2015年08月
2015年08月31日
東京焼盡
初版が出たのは戦後10年経った昭和30年。百里遼椶鯑匹爐里禄蕕瓩董E時50代の百寮萓犬凌畔は「日本郵船嘱託」。当時戦争末期で、郵船の船も徴用されてどんどん沈んでいたはずだが、週に3日間だけ出勤(それも数時間)する百寮萓犬棒鏤手当やボーナスまで支給するのだからスゴイ。
その百寮萓検中々の変人であることがうかがえる。風呂に半年入らなかったのには自分でも呆れているが、その後も、2か月入らなかったとかある。戦時下の燃料事情から毎日とはいかないまでも、奥さんは何とか工面して入っていたようだから、これは元来風呂ギライだったのだろう。
有名な俳人でもあったという百里隆兒ヾ磴榔圓、また、ユーモアがある。昭和19年11月から始まった空襲はそれから300日に渡り続き、東京を焦土と化す。百里眸崢に在った自宅を5月の空襲で失い、焼け残った隣人の小屋に身を寄せる。
自ら定めた「絶対国防圏」が敗れた時点で敗戦は決定的になっていて、空襲による民間人被害が始まるのはサイパンからB29が飛べるようになってから。遅くともその時点で講和しなければならなかったのに、日本には戦争をどう終わらせるかの戦略も、そのための組織もなかったのはお粗末というしかない。
45:(1月6日)東京都と云う字面も音も気に入らぬ也。東京市でいいものを変な呼び方にするものだから、空襲の時の情報放送に、東京市の上空ではいけないし、東京との上空と云えば飛んでもない所まで含まるので、困った挙げ句に、帝都の上空と云う云ひ方を阿呆の一つ覚えの様に使ひ出した。いやな言葉だからこっちでは使ってやらぬ也。83:(2月27日)今日はお米の都合がつかぬので晩飯の粥甚だ以って薄し。明日の朝もお粥也。稲妻の宵宵毎や薄き粥 漱石、でなく 粥に暮れて宵宵毎の焼夷弾というところだがこれでは季が無い。粥冷えて、で季になるかしら。98:(3月11日)昨暁の空襲の被害は、その後聞く程甚だしい様にて、浅草や本所特に深川の方面は焼き野原になったばかりでなく、死人が非常に多かった由にて、大正12年の大地震の時よりは遥にひどいと云う話である。111:(3月24日)その内に家内帰り来る。お酒を持っている。二合余りなれども思ひかけぬ事なり。近所にて工面したる由。烈女なり貞婦なり賢婦なり。天晴れ天晴れと称歓これを久しうす。153:(4月25日)自分ながら驚いた事には、ざっと半年振りのお風呂である。その間垢をためていた。子供の時はお風呂がきらひであったが、又合羽坂の当時も随分長く入らなかった事もあるが、半年ぶりなどと云ふのは生まれて初めてなるべし。
331:(8月15日)天皇陛下の御声は録音であったが戦争終結の詔書なり。熱涙滂沱として止まらず。どう云う涙かと云う事を自分で考えることが出来ない。
2015年08月30日
挨拶と福祉の関係

先週末の地元高校生との話し合いの中で、「挨拶が出来てない」という話が出た。小学生は、学校で指導しているのだろう、道路ですれ違えば挨拶してくれる。これが、中学校、高校になると出来ない。ここでも、「親の世代から出来てない」という話が出た。親の世代が既に地元という意識がなく、安く住める家があるからそこにいるだけで、職場も近隣都市ということであれば、地域に関心が低い。
それで、「挨拶」ということを考えてみた。挨拶は人間のコミュニケーションの基本だ。人間関係を築く第一歩といえる。これをしないということは、「あなたと友好な関係を築く必要は無いです」と言っているようなものだ。
これは私の仮説だが、挨拶をしなくなったことと社会福祉の充実とは関係があるのではないか?制度としての福祉は、人類史上、殆どなかった。病気になっても、冠婚葬祭でも、困ったら親類縁者そして隣近所に助けてもらうほかなかった。成績優秀だが家が貧しくて進学できなければ、村の裕福な篤志家が個人で奨学金を出した。当時の人は皆挨拶に熱心であったと思う。そうやって、日頃から良好な関係を築いておかなければ、いざというとき自分が困るからだ。
それが、高度経済成長を機に、「福祉」の名の下、全てが税金で賄われるようになった。日本で国民皆保険制度と国民年金制度が導入されたのは1961年で、この頃から大盤振る舞いが始まった。
「困れば国が税金で助けてくれる」
こうなったら、面倒くさい付き合いなどしなくていい。自分の好きな友達とだけ付き合い、他の人は無視。それが、親戚であっても、近所の人でもだ。これが地域社会崩壊の始まりであったのではないか。
私がこんなことを思うのも、先進国で一番社会福祉制度が遅れていると言われる米国に行くと、一番、挨拶がされていると思うからである。他人でも、目が合えばニコッとするし、エレベーターでも挨拶してくれる。誠に気持ちがいい。
次に挨拶熱心なのがイギリス人で、社会主義政権が長くて福祉が充実しているフランスに行くと、日本人のようにムスッとして挨拶がない。実例が少なくて恐縮だが、福祉の充実度と反比例している。こんなことを調査している社会学者もいるかな?
2015年08月29日
まちづくり若者&地域交流研修

先週末まちづくり推進隊高瀬の「第一回若者&地域交流研修」を実施。香川でも人口が減っているので他県同様、移住促進をしているが、それが数百人、数千人になるとは思えない。そんなことより、進学や就職で香川を離れる若者が、将来Uターンするのを増やす方が現実的だと思う。何しろ、大学進学者の8割が県外大学に進み、卒業後県内で就職するのはその半分だ。
一度郷里を離れ、広い世界を見て、自分を客観的に捉えることはすごく重要なので、県外進学はそれでよいと思う。卒業後、戻ってきて就職してもいいし、さらに大都市や海外で働いて仕事のスキルを磨いたうえで戻ってくるのでもよい。ところが、現状のUターンは、定年退職後に老後を過ごしに戻ってくるというもので、これでは税収増につながらないし、行く先、地元の負担増になりかねない。
では、現役の間にUターンしてもらい、さらには、地域活動にも参加してもらおうと思うと、地元で育っている間から参加してもらうのが一番だと思う。私自身、3年前に30年ぶりに地元に戻って暮らし始めて、高校生らと話して驚愕したのは、余りに地元の事を知らないということだ。
昔、田舎の楽しみといえば、自然の中で遊ぶことと地域の祭り。ところが、今、海にも山にも子供の姿を見かけない。彼らが居るのはSCだ。各地域での祭に参加する子が減る一方、近隣の都市での花火大会などには一家で出かける。
私は県外や海外から友人が来るたび、地元の風光明媚な荘内半島に連れて行って、「スバラシイ」と喜ばれる。しかし、地元の子供が自転車でも行ける荘内半島に一度も行ってなかったりする。聞けば、友達と遊ぶのは地元のSCで、家族と週末に遊びに行くのは、近隣都市にあるもっと大きなSCで、年に一度の楽しみは、家族でTDLに行くことなのだという。地域の祭りには参加したことがない。これでは、いったん地元を離れれば、Uターンすることは絶望的だ。親の代から既に地域の良いところを知らず、良いものは全て別の場所にあると思っているのだから。
そんな今時の高校生に、地元の大人たちと交流してもらい、まちづくりの活動を知ってもらい、また、彼らの意見も聞いてみようと始めたのが今回の取組。いきなり見ず知らずのオジサン&オバサンの間に放り込まれ、ぎこちない点もあったが、研修の後の「茶そば流し」(高瀬は茶どころである)では垣根が取れたようだ。
2015年08月28日
キー閉じ込み

やってしまった。まさか自分がやるとは思っていなかった。車の鍵を車内に閉じ込めるなど、ドアを閉めるのに鍵が要るのにどうやってやるのか?と思っていたくらい。
法事でやってきた長女が、「香川の牧場で実習中の高校同級生と会う」というので、イオンモール綾川まで連れて行った。当日は台風であったので、屋内で過ごせるところがいいだろうということで指定したのだ。
いつもモール前のR32を通っている私だが、店内に入るのは年に数えるほどしかない。どんな店にどんなものが並んでいて、何に人気があるのかをたまには見ようと、長女が友達と遊んでいる間、私は店内をウロウロ。ウロウロしているうち、持っていたカバンが煩わしくなってきたので、車に入れておくことにした。
駐車場の車に戻り、トランクを鍵で開け、カバンをトランク内に置いた。その後、カバンから必要なものだけ取り出すために、鍵をカバンの隣に置いた。財布などを出した。トランクを閉めた。エ

JAFを呼んで、到着を待つこと30分。車種と年式はあらかじめ伝えてある。
「ドイツ車は大変なんですよ・・・」
結局、当初到着した若手隊員が1時間格闘したものの開かず、応援を呼んで、それからさらに1時間。2時間掛かってやっとドアが開いたが、トランクは開かない。室内のトランクオープナーはどうやら、キーが入ってないと動かないようだ。流石ドイツ車、盗難防止は徹底している。
「トランクスルーになっていませんか」
なっている。が、後部座席を倒すためのレバーはトランク内だ・・・。その時、ベテラン隊員が「ここは?」と探り出したのが、後部座席の真ん中にあるアームレストの後ろ。ここは、スキーなどの長尺ものをトランクと室内を通して入れられるようになっているが使ったことがない。
ここが開いた

これが功を奏して、鍵を取り戻せたのは到着から2.5時間後。その間、蒸し暑い駐車場で大汗をかきながら奮闘してくれたJAF藤井隊員(高松基地)に感謝だ。
教訓:鍵は必ずポケットに入れるなど、肌身離さないようにする。

2015年08月27日
有明浜

香川県に来る観光客の殆どが、栗林公園→屋島→金毘羅さんで終わってしまう。いや、最近は、屋島の代わりに直島や豊島のアート巡りかも知れない。
何れも必見の場所なのだが、これら「香川のゴールデンルート」以外にも、良いところはいっぱいある。私の地元には、既に何度か紹介している荘内半島があるし、東讃と呼ばれる香川の東側にもいくつかの見どころがある。
香川の西の端にあるのは観音寺市。かってはカトキチの本社でも有名だったが、現在ではJT参加で「テーブルマーク」に社名変更した。
今も昔も変わらない観光名所は有明浜。ここには、江戸時代から遠浅の砂浜に描かれた「寛永通宝」がある。通称、「銭形」で、近年続けて宝くじの大当たりが出たことから、これが「銭形」のご利益ではないかということになり、関西方面からの観光客が増えたと聞いている。
ご利益があるかどうかはともかく、夕陽の名所なので、天気の良い日の夕方、来てみる価値はある。
2015年08月26日
ファミリーロッジ旅籠屋

今回の法事のために香川に来た家族用に近くの宿を探していて、「ファミリーロッジ旅籠屋」が観音寺にあることに気付いた。これは、東京に本社がある米国スタイルのロードサイドホテル(モーテル)を直営展開している企業で、グリーンシート銘柄の一つ。それも、現在のグリーンシート市場が出来た初期から登録を続けている数少ない企業の一つなのである。
グリーンシート市場の初期に少々関係していた私は懐かしくなり、ここを利用することにした。米国だと完全に部屋単位の料金になっていることが多く、一人で泊まっても二人で泊まっても料金に変わりはない。旅籠屋はそこまでではないが、一人で8000円、2人で1万円、後は一人増えるごとに千円プラス(何れも8月のハイシーズン料金)。クイーンサイズベッドが2台入っているので、(小学生までの子供なら)親子4人で泊まるのに問題はない。一旦チェックインすれば、ロビーを通らずに、駐車場から部屋に直接出入りできるのも便利。パンとコーヒー&オレンジジュースの直食は無料。
現在は全国49店舗まで増えていて、売上1391百万円、営業利益91百万円、経常利益62百万円。各店の稼働率と損益を見ていると、稼働率60%が損益分岐点のようである。全店の前期平均稼働率は69%。
家族や友達と車で旅行する場合は、こういったホテルを拠点にするのもいい。シーツ交換なしの「連泊割引」もあり、一部屋1000円引きになる。
2015年08月25日
堅パン

昔から、善通寺の名物と言えば、熊岡菓子店の「堅パン」。その名の通り、やたら堅い。しかし、噛んだ後舌の上で溶けると、小麦粉と砂糖だけで造った昔ながらの優しい味。
創業は明治29年(1896年)。場所は、善通寺の境内脇。お遍路さんなど参拝客を当てにして開店したものと思う。陸軍第11師団が出来て善通寺が軍都として発展し始めるのはその2年後だが、既に計画は決定していたと思うので、それも計算にあったのかもしれない。
「堅パン」は陸軍の要請で、軍隊の携帯食料として開発されたという。水分を極端に少なくして焼いてあり、軽く、日持ちがする。
店舗は見ての通り、昔のまま。大正2年(1913年)に建ったものをそのまま使っている。堅パン他商品はガラスのショーケースに入っていて、量り売り。入れてくれる紙袋がまたレトロでいい。
2015年08月24日
33回忌

あれから33年。あの日も暑かった。
夏の終わりのあの日、私は東京から来た大学の同級生2人と、父の車を借りて四国一周の途中だった。足摺岬近くの昔なじみの民宿に入った夜、伯母から電話が掛かってきた。「父が倒れた」という。それが母からでなく、伯母からであったところに悪い予感がした。しかも、私はいつどこへ泊るかも告げず、出てきたのだ。思い当るところに片っ端から電話を掛けたに違いない。「直ぐ帰ってこい」ということで一旦降ろした荷物をまた積んで、夜出発した。
それから6時間、国道56号線で高知市へ、そこから32号線で四国山地を抜けて、実家にたどり着いたのは午前2時。玄関脇に提灯の明かりが灯っていて、何が起こったかを悟った。
一時は大学中退も考えた私を支えてくれたのは伯父さん達、伯母さん達で、そのおかげで、3か月間、父の行っていた事業整理を母としたのち、復学した。それまで、親戚のおじさん・おばさんとは、正月にお年玉をくれるだけの存在だったが、自分はずっと見守られていたことを知った。
33回忌なので、法要もこれが最後になると思う。長女は参加できたが、他の2人が参加できなかったのは残念。彼女らの知らないおじいちゃんの話をこの機にしたかった。
2015年08月23日
梶山季之
先日読んだ山口瞳の『わが師わが友』に、わが友の一人として梶山季之が出てくる。1975年に死んだこの作家の事を知らなかったので、本の中でベストと薦められていた本書と『赤いダイヤ』『夜の配当』を読んでみることにした。
これは文句なしに面白い。1962年に発売されるや否やベストセラーになり、同年に映画化される

高度成長期、日本。
新3種の神器と謳われた欲望の象徴・自動車をめぐって、各メーカーは熾烈な争いを繰り広げる。
ライバル会社を欺き、出し抜き、機密を盗み出す“産業スパイ”の世界をあますところなく活写、1962年に発表されるや一躍ベストセラーとなり、「企業小説」という新ジャンルを開拓した傑作。
同年、田宮二郎主演で映画化されている(大映『黒の試走車<テストカー>』)。
2015年08月22日
五日市鉄道

お盆休みで訪れた西多摩地区。五日市郷土館の展示に、「五日市鉄道」というのがあった。
上記の図で黒線は現在のJR青梅線と八高線、および中央本線を示し、赤線で書かれているのが戦前まで在った五日市鉄道線、通称「五鉄」。昭和19年戦時下で、やはり私鉄であった青梅鉄道とともに国有化され、青梅線と並行して走っていることから運航中止、戦後廃線になったという。
戦時体制は巨大な日本国有鉄道を生み、その強力な労働組合と官僚組織のため、赤字を垂れ流した。ここでも、野口悠紀雄のいう「1940年体制」はここでも続いていた。
五日市鉄道は主に石灰石の輸送を目的として、大正14年に拝島と武蔵五日市間の11.1kmが最初に開通され、後に南武鉄道(現JR南武線)と結ぶため立川駅までの延長が決定し、立川から拝島間8.1kmが昭和5年(1930年)に開通しました。
2015年08月21日
「西洋の衝撃」にどう立ち向かったか
圧倒的な軍事力を持つ西洋にどう立ち向かうか?明治維新は日本が出したその答えだったが、維新が落ち着くと盛り上がってきたのは「民権・自由・平等」運動であった。
これは、明治の「中央集権」政府と対立するもののように思うが、実態は、近代国民国家になるために、セットであった。つまり、一般人に自由・平等・民権が与えられて「国民」になるから、「国民軍」が出来、大量動員によって近代戦が可能になった。それを最初にやったのはフランスである。ヨーロッパはナポレオン率いるフランス国民軍に危うく全土を占領されそうになり、欧州貴族を震撼させた。
本書は、絶対平和を説く「洋学紳士」、富国強兵で国を守るしかないという「豪傑」、それに、できることから斬新的に民主制を取り入れればよいという「南海先生」が酔って議論するという形式を取っている。
兆民は2.5年のフランス留学からの帰り、東回りでインド洋を北上し、中近東やアジア諸国の状況を見聞したという。この際に、英仏人がトルコ人やインド人を犬や豚のように取り扱う様子を見て、西洋諸国は「文明」、その他の諸国は「野蛮」という発想に対し、強い疑問を持つにいたった。(山田博雄氏による解説)
今から勉強し直すには、難しい内容。こういうのを大学の教養課程でしっかりやっておけばよかったのにと反省しきり。
42:専制制度を脱して立憲制になったとき、他人というものは初めて独立した人格となることができる112:プロイセンとフランスがヨーロッパで戦うとき、ロシア軍は砂塵を巻き上げて当方に進出するに違いない。このことは、つまり、普仏戦争の災禍はヨーロッパ大陸にとどまらず、アジアの洋上にある諸島にもそのとばっちりを受けることを免れず・・・・・要するに、プロイセンとフランスとはヨーロッパ―において力を競い、ロシアとイギリスとはアジアに出て覇権を争うということが、こんにちの大勢なのです。120:世に民権といわれるものにも、二種類あるのです。イギリス、フランスの民権は、回復した民権といえるもので、下から進んで獲得したものです。もうひとつは、賜った民権というべきもので、上から恵まれたものです。回復した民権は下から獲得したので、その分量の多少は、こちらの意のままに決めることができるわけです。賜った民権は、上から恵まれたために、その分量の多少は、こちらで決めることができません。
121:たとえ賜った民権がどんなに分量が少ないにしても、その本質は回復した民権と少しも変わらないのですから、われわれ人民はこれを失わないように守り、大切に用いて、正しい生き方を通して育て、学問によって養い、たしかなものにする。その結果、時勢はますます進歩し、社会はますます進展するとともに、民権は豊かに大きく成長し、やがては回復した民権と肩を並べるに至る。これこそまさに進化の道理ではないですか。
2015年08月20日
長銀処理
日本長期債権銀行・・・こうした名前の銀行があったことを35歳以下の人は知らないと思う。1999年まで存在し、1998年の破綻後は国有となっていた。その国の保有株式が米系投資ファンドにたった30億円で譲渡されたのは2000年である。
本書は、その長銀処理問題を小説にしたもの。主人公は元長銀のMOF担(これも今はない言葉だろう)で、過剰接待問題を機に、投資銀行最大手DB社に転職する。DBがGSを指しているのは明らか。その際に誘ってくれたのはHBSのMBA同級生。銀行人事からは「MBAを取らせるのに1000万以上投資したんだぞ!」と怒られるが、「MBAを取ってから7年も働いて、その分は十分に返した」と本人は思っている。
ところが入ってみると、実力主義といいながら、実力があるかどうかを決めるのは査定する上司だから、上司へのゴマスリがひどい。チーム内での足の引っ張り合い、抜け駆け・・・・1年でVPになる成果を上げたものの、嫌になって転職を決めるが、そこは高利回りを保証した「損失先送り商品」を日本の上場企業に売る詐欺会社だった。と、こちらは、「プリンストン債」を売っていたクレスベール証券を指すのは明らか。
主人公はいつも長銀の周辺にいて、長銀に残った同期や、あるいは買う側になったDB(GS)の元上司から情報を聞いては、その詐欺まがいのやり方と、それに対抗できない日本政府の不甲斐なさに怒るのだが、直接関わりはしない。
こうした1990年代後半の金融危機をなぞるように物語は進んでいき、主人公の女性遍歴は読者サービスか(笑)。小説としては複雑な人間関係も、人情の機微もなく、駄作。ただ、「あの事件は何だったのだろう?」と思い出すきっかけにはなった。
363:「スティーブは、わたしが目をかけただけあってFRCを手もなくひねって、わずか10億円のグッドウィル(暖簾代)で、ニューTLCB(新東長銀)を手に入れたよ。ニューTLCBは特別公的管理下からわがファンドに移行するまでの一定期間、顧客との取引が停止する。その間、金利は入ってくるし、貸出しの含み資産もあるから、3000億円は最初から儲かる仕組みになっているんだ」375:「トップが、日本の銀行との合併を志向したことは確かだけど、買い手がなかった。ほんとうは破綻させずに済めば、ロスは三分の一以下で済んだのに、DBとアップルツリーのシナリオに乗せられたのは、再生委員会っていうことになるのかもなぁ」「DBが再生委員会のアドバイザーになったことで勝負はついてしまった。」399:アップルツリー会長(COO)のランリネイと最高経営責任者(CEO)のワドリーは共同で別会社を設立したほか、個人会社を別個に設け、共同会社で東長銀株式譲渡前に27億円、個人会社が20億円と合計47億円もの巨額をアドバイス・フィ、サービス・フィ等の名目で、東長銀からせしめた。405:株式譲渡後に、新東長銀の代表取締役会長兼社長で、最高経営責任者の山崎義雄が最初にやったことは、アップルツリーのランリネイCOOとワドリーCEOに対して各5億円、合計10億円のアドバイス・フィとサービス・フィを支払ったことだ。(中略)つまり、ランリネイとワドリーは、株式譲渡前に吸い上げた20億円を含めて各15億円、合計30億円もの巨額の資金を取得したことになる。しかも、アップル・ブラザーズは東長銀譲渡に関与した弁護士、公認会計士、コンサルタントの報酬等の名目で27億円を東長銀から吸い上げていたので、取得額の合計は57億円に及ぶ。原資はむろん日本国民の税金だ。山崎は、シチズン・バンク在日代表時代の秘書室長と女性秘書を従えて、新東長銀に乗り込んできた。47,8歳の女性秘書は英語力も堪能だったが、二千万円の年俸は日本企業では考えられないべらぼうなものだ。
426:「パターソンも食わせ物だけど、こそドロみたいなもので、DBとアップルツリーは大強盗団に等しいよ。合法的にやっているから、大強盗団というのもなんだか変だけど、アメリカの国家的犯罪と言って言えないこともないと思うけどね」
2015年08月19日
東京で唯一の村(島しょ部を除く)

香川県では昭和の大合併以降「村」が無くなったが、東京には今も複数の村がある。先週、お盆休みに向かったのは、島しょ部以外では唯一の村である桧原村。秋川渓谷までは行ったことがあるが、さらに奥の桧原村まで来たのは初めて。人口は2362人、世帯数1180ということ(8月1日現在)。
目指したのは、払沢の滝。「日本の滝100選」に入っている、都内では唯一の滝ということだ。4段の滝は落差60mあるということなのだが、見えるのは最下段だけで、全容は見えない。木々が葉を落とす冬ならもっと見えるか?冬期は凍結するらしい。
私が気に入ったのは、滝に行く途中の遊歩道にある「森のささやき」。昭和4年築の旧桧原郵便局を移築したものということ。写真の通り、中々の佇まい。ただ、残念なことに、あまりキチンと運営されている印象は受けなかった。さては、村営か?
2015年08月18日
男性自身
サントリー宣伝部出身で有名作家と言えば、開高健が筆頭だろうが、もう一人山口瞳が居る。開高健が『週刊プレーボーイ』に連載した人生相談「風に訊け」も大評判になったが、山口瞳が『週刊新潮』に連載した「男性自身」は1963年12月2日号より1995年8月31日号まで31年9か月、休載なく1614回続いた。これはギネス記録ではないか?この年、山口の急死で連載はストップした。
その山口瞳がサントリー入社の経緯を書いている箇所が本書にある。前職の出版社が潰れて失業していた山口に友人が『洋酒天国』が編集員を募集していると教えてくれる。茅場町のサントリー東京支店は、木造二階建てでみすぼらしかったという。その際に面接したのが開高健で、その時の印象は下記にある通り。
その面接から三か月後、開高健は「裸の王様」で芥川賞を受け、すぐに退職願を書き、嘱託となる。開高の仕事を引き継いだのが山口瞳だ。
59:この対談集(『師弟対談 作法・不作法』)のなかに「礼儀作法とは己を虚しゅうすること」という一項があるが、エチケット(人と接するやり方)でも文章でも「己を虚しゅうすること」が要諦だと信じている。
118:私は取引先の人に「友人」を感じないと仕事がしにくいという性癖がある。
あるとき、呑み屋の女主人に、あんたはどこへでも出かけてゆくのねとイヤミをいわれた。仕事の関係のある人で、先輩後輩を問わず、私がその人の自宅を訪れなかったジャーナリストの数の方が少ないだろう。すこし深入りしすぎたようだ。
126:数え齢50歳になった私が、いま、若い宣伝部員に偉そうに苦言を呈するならば「脳ミソがカラカラになるまで知恵を絞ってみろ。そのうえで体当たりで冒険をしてみろ」ということに尽きる。
128:私は、この時、この会社に入社したいと強くねがった。つまり開高は会社の仕事で小さな失敗をした直後であるのにこんなに元気であり、小説が売れ出したのに会社をやめないし、そうして私という見も知らぬ男に対してこんなに情熱をこめて仕事の話をするのは、よっぽど居心地がよくて、しかも上層部が”才能”に対して理解があるからに違いないと直感したからだった。
129:開高には傲岸と謙虚、純心とスレッカラシが同居している。そしてわたしは開高の両面を愛している。開高健は、そうでなければいけないのだ。どっちにかたよってもいけない。私は開高から逞しさの方を学び、それでずいぶん助かったことがある。彼は私が挫けると大声ではげまし、酒をふるまってくれた。
2015年08月17日
戦時中でも引用されていたThe Economist

同じく、五日市郷土館で昭和20年の朝日新聞を見ていたら、英エコノミスト誌が引用されていた。情報統制されていて、敵国の雑誌など読めないものだと思っていたので、これは意外だった。
8月14日の「原子爆弾」の記事にこうある(最初は「新型爆弾」と言っていたが、前日の13日から「原子爆弾」記載)。この「清瀬氏」というのは、清瀬一郎博士のことで、弁護士であり政治家だった。
当時は大政翼賛会の総務。終戦の翌年、公職追放で政界を追われ、弁護士として東京裁判で日本側弁護士団副団長として東条英機の主任弁護士を務めている。その後、追放解除で政界に復帰し、1955年には第3次鳩山内閣の文部大臣。1960年に衆議院議長として、改正安保条約の「強行採決」を読み上げたのはこの人だと思うと、戦前と戦後がつながっていて興味深い。
見出し:文明・人道への「逆手」(清瀬氏談)
原子爆弾に対する世界の非難と攻撃は日毎に激しさを加えようとしている、世界的に有名な雑誌エコノミストの論説も「無政府状態にさらされた文明」としてその非人道的影響を攻撃すれば、敵の内輪であるところの英国の興党、労働党もまたこれが使用の禁止とその保障について発言した、まことに原子爆弾こそ人類の生存に挑戦するものであり国際条約などを遥に超えた世界歴史の暗影ということができる(現代仮名遣いに変更)
2015年08月16日
五日市郷土館

こちらが昭和20年の朝日新聞が日替わりで読める五日市郷土館。桧原村で滝を見た帰り、途中道路から見下ろした秋川渓谷は、芋の子を洗うような混雑ぶりだったが、こちらは閑散。

公共の郷土資料館の類はどこへいってもこんな状況。大抵無料だし、有料であっても100-200円なのだが、見学者を見かけることの方が稀。

五日市郷土館には、写真の「旧市倉家住宅」という古民家がある。四国の古民家は大分見てきたが、屋根裏に養蚕スペースがあるものは知らない。
旧市倉家住宅は、かつてあきる野市五日市 566番地にあり、平成元年と平成9年に行った文化財調査では、江戸時代末期の構造・形式をよく残し、建築の質の高さと当時の生活様式を伝える歴史資料として高く評価されました。また、養蚕技術の変遷を伝える構造や改造跡があり、保存状態も極めて良好であったことから、平成10年9月3日に市指定有形文化財(建造物)となり、平成11年4月にあきる野市に寄贈されたものです。
2015年08月15日
70年前の新聞

昨日行った「五日市郷土館」には、敷地内に「旧市倉家住宅」という、江戸末期の農家が移築されて保存されている。建築されて150年くらい経っているということになる。
ここでは、昭和20年の朝日新聞を年間を通じて、前日と当日のものを展示してある。昨日は13日と14日の分だったが、お願いして15日のものも出してもらった。
それが上の写真で、大見出しは、「戦争終結の大詔渙発さる」。続いて、
・新爆弾の惨害に大御心
・帝国、四国宣言を受諾
・畏し、万世のため為太平を開く
・国の焦土化忍びず
・国体護持に邁進
・支払制限せず
・再生の道は苛烈
など。
興味深いのは、広告で、「隣組では国債貯金を」(大蔵省)とある。当日は国債の売出日だったらしく、8月15日→8月31日とある。戦争に負けたのに国債を買う人が居るとは思えないが、敗戦から新円切り替え(昭和21年2月)までどうだったのだろう?
見出しにも、「(銀行の)支払制限せず」「インフレ防止に強力措置」とあるが、実際は不安になった庶民がお金をモノに変えようと殺到し、あるいは、政府も発注済みの戦争物資の決済を構わず進めたので、市中にはお金が溢れハイパーインフレになった。既に対外債務については戦争開始から支払いを停止していたが、国内債務についても、債務額と同額の「戦時補償特別措置税」を課してチャラにしてしまう。
これは、国債を返済しなかったら債務不履行(デフォルト)だが、返さないのではなく、「同額を徴税した


その時のGDPに対する国債残高は250%。丁度、今の国債残高水準と同じだ。

2015年08月14日
クーポンサイトに出ている店の特徴

毎月クーポンサイトを使っている。元々外食の機会が多く、「安くあげたい」というのが動機だったが、最近はそれよりも、「知らない店に行くきっかけ」になっている。年齢を重ねるに従い「時間が経つのが早い」というのは、生活パターンが決まってしまい、「初体験がない」せいともいわれる。
経験を重ねるに従い、自分の好みもはっきりする。なじみの店が出来ればそこに行って「いつもの」を頼んで、「いつもの」サービスを受けるのが一番だ。しかし、それでは新発見の楽しみがなくなる。
しかし、あてずっぽうで行くのもリスクが高いので、クーポンの割引を動機にして試している。これまで数十件の店を試した結果、クーポンサイトに出している店は以下に分類されると思う。
/事やサービスはいいのだが、ロケーションが悪くて苦戦している店
開店して間もなく、知名度を上げたい店
8機皇鷆,靴討い詁睛討北簑蠅あり、クーポンなどで実質値下げしないと客が来ない店
,筬△両豺腓蓮▲ーポン利用によるコスパがいいので、満足度は高い。一方、は元々の値付けがおかしいので、クーポンを利用してやっと「まあまあかな」という店。中には、「通常価格」を意図的に高くし、クーポンで半額以外にも、格安コース料金の設定など、大幅割引を前提とした詐欺まがいの店もある。
記録は取ってないが、実感としては、30%、20%、50%位か。,遼足度は高いが、△賄たり外れがあり、は外れの方が多い。総じて、五分五分ではないか。
改めてクーポン共同購入サイトの状況を見てみると、5年前に200社以上あったサイトは10社程度に集約されている。なかでも、表の通り、世界最大手で上場しているグル―ポンの日本子会社と、リクルートが運営しているポンパレの2強状態になっている。
クーポンサイトのビジネスモデルは、
・定価の半分程度で商品やサービスを提供する
・店はさらにその半分をサイト運営企業に掲載料として支払う
というもので、店に実際に入るのは、定価の1/4程度だ。これで赤字にならないためには、売上原価が25%以下である必要があるのだが、飲食店で原価率が25%以下というのはまずない。通常は40-50%である。中には、「俺の」のように60%と意図的に高くして、回転率でそれを補う店もある。
一回限りのPRとしてはあり得るが、クーポンサイトを恒常的に利用している店は、,吠類される良心的な店であれば潰れる可能性が高く、であれば、そもそも値付けがおかしいということになる。
そのせいか、数年前に比べると、ポンパレの場合は飲食店の掲載が少なくなり、代わって、商品の掲載が増えた。通販商材の場合、元々原価率が10-30%ということも多いので、定価の半額で売っても普通に利益が出る。なので、通常のECとの区別がつかなくなってきている。
2015年08月13日
認知症

高校後輩の紹介で、老健施設を経営する理事長にお会いした。認知症の高齢者が多数入居しているそうだ。
最新の調査によれば、認知症の高齢者は700万人にも上り、18-64歳の「若年性認知症」患者は224万人もいるという。65歳以上の高齢者は3186万人だから、高齢者の4人に一人が認知症ということになる。すごい数だ。
その予防法だが、現時点での学会のコンセンサスは以下の通り。
1.遺伝子検査でリスクの高いグループを認識し、指導強化
2.脳トレーニング(Lumosityなど)
3.有酸素運動(定期的に有酸素運動をしているグループは発症率が低い)
4.食事(全粒粉、野菜、果物、豆類などを基本に ×アルコール)
Lumosityはスタンフォード大学で開発された認知症診断&脳トレーニングゲームで、私も早速やってみた。有料だがお試しは無料で出来る。苦手な領域を選んで入力すると、それにあったゲームを選んでくれる。私の場合、対応スピードは平均以上だが、パターン記憶力は平均並みで、マルチタスク(並行処理能力)が平均以下という結果が出た。
会費は月に400-500円程度(契約期間によって違い)。どうせスマホでゲームするなら、こちらの方がいいかも。
2015年08月12日
不忍池変遷

東京で居るときはほぼ毎朝ジョギングする不忍池。今は蓮の花が満開で、大勢の人が見学に訪れている。
調べてみると、江戸時代には既に名所だった不忍池も、明治になって競馬場になったり、戦時中には水が抜かれて水田になったこともあるらしい。
上野不忍池競馬(上図:歌川国利 「東京名所」から)は、不忍池を周回する競馬で、明治17年から25年まで開催された(1984-1992)。現在のように、公営ギャンブルではなく、当時の欧化政策の一環で、「屋外の鹿鳴館」ともいうべき存在であったということ。欧州の貴族が競馬場で社交するのを真似たわけだ。
当時はまだサラブレッドなど日本に入っておらず、在来の日本の馬で競っていたらしい。猿まねしても条約改正に意味がない事が次第に分かり、政府からの支援がなくなった運営会社はつぶれてしまった。しかし、競馬場にするため埋立を行ったので、現在の池の形はこの時に出来たということ。
2015年08月11日
インドの無農薬農業企業
インド人の友達からの紹介でインド人経営者に会う。Naveenは、駐日インド大使の息子として日本で生まれたそうだ。
彼が4年前に始めたのは、インド初の大規模「無農薬農業」会社であるFirst Agro。遺伝子組換をしない野菜と果物を、FAOとWHOの国際食品規格に適合した方法で栽培している。共同創業者の二人は元ITエンジニア。害虫の天敵を使うなど伝統的な知恵に、最先端のIT管理技術を組み合わせて、無農薬栽培と生産性を両立させている。
アメリカなどのIT企業で働いた経験のある人が多いインド人は、食の安全にも敏感になっている。4年前にスタートしたFirst AgrohaインドIT企業の集積地であるBangaloreを中心に、高い知名度と信頼を獲得している。12億人を超えたインド人口のうち、1/3の4億人が中高所得世帯者で、巨大市場になるとみている。
現地で食材供給しているRitz CarltonやHiltonなどの高級ホテルから、「東南アジアでも供給できないか」という依頼があり、東南アジアでの生産も検討中とのこと。
2015年08月10日
ラジオ体操広場

実は、ラジオ体操ファンである。実家にいるときは毎朝やっている。東京では代わりにジョギング。田舎では走っている人なんていないから、どうも気恥ずかしい。その代りにラジオ体操。
今朝は不忍池を走っている途中で小雨が降ってきたので、ルートを変えて、上野公園に上がってみた。大勢が集まってラジオ体操をしていたので、そのまま参加した。NPO全国ラジオ体操連盟によれば、上野公園の参加者は300人ということ。
近くに、「ラジオ体操ひろばの碑」があることに気付いた。さては、ここがラジオ体操発祥の地か?と思ったが、調べたところ、神田が発祥の地であるようだ。さらに言えば、その原型はアメリカのメトロポリタン生命保険会社(=メットライフ)で、1925年から10年間、ラジオでMetropolitan Life Health Exerciseという番組が平日の毎朝1時間放送されていた。
アメリカに視察に行った逓信省(後の郵政省)の役人が、「これはよい取り組みだ」と持ち帰って、簡易保険局で企画し、日本放送協会(NHK)の協力を得て、1928年に放送が始まった。アメリカで始まった取り組みはアメリカでは根付かず、日本で根付いた。
2015年08月09日
善通寺のゲストハウス

今度は、善通寺のゲストハウス。今回、タイから友人が来て、一緒にあちこち行くので実家近くのホテルを探していたのだが、いいところがない。これにはいつも困る。あるのはタバコ臭い古いビジネスホテルか、営業しているのかどうかわからないような旅館。設備が新しくて、清潔で快適で・・・ということになると大抵、丸亀のビジネスホテル(チサンかアパ、チョット上級だとオークラ)になってしまうが、丸亀までは車で30分以上掛かるので行き来が大変だ。
そこでゲストハウスまで対象を広げたところ、いいのがあった。3年前に出来たばかりで、設備は近代的。部屋はシンプルながら機能的で使いやすそう。朝食も頼めて、勿論WiFi完備。4.5畳の部屋を一人で使って一泊3700円(+朝食代500円)。
ゲストハウス「風のくぐる」の名前の由来は、
バックパッカーやお遍路さんが、風といっしょに歩くの 「く」
チャリダーが風のようにペダルをこぐの 「ぐ」
バイクで、車で、列車で、風と共にはしるの 「る」
みんなが集まって、 「風のくぐる」
なのだそうだ。
オーナーの氏家さんはサイクリストで、自らあちこちサイクリングしてゲストハウスに泊まっているうち、「こんな宿を」と思いついたのだという。北海道が好きで、そこで就職&サイクリングしたのち、郷里に帰って開業したのが「風のくぐる」。
今回泊まった友人も満足したようで、9月に来日するフランス人の友人もここにしようと予約した。
2015年08月08日
高松のゲストハウス

2週間前に、高松に新たなゲストハウスKincoがオープンした。元は、金庫屋さんの事務所だったからKinco。
1階はレセプションとカフェで、2階がドミトリーのみのゲストルーム。ドミトリーは、男女混合エリアと女性専用エリアに分かれ、全て写真のような専用開発された2段ベッドが入っている。これをNegoya(寝小屋)と名付けている。Negoya内部にはクリップライト、コンセント、テーブルが付いて快適そう。写真下に見える蓋はロッカーで、チェックインすると南京錠が支給される。
全体的にシンプル&スタイリッシュ。誰のデザインかと思ったら、やはり?岡昇平さん。岡さんは「みかんぐみ」(東京)で働いた後、香川に戻って(家業の)仏生山温泉を手がけた建築家である。Negoyaも岡さんの考案とか。
それで、企画&運営しているのは小林有美さん。大阪出身で、東京のリクルートで10年間働いたのち、ゲストハウスをやりたくて高松に来たそうだ。
当然、ゲストハウスを準備するのは初めて。当然、オープンまではすったもんだあって、春に予定していた開業が夏に延びてしまったらしい。最大の難関は、建物の用途変更で、結局用途変更は出来なかったらしい。宿泊スペースの縮小で、「主用途はカフェ、宿泊は付属施設」ということで乗り切ったらしいが、どうしてダメなんだろう?高松に多種多様な宿泊施設が出来るのは、高松市にとっていい事なのに

2015年08月07日
香川の2つの老舗醤油屋

二日連続で地元の醤油屋を訪問。両方とも江戸時代からの歴史がある老舗だ。一方は、江戸中期(1753年)から260年続く引田のかめびし醤油。昔は西日本全域で一般的な製法だった「むしろ麹製法」を守り続ける全国で唯一の醤油屋さんである。その名の通り、むしろに麹を寝かせて発酵させる。時間を掛けて菌糸が大豆の中により深く入るのでたんぱく質がより完全にアミノ酸に分解され、コクが強いという。江戸時代からの建物で今も製造&営業されており、18件の建物群は国の登録有形文化財である。
通常の醤油でも2年、最大20年熟成の醤油が販売されている。もろみ蔵も見せてもらったが、1年以上経ったもろみは通常のもろみのようにドロドロという感じではなく、固形化している。色も茶色ではなく、黒い。水分が少ないので、絞るのも時間を掛けて少しずつ絞る。当然取れる量も少ないので、価格は20年物で55ml3445円。現在の最古は23年物で、これは市販はされてないが、先日来日したフランスのシェフ一行がどうしても欲しいというので、少量特別販売したそうだ。
もう一件訪問したのは、これまでも何度か訪問している坂出の鎌田醤油。こちらは1789年の創業というから、やはり、かめびしと同時代である。モットーは「古いけれども、新しい」で、その通り、製造にも販売にも商品にも革新を続けている。
現在の主力商品は、「だし醤油」。1980年代に全国で初めてだし醤油を開発し、売り出したのは鎌田醤油である。だし醤油は、手軽に本格的な味を出せるというので、徐々に、しかし、確実に普及した。現在では、だし醤油他、ポン酢醤油やにんにく醤油など、醤油加工品の売上が大きい。
製造面では、醤油醸造共同生産組合を県内の同業他社とつくり、生揚(きあげ)醤油製造までを組合で行っている。これを鎌田醤油他、組合員の各社に配送し、そこで精製・火入・味付などの後工程を行う。規模の経済が働く部分は一緒に行うという合理的な考え。
販売面でも1980年代から通信販売を始め、現在では大半を消費者に直接販売している。このため、消費者からの声が直接届くし、流通マージンがないので、原価率を高くすることができる。同じ末端価格でもより良い原料が使える。
伝統を頑なに守っているかめびし醤油と、経営革新を続けている鎌田醤油。経営に唯一の正解は無く、どちらも自分に合ったやり方を上手に行えばよい。大切なのは、自社製品を愛用してくれる顧客を開拓し、満足させ続けることだ。
2015年08月06日
日本フネン

二日連続で徳島へ。今回訪問したのは、マンション玄関ドア最大手の日本フネン。建材というと大量生産が必要で、LIXILなど大手が強いように思うが、マンションのドアは、マンションごとに意匠やサイズが違うこともあり、専業である同社がトップ。前期は122億円の売上で、市場シェアは40%だという。マンションの戸数に合わせて、数十枚~数百枚と制作する。
フネンの社名は、「不燃」から来ているということ。ドアには、耐火、防音、防犯、断熱、耐震などの性能が求められる。これに加えて、家の入り口としてのデザイン性も必要。
前回ファンドとして訪問した時は、リーマンショック後であり、取引先のマンションデベロッパーの倒産が相次ぎ、売上減に加えて売掛金が回収不能になり、業績は最悪であった。しかし、その後は、順調に回復し、ここ数年は二けたの売上増が続いている。
地方企業は交通が不便で、大消費地から離れている分、価格で勝負するか、付加価値を高めるか、特徴がないと企業の存続が難しい。日本フネンは、四国に多い「ニッチトップ」の一社である。
2015年08月05日
京都駅スカイウォーク
今回の京都出張では、帰りの新幹線まで約1時間の時間があった。どこかに行くには時間が足らない。
駅をグルット見渡したところ、はるか上に向かってエスカレーターが延々と続いている。人影も見えるので、そこまで行ってみることにした。京都駅はこれまで20-30回は使っていると思うのだが、駅舎の上に登るのは初めてだ。
ドンドン登れる。上に行くほど、暑さが増す。下の方は冷房の冷気が多少は漂うから比較的涼しく、上は逆なのだろう。人影もまばらだ。
驚いたことに、登れるだけでなく、「スカイウォーク」なる渡り廊下があって、駅舎の上を端から端まで歩けることが分かった。全面ガラス張りで、風景がよく見える。下も良く見えるので、高所恐怖症の人には辛そうだ。
眺めがいいので混んでいそうなものだが、そもそも知られてないのだろう、ガラガラ。出会ったのは、ガイドブックを手にした外国人旅行客ばかり。
Yahoo!知恵袋で、「京都での告白場所」として推薦されていた。

2015年08月04日
キオスク→7-Eleven

急用ができて、月曜日、琴平駅から京都へ日帰り。琴平駅からJRに乗るのは何年ぶりだろう。大正11年に出来た現在の駅舎は、スッキリとした姿で美しい。当時としてはウルトラモダンだったのではないか?
久しぶりに入った駅構内のキオスクは、7-ELEVENに替わっていた。登録有形文化財の中にあるセブンは珍しいのではないか?何はともあれ、乗車前に、100円でコーヒーが買えるのは嬉しい。同じJR四国で、善通寺駅もこのパターンである。商品力のあるセブンへの転換で、日商が40万円→50万円に伸びるそうだ。
セブンは2013年に四国に初進出したが、サークルKサンクスのエリアFCがセブンに乗り換えるなど、急速に出店を進めている。ファミマも対抗して、出店を加速させているようだが、元々四国で強かったローソンは店舗を増やしてないように見える。

2015年08月03日
過去70年で180以上の国が消滅
本書の帯に寄れば、「過去70年で180以上の国が消滅」しているらしい。一度も消滅したことのない国に生まれた我々は意識することがないが、世界を見れば、国が消滅することは決して珍しい事ではない。ほぼ毎年、どこかで国が生まれ、どこかの国が消滅していく。何の努力もせずに国が維持できるほど、現実は甘くないのである。
著者は、「今の日本は、消滅した通商国家カルタゴや地中海の覇者ベネチアにそっくり」だという。カルタゴは経済至上主義で、国防を傭兵に頼った。ローマと130年間に渡り戦争し、滅ぼされた。ベネチアは船の技術革新に対応できず、豊かな社会の中で働かず、結婚もしなくなり、最後はナポレオンに滅ぼされた。
*海洋国家として長く栄えたカルタゴも、地中海の覇者ベネチアも、今はない。国家はなぜ衰退するのか?・カルタゴ滅亡の原因:傭兵への依存、経済至上主義、対立国ローマに脅威を抱かさせた・ベネチア共和国滅亡の原因:技術革新への対応の遅れ、地政学的重要性の低下、国民の通商意欲の衰退と人口減少・明治時代:江戸時代の分権社会→中央集権「統一、画一、同一」言語や文化を統一させるための初等教育・画一政策=工業社会への合致・平成時代の環境変化:人口増大→減少、集中→分散、物質→精神・以前は妥当だった価値や制度が無意味になり、まったく別の概念を導入しないと対応できなくなる「特異点」
2015年08月02日
製麺所→焙煎所
丸亀製麺所が香川に初進出したのは2012年の1月。「最大手がついに本場に進出」と注目されたが、開店から3年の今年1月に閉店した。
それから2ヵ月、3月末にオープンしたのが「クローバー珈琲焙煎所」。「製麺所」から「焙煎所」への転換である。
その焙煎所に今朝はじめて行った。店に入ったのは930だったが、駐車場は既に9割がた入っている。店内は奥の喫煙席を除いて、8割がたの入り。それも、4人席を二人で使っている人が居たりするからで、ほぼ満席と考えていいだろう。
店内はゆったり作ってある。所謂「滞在型」の喫茶店で、コメダを意識していることがよく分かる。コメダより席はゆったりしていている。コメダの席は半個室風に区切ってあるが、こちらはスタバ風にオープン。

コーヒーの値段は450円で、朝は11時までトーストがサービスで付くのもコメダ風。コメダとの差別化を意識してだろうか、コメダと分量は同じなのだが、通常のトースト2枚分の厚さで、逆に面積は半分というインパクト重視

注目すべきは、店の入り口にこれ見よがしに置かれた焙煎機。たまに凝った喫茶店で見かけることがあるが、チェーン店ではこのレイアウトは初めてだろう。「うちは本物だ」と主張しているのである。

考えてみれば、これは丸亀製麺所の成功要因であった。香川の従来からある「製麺所」では、客席と製麺スペースの境が曖昧で、客は、うどんを食べながら麺が打たれ、裁断され、茹でられる様子を見て、そのライブ感を楽しんでいた。元々、製麺が本業で、近所の人達に「(サービスは出来んけど)勝手に食べてな」と始まったのが、製麺所タイプのうどん屋である。(その辺の事情は以前小論文にまとめて学会発表した。当時のインタビューはこちら)
これをヒントにチェーン店化したのが「丸亀製麺所」。全国で大成功したが、コストの低い家族経営のセルフ店がひしめく本場市場に参入したのは最近になってだった。ロードサイド型の大規模店を新規に出すやり方では採算が合わず、業態転換を図ったものと思われる。
店員さんに聞いたところ、本業態は栗林公園店が第1号で、全国でまだ3店舗とのこと。会社側計画では、本カフェ業態を第二の柱にしようとしていることがわかる。
それから2ヵ月、3月末にオープンしたのが「クローバー珈琲焙煎所」。「製麺所」から「焙煎所」への転換である。
その焙煎所に今朝はじめて行った。店に入ったのは930だったが、駐車場は既に9割がた入っている。店内は奥の喫煙席を除いて、8割がたの入り。それも、4人席を二人で使っている人が居たりするからで、ほぼ満席と考えていいだろう。
店内はゆったり作ってある。所謂「滞在型」の喫茶店で、コメダを意識していることがよく分かる。コメダより席はゆったりしていている。コメダの席は半個室風に区切ってあるが、こちらはスタバ風にオープン。

コーヒーの値段は450円で、朝は11時までトーストがサービスで付くのもコメダ風。コメダとの差別化を意識してだろうか、コメダと分量は同じなのだが、通常のトースト2枚分の厚さで、逆に面積は半分というインパクト重視


注目すべきは、店の入り口にこれ見よがしに置かれた焙煎機。たまに凝った喫茶店で見かけることがあるが、チェーン店ではこのレイアウトは初めてだろう。「うちは本物だ」と主張しているのである。

考えてみれば、これは丸亀製麺所の成功要因であった。香川の従来からある「製麺所」では、客席と製麺スペースの境が曖昧で、客は、うどんを食べながら麺が打たれ、裁断され、茹でられる様子を見て、そのライブ感を楽しんでいた。元々、製麺が本業で、近所の人達に「(サービスは出来んけど)勝手に食べてな」と始まったのが、製麺所タイプのうどん屋である。(その辺の事情は以前小論文にまとめて学会発表した。当時のインタビューはこちら)
これをヒントにチェーン店化したのが「丸亀製麺所」。全国で大成功したが、コストの低い家族経営のセルフ店がひしめく本場市場に参入したのは最近になってだった。ロードサイド型の大規模店を新規に出すやり方では採算が合わず、業態転換を図ったものと思われる。
店員さんに聞いたところ、本業態は栗林公園店が第1号で、全国でまだ3店舗とのこと。会社側計画では、本カフェ業態を第二の柱にしようとしていることがわかる。
現在、香川県内で実験的に運営している「クローバー珈琲焙煎所」を、全国チェーンとして展開する。平成27年度には同チェーンを中心に8店舗、28年度に25店、29年度に40店を新規出店し、30年度以降は年100店規模の大量出店を行う方針。ゆったりくつろげる店舗提供で、地方住民の集合場所としての需要を取り込み、丸亀製麺に次ぐ柱事業に育成する。(産経ニュース)
2015年08月01日
PITCH PERFECT
話術だけウマくて、中身のないのは論外なのだけど、日本人は一般的に「どう話すか」を気にしなさすぎだよね。せっかくの良い話なのに、もっと上手に伝えればいいのにと思うことしばしば。
私の場合は、張り切って準備して、詰め込み過ぎで早口になるのが大体失敗するパターン。何か説明しようとして、「そのためには前提になるこれを先に説明しよう」と本題も言わずにそちらを先に説明しだして、そのうち本題を忘れてしまうこともあるなー。

よく準備したうえで、一旦それを忘れて、エッセンスに絞るのが良いかもと最近思ったりします。
*聞き手の共感を呼び、好印象を与える話し方。7つの絶対法則:\擇蟷イ魃すな話しは出だしの30秒が勝負の分かれ目。良い出だしは、次の特徴。・短い(1,2文で素早く伝える)・ハラハラさせる(好奇心をそそる)・サプライズ(「今まで聞いたことがない」と思わせる)映画監督になれ伝えたいメッセージをエピソードの形にし、相手の想像力を刺激する豊かなストーリーを提供する。ソースのように濃く、短くパスタソースのように、話は煮詰める。冒頭で話す内容を練り上げて短くし、徹底的に叩き込むようにする。だ鑪的に遅らせよ早口で話すと聞き手は眠くなり、湿原の可能性も高まる。重要な場面では、話すペースを落とす。タ念で信頼を勝ち取れ「ある意味」「・・・と思います」など、自身のは無そうな言い回しをやめる。話す時には、自信たっぷりに、この情報は価値があるという熱い思いがほとばしるように話す。ο辰垢茲蠶阿会話では、話すのと同じくらい聴くことも重要。話術の達人は、並外れてすぐれた聞き手で、相手への関心が高く、寛大で、慎み深い。Ц腓蕕譴困墨誕蠅鯤僂┐苦手な話題の場合、話をさりげなく中断するなどして、話題を微妙に変え、会話の主導権を自分が握る。