対して主体性を持つ条件を検討する。

■第7章 データエコノミー
1節 小売・金融・職場・教育
2節 医療・公正さ
フェイスブックの友達リストを見て融資可否を判断する金融機関。暗記能力を問うのではなく学生同士の議論を促す教育アプリ。スマホで運動や食事を管理し、医師と記録を共有。膨大なデータから質の高い意思決定を導くための六つの権利を具現化する。 

shikoku88 at 19:56|PermalinkComments(0) | 仕事

2017年11月13日

自由市場は人間の弱みにつけ込む

不道徳な見えざる手
ジョージ・A. アカロフ
東洋経済新報社
2017-05-12


著者二人は、いずれも経済や人々が必ずしも合理的に動かないことでノーベル経済学賞を受賞した経済学界の重鎮。「誇張、歪曲、隠蔽、水増し、ぼったくりはなぜなくならないのか?」をテーマにした本である。

二人は自由市場を否定しているのではない。むしろ、自由市場システムの崇拝者といえるのだが、自由市場は人間の本性をうまく利用したシステムであるが故、人間の弱みにつけ込む機会をも与えてしまうことが欠点であると喝破している。

では、どうやって自分がカモにならないようにするか?政府による(賢い)規制も必要だが、システムが不誠実な行動を奨励している以上、必ず裏をかいた新たな手口が出てくる。それは、「振り込め詐欺」の発展の歴史を見ても明らかだ。

結局は、一人一人が自分をよく知り、歴史を学び(登場人物と商品は変わるが、金融詐欺はほとんど同じパターンだ)、自分たちが暮らす社会の「落とし穴」に気を付けるしかないと思われる。

まえがき:
・競争圧力のせいで、ビジネスマンたちはどうしてもごまかしと詐欺をやるようになり、おかげで私たちはいりもしない製品を買い、高すぎる金額を支払ってしまう。
・誠実とは言いがたい行動を促す圧力が競争市場では奨励されてしまっている。
・人々は自分が本当に求めるものを自分でもわからないという弱みがある。市場はそうした弱みにつけ込む機会を利用する。

カモ釣りがよく見られる4分野
仝朕佑虜睫撹坩堕
富裕国においてですら、ほとんどの大人が毎晩のようにお金の工面を心配している。
生産されているものが必要だと人々に思い込ませる工夫。

金融とマクロ経済の不安定
金融市場でのカモ釣り
87:カッサノが本気で信じていたのかどうかはさておき、ここで本当にカモにされていたのはAIG本社の人々だった。カッサノは2002年から2007年にかけて、年$38Mもの報酬をお手盛りで得ていた。
277:SECが一部監督しているたった一つの銀行であるBank of Americaは、マーケティングにかける費用だけでもSEC予算総額よりもずっと多い。
279:その説得力にもかかわらず、(クォンツ分析家)マーコポロスの疑念はSECで抵抗にあった。2000年と2001年のボストンSECに対する初の申し立ては、すぐに消えてしまった。でもマーコポロスは頑固に訴え続けたので、マドフを監督する立場のNY地区事務所は2005年11月に捜査を行うことにした。(中略)でもかれらも、その2人を指名したドリア・バチェンハイマーも、標的であるマドフよりも、訴え出たマーコポロスのほうをずっと怪しく思っていたようだ。

7鮃問題
薬品の一部は人々にとり便益がない。
191:現代のアメリカで、カモ釣りが重要になる場面があるとすれば、それは4大中毒分野のたばこ、ドラッグ、ギャンブルだ。中毒者というのは、本当の嗜好が肩の上の特別なサルに乗っ取られた人だ。中毒者がそれを消費すればするほど、サルはそれをもっと消費する必要を感じてしまうのだ。
192:1880年代に紙たばこ巻き機が発明された。1900年には、紙巻きたばこはたばこ産業の全体から見れば小さな点でしかなく、アメリカ人一人当たりの年間消費量はたった49本だった。1930年にはその数は1365本に増えた。そして1950年には3322本だ。この増加と、肺がんの蔓延が同時に起こった。1930年には肺がんによる死者はたった3000人だった。1950年にはそれが1万8000人になった。

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shikoku88 at 21:14|PermalinkComments(0) | 経済

2017年11月12日

ショーシャンクの空に




月曜日にBSプレミアムシネマで放映した「ショーシャンクの空に」(1994)を見る。実は、初めて見た。同年のアカデミー賞各部門にノミネートされたが同時期公開の"Forrest Gump"に全部持っていかれ、受賞は逃している。しかし、その後徐々に名作の評価が高まり現在に至っている。

原題は"The Shawshank Redemption"だから、直訳すれば「ショーシャンクの回収」あるいは「ショーシャンクの(約束)履行」ということになるだろう。「回収」という意味では、主人公Andyの20年にわたる冤罪被害と刑務所内での刑務所長や刑務官の違法行為・残虐行為に対する最終的な勝利だろう。「履行」という意味では、Andyが刑務所内での一番の友達Redと交わした約束の履行だろう。Redemptionにはキリスト教での「贖罪」の意味もあるから、贖罪すべき刑務所内での実態に対する皮肉でも使われていそうだ。

映画のテーマはHOPE(希望)。Andyは普通なら絶望するような状況でも絶対にあきらめない。それも、能天気にではなく、地道にだ。刑務所の図書室を充実させようと、毎週州議会に陳情の手紙を書く。何年か経って、ついに根負けした州議会は他の図書館で不要になった古書とわずかな寄付金を送ってくる。「もう手紙は送ってこないでください」と書き添えて。Andyはそれから週2回手紙を送るようになった

「希望」は、「可能性」にも近い。先月、「カンブリア宮殿」に登場した新興の家電メーカーバルミューダ。創業社長の寺尾玄は17歳の時に高校を中退しているが、その理由が、「進路希望を書け」と言われたからだという。志望大学、学部・・・それを書いたら「自分の大切なものを失う」と直感した寺尾は高校を退学してしまう。

高校の勉強は可能性を狭めるものではなく、可能性を広げるもの。進路希望を書いたから可能性を狭めることにはならないが、型ではめたやり方に反発したということなのだろう。その後ロックミュージシャンを目指すが結局芽は出ず、10年間活動してバンドは解散。考えられることをすべてやりつくしても成功できなかったことで大変なショックを受けたという。

それでも、また、次にやりたいことを見つけて、異色の家電メーカーを作り上げた。他人のせいにせず、17歳で高校中退した自分の行動に最後まで責任を持ったところがスゴイ。

shikoku88 at 18:58|PermalinkComments(0)映画・TV | 仕事

2017年11月11日

「記憶」に戦慄せよ



先月遠野に行ったのをきっかけに、『遠野物語』を読んでみる。通常、こうした古典は人気がなくて図書館ですぐ借りられるのだが、偶然か、新訳版が貸し出し中だったのでこちらの解説本で読んでみた。

まず、作品成立の背景だが、遠野出身で小説家志望であった佐々木喜善が東京に出て哲学館(東洋大学の前身)や早稲田大学で学ぶことから始まる。佐々木は柳田国男の知遇を得て、彼に遠野の昔話をし柳田がこれを面白がってまとめたことが『遠野物語』出版のきっかけである。それは、柳田国男が民俗学者になるきっかけでもある。佐々木は病気になるなどして後に故郷に帰る。昔話の採集や研究に打ち込んで、昔話集を刊行した。金田一京助に「日本のグリム」と呼ばれた。

遠野は内陸の花巻と沿岸の釜石からは、それぞれ40kmの距離で、北上川で結ばれている。つまり、長らく物流の中心であった船で、どちらの町へも1日の距離だったということになる。そのため、江戸時代には遠野南部氏1万石の城下町として栄え、内陸と海を結ぶ交易の中継地として賑わっていた。経済的繁栄は文化成立の必須条件である。

そして、遠野は盆地であり、「盆地底には人と物、情報が集散する城下町があり、周囲の平坦地には水田が広がり、山裾の丘陵地では畑や果樹園が営まれ、背後の山に入れば狩猟採集が行われ」ており、「地形と対応して、外側から中心へと、狩猟採集の縄文時代、稲作の弥生時代、商工業の発達した江戸時代の文化がそれぞれ息づいてた」。この多様性が様々な物語を成立させたと考えられている。

そんな遠野にあこがれて、昭和33年(1958)に京都から二人の若い学者が遠野を訪ねる(社会学者の加藤秀俊と、文化人類学者の米山俊直)。『遠野物語』発刊から半世紀近くが経ち、二人の訪れた遠野には、すでに物語の世界を彷彿とさせる神秘性はなかったそうだ。映画館が建ち、オートバイが走り、喫茶店ではイヴ・モンタンのレコードがかかっていたという。

柳田国男は『遠野物語』序文で、山神山人の伝説を語って「平地人を戦慄せしめよ」と言っている。確かに、『遠野物語』に記された縄文から弥生、そして近代の「記憶」とその後の社会の変わりように戦慄する。
6はじめに:「遠野の城下は則ち煙火の町なり」(『遠野物語』序文)
江戸時代には遠野南部氏1万石の城下町として栄え、内陸と海を結ぶ交易の中継地として賑わっていた。内陸の花巻と沿岸の釜石からは、それぞれ40kmの距離。

15:小盆地宇宙(米山俊直『小盆地宇宙と日本文化』1989)
盆地底には人と物、情報が集散する城下町があり、周囲の平坦地には水田が広がり、山裾の丘陵地では畑や果樹園が営まれ、背後の山に入れば狩猟採集が行われています。地形と対応して、外側から中心へと、狩猟採集の縄文時代、稲作の弥生時代、商工業の発達した江戸時代の文化がそれぞれ息づいている。

34:河童の子殺し
55話「二代まで続けて河童の子を孕みたる者あり。生まれし子は切り刻みて一升樽に入れ、土中に埋めたり」・・・名家のスキャンダルの噂を消すために「河童の子を殺した」という話型を利用?

67:『遠野物語』には、心の病を抱えた人も人間存在の一つの在り方として承認して抱え込んでゆくという社会があり、むしろそうした人たちを神に近い存在として捉える感覚。

shikoku88 at 19:10|PermalinkComments(0) | 史跡・公園

2017年11月10日

土建王国

象の鼻





















































































































































































































岩手県の印象は土建王国。今回二日間で500kmほどレンタカーで走ったが、とにかくダンプが多い。特に、東日本大震災で津波被害を受けた三陸沿岸道路と、宮古と盛岡、釜石と花巻から秋田までを結ぶ国道が「復興道路」として整備中である。

調べてみると、平成28年度の岩手県内の整備費だけで1500億円以上が使われている。完成予定は平成32年度ということで、総事業費は1.4兆円地元岩手銀行系の岩手経済研究所の試算では、完成後の県内経済効果は年間540億円。岩手県分の総事業費が不明だが、仮に1兆円として、540/10000=5.4%となる。長期国債金利は現在ほぼゼロだから、悪くないROIだ。

しかし、経済効果の試算には、道路維持費が入っていない。これが今も昔も公共事業のワナになっている。国道を整備する側の国交省にとっては、予算をとって道路を作ることが「仕事」だし、維持費も将来の予算取りを確実にする。地元にとっては、自らの負担は最小で、工事で「特需」に沸くうえ、完成後の経済効果も期待できる。政治家にとっては地元にアピールできる最大の「見せ場」だ。

要するに「税金を使いたい人ばかり」の構造で、国の財政規律を心配するのは財務省のみ。多勢に無勢で高度経済成長期以降、福祉費用とともに公共投資も拡大した。特にバブル崩壊後、景気対策として活用され、1998年のピーク時には15兆円を記録した。長年継続された公共投資の結果、インフラ維持費も膨大になっており、毎年4兆円にも上っている。現在の財政状況を見れば、全てのインフラを維持できないのは明らかで、もともと過疎化が進んでいた三陸地域のインフラが長期にわたって利用されるのかどうか、疑問が残る。

公共事業予算額




















(日本経済新聞 2017/11/9)

shikoku88 at 19:16|PermalinkComments(0)経済 | 政治

2017年11月09日

日本人がバカになってしまう構造




「ヤンキー」と、言い訳する「大学出」ばかり、とある。橋本氏の定義による「ヤンキー」とは、「経験値だけで物事を判断する人達」のこと。物事の判断基準は「自分の経験した事だけ」で、その範疇を超えたものは「よく分からない」という判断留保の状態になり、知識を得ることによって自分の判断基準を広げるということをしない。(新書のためのまえがき)

橋本氏はその原因を、日本がそれをする必要を感じないほどの「豊かで安定した社会」だからと論じる。この点は賛同。日本以上に豊かな国はたくさんあるが(今や平均所得はOECD下位で、管理職についてはアジアの中でも最低レベルだ)、「安定した」ということになるとこれほど安定した国を他に知らない。普通はより豊かな生活を夢見て努力し、競争している。

「以前の阿波踊りで女の踊り手達のかぶる笠はそんなに急角度でもなかったのに、今の笠のかぶり方は垂直に近くなってしまっている。全員が同じようなかぶり方をして、動きも完全に揃ってしまっているから、個性なんてものがまったく見えない」という指摘は面白い。あのチラッチラッと見えるのがよかったのに、今では北朝鮮のマスゲームのようだ。そこに作者は、YOSAKOIソーランとの共通性を見ている。
23:整然として動きの揃った阿波踊りは、「ヤンキー的」とも言われてしまう北海道の「YOSAKOIソーラン祭り」の集団演技に似通って、私には「なんんか違う」と思えてしまう。

129:モラルが同居する知性を持っていた福沢諭吉
「かかる馬鹿者を取扱うには、とても道理をもってすべからず、不本意ながら力をもって威し、一時の大害を鎮むるより外に方便あることなし」

shikoku88 at 22:38|PermalinkComments(0) | 教育

2017年11月08日

日本の歴史



ワイド版になって読みやすくなった。最近、文庫の文字だときつい。

「はじめに」は、短大(神奈川大学短期大学部)で教えている時の体験から始まる。

「基本的な生活様式が、まったく変わってしまっている」

次いで、具体的な例が挙げられるのだが、たとえば「苗代」を誰も知らないという。「レプラ」も知らないと続くのだが、これは私も知らなかった。どうやら癩病のことらしいのだが、それなら私も分かる。ところが、短大では癩病と言い換えても誰もわからなかったという。

忘れてしまうと、人はまた同じ過ちを繰り返すことになる。ましてや、「苗代」も「癩病」は今も存在するものだ。

21:江戸時代後期の識字率は50-60%まであったという人もいますが、平均して40%ぐらいまでは字を識っていたと言われています。

83:ハンセン病に罹った人、身体障害者を共同体から排除するような動向は、考えられません。

149:お祭りのときや仏教の大衆的な法会のとき、あるいは神社・仏閣にお籠りをしたときなどに、いわゆる「歌垣」と同じように、男女のフリーなセックスが行われるという風俗のあったことは、宮本常一さんが『忘れられた日本人』で書いておられます。対馬の観音堂の祭りや、河内の太子堂の縁日のときは男女の自由な交渉が公然と行われたというのです。

303:女性と僧侶が金融や商業の担い手になっていたことを確認することができるのです。その理由は簡単にはいえませんが、ひとつにはこの国家が、基本的な租税、調・庸などの負担者を、二十歳以上の成年男子に定めたことに理由があると思います。つまり、成年男子が公認された国家の成員で、女性や僧侶はいわば基本的な国家の成員からはずれることになったわけです。

shikoku88 at 18:02|PermalinkComments(0) | 史跡・公園

2017年11月07日

誕生日

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誕生日の今日、代休を取って岩手県を旅行中。先月海外出張続きで3日間しか休めなかったので。実は、誕生日に家族と一緒というのは4年ぶり。地元NPOの理事会のためにずっとダメだったのを、今年から第二週にしたのだ。

53歳の私:
・国内旅行3回
屋久島(初)、秋田(出張以外では初)、岩手(出張以外では初)
・海外出張4回
ソウル、釜山(初)、ヨハネスブルク(初)、ジャカルタ(初)。9月から10月にかけて一月間で3回。初めて行った場所も多いうえ、こんなに短期間で3回も行ったのも初めて。流石に堪えた。
・ブログ継続
累計アクセス数30万突破この10年ほど毎日更新中。検索できるので、自分の備忘録になっている。
・読書
読書記録によれば110冊読んでいた。大学を辞めてしばらくゆっくりしていたが、昨年から仕事が本格化して、ペースが落ちている。
・自転車
読書と同様、一度に何百キロ走る機会がなかった。ただし、都内の移動は引き続きほとんど自転車。これが一番効率が良く、運動にもなるので一石二鳥。

54歳の私:
まぁ、こんなペースですかね。放っておくと慣れたことから離れない年齢になっているので、初挑戦は意識的に続けたい。

shikoku88 at 20:47|PermalinkComments(0)旅行 | 今日の出来事

2017年11月06日

「文明」を求めた19世紀日本



今年は1867年の大政奉還から150年。来年は明治維新から150周年ということになる。そのせいか、明治維新の見直しをする本が何冊か出てきた。本書はその一つ。

明治維新を成し遂げた若き志士たちは、当然、自分たちの行動を正当化する。全国に普通教育を普及させ、自分たちの史観を教科書にして学ばせた。簡単にいえば、「徳川幕府の封建制度はダメで、明治維新が日本を救った」という見方である。

本書の立場は、学術書なので、それを否定するものではないが、「1868年における断絶だけに目をむけてしまうと、それ以前から進んでいた、社会と思想の構造変化というべきものを見落とす」という立場を取る。

福沢諭吉の言う「門閥を厭ふの心」がしだいに鬱積し、破裂しそうになったところで、ペリー艦隊が到来し、「幕府」の権力の弱体が露呈する。つまり、江戸時代の社会構造疲労は限界に来ていて、ペリー艦隊はきっかけに過ぎなかった。こうして生まれた「攘夷論」をきっかけとして、「門閥を厭ふの心」が一気に政治運動として暴発したのが討幕の「革命」なのだ。

また、大坂を中心とした商業の発展は、既に当時世界有数の規模に達しており、商人を中心に「経済的価値観」を有していた。だから、効率を上げる西洋技術の導入に抵抗感がなく、株式会社制度も直ぐに理解できたのだ。

こうして、「日本は西洋化をともなわずに近代化に成功した唯一の例」(ハンチントン)となる。

18:ハンチントンの予測
いずれ中国を中心にした諸国の「儒学・イスラーム・コネクション」が生まれ、アメリカが主導する西洋文明の諸国に対抗する。

23:1868年における断絶だけに目をむけてしまうと、それ以前から進んでいた、社会と思想の構造変化というべきものを見落とすことになる。徳川時代と明治時代を貫く19世紀という範囲を定めたのは、そうした長い期間における変化を跡づけたいからである。

24:ハンチントンの見立て
日本は西洋化をともなわずに近代化に成功した唯一の例

38:異質な文化どうしのあいだで共有できる<文明>、もしうはウォルツァーの言うミニマルな道徳
19世紀の日本列島住民は、それを同時代の西洋文化のなかに見出したからこそ、その産物である政治制度やその根底にある思想に憧れ、みずからの文化のうちに受容しようと試みた。

74:この「門閥を厭ふの心」がしだいに鬱積し、破裂しそうになったところで、ペリー艦隊が到来し、「幕府」の権力の弱体が露呈する。こうして生まれた「攘夷論」をきっかけとして、「門閥を厭ふの心」が一気に政治運動として暴発したのが討幕の「革命」

98:17世紀には、大坂を中心にして全国規模の商品流通のネットワークが形成され、そこで生産物が取引されるようになり、さらに商品の開発・生産を促進する。そうした形で、最小の費用で最大の効用を得ようとする経済的な価値観が、多くの人々の行動を支える「経済社会」へと日本社会は変貌していった。やがてそこのことが近代において工業技術を西洋から導入するさい、定着を容易にしたのであった。

shikoku88 at 18:52|PermalinkComments(0) | 史跡・公園

2017年11月05日

「あなたが信じるものを、誰かに決めさせてはいけないわ」

サラバ! 下
西 加奈子
小学館
2014-10-29


物語は下巻に入って、急展開を見せる。

「姉はおかしな巻貝を作り続け、母は祖母が死んですぐに再婚し、唯一まともだと思っていた父は出家するなどと言い出す。この家族は、一体なんなんだ!」

そして、売れっ子のライターとして仕事も順調、美人の恋人に困ることがなかった主人公は30歳を過ぎて薄毛になったのをきっかけに出不精になり、仕事も暗転する行き詰った歩をよそに、変わり者の姉は知らぬ間に米国で結婚していた。そして、明かされる、両親の離婚の事情。

そして、歩は小説を書き始める。
下17:恐らく既婚の恋人と別れ、ふてくされた母と、二十歳を過ぎてまた、部屋に閉じこもるようになった姉との三人暮らしは、われ関せずを貫くことで生きてきた僕でも、さすがに揺すぶられざるを得ない状況だった。僕の唯一の光明は須玖だった。

下63:それにしても、父の忍耐力と懐の深さには、本当に恐れ入る。厄介な長女を引き受け、分かれた妻とその家族を援助し、ほとんど関係がなくなった親戚の借金まで共に返済、そして長男を、東京の私立大学に行かせているのだから。

下109:祖母は、僕の人生の中で初めて「死んだ人」だった。僕にとって死は、テレビの中や、どこかよその家で起こることだった。鴻上の姉ちゃんが自殺したという話を聞いたときも、僕はだから、鴻上の体験に寄り添うことが出来なかった。その事実に、ただ驚いていた。でも、祖母の遺体、まるっきり死んでいる死体を前にして初めて、死が僕の手の届く場所に突きつけられた。皆死ぬんだ。

下128:姉はおかしな巻貝を作り続け、母は祖母が死んですぐに再婚し、唯一まともだと思っていた父は出家するなどと言い出す。この家族は、一体なんなんだ!

下296:母は、父と幸せになりたかったのだ。こんなに悲しいすれ違いはなかった。そして、こんなに悲しい皮肉はなかった。「絶対に幸せになる」と言った母は、ちっとも幸せじゃなかった。「幸せにならないでおこう」と思った父は、ずっと幸せだった。

下350:小説の素晴らしさは、ここにあった。何かにとらわれていた自身の輪郭を、一度徹底的に解体すること、ぶち壊すこと。僕はそのときただ読む人になり、僕は僕でなくなった。そして読み終わる頃には、僕は僕をいちから作った。僕が何を美しいと思い、何に涙を流し、何を忌み、何を尊いと思うのかを、いちから考え直すことが出来た。

shikoku88 at 19:46|PermalinkComments(0) 

2017年11月04日

サラバ!

サラバ! 上
西 加奈子
小学館
2014-10-29


2015年の直木賞受賞作品。

主人公の歩(あゆむ)は、テヘラン生まれで一度帰国して小学校低学年を日本で過ごした後、再び、カイロに赴任した父親についてエジプトで小学校高学年を過ごす。そこで、仲良くなったのが、近所に住む少年ヤコブ。ヤコブはコプト教徒で、イスラム教徒の多いエジプトでは少数派だ。

「テヘランで生まれて、カイロで小学校」というのは作者の西加奈子そのもの。当然、小説同様、彼女の家族も崩壊していたのかとか、現地人の親友がいたのかと思ってしまう。直木賞受賞当時のインタビューによれば、「100%虚構です」ということ。ただ、「作家が私小説を書いていても、やっぱりフィクション」ということから、部分部分が事実であっても全体としては作品として再構成され、脚色されているということなのだろう。

ちなみに、調べてみると、エジプトは90%がイスラム教徒で9%が土着のキリスト教であるコプト教徒ということだ。

上176:幼かった僕らは、どこかでそれを分かっていた。だからこそ、その時間を大切にした。一瞬一瞬は、僕らの中でスパークし、それが二度と戻らないものであるからこそ、その輝きは強烈だった。

上217:家族はヤコブを愛していた。それは僕にも分かった。そしてヤコブは、その家族を誇りに思っていた。自分の母親を心から美人だと思っていたし、この場にいないお父さんのことを、何度も何度も褒めた。

上250:それは石造りの教会だった。僕たちがカイロでよく見る、イスラム教のモスクではなかった。丸い屋根の上に、少しいびつな十字架があり、集まっている人たちは、誰もガラベーヤを着ていなかったし、へジャブもかぶっていなかった。僕はそのとき、初めてヤコブの宗教を知った。「僕は、コプト教徒なんだ。」

shikoku88 at 20:43|PermalinkComments(0) | その他

2017年11月03日

人間という動物の進化と未来



「人間はコモンチンパンジー、ボノボに続く、三番目のチンパンジー」であり、構成する遺伝子の98%以上が共有されている。なのに、なぜこれほど違うのか。それを解き明かすことによって、未来への教訓にする。

最初の人類から、現在に続く二つの悪い性質を持っていた。それが、互いに大量の人間を殺し合うというという性質と、環境と資源基盤を破壊しようとする性質である。人類はこれまで自分達と違う人種にあうとしばしばこれを殲滅してきた。タスマニア人もたくさんのアメリカ大陸の原住民も西欧からの入植者によって虐殺され、絶滅した。

人類の人口増加とともに、絶滅種が急増していることには震撼させられる。

象の鼻








































42:現在の人類にいたる三つの変化
400万年前に二足歩行→両手が自由に使える→道具を作れる
300万年前に人類の系統が二つの種に分岐
9云鐡に使われるようになっていた石器の存在

88:動物において交尾は、とても危険に満ちた贅沢だ。エネルギーは費やされ、食べ物を集める機会にもみすみす目をつぶらなくてはならない。自分を狙っている捕食者の攻撃は受けやすいし、なわばりを乗っ取ろうとしているライバルもいる。そのため、後尾にかかる時間は、受精に必要とされる最小限にとどまる。

99:夫婦
統計的には十分有意と認められるほど、肉体的にもほぼいずれの点でも互いに似ていた。

274:タスマニア
1800年ごろ、イギリスのアザラシ猟の猟師と入植者がこの島に到着したとたん、二つの民族をめぐる悲劇的な衝突はただちに激しい対立に変わった。白人は島の女や子どもをさらい、男たちを殺すと島の猟場へと踏み込んでいき、この島からタスマニア人を一掃しようとたくらんだ。

364:こうして現れた最初の現生人類は、高貴な特徴を備えていたが、彼らは現在私たちが抱えている問題の根底に横たわる二つの特徴も背負っていた。そのひとつこそ、互いに大量の人間を殺し合うという私たちの性質である。そして、もうひとつは、環境と資源基盤を破壊しようとする性質である。

shikoku88 at 19:32|PermalinkComments(0) | 教育

2017年11月02日

第11章 逮捕ー私は闘う

野村證券第2事業法人部
横尾 宣政
講談社
2017-02-22


最終的にグローバル・カンパニー横尾社長と羽田取締役は、接見禁止のまま966日間(2年8カ月)も勾留される。総務担当で詐欺罪の付かなかった小野取締役も接見禁止のまま820日(2年3か月)という異常に長い期間に及んだ。一方、「主犯」であるオリンパス財務部の3人と中川氏は40日以内の勾留で終わった。最初に証券法・金商法違反容疑を認めたからだ。

東京拘置所で刑務官に「良くしてもらった」というのが面白い。東京拘置所には常時3000人の被告がいる。日々被告に接し、検事の取り調べに付き添っていれば冤罪かどうかは刑務官に分かってくるのだろう。横尾氏は何度も刑務官に励まされたという。本を書くように勧めたのも刑務官だったそうだ。

「まだ気持ちは壊れていない?あなたは絶対に冤罪だよ。われわれは裁判に同行するし、あなたの毎日の生活態度を見ているから分かる。裁判官よりはるかにね」(ある刑務官)

379:吉開検事は、証券取引法が07年10月に金融商品取引法に名称変更されたことや、それに伴って「有価証券報告書の虚偽記載」の公訴時効が5年から7年に延長されたことも知らない。私に指摘され、大慌てで30分以上も調べる始末だった。

394:ある刑務官「この経験を本にしてもらいたい」
「いま東拘にいる3000人の被告の中で、おそらく1割は冤罪でしょう。小さな事件の裁判で勝っても意味はない。オリンパス事件という日本中を騒がせた大事件の裁判で、あなたが勝てば日本の司法制度も少しは変わるかもしれない。そのためにも絶対に本を出版して、自分の無罪を主張してください」

395:「リクルートの江副浩正さんは気の毒だった。取り調べ中もずっと立たされ続けて、見ている方がつらかった。あんなの、人間のすることじゃない」

397:オリンパス巨額粉飾決算事件の最大の元凶は山田氏
山田氏は自分一人で損失を拡大させ、上層部が「こんなもの表に出せない」と判断せざるを得ないレベルにまで膨らませた。そうなると上層部は、損失の中身に最も詳しい山田氏に、決算対策を一任するしか手がない。このため山田氏は責任を追及されることなく、彼のために設けられたと言われる副社長のポストにまで上り詰めた。巨額損失を作り出したお陰で、山田氏は20年間のバラ色の人生を送ったのだ。

shikoku88 at 22:08|PermalinkComments(0) | 仕事

2017年11月01日

第10章 国税との攻防

野村證券第2事業法人部
横尾 宣政
講談社
2017-02-22


「オリンパスの粉飾スキームを計画したのは、無謀な資産運用で大穴を空けてしまったオリンパスの財務チームで、それを知って協力していたのはLGT銀行だった(もちろん、ぼろい商売でもある)」というのが、横尾氏が逮捕されてから自ら資料を当たって解明したこと。拘留中に読んだ書類の高さは10mにもなったという。これをリポート用紙1万5千枚を使って毎日12時間以上分析した。独房内でPCが使えないので、全て手計算したそうだ。

LGT銀行というのは、スイスとオーストラリアの間にあるリヒテンシュタイン公国にあるプライベートバンク。スイス以上に秘匿性が高く、マネーロンダリングに使われることで有名だ。ここの東京駐在所長だったのが臼井康広氏。やはり、野村證券出身で、私も一度食事したことがある。

359:LGT銀行は、新事業3社株の高値売買が、損失隠しスキームの解消のために行われたということを認識していた。そして「犯罪行為に加担して成功報酬を受け取った」と指弾されないように、あらかじめ火の粉を振り払う手立てを打っておいたのだ。

367:時間稼ぎが狙いだったマネロン容疑の逮捕
そこには拘置所の私からの指摘に狼狽した検察側が、目前に迫った初公判の日取りを先延ばしするため、泥縄式にマネロン容疑をデッチ上げざるを得なくなったという、裏の事情が隠されている。

373:『FACTA』の記事に沈黙していたマスコミも、特捜部のリークとしか思えない、事実無根の記事を垂れ流し始めた。その中で私は常に、オリンパスの粉飾決算の主犯として登場していた。私は内偵調査の結果として捜査線上に浮上したのではなく、最初から容疑者であることが当然視される存在だった。


shikoku88 at 18:18|PermalinkComments(0) | 仕事
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