2016年12月
2016年12月31日
Best International Business Schools

先週、今週と東京で二人のMBA志望者と会う。二人ともLBSが第一志望ということで、共通の知り合いからの依頼。いつも通り、LBSの特長、卒業後の進路、同窓会の状況などを彼らのバックグランド、将来計画を聴きながら説明。一人は会社派遣で、もう一人は(派遣制度がないので)自費で行くという。
丁度今月、Forbesで"Best International Business Schools"という特集が発表された。1000人の企業採用担当者、15000人の卒業生、9000人の最近の卒業生に調査したというから信頼性は高い。ここでInternationalというのは、「米国外」という意味で使われているらしく、対象はアメリカ以外のビジネススクールである。
LBSは世界第一位にランクされた。多額の投資が必要とされるMBAで最も重要な指標はMBA取得によって「年収がどれだけ伸びるか」。本調査の結果では、LBSのMBA学生の入学前の年収平均は$70,000(800万円)。これが、2年後の初任給平均が$140,000(1600万円)と倍になる。卒業生への調査では卒業6-8年後にはさらに$220,000(2550万円)まで増えている。一方、卒業時点での学生の借金平均は$70,000(800万円)で、これは2年間の授業料に等しい。
つまり、投資は、授業料+機会費用(2年間の給与)=$70Kx3=$210K。これでIRRを計算してみると15%

但し、この計算は、MBAに行かない場合の年収が$70Kで止まることを前提にしている。MBA前、就職後5-6年でこれだけの高収入を得ている優秀な人達だから、MBAに行かなくても年収は伸びているはずだ。仮に、MBAに行かずにそのまま働き続け毎年$10Kずつ年収が伸びるとする。MBA1年目は$80K、2年目は$90K・・・と機会費用は増え続ける。その場合のIRRは1%

ということで、毎年100万円以上年収を伸ばせている人は慌ててMBAにいく必要がないというのが結論。大学卒初任給が年収300万円、それから毎年100万円ずつ伸びて、5年後28歳(LBS入学時の平均年齢)で800万円になっているイメージ。逆に行くべき時は、キャリアチェンジ(エンジニアだったがコンサルタントに転職したい、経営者になりたいなど)したい時や、キャリアに行き詰まり感があり打開のきっかけが欲しいとき。
勿論、これは平均値の話なので、LBS卒業生の初任給も1000-2000万円まで幅がある。進路もリーマンショックまでは金融が一位、二位がコンサルティングだったが、現在はこれが逆転している。今年の卒業生の就職先で最も多かったのはマッキンゼーだったらしい。
2016年12月30日
すべての見えない光
冬休みに入ったので、大著を読む。アメリカ人小説家Anthony Doerr原著である"All the Light We Cannot See"は2014年に出版され、NY Timesのベストセラーリストに100週以上にわたってランクインされているという。2015年にピュリッツァー賞受賞(フィクションも対象なんだ

物語の大部分は第二次世界大戦前のフランスとドイツが舞台となる。父が炭鉱事故で死んだドイツ人少年ヴェルナーは妹と孤児院で過ごしている。彼は貧しいためまともに小学校に行けないのだが、とても頭がよく、独学で電気工学も知識を身につける。街のお金持ちの家のラジオを修理したことがきっかけで、無料で教育を受けられる陸軍幼年学校に入学できる。
それで、運命は好転するかと思われるのだが・・・その天才的な頭脳で無線探査装置を開発したにも関わらず、何の後ろ盾もない孤児の彼は戦況悪化とともに14歳で前線に送られる。そして、アメリカ軍のフランス上陸作戦中に、ヴェルナーはサン・マロというイギリス海峡に面した古い城塞都市で盲目のフランス少女とたった1日の運命の出会いをするのだ。
小説は時間と空間が交差して綴られるが、分かりにくさはない。総数187にものぼるエピソード群をどうやって物語全体に配置するのか、ドーアは試行錯誤を繰り返したという(訳者あとがき)。
サン・マロの街は上陸作戦前の空爆でほぼ完全に破壊される。今の街の映像を見ると、戦争の傷跡はどこにも見られないようだ。これだけのベストセラーになったから、今は、アメリカ人の観光客が増えているかもしれない。
25:小さいころのヴェルナーは、とてもひもじい。男たちはツォルフェアアインの門の外で仕事をめぐってけんかし、ニワトリの卵は一個あたり二百万マルクで売られ、リューマチの熱はオオカミのように<子どもたちの館>のまわりをうろつく。バターも、肉もない。果物は記憶でしかない。とくに厳しい数カ月間には、院長が十人ほどの孤児に出せるものといえば、マスタードの粉と水を混ぜて焼いたものしかない、という夜もある。85:「道具の扱いに長けている」とジードラー氏は言っている。「年齢に見合わないほど頭がいい。きみのような少年が行くべき場所がある。ハイスマイヤー大将の学校だ。精鋭中の精鋭だよ。機械科学も教えている。暗号解読、ロケット推進、最新の技術すべてを」223:「オーデュボンはアメリカ人だった」とフレデリックは言う。「あの国全体がただの沼地と森だったときに、そこを何年も歩きまわったんだ。一羽だけをまる一日かけて観察した。それからその鳥を撃って、針金と棒で支えて絵を描いた。彼よりも知識のある鳥類学者はおそらくいない。絵を描いたあとは、その鳥を食べてしまった。想像できるかい?」
245:ウベール・バサンは、サン・マロの城壁や魔術師や海賊について嬉々として話す。何世紀にもわたり、この町の塁壁は血に飢えた略奪者たち、ローマ人もケルト人もバイキングたちも退けてきたのだ、と彼はマリー=ロールに言う。海の怪物たちを退けたという話もある。千三百年にわたり、沖合に停泊して市街に火の玉を投げ込み、すべてを燃やして住民たちを飢えさせ、なにがなんでも皆殺しにしようとする残忍なイギリス人の船乗りたちを、この壁は寄せつけなかったのだ。
2016年12月29日
アホウドリの愛は本物か
アホウドリとペンギンが同じ祖先というのが面白い。アホウドリは長い翼を発達させて、世界最大の飛行動物となり、ペンギンは飛行能力を失って泳ぐようになった。共通点は、アホウドリもペンギンも人を警戒することを知らず、極地探検者のよい食料源となった。
262:全世界に棲む5000種の哺乳類の中で、社会的に一雌一雄と考えられるものは3%としかいない。ヒト以外では、オオカミ、ビーバー、そして意外にも好色なプレーリーハタネズミがここに含まれる。しかし、すべての鳥類の少なくとも90%は、生涯のある時点で特定のつがい相手を選ぶ。266:私たち人間のようにアホウドリは長生きで、子供を育てるために大変な努力をする。私たちとは違い、その離婚率はゼロに近い。おそらく鳥の中で最低だろう。ゼロパーセントだ。アホウドリの前では、私たちはまるで性に奔放なように見える。
274:アホウドリとペンギンは、7千万年前の共通の先祖から進化したお互いをどう思っているのだろう。その長い年月に、アホウドリは長い翼を発達させて、世界最大の飛行動物となった。一方ペンギンは飛行能力を失い、代わりに泳ぐようになった。それでもアホウドリとペンギンは、同じ優しさの受容力が共通しているように思える。アホウドリのように、つがいになったペンギンは、身体に触れあいながら寄り添って立つのを好む。いくつかのつがいが、ごわごわした羽毛をやさしく羽繕いしあうところを、私は見た。
2016年12月28日
「玉の輿」の語源?
日本橋亭での講談でもう一つ聞いたのが、三代将軍徳川家光の側室で、その後五代将軍徳川綱吉の生母となる「桂昌院」の物語。京都の八百屋に生まれた「お玉」は大変愛嬌のある顔をしていた。誰もがお玉を見ると笑ってしまう、というから、美人には程遠かったようだが、本人は明るい子であったようだ。
この明るさが父親が出入りしていた武家の本庄家のおかみさんに気に入られ、養子になる。この辺、「幼くして父親が亡くなり、母子家庭で苦労していたが、母が本庄家の飯炊き女として働くようになった。妻を亡くしたばかりの当主に母が見初められ、後妻になったため、お玉は本庄家の娘になった」という説もあるので、曖昧だ。庶民であってもなんでも記録が残ってしまう現代とは違う。
本庄家は公家に仕えていた。その公家の娘が家光の側室になることになり、身の回りの世話係として一緒に江戸に上がる。大奥で働くうち今度はお玉自身が家光に見初められ側室になるのだ
そして、産んだ子が将軍になったため政治にも影響を与えるようになる。
綱吉と言えば「生類憐みの令」。歴史で教わったときには悪法とのイメージが強かったが、近年ではその意義が再評価されているという。それは、「生類憐みの令」を機に力が支配する時代が終わり、江戸時代は安定期を迎える。それまで蔓延していた、捨て子や辻斬り・殺人が禁止され、厳罰に処せられるようになる。
その「生類憐みの令」制定を勧めたのが桂昌院と言われているのだ。そのため、上記の「今でしょ講座 歴史を変えた凄いヒロイン」で、桂昌院は第二位に入っている。他の二人は、‘読院↓M篥臓
こうして貧乏八百屋の娘だったお玉は将軍の生母となり、それが「玉の輿」の語源になったというわけだが、これはどうやら俗説のようだ。しかし、語源でなくても、玉の輿の代表例が桂昌院というのには変わりがない。
この明るさが父親が出入りしていた武家の本庄家のおかみさんに気に入られ、養子になる。この辺、「幼くして父親が亡くなり、母子家庭で苦労していたが、母が本庄家の飯炊き女として働くようになった。妻を亡くしたばかりの当主に母が見初められ、後妻になったため、お玉は本庄家の娘になった」という説もあるので、曖昧だ。庶民であってもなんでも記録が残ってしまう現代とは違う。
本庄家は公家に仕えていた。その公家の娘が家光の側室になることになり、身の回りの世話係として一緒に江戸に上がる。大奥で働くうち今度はお玉自身が家光に見初められ側室になるのだ

綱吉と言えば「生類憐みの令」。歴史で教わったときには悪法とのイメージが強かったが、近年ではその意義が再評価されているという。それは、「生類憐みの令」を機に力が支配する時代が終わり、江戸時代は安定期を迎える。それまで蔓延していた、捨て子や辻斬り・殺人が禁止され、厳罰に処せられるようになる。
その「生類憐みの令」制定を勧めたのが桂昌院と言われているのだ。そのため、上記の「今でしょ講座 歴史を変えた凄いヒロイン」で、桂昌院は第二位に入っている。他の二人は、‘読院↓M篥臓
こうして貧乏八百屋の娘だったお玉は将軍の生母となり、それが「玉の輿」の語源になったというわけだが、これはどうやら俗説のようだ。しかし、語源でなくても、玉の輿の代表例が桂昌院というのには変わりがない。
2016年12月27日
永谷商事
都心を歩いていると独特の書体で「永谷」と書いた古いマンションをよく見かける。特に気に留めてなかったのだが、昨日行った「お江戸日本橋亭」があるのが日本橋永谷ビル。「お江戸日本橋亭」の運営が永谷商事。
一体ナニモノ?と調べてみたところ、「永谷グループ」は戦後すぐに上野ガード下で手荷物預かり所を始めたのが創業らしい。焼け野原となった上野を捉えた当時の写真によく写されているらしい。
昭和32年に不動産業に進出。仲介業の傍ら、翌年には早くも三鷹に自前のアパートを建設している。
躍進したのは昭和40年代で、マンションを次々と建設・分譲。民間初の15階建てマンション(昭和43年・目黒区)や時代の先駆けとなるワンルームマンション(昭和47年・港区)、日本一の個数となる大規模マンション(昭和48年・中央区)を手掛けている。この頃、首都圏のマンション分譲では財閥系不動産会社を押さえて第一位になった年もあるというからすごい。
昭和50年代になるとマンションの建設ペースが落ち、多様な不動産事業や多角化に乗り出していく。グループ沿革には記述がないが、創業者の高齢化と引退が起こったのかもしれない。
平成の世になって、「文化事業」を始めている。今回私も利用した「日本橋亭」の他にも、「広小路亭」「両国亭」「新宿永谷ホール」がある。永谷ホールは「お笑い」にも利用されているが、基本的には何れも伝統芸能用の演芸場である。
日本橋亭の席数は100程。料金は公演により1500-2500円。二つ目筆頭?の松之亟が足袋を忘れ、その後出演した神田蘭は張り扇を忘れたという・・・マクラでの話では、舞台道具は全部自分で持ち運ぶ上、営業活動も自前。真打になるまで所属事務所もなければ、付き人も居ないのだ。芸人も大変なら、寄席運営も大変だろう。
2016年12月26日
講談士「神田松之丞」

日本講談協会の定期公演を聴きに「お江戸日本橋亭」へ。実は、講談は初めて。張り扇で釈台を叩きながら、ババン、バン、バン、バンとやるあれである。「落語」が会話によって成り立つ芸であるのに対し、講談は「読む芸」ということ。しかし、その境目は曖昧であるようだ。
遅れて行って、6人の最初の講談には間に合わず。二人目の途中から入ったので、ちゃんと聞けたのは4人。その中でダントツに上手かったのが神田松之丞。落語家でもあるらしい。
演目は、「淀五郎」。古典落語である。しかし、張り扇の合いの手が入る。検索したら、WOWOW動画で無料で見られるようだ。導入部は違っていた。
始めて行った講談の寄席は、くつろいだ雰囲気。多分なじみが多いのだろう、観客が互いに挨拶していたりする。カップ酒につまみ持参というオヤジも。売店もないので、持ち込み可なのか

2016年12月25日
「この生きづらい分断社会を終わらせる」
しょうもないリベラル論者なら論破してやろう、くらいに思って読んだのだけど、かなり納得した。まず、「日本は税金があまりに安すぎる」という点で一致。これは、各国の国民負担率を見れば一目瞭然で、日本はこれまで一貫して低い。税金を払ってないのに、福祉は「高福祉高負担」の欧州並みに実施しているのだから、赤字になるのは必然だ。
私は、経済の活力を維持するため、「増税も(特に間接税)必要だが、福祉も削減すべき」と思っていたが、井出氏の理論は「高福祉高負担」である。私は、欧州、特に北欧でそれが可能なのは、小国で不正を防ぐ仕組みが徹底しているからで、日本のように国民番号制(マイナンバー)を導入するのに何十年も掛かる国では無理だろうと思っている。
井出氏の話で面白かったのは、「では、なぜ日本人は税金を払うのをそれほど嫌がるのか」という点。それは、中間所得層に「何ももらってないのに税金だけはとられる」という被害者意識があるからだという。これは我が身を振り返っても納得。勿論、国の隅々にまで行き渡るインフラや世界一犯罪の少ない国であることなど、日頃から恩恵は受けているのだが、直接「恩恵を受けた」という記憶がほとんどない。大抵は、所得制限などで対象にならない。
井出氏の主張は、.侫薀奪肇織奪スで納税の不公平感をなくす、給付の「所得制限」を緩めること。恩恵を受ける機会が増えれば、負担感も減少し、増税への抵抗も少なくなるというわけだ。ナント、いきなりフラットタックスの提案で、勿論、これには大賛成。国民全員が所得の一定割合を納税するなら納得である。
累進課税では高額所得層は高い限界税率を減らすため、面倒でも、様々な節税策を取る。世界が狭くなった今では、税金の低い国に移住する人も増えている。シンガポールや香港に移住されれば、もはや日本で税金は取れなくなる。これが、結果的に、累進課税が累進にならない原因なのだが、例えば、所得税20%フラットなら文句を言う人はいないだろう。これに、間接税を10%、社会保障負担で20%、合計国民負担率50%。これがいいのではないか?

*人間が誰もが必要とするサービスを政府が保証し、みんなががんばるチャンスにめぐまれ、堂々と競いあえる社会←がんばるための土台をみんなの税で支える12:「格差是正」に心が動かない20:税金が余りに安すぎる25:再分配効果 OECD3/21国・・・日本の財政は再分配の力をなくしている32:弱者へのつめたいまなざし〆栃配の罠⊆己責任の罠 93:弱者の大部分は「運の悪さ」I要ギャップの罠84:フラットタックス98:「所得制限」を弱める「何も貰ってないのに税金だけは取られる」
2016年12月24日
訪日客の人気急上昇、高松エリアが全国1位

高松が今年の訪日客の伸び率で全国1位!今年行われた第三回「瀬戸内国際芸術祭」の影響が大きいとのこと。実は、今回の総来場者数は104万人であり、前回2013年の107万人より減っている。しかし、外国人割合が13.4%と前回の約5倍になっているのだ。
県が芸術祭の期間中に行ったアンケートによると、来場者に占める外国人の割合は13・4%と前回(2・6%)の約5倍になった。国や地域別では、台湾(37・2%)が最多で、香港(13・8%)、中国(11・4%)と続いた。会場となった島へは、岡山側からフェリーで訪れた人が約2割を占め、岡山の宿泊者数にもプラスになったとみられる。
外国人はただ見るだけでなく、運営を支えるボランティア(こえび隊)としても大幅に参加者が増えた。私も、廻っていて、受付で話しかけたら日本語が通じないことが何度かあり、聞いてみたら、台湾人や香港人だった。日本の瀬戸内海を舞台にしたイベントで、外国人観光客を外国人ボランティアが支える。1100人参加したボランティアのうち、140人が外国人だったそうだ。
国内旅行でも、香川は健闘している。今年1年の国内旅行の宿泊予約数から算出した同様のランキングで、前年比約1・18倍となった。芸術祭が客を引き寄せ、小豆島・直島エリアでは37%増えた。複数で訪れる女性グループは、約1・5倍となり、「『女子旅』での人気スポットになっている」(担当者)という。

2016年12月23日
金融リテラシー調査2016年

今年の2〜

この「金融リタラシー調査」を都道府県別にみると、正答率が高かったのは、
1.奈良
2.香川
3.京都
で、逆に低かったのは、
W1. 山梨
W2. 沖縄
W3. 山形
金融リタラシーの高い県では、株式に投資している人の割合が高く、また、緊急時に備えた資金を確保している人の割合も高い。一言で言えば、経済的に自立している人の割合が高いことになる。

2016年12月22日
ニワシドリの魅惑の美学
こうやって様々な鳥を見ていると、人間が多様であることに驚く。ニワシドリはその求愛行動において他の鳥に対して特異だが、そうしないニワシドリは子孫を残せない。性選択があまりに単路的だからだ。
人類が異常に増殖した理由は多様性にあるのかもしれない。
人類が異常に増殖した理由は多様性にあるのかもしれない。
217:ニワシドリはその奇妙で魅力的な求愛行動によって昔からよく知られている。歌や派手な羽でつがいの相手を誘う代わりに、オスのニワシドリは並ぶもののない建築と設計の才能を披露するため、多大な労力をかけて手のこんだ構造物を作るのだ。完璧なバワーを作るには毎年10カ月かかるが、それだけの価値のある事業だ。メスはオープンハウス方式でバワーを点検し、それだけでつがいの相手を選ぶからだ。その場所で交尾したあと、メスは飛び去って独力で別に巣を造り、産卵し、ひなを育てる。オスのニワシドリは自分のライフワーク以外のことに割く時間はそんなにない。さもないと誘惑の効力が失われてしまう。やり手のオスは一度の繁殖期に数十羽のメスと交尾することもあるのだ。219:ヒトも性選択に左右される。財産と創造性のある男性は、ニワシドリと同じように、一般に女性を惹きつけやすい。芸術は富の一形態であり、ある意味で芸術家は、原始的な求愛の衝動から発生した信号を送っているかもしれない。232:彼らが印象付けたいと思うメスには、そのよい印象の他には何も残らない。オスのニワシドリは、それが苦闘する芸術家であれ狡知に長けた誘惑者であれ、生涯独身で、仕事に打ち込むあまり自分の子供を育てることはない。完璧なバワーを造ろうとすれば、それ以外のことをする時間はないのだ。
2016年12月21日
オウムとヒトの音楽への異常な愛情
「ヒト以外の動物が踊る」ことが証明されたのは最近の事らしい。2007年にペットのオウムSnowballはインディアナ州の鳥の保護施設Bird Lovers Onlyに連れてこられた。その設立者のシュルツがBackstreet Boysの曲に合わせて踊るSnowballに驚きYoutubeに上げたのだ。これがタフツ大学の心理学者パテル博士の目に留まり本当に音楽に合わせて踊っているかどうかの研究が始まる。論文が発表されたのは2009年だ。
踊るオウムはSnwoballが初めてではなかったと思うが、Youtubeが結びつけた縁だと言えるだろう。これを機に、Youtubeに上がっている何千本という「踊るXXX」の調査が始まるが、客観的に「音楽に合わせて踊っている」と言えたのは、オウムが29本の他はアジアゾウだけだったという。
意外なことに、ヒト以外の類人猿は踊らない。なのにオウムは踊る。
146:パテルは「ヒト以外の動物が音楽の拍に同調することの実験的証明」と題した論文を『カレントバイオロジー』誌に発表した。(中略)それは初めて、われわれ以外の動物が、学部の音楽的リズムに動きを同調させること(人に特有だと考えられていた性質)を示したものだった。151:最終的に、同調したダンスの徴候があるものはわずか33だった。そのうちオウムが29本を占め、あとの4本はアジアゾウだった。
152:本当の意味で音声模倣をする動物は比較的少ない。鳴禽類、オウム、ハチドリ、クジラ、イルカ、ネズミイルカ、セイウチ、アザラシ、アシカ、ゾウ、一部のコウモリ、そしてヒト(中略)ヒト以外の類人猿がないのは印象的だ。脳の構造がこの理論の裏付けになりそうだ。音声を模倣する鳥は大脳基底核が変容していることがわかっている。
2016年12月20日
ホシガラスの脅威の記憶力
ホシガラスすごいな!
182:秋のあいだに、一羽のホシガラスは数万粒の松の種子を5000もの別々の小さな貯蔵所にしまい込む。鳥はその場所に目印をつけない。そして何かが地中に埋まっていることを示すものは地表にないーーそれどころか、冬になれば貯蔵所はたいてい雪に覆われる。(中略)信じがたいことだが、空腹のホシガラスは冬のあいだ自分の隠匿物資の大半を見つけ出すことができるのだ。194:私たちはヒトの脳が優れていると考えたがるが、最近の実験で、鳥のほうが人よりも種子を見つけるのが得意である。195:標準的な人間の脳では、海馬は成人になると年に1、2%縮小する。そして働いていない海馬は、より早く縮むようだ。コガラ類の鳥に関するある興味深い研究によれば、捕まった野鳥は、捕獲されてからわずか5週間で海馬の体積をなんと23%も失った。かごの鳥は移動したり、交流したり、情報を思い出したりする必要が野生の鳥ほどないので、脳が縮んでいくのだと研究者は考えている。
2016年12月19日
ムクドリの群れの不思議
ムクドリというと高松や丸亀の街に夕方になるとどこからともなく現れるムクドリの集団を思い浮かべる。昔はいた覚えがない。調べてみると、15年以上前から急増したようだ。
何がこの変化をもたらせたのか?本来の生息地である農村の環境が変わったのか、それとも、夜は街で寝るほうが安全だと学習したのか?
一羽だとかわいいムクドリだが、大量にいると嫌われる。イギリスで激減して、レッドリストに入られれたいうのも気になる。
40:いかにして数十万羽の鳥が、互いに数センチしか離れていない中で時速50キロで飛び回れ、絶えず方向を変えながら群れのまとまりを維持できるのか?42:コンウェイの「ゲーム」が非常に面白いことに人々はすぐ気づいた。それは人口を模倣している。それはきわめて複雑なパターンを生み出す。自分の親を殺す自己増殖する構造を作ることができる。理論上は、現代のコンピューターで可能ないかなるアルゴリズム的計算も、一つの格子で行うことができる。二次元の細胞という意味で、ライフゲームは現実の生命と興味深く対応しており、しかも驚くほど単純だ。無限の基盤の上での始まりのパターンによって、まったく違った結果が起こりうる。44:レイノルズは、小さな三角形で表示される個々のボイド生物のグラフィック画像を創り出し、それに次のような規制を課した。\楸瓩靴疹豺腓望彳佑鯣鬚韻襦⇔拈椶垢襪發里箸世い燭て韻己向に向かう。集団から離れないようにする。この三つの規則(分離・整列・結合)だけで、まさに生きているようなボイドの群れが生まれ、レイノルズのコンピューター画面の中を、空を飛ぶ本物のムクドリの集団さながらに飛び回った。53:アメリカでは歓迎されざるムクドリの数が急増している一方、ヨーロッパの原産地で、この種は激減している。英国鳥類保護協会は最近、イギリスのムクドリの数が過去30年で80-90%減っており、イギリスの農村の鳥では最大の減少だと報告した。理由は誰にもわからない。おそらく近代農法が昆虫を排除したためか、鳥が越冬のパターンをどこかほかに変えたからだろう。ムクドリはイギリスでは重大な保全上の懸念がある種として、2002年にレッドリストに載せられており(中略)。かってマンチェスターの上空を漂っていた群れは、ほとんどすべていなくなってしまった。58:水は凍るときと沸騰するとき、臨界系になる。雪崩は解放される瞬間に臨界点に達するといわれる。磁石は無秩序な状態から自然に整列するとき臨界になる。おそらくムクドリは、臨界点で群れを形成するシステムの典型だろうとカバーニャは考えた。
2016年12月18日
猪熊弦一郎展「私の履歴書」
丸亀市猪熊弦一郎現代美術館(MIMOCA)で開かれている「私の履歴書」展へ。猪熊弦一郎は1979年1月日本経済新聞に自身の半生を連載した。
大体のことは知っているつもりだったが、今回初めて分かったのは、戦争時代の生活。従軍画家として中国やフィリピン、ビルマへ赴任しているのだ。ビルマの劣悪な環境の中、肝臓を壊して、内地へ送り返される。千葉の病院で長期の療養を強いられたが、その間に最も猪熊を見舞ったのはパリ時代から親交があり、やはり従軍画家として戦争画を描いていた藤田嗣治だったという。
藤田は頻繁に猪熊に絵手紙を送り、これが愛嬌があり、友情が溢れ、そして当然絵がうまい。公開されるのは初めてということで、これは必見だ。
戦争画家として最も有名になったのは藤田で、これが仇となり、戦後激しく批判される。藤田は失意の中パリへ渡り、二度と日本の土を踏むことはなかった。一方、猪熊の絵は偶然か意図的にか、戦後GHQが探したが見つからなかったという。そして、MIMOCAができた時猪熊から寄付された2万数千点にも上る自作絵画やコレクション、資料の中にも戦争に直接関係のない現地でのスケッチ類他は戦争画の原画等は一切発見されなかったという。おそらく、猪熊が処分を恐れて処分したということなのだろう。
そのおかげで、猪熊は戦後すぐから仕事に恵まれる。週刊新潮の表紙絵、三越の1950年クリスマス用包装紙デザイン「華ひらく」など。「華ひらく」は好評で、その後三越の定番包装紙となる。
2016年12月17日
神楽坂:山の手と下町の混ざる街
12月3日、快晴の土曜日の朝、神楽坂へ。近くのBritish Councilには30年近く前LBSの面接に出かけて以来同窓会に使わせてもらったりと何度かお世話になったが、それ以外ほとんど縁のなかった場所。
今回、郷土史研究会で神楽坂が専門の谷口典子さんにプライベートで案内してもらうことになり、大学生の次女と出かけたのだ。谷口さんとは随分前に、法政大学の「日本の企業家たち」という公開講座でご一緒したのが縁。
神楽坂通りは江戸時代に整備される。江戸城への入り口は「牛込見附」で、この外郭門の石垣には「阿波乃国」と彫られた石が残る。阿波藩主蜂須賀家によって造られたのだ。使われた花崗岩も瀬戸内海産という。
神楽坂通りの幅は江戸時代から変わっていない。小説『坊ちゃん』に、主人公が松山で、「オレは神楽坂の広い通りを見て育ったから、お前ら田舎者と違う」らしきことをいう場面がある。今となっては狭い道だが(車も一方通行)、東海道と同じ幅があったということで、江戸時代としては最大級に広い道であったようだ。
明治になり鉄道交通が始まり、陸上物流の比率が増えていくが、それまでは水運が主要な物流手段だった。神楽坂は隅田川と外堀を結ぶ、もっとも上流の船着き場であった。そのため、ここには河岸が作られ、ここで荷揚げされた物資が旗本や御家人に届けられるのだ。そのための商家が発達したのが神楽坂というわけである。
江戸時代は道の両脇とも一歩入れば武家屋敷であった神楽坂に、花柳界が発達するのは明治も終わりになってから。旗本が将軍について駿府に移ったり、俸禄が無くなって没落して空いていた土地に料亭が集まりだす。やはり、河岸があったことが大きいのだろう。
現在、料亭は4軒、芸者さんは19人だけしか残っていないという。その後に増えたのが情緒ある日本料理屋やオシャレなカフェ、フェストランなど。明治時代から日仏学院が近くに置かれたことで、フランス人が多く、フランス系の店が多い。
2016年12月16日
丸亀創生塾「新明倫館」

平川淳先輩は、丸亀高校の7年先輩。在学当時はバレー部で活躍したらしい。東京大学工学部に進学。卒業後はメーカー勤務を経て、技術系のコンサルタントに転じた。現在は、日本工業大学大学院教授(MOT担当)として教鞭をとっている。東京で何度か同窓会等でお会いしていた。
その平川先輩が、今年4月、丸亀市の支援を得て「新明倫館」という社会人大学院を設立された。明倫館というのは、旧丸亀藩の藩校・・・知りませんでした。

一期生は17歳の女子高校生から80歳のおばあさんまで20名が入塾。半年ほどの間に淘汰され?現在は17名が学んでいる。
年齢も他では考えられないほど幅広く、当然、それまでの経験値も違う。共通するのは、地元丸亀で「何かしたい」という思いだけ。やりたいことは、町おこしイベントから起業まで幅広い。一応入学試験があって、一応大卒に応募資格が限られていた前職の香川大学大学院でも、学部の新卒から60代の企業経営者まで幅広く、それを一堂に教えるのは苦労した。
一体、「どうやって教えているのか」と聞いたところ、「苦労しながら」(笑)ということであった。
無理のない仕組で行わなければ、どこかに歪みが出る。前職で言えば、人件費だけで年間2億円に上ると推定される経費と、たった53万円の学費から上がる唯一の収入約3000万円のギャップを埋めていたのは文科省の運営助成金であった。要するに、たった2学年60人の社会人大学院を年間2億円を上回る税金で補てんしていた。それに見合う成果が上がっているかどうかは検証した方がいい。
新明倫館では、授業料は年間12万円で、専任講師は3名。経費の大半は丸亀市から出ているとはいえ、個別指導の多い講師の負担も半端ではない。幸い、多くの地元経営者や私立高校が協力してくれているらしい。
ここからどのような成果が生み出せるか?教育機関の評価は常に卒業生の活躍で決まる。
2016年12月15日
知られざるハトの帰巣能力
マイク・タイソンは少年のころから凶暴で知られていたが、その一方で、ハトが好きで飼っていた。それを鳩レースに参加させていた。ボクシングをやめたあとも、ハトを飼うことが正気を保つのに役立ったと語っている。
ハトの帰巣能力は古くから知られ、紀元前1000年には、エジプト人は伝書鳩を訓練していたらしい。チンギス・ハンやユリウス・カエサルもハトを長距離通信に利用した。長距離通信手段のある軍隊とそうでない軍隊では大変な差が付いたと思われる。やがてその使い方は広く知られるようになり、第一次世界大戦には50万羽のハトが連合軍によって使用されたという。
第二次世界大戦後、軍鳩計画は終了したが、鳩レースは残った。中には優勝賞金が100万ドルを超える国際レースもあり、そうした1000kmを超えるようなレースでのハトの死亡率は30-70%になるという。
そうしたビッグレースで優勝したハトは種鳩として数百万円から、場合によっては1000万円を超える金額で取引される。種馬もそうだが、規制のない市場では良い血統が価値となる現実。
21:普通の鳩レースは150-300キロほどの距離だが、公式レースにはもっと長いものもある。中国では、ハトに約2000キロの飛行を強いるレースがあり(もっともこの距離は、ハトにとって楽しみではなく生死をかけたものになるため、この種のイベントは倫理的に問題視されている)、さらに遠い3000キロを超える旅をして機関に成功したハトの逸話もある。巣から遠く離れたところで放り出されるまで、往路についての情報を鳥が持っていないことを考えると、こうした方向感覚のなせる技は驚異的なものだ。22:ハトは、ニワトリよりも早く、遅くとも5千年前にメソポタミア付近で初めて家畜化された。紀元前1000年には、エジプト人は伝書鳩を訓練していたらしく、世界の有力者の中には、チンギス・ハンやユリウス・カエサルをはじめ、ハトを長距離通信に利用していた者もいた。23:第一次世界大戦には50万羽のハトが連合軍によって使用されたと、歴史学者は推定している。(中略)第二次世界大戦中には、イギリス軍だけで約25万羽の伝書鳩を運用した。無線は既に普及していたが、無線封鎖が要求される状況では、ハトはうってつけだった。軍鳩計画はやがて1950年代に解体された。32:勝者は、続いてオークションにかけられ、種鳩として相当な値で取引される。2008年には、特に身体能力の高いバーディという名の鳩が10万2000ドルで売られた。34:100万ドルレース本番での消耗率は30から70%のあいだだ。
2016年12月14日
坂の上の坂
風邪をこじらせてしまった。いつまで経っても自己健康管理のできないバカだと自己嫌悪に陥る。\莉気ら風邪気味だったのに、先手を打って休息しなかった。∨最会で悪化させてしまった。

結局、休まざるを得なくなり、以前単行本を読んだ『坂の上の坂』を、今度は文庫版で読んでみる。文庫版で面白いのが、巻末の「解説」。普通、「解説」を書くのは一人だけだと思うが、この本ではナント三人もいる。神田昌典、堀義人、本田健。
神田昌典「静かなる決意」:藤原先生とご一緒するときは、最高に気分がいい。私とはパネルディスカッションで意見を戦わせることが多いのだが、藤原先生は大胆なのに、繊細。力強く主張するのに、まわりの意見を見事に引き出す。
堀義人「『藤原和博』という作品」:藤原さんは、五年に一度くらいの割合で自らの人生の危機を演出し、それまで持っていたものを思いきって捨ててしまうのだという。
本田健「多様な人生を生きよう」:私は藤原和博研究家と言えるくらい、藤原先生の人生の来歴には詳しい。(中略)藤原先生は、にこやかに軽やかに、坂を登ったり下りたりして人生を楽しんでいるタイプだ。
「強烈な評価と賞賛の体系を持つリクルートという会社の文化によって(中略)8年ほど、疑いのないサイボーグマシンでいると、出世も早く収入も跳ね上がりました。充実していたし、これが自分の人生だと信じるようにもなった」という藤原さんだが、30歳の時に心身症の一種であるメニエルにかかることで、「人として目覚める」ことになる。
この「目覚め」が今日の藤原さんを生んだわけで、たまには病気も悪くない。それも、大病であればあるほど人生観を変える可能性がある。「治ればね」なんだろうけど。
6はじめに:『坂の上の雲』時代と違って、雲を見つめたまま途中で人生は終わってくれない74:小学校のときも、中学校のときも、私はイジメを経験しています。被害者ではなく、加害者として、です。”いい子”であったはずの自分が、イジメの加害者になっていた。原因ははっきりしていました。環境の変化によって、”いい子”だった自分の足元が揺らごうとしたとき、その恐怖が歪みをもたらしたのだと思います。
83:結果的に、会社という舞台だけはメジャーから外したつもりだったのに、私はまたもや「早く」「ちゃんと」「いい子に」を続々と実行してしまうことになります。サイボーグである私にまとわりついていた呪縛からは、抜け切れていなかった。むしろ「早く」「ちゃんと」「いい子に」のワルツは強烈な評価と賞賛の体系を持つリクルートという会社の文化によって、家族や学校のような社会とは比べようもないほど強く刻まれることになります。
2016年12月13日
創業者とのけんかのルール
チキンラーメンで創業し、カップヌードルを発明した日清食品創業者の安藤百福は、「発明はひらめきから、ひらめきは執念から」という言葉を残した。著者は、その次男にして、二代目社長となった現日清食品ホールディングスCEOである。正確には、その前に2年間だけ長男が二代目社長に就任しているのだが、会長と衝突して辞めてしまう。
その後を継いだのが現社長で、やはり創業者との確執は大きかったようだ。「おまえが社長をやめるか、おれが会長をやめるかどちらかだ!」と怒鳴られたのは、百福が96歳で永眠する半年前だったというから、かくも創業者の執念はスゴイ。
その二代目社長が創業者と接するにあたって考えた「四つの教訓」が面白い。創業者とかんかするには「ルール」があるという。
教訓 _饉劼量儀岨饂困涼罎悩蚤膕礎佑蓮崛篭伴埓鎖澄廚任△襪隼廚
教訓◆‘鸞緻椶慮績は創業者の異形の中に含まれると思え
教訓 二代目は「守成の経営」に徹すべし
教訓ぁ〜篭伴圓力辰飽柤世魘瓦爐福まず「ごもっとも」と言え。
簡単にいえば、それほど創業者の影響力は大きく、常に尊重したほうが上手くいく、ということかと思う。何か重要な経営判断をするときに、「創業者ならこの場合はどう考えるだろうか」と一歩退いて考えることは大事である。
11:創業者は異能の人。二代目は凡能の人。創業者と二代目の確執とは、異能と凡能とのせめぎあい。11:カップヌードルというトップブランドに依存する「甘えの構造」(1985創業27年)16:おまえが社長をやめるか、おれが会長をやめるかどちらかだ(96歳で永眠する半年前)26:「考えて、考えて、考え抜け。私が考え抜いたときには血尿が出る」「発明はひらめきから、ひらめきは執念から」(安藤百福)88:創業者とのけんかのルール教訓 _饉劼量儀岨饂困涼罎悩蚤膕礎佑蓮崛篭伴埓鎖澄廚任△襪隼廚創業者と呼ばれる人は、永遠に唯一無二の人。創業者精神は企業理念の支柱であり、永遠に風化させてはならない。教訓◆‘鸞緻椶慮績は創業者の異形の中に含まれると思え創業者が二代目をライバル視することはあっても、その逆はあり得ない。いくら二代目が優秀であっても、すべては創業者の作り上げた事業構造の「恩恵と加護」の中にいる。教訓 二代目は「守成の経営」に徹すべし創業者精神をしっかり継承し、事業の中に再現する。時代の変化に対応しながら、みずからの力で進化する。教訓ぁ〜篭伴圓力辰飽柤世魘瓦爐福まず「ごもっとも」と言え。創業者は総じて頑固で意固地。創業者の意見にいきなりNOと言ってはいけない。その瞬間に相手は、がちっと鋼鉄の鎧に身を固めてしまう。まずは、「ごもっとも」と言う。111:Brand Manager人選仝従に不満を持っている人。満足してしまったら、発展はない。何かに興味をもって追求している人。掘ることの好きな人。9佑┐觸慣が身についている人。ただ考えるだけではない。過去にとらわれず、頭の中にある因子をいったんばらばらにして考えられる人。
113:いま、日清食品内の「奇人変人率」は1割くらい。私の理想は全社内で2割、研究スタッフに限れば3割はほしい。全社で3割を超えると、逆に経営が成り立たなくなる。
2016年12月12日
飲食店も、車屋も、不動産会社も持つ出版社
先週、かがわ産業支援財団「よろず支援」セミナー@三豊市に招かれたのが函覆┐ぁ暴佝納取締役の埜邑編集局長。趣味雑誌を多く手掛ける同社。私もBicycle Clubを時々読んでいる。
今回のテーマは、「趣味のコンテンツで地方を聖地化 ~地域活性化の取組事例」。でたよ、また「地域活性化」とは思ったものの、前半部分の「聖地化」に魅かれ、お話を聞きに行く。
一番時間を割いて説明のあった事例は、同社のバイク雑誌『BikeJIN』が手掛けるBikeJIN祭。読者の集まるイベントとして10年ほど前から始まり、ここ3年間は9月に北海道白老で行うのが恒例になっているという。1800台のバイクと500台の車が集まる。参加者は3000人に上るという。
500台の車というのは、バイク乗りが家族連れで来るため。ANAが本イベントに参加するための宿泊付きツアーも受け付ける。ヘルズエンジェルスのような一般人が近寄りがたいイベントではなく、あくまで健康的で、家族連れで参加できるイベントであるようだ。
雑誌そのものも、従来のバイク雑誌がバイクそのものに偏っていたのに対し、見て、食べて、温泉に入るといった「バイクを使って遊ぶ」という編集になっている。創刊してしばらくはバイクの紹介を一切入れなかったそうだ。
聞いていて興味を持ったのは、判佝納劼侶弍弔修里發痢J垢韻弌多種多様な趣味雑誌を持つだけにとどまらず、それに絡む物販はもちろん、建築設計事務所も、ポルシェ専門ガレージも、飲食店も、不動産会社も持つのだそうだ。例えば、サーフィン雑誌『NALU』を持ち、建築設計事務所がサーフショップの設計をして、不動産会社がサーファー向けの住宅を売るといった具合。
特定の趣味を中心に、事業が有機的に結び付いているのだ。出版不況の中で毎年売り上げを伸ばしているのは立派だと言える。こっちの経営の方が面白い。
2016年12月11日
金比羅五街道

先月、香川大学博物館企画展「刷り物でみる金毘羅信仰」のフィールドワークで琴平へ。
江戸時代になって世の中が安定し、また各藩の新田開発で経済発展した結果、18世紀になると庶民が旅行に出る余裕が出てきた。そうした社会背景の中で、人気を集めたのが伊勢参りや富士講、そして金毘羅信仰である。
江戸時代庶民の憧れの旅先だった金毘羅さん。その結果、そこに至る街道が発達した。これには五街道ある。
‖薪拂迭稿察紛綵・中国・北陸などの人が北前船で多度津に上陸)
丸亀街道(上方以東の人たちが丸亀に上陸)
9眈廠稿察聞眈照夕臂省寝箸了嫁劵襦璽函
ぐで罰稿察米租腓ら峠を越える険しい道)
グ僕宗ε攤干稿察憤ι欧塙眞諒面から)
竜馬は土佐藩を脱藩して、土佐街道を経て琴平に出て、そこから丸亀街道で丸亀港に出て船に乗って江戸を目指したのだ。
五街道の中で一番昔の雰囲気が残っているのは伊予・土佐街道。明治になって別ルートが開発されたため急速に衰え、道路拡張されないまま残っている。琴平への最後の峠「牛屋口」には土佐各地の金毘羅講から寄進された灯籠と、竜馬像がある(写真)。
2016年12月10日
日本一の高燈籠
先月、香川大学博物館企画展「刷り物でみる金毘羅信仰」のフィールドワークで琴平へ。
江戸時代になって世の中が安定し、また各藩の新田開発で経済発展した結果、18世紀になると庶民が旅行に出る余裕が出てきた。そうした社会背景の中で、人気を集めたのが伊勢参りや富士講、そして金毘羅信仰である。
境内や町内に残された灯籠を見ると、西日本各地や遠く江戸からも寄進されている。その中でずば抜けて大きいのが高燈籠。ある場所は金毘羅さんの北神苑(ことでん琴平駅隣)なのだが、高燈籠が有名になりすぎて、今ではこの場所も「高燈籠」と呼ばれる。
慶應元年(1865)に完成した高燈籠の高さは27mあり日本一の高さ。国指定重要有形民俗文化財。この高燈籠、実は当初設計では23mの高さになる予定であった。それが途中で、「丸亀の港からも見えるように」ということで、設計変更があったということ。
建設を企画していたのは、他の燈籠同様、各地の金毘羅講である。寄付金が足らなくなった金毘羅講は琴平の茶屋やそこで働く女給(飯炊き女)の売上からピンハネすることにする。江戸時代の茶屋では売春もやっていた。要するに、琴平の最大産業

総建設費は3000両で、江戸時代末期の貨幣価値から現在価値で3-5億円ということ。その内1700両が各地の金毘羅講からの寄進で、残りが茶屋からのピンハネで賄われたという。このことを詠った狂歌の碑が高燈籠脇にあるので、読んでみると面白い。
2016年12月09日
老化を防ぐ「腸活」
世の中に「健康法」なるものが星の数ほどあるが、私が最も信頼できると思っているのがこの方。
その根底にあるのは、「人も地球上に生きる一つの生命に過ぎない」という感性である。これを忘れると、細菌を含む他の生物に嫌悪感を抱き、彼らの生活環境を奪うことになにも感じなくなる。そうした行為は、巡り巡って、自分の健康を奪うことになる。
落としたものを拾って食べるのははしたないことかもしれないが、腸の健康を考えれば、そうしたほうがいいという。それも、なるべく菌が付くのを待ってから(笑)。普段から身の回りの菌をたくさんとり込むことで、たまに腹痛になることがあっても、免疫力が高まり、ガンなどの予防になる。
反対に、乳幼児期に清潔にしすぎるとその時は病気にならないが、細菌感染機会が減り、後々アレルギー疾患に悩まされることになる。
85:「非加熱」「アルカリ性」「硬度60mg/L以上」の水をのどが渇く前にチビリチビリと飲む水道水に含まれる塩素は腸内細菌にダメージを与える。アルカリ性の水には酸化した細胞を還元する効果が期待できる。天然水のCaとMgはイオン化されているため、吸収率100%。98:下に落としたものは5秒以上待って食べる腸内環境をよくするには、身の回りの菌をたくさんとり込むこと。普段からチョイ悪菌を腸に入れておくことで、免疫力を高める。109:50歳を過ぎたら、白い主食や白砂糖を避ける食物繊維がないために腸からの吸収が早く、血糖値が一気に上昇する。解糖エンジンが急激に回り、それに邪魔されたミトコンドリアエンジンが活性酸素を大量につくり出す。125:「高糖質」「高脂質」の食事はデブ菌を増やす元凶デブ菌に腸を占拠されたままでは、やせられない。反対に、ヤセ菌をたくさん持っているスリムな人は、少し食べすぎたくらいでは太らない。ヤセ菌は低糖質・低脂肪、そして高食物繊維のエサで増える。141:天然醸造の菌が生きている味噌汁を毎日食べる1日1杯の味噌汁が血管年齢を10歳も若返らせる(共立女子大学)。189:人も地球上に生きる一つの生命に過ぎないという感性を大事に、身の回りの細菌と大らかに付き合うアレルギー疾患が増えているのは、乳幼児期の細菌感染機会の減少が原因(衛生環境仮説)。
2016年12月08日
小水力発電
水力発電数倍計画の柱の一つが、小水力発電。発電量1000kW以下のものをいう。巨大ダム建設は自然を破壊するが、既にあるものは運用方法を変えて最大限に活かして使うとして、今は発電に使われていない農業用ダムや砂防ダムを中小水力発電に使うのだ。
採算が取れるなら民間がやってもよさそうなものだが、実際は難しいという。一つには、水は公共のものであり、また発電設備を置く川に面した土地も基本的に公共のものである。従って、許認可の問題がある。そして、重要な経営資源が公共のものであるので、設備投資に当たって担保がなく、融資が得られにくい。もう一つが住民感情の問題で、公共のものである水資源を一企業が独占していいのかという問題だ。
そこで、筆者は、水資源を持つ地方自治体が中心になって開発を進めるといいという。現在は、水力にしろ、火力にしろ、原子力にしろ、巨大な発電所で集中して発電し、数百キロ離れた場所にまで電力を送っている。大規模発電所の発電効率は高いが、長距離送電での送電ロスおよびグリッドの維持に膨大な費用が掛かっている。これからは「分散」して、地域で電力を賄えるようにする。
この構想を実現するためのポイントは次の通り。
/緡呂寮賁膕判乎弔砲茲覽蚕兒抉臑寮
⊃綮餮暫楼茲行う事業の保証体制
0堕蠅靴SPC体制
採算が取れるなら民間がやってもよさそうなものだが、実際は難しいという。一つには、水は公共のものであり、また発電設備を置く川に面した土地も基本的に公共のものである。従って、許認可の問題がある。そして、重要な経営資源が公共のものであるので、設備投資に当たって担保がなく、融資が得られにくい。もう一つが住民感情の問題で、公共のものである水資源を一企業が独占していいのかという問題だ。
そこで、筆者は、水資源を持つ地方自治体が中心になって開発を進めるといいという。現在は、水力にしろ、火力にしろ、原子力にしろ、巨大な発電所で集中して発電し、数百キロ離れた場所にまで電力を送っている。大規模発電所の発電効率は高いが、長距離送電での送電ロスおよびグリッドの維持に膨大な費用が掛かっている。これからは「分散」して、地域で電力を賄えるようにする。
この構想を実現するためのポイントは次の通り。
/緡呂寮賁膕判乎弔砲茲覽蚕兒抉臑寮
⊃綮餮暫楼茲行う事業の保証体制
0堕蠅靴SPC体制
131:水源地域が水力発電事業のオーナーになるべき・中小水力発電・思い出は補償できない・水力発電では担保がないので融資が受けにくい→民間で難しい〇業に使う水は公共の物∪遒北未靴薪效呂盡のもの181:未来のエネルギー・目標は拡大ではなく持続可能・集中から分散へ
2016年12月07日
エネルギー量が人口を決める
本書には、「なぜ、地形を見ればエネルギーの将来が分かるのか」という章があり、地理の視点からエネルギーを考えている。これが、非常に面白い。
日本史上、なぜ奈良から京都への遷都が行われたのか、家康はなぜ江戸に幕府を開いたのかには定説がなかった。 奈良盆地には200年間も都がおかれたのに、8世紀末突然桓武天皇によって京都に遷都された。家康は関ヶ原の戦いに勝ったとはいえ、大坂には豊臣家が健在であったし、敵対していた毛利、島津の大大名も皆西日本にいた。京都か、あるいは西国に近く出身地である名古屋・三河あたりに本拠を置くのが自然だ。
歴史学者でない筆者の結論は明快で、どちらも「森林資源が枯渇したから」。そして、これがそれ以外考えられないほどパワフルなのだ。
まず、奈良だが、奈良の平均人口は10万人であった(ピーク時20万人)。当時のエネルギー源は薪。人ひとり年間10本の木が必要であった。つまり、年間100万本の木が必要で、これは森林100万坪に当たる。これが200年続けば奈良盆地の周辺は全部はげ山になってしまう。燃料が無くなれば都は維持できない。
実際、コンラッド・タットマンという歴史学者が神社仏閣に使用された木材の出所を古文書の記録で調べたところ、奈良時代後半には木材伐採エリアが紀伊半島から琵琶湖の北にまで広がっていたことが分かっている。これ以上、伐採エリアを拡大することは物流コストの点から不可能だ。
同様に、家康が江戸に幕府を開いた理由もエネルギー(森林資源)だったと推定できる。京都に遷都して800年、その頃には、関西にはもうめぼしい木材が残っていなかったのだ。
江戸に開かれた幕府は関東平野の手つかずの森林資源を使い発展していく。江戸の人口は当時世界最大の100万人に達した。しかし、それ以上に増えることはなかった。下図は同じくタットマンによる研究で、江戸への有力な木材供給源であった天竜川流域の木材伐採量を示している。エネルギー源であり建築材料でもある森林資源は重大戦略拠点であったので、幕府はここを天領としている。
これによれば江戸中期に出荷木材数はピークとなり、以後急減する。採りやすいところの木は伐採してしまい、次第に伐採が難しくなり、ついには木材資源が枯渇してしまったと推定される。江戸幕府もまたエネルギー不足による「文明の限界」を迎えていたわけで、黒船が来たのは幕府崩壊のきっかけに過ぎないという見方もできるかもしれない。
これによれば江戸中期に出荷木材数はピークとなり、以後急減する。採りやすいところの木は伐採してしまい、次第に伐採が難しくなり、ついには木材資源が枯渇してしまったと推定される。江戸幕府もまたエネルギー不足による「文明の限界」を迎えていたわけで、黒船が来たのは幕府崩壊のきっかけに過ぎないという見方もできるかもしれない。
江戸時代末期(1833-34)に掛かれた歌川広重の「東海道五十三次」の絵を見ると、どの絵をとっても山に木がほとんど生えていない。文明は戦国時代までに関西の森林を壊滅させ、さらに江戸時代を通じて関東と東海道の森林も壊滅した時、文明は発展を止め社会は閉塞状態に陥っていたのだ。
明治になって、石炭という新たなエネルギーを得て、文明は再び発展を始める。肉体労働が減り、食料生産が増え、貿易で物資が流通するので、人口が増える。エネルギー量が人口を決めるのだ。

101:地形を見ればエネルギーの将来が分かる・奈良→京都への遷都はエネルギー不足が原因奈良にはもうエネルギー(薪)が残っていなかった。人ひとり年間10本x10万人=年間100万本=森林100万坪これが200年続き、奈良時代後半には寺社建築の木材伐採エリアが紀伊半島から琵琶湖の北にまで・家康が江戸に幕府を開いた理由は豊富なエネルギーこの当時、関西にはもう木材がなかった・幕末は文明の限界木材不足114:石油は日本を戦争へと駆り立てた「先の戦争は石油で始まり、石油で終わった」(『昭和天皇独白録』)ヒトラーもバクー油田を狙いソ連に侵攻120:化石燃料は、過去の太陽エネルギーの缶詰121:エネルギーの量が人口を決める江戸:30M(木材)英仏もほぼ同じ人口明治:石炭になり人口増加
2016年12月06日
今あるダムで年間2-3兆円の電力を増やせる
多量の水力発電が成り立つためには、
・高い山
・大量の雨
・ダム
が揃っていなければならない。この三要素が既にそろっているのが日本なのだ。
筆者は国交省開発課長・河川局長として、ダム新設を止めようとした張本人であり、「巨大ダムを建設する時代ではない」と言っている。人口が減少するなか、既存ダムをもっと活かすことでこの「純国産エネルギー」を年間2-3兆円増やすことができるとしている。
その内容は、
‖震榲ダムの運用変更(法律改正)
既存ダムの嵩上げ
H電に使用されていないダムでの水力発電の実施
ず祝疋瀬燹η清藩竸縅などにおける1000kw以下の小水力発電
である。
,牢存設備を何ら変更することなく発電量を倍増できるので、これがいちばん簡単で、効果が大きい。なのに、東日本大震災後電力供給がひっ迫する中で、なぜできなかったのか?行政の中枢にいた筆者によれば、「予算が要らないから

官僚は予算を獲得したい動物なので、お金がかかる事業を進めたがる。こうしたお金のかからない工夫には熱心にならないのだそうだ。正に、「省益有って国益無し」

なぜ、総合職(キャリア)を省毎の採用ではなく、人事院で一括採用しないのかと思う。そして、キャリアは国全体を見て転勤させる。省益ではなく、国益で動くようにするためだ。そして、幹部クラスは政治任用。
どうしてできないんだろう?

2016年12月05日
日本のダムは「油田」
今、一番重要なエネルギー政策提案ではないかと思った。しかも、それが単なるアイデアではなく、具体的な政策として提案され、事業CF予測までついている。流石は、国交省在職中に巨大ダムを三つ建設したという「水力のプロ」である。
「過去の物」と思われがちな水力発電だが、実は、日本のダムはその潜在力の半分も使ってないらしい。なぜなら、日本のダムは平均的に水を半分しか貯めてない。その理由は、半世紀以上前につくられた法律で未だに運用されているから。
特定多目的ダム法(1957)には、多目的ダムの目的は「利水」と「治水」の二つがあるとなっている。発電などの利水にはいつも満杯に貯めておく方がいいのだが、治水上は台風や大雨に備えて「空けて置け」となる。法律が作られた当時は台風の予測もままならなかったから常に余裕を持たす必要があったのだ。
ところが、時代は変わり、今や気象衛星+スーパーコンピュータで台風や大雨の予想はほぼ確実にできる。その時だけ、数日前に予備放流してダムを空けておけば用は足りる。
その他にも、そもそも発電設備の無いダムも多く、「勿体ない」という。そして、既存ダムをほんの10%「嵩上げ」するだけで、発電量は倍に出来る。ダム湖の形は大体円錐形に近いので、33%増える。同時に、水の平均の高さも上がるので、発電量は倍になる勘定だ。
著者曰く、「日本のダムは『油田』」・・・ダムは太陽エネルギーを貯蔵する装置であり(p55)、国内に「油田」が発見されたのに等しいのだ。しかも、本当の油田と違って、それは再生可能エネルギーである。
*日本のダムは、ちょっと手を加えるだけで、現在の水力発電の何倍もの潜在力を簡単に引き出せる序:現在はもう、巨大ダムを建設する時代ではない。水力発電設備のエンジニアたちも居なくなりつつある。18:ダム新設をやめようとした張本人(国交省 開発課長・河川局長)21:日本のダムは水を半分しか貯めていない28:半世紀前の法律で運用されている多目的ダム1957「特定多目的ダム法」・・・利水&治水水源地のダムから予備放流された水はその日のうちに海に達する(最も長い利根川でも翌日)40:河川法の目的に「エネルギー活用」を55:ダムは太陽エネルギーを貯蔵する装置63:日本のダムは200兆円の遺産(年間2兆円x100年)◎半永久的に壊れない!(これまでの地震で本体の損害は皆無).灰鵐リートに鉄筋がない(コンクリート=凝灰岩で、年代を経るにつれてより強固に)基礎が岩盤と一体化しているJ匹慮さは100m73:多目的ダムは砂が溜まりにくい⇔電力ダム(土砂を排出する穴がない)82:10%の嵩上げで電力が倍例)夕張シューパロダム 67.5m+43.1mで貯水量8700万㎥→42700万㎥(5倍近く)
2016年12月04日
へんこつ屋

モータリゼーションで駅からの人の流れが消え、シャッター通りになりつつある琴平の商店街。その中で昔ながらに頑張っているのが「へんこつ屋」。へんこつとは讃岐弁で「頑固」。大阪の「がんこ寿司」みたいなもんです。こっちは和菓子店ですが。
名物は「へんこつまん」と「栗羊羹」。これを大正3年創業の店で販売中(有形登録文化財)。店内飲食も可能で、1階には「落書き部屋」、2階には「石松30石部屋」に「写し呑象楼部屋」。今回は、石松部屋でお抹茶セットを頂きました(650円)。
2016年12月03日
金毘羅さんはお寺だった

観光客で賑わう金丸座(金毘羅大芝居)の下にひっそりとたたずむのが真言宗金光院松尾寺。年間300万の参拝客が訪れる金毘羅さんに対して、こちらは観光客は皆無。
しかし、実は、こちらがかつては金比羅宮の本院であった。1573年に松尾寺の境内に祀られた金毘羅神が始まりだった。それからわずか50-60年の間に金比羅は全国にその名を知られるようになる。この間に何があったのか?
まず、戦国時代荒廃していた松尾寺を別当の宥盛が信仰を広め境内を整備した。次いで、跡を継いだ別当の宥光が参拝の土産物として○に金の印を入れたうちわをつくることを思いつき、大和国(奈良県)から技術者を招いたと言われる(Wikipedia)。このうちわをせっせと内職で作ったのが丸亀藩の藩士であった。丸亀は今でもうちわ生産全国一を誇る。
江戸時代中期になると金毘羅信仰は庶民に広まり、全国に金毘羅講が結成される。金毘羅参りのために会員がお金を積立てし、代表を交代で参拝させるのだ。お伊勢参りの次に人気があったらしい。
数奇な運命をたどったのは松尾寺で、本来、金比羅宮は寺の一部であったにもかかわらず、金比羅宮の方が圧倒的に大きくなる。まるで、子会社が思いがけない成功で親会社を追い抜いてしまったようなものだ。それでも、江戸時代は組織的には松尾寺の方が上。それが明治元年の神仏分離令で松尾寺は廃寺となり、金比羅宮は神道の神社となる。
現在の松尾寺は塔頭であった普門院が象頭山を下りて、現在の地に再興しものである。神仏分離は明治政府の「神道国教化」の政策で行われたが、その後廃止。しかし、一旦分離された「神仏習合」は元に戻ることはなかった。
2016年12月02日
この国のために死ねるか?
2001年3月、海上自衛隊に「特別警備隊」として設立された自衛隊初の「特殊部隊」の創設者による書。『日経ビジネスオンライン』での成毛眞さんとの対談も面白かった。
手塩にかけて育てた部隊にも関わらず、5年後転勤を命じられたことを機に、「日本は本気で特殊部隊を使う気がない」と確信し、退職する。その二日後にミンダナオ島に飛び、その理由が、「知り合いもいない治安の悪い場所で、腕だめし、運だめしをしたくて」というのだから筋金入りだ。そのミンダナオ島で弟子に取った海洋民族の娘からこう言われたことが本書を書く問題意識のきっかけとなったという。
「あなたの国は、おかしい。なぜ先祖が子孫のために残した掟を捨てて、他人が作ったものを大切にしているのか?その地に生きる子孫のために先祖が必死で伝承してきた掟を捨ててしまうような国家、国民の何をいったいどうして守りたいのか?」
北朝鮮による拉致問題はいまだに解決できていない。「自国の領土内から自国民が連れ去られ、誰の手によって、どこに監禁されているのかも知っていながら、日本という国は、最終手段として残されているはずの武を使うことを避けるために、状況を放置している」のだ。
著者でなくても問いたくなる。この国に命を賭してでも守り抜くべきものはあるのか、と。
51:特殊部隊員に必要なのは、覚悟でも犠牲的精神でもない。任務完遂に己の命より大切なものを感じ、そこに喜びを見出せる人生観だ。75:同期の中に「国のためなら命を失ってもいい」と思っているものは、一人もいなかった142:拉致被害者を奪還できるか→YES海上自衛隊と陸上自衛隊の特殊部隊を投入すれば可能だが、犠牲者は当然出る。144:問題はいまだ解決しておらず、いたずらに耐え忍ぶことを、拉致被害者とその家族に強要し続けているのが現状だ。自国の領土内から自国民が連れ去られ、誰の手によって、どこに監禁されているのかも知っていながら、日本という国は、最終手段として残されているはずの武を使うことを避けるために、状況を放置している。147:正論が通じる島ミンダナオ島186:正しいと思っていることを実行できない奴は、敵より怖い193:防衛大学校には、その習慣をかなぐり捨てることの重要性も、そのための訓練の必要性も、認識している者はいなかった。そして、それは、防衛庁全体を覆っている雰囲気でもあった。200:天皇「こいねがう」→部族長であってエンペラーではない(ミンダナオ島の二十歳の娘)205:「祖先の残してくれた掟を捨てて、他人が作った掟を大切にするような人を、あなたは、なぜ助けたいの?そんな人たちが住んでいる国の何がいいの?」(同)236:「日本人は騙しやすい。同じ手口で何度でも騙せる。でも、いい気になって騙していると、ある日突然、見境なく殺しに来るから絶対に騙してはいけない」(ラオスのお爺さん)
2016年12月01日
マッキンゼーはどういう基準で採用しているか
著者は「男女雇用機会均等法」が施行された1986年に日興証券に総合職で入社した、というから私と同い年らしい。バブル景気の中で貯めた貯金をはたいてUC Berkeley HaasでMBA取得。1993年にマッキンゼーにアソシエイトとして入社。5年間をコンサルタントとして過ごしたのち、新しい役職を自ら設計・提案してマッキンゼー(日本)で初の採用担当マネージャーとなる。退職まで12年間コンサルタントの採用業務を行った。
2000年代外資コンサルティングや外資投資銀行に行くことが大人気となり、有名大学の学生が殺到した。東大生の就職人気ランキングでもゴールドマンサックスが一位になったことがある(文系)。今でもインターンシップでの人気はマッキンゼーが1位で、2位がGSだ。就職人気ランキングと順位が違うのは、「力試しでやってみたい。大丈夫そうなら行きたい」ということなのだろう。
当時(そして今も)戦略コンサルティングで世界一有名なマッキンゼーにも当然新卒者が殺到した。ところが、外資コンサルティングが求める人材イメージが正確に理解されておらず、志望者の多くが「誤解」しており、そんなときでも採用人数の確保に苦労していたという。
何故かと言えば、マッキンゼーが採用にあたり最重視しているのは「リーダーシップ」で、日本人候補者に一番欠けているのがこれだから。リーダーシップを重視せず、むしろ、リスクを取って先頭に立つ人を「怪しい」「危なっかしい」「いい気になってる」と足を引っ張るのが日本である。
勿論、「地頭が良い」ことは前提。そこでも、「思考力」を「思考スキル」「思考意欲」「思考体力」の三つに分け、スキルは入社後に教えられるが、意欲と体力は一朝一夕に身につかないので、面接時にはここを見るという。コンサルタントに向いているのは、「半端でないレベルまで考え尽すことができる人」なのだ。

19:「アメリカ人に世界を教える」BS36:ケース面接に関する誤解見られているのは、「その候補者がどれほど考えることが好きか」「どんな考え方をする人なのか」41:地頭信仰が招く誤解コンサルティング業はサービス業である←経営者の信頼が得られるか46:思考力=思考スキル+思考意欲+思考体力56:マッキンゼー採用基準.蝓璽澄璽轡奪地頭が良い1儻じ獣聾譟米本採用なら日本語)日本人の「優秀な人」は△世韻里海箸多い。全部揃っているのは中国人留学生の方が多い。186:自助・共助・公助共助が機能するためにはリーダーシップの存在が不可欠
187:リーダーシップ総量の高低が、浮かぶ自治体と沈む自治体を分ける