2007年03月
2007年03月30日
美しい中国

一転、今朝の東京は雨。
昨日のランチは先日の面接でオファーを出したMBA候補生も入れ、友人と銀座アスターベルシーヌ日比谷で。「美しい中国」というフランス語らしい。
広々として気持ちいい。1.5時間ゆっくり。
その代わり、今週夜予定が入ってないのは昨晩だけだったので、早く帰り、書類処理、読書など。ゆっくりしていると気が緩み早く寝た。
2007年03月29日
2007年03月28日
産業再生機構
メーカー再生入門―再建型私的整理とハンズ・オン投資の実務
先月、私が当初務めた大手VC、そしてLBS両方の後輩になる堀越君から、彼の(共著による)処女出版が送られてきた。
実は4年ほど前から突然連絡が取れなくなり、訝しがっていたら、「産業再生機構に転職しました。再生の現場に入っていて連絡が取れませんでした。」という電話があったのは2年ほど経ってからだった。
5年間の期限付きで始まった日本で始めての事業再生のための専門組織は予定より1年早く3月15日解散した。官主導で始まったにも関わらず、社員の殆どは民間人。甘い見通しで予算オーバー、目的を達成しないままウヤムヤな実績評価になりがちな国家プロジェクトとしては異例の黒字と堂々の成果。斉藤社長はその実績が買われて東証社長に決まるし、冨山COOも講演で有名人になった。
産業再生機構では、弁護士、会計士、バンカー等の専門職のチームで対象会社の審査、事業計画の策定、再生の実施に当たる。本書はH君を含むそのチームが書いたメーカー再生のための入門書。これ一冊を読めば、メーカー再生の初めから終わりまで一通り分かるようになっている。
実績に裏打ちされた、日本の企業再生の現場から出てきた日本で始めての本だと思う。
2007年03月27日
またまたインド料理

昨日は懸案の株主総会。無事終了し、役員会。
午後横浜の別会社に向かう。再び役員会。
夜東京に戻り、九段下Mumbaiで会社会食に参加。北インド料理。店名はムンバイだが聞いてみたら店員は殆どデリー出身だった。
インド人の友人Lahoti夫妻も合流し盛り上がる。
2007年03月26日
2007年03月25日
日本浮上戦略「国際スーパーハブ空港構想」

昨夕、日比谷公会堂で行われた「日本浮上戦略シンポジウム」なるものに出席。要は、東京湾奥、羽田や木場の沖合いに4000m滑走路4本を備えたフロート空港を造ろうという構想である。
日比谷公会堂に入るのは初めて。この雰囲気はどこかに似ている、と思ったら、早稲田の大隈講堂と同一、佐藤功一の設計だった。佐藤は早稲田に建築学科を創設した教授。
主催者は新・松下村塾。塾長は濤川栄太という方であった。
基調講演は、竹村健一(評論家)と鈴木壯治(グローバル・ストラテジスト)。竹村健一は昔よくTVに出ていて、高校・大学生の頃時々見ていた。相手の話をしばしば遮るので「失礼なオッサンやなー」と思っていた。今回20年ぶりくらいで見たらオジイサンになっていたのでビックリ。それでも、昭和27年!にフルブライトの第一号奨学金を貰って米国に留学した話など、興味深かった。人生やる気次第だね。
鈴木さんの方は全く知らなかったが、三井物産の出身者で、80年代に外資に転じた先駆けのようだ。石原知事のブレーンだったとか。
その他スペシャルゲストが豪華で、HIS創業者の澤田会長に、やはりドトール創業者の鳥羽氏。鳥羽氏の話には熱がこもり、流石創業者と思わせるものだった。現在ではドトールの経営から身を引き、社会貢献活動に取り組んでいるようだ。
一方、澤田会長の話は、いかにも「義理で来ました」という感じで、いま一つ。
その後、パネルディスカッションに移り、七田アカデミーで有名な七田眞氏や、衆議院議員の西本眞悟氏などが参加。司会の濤川氏が司会に徹せず、自分が一番しゃべるので、「ディスカッション」にならず。
シンポジウムの目的がスーパーハブ空港建設にあるので、勿論、皆さんハブ空港建設によって国際交流が盛んになるとか、ロンドン、NYと並ぶ世界の金融センターに、とか推進意見を述べるのだが、一方、日本の技術でCO2削減を、みたいな話も出る。
飛行機をバンバン飛ばすのと、CO2削減は矛盾しないのだろうか?と聞いていて思った次第であった。
2007年03月24日
JCI異業種交流会

昨晩、赤坂エクセル東急ホテル14階のジパング(by なだ万)で行われたJCI異業種交流会でゲストスピーカーとして自己紹介スピーチ。
5分と言われたので、長い講演より難しい。いかに限られた時間で重要なことを伝えるか?
結局、来週行われる株主総会のリハーサルが会社法制定に伴う法律解釈の問題等で長引き、準備不足のまま会場へ。
おまけにマイクの調子が悪く、音が入ったり入らなかったり。店なんかでやると時々こういうこと起こりますよね。店と主催者のプロ意識の問題なんですが。
出席者は・・・うーん、ちょっと期待外れ。若い人に面白い人多かったが、逆に年配の方が営業モードバリバリだったりする。
このところ若い人に面白いと思う人が多く、逆に上の世代に魅力を感じなくなったのは自分の年のせいか?それとも、かって私が尊敬していた戦中派が引退してしまい会わなくなったせいか?
「世話人」となっている方は今回殆ど欠席でした。ヤハリねー。
2007年03月21日
Ursの壮行会

スイス育ちのフランス人の友人Ursが日本を離れる。
今晩は彼の壮行会をすることにした。急遽声を掛けたにも関わらず共通の友人がかなり集まった。結婚したもののCAのフライトアテンダントのため香港ベースになっている奥さんも香港から合流。
場所は彼のお気に入りの居酒屋Jackpot(恵比寿)。
デザイナーの彼はパリでリストラを終え、ファンドの支援を受けて新体制になったばかりのデザイン会社で働くことになる。
2007年03月20日
国際文化会館

今日は終日米国企業との会議。
先方についているコンサルタントの斡旋で、国際文化会館の会議室で実施。
ここに来るのは二度目だったが素晴らしい場所。元々、岩崎小彌太宅であっただけあって庭がいい。六本木交差点からも近い場所なのに信じられないくらい閑静。
会員制であるが、思ったほど入会金も高くないので入会を検討することにする。
夜は、ある証券会社の方とインドビジネスを語らうためインド料理へ。中々充実した一日だった。
2007年03月19日
マトリョーシカアトレ恵比寿店

そういえば、昨日中国人と行ったのはロシア料理店だった。当初、お好み焼きに行こうとしたが、満席。(-_-;)
でもって、入ったのがここ。
中国人(より正確には上海人)にとってロシア料理は余り良いイメージではないらしく、「しょうがない、ここにしようか?」と言ったらかなり抵抗された。なんでも、食べたこと無いらしい。
「食べたこと無いなら、試しに食べてみたら」と勧め入る事に。久しぶりで、ピロシキとつぼ焼きを食べる。今回つぼ焼きにはカボチャを選択。共においしかった。
20年近く前、まだロシアがソ連邦だった頃、当時のレニングラード、今のサンクトペテルブルグにフィンランドから行ったことがある。
ロシア料理も楽しみだったが、食べてみて愕然。日頃食べ物にうるさくない私も閉口するほどのマズサ。変な味がする。
当時のホテルは外国人専用。現地人は泊まれない高級ホテルなのだが、水道の水は黄色く濁っているし、石鹸は嗅ぐと卒倒しそうな薬品の匂いだし、全然泡立たない。トイレットペーパーは鍛錬のためかと思われるほどゴワゴワ。
なるほど、ナポレオン、ヒトラーを退却させただけのことはある。
その時も、ヘルシンキに戻って食べたロシア料理の方が格段にウマかった。
2007年03月18日
七福神

恵比寿で中国人と夕飯を食べた。
「恵比寿は七福神の一人で、それがビールのブランドになり、それがさらに地名になった。」という話をしたら、七福神は中国由来だという。
私も昔ボーイスカウトで正月、七福神めぐりをしたことがあり、何人かはヒンズー教(インド)由来で、何人かは中国由来だということは知っていた。そして恵比寿だけが日本由来だというそこそこの自信もあった。だって、恵比寿は鯛を釣っているから。鯛が特別な魚なのは、知る限り、日本だけだ。
「イヤ、絶対中国のものだ。」と言い張るので早速今帰って調べてみた。
正解:恵比寿=日本でした!
やはり、恵比寿だけが日本で、残りの6人は半分がインド、半分が中国であった。昔から海外の文化を積極的に受け入れてきた日本を象徴する話である。
さらに毘沙門天を調べると、毘沙門天は元々ヒンズー教のクベーラで、クベーラを漢字で表したのが「金毘羅」ということ。そう、地元香川の金毘羅さんとはナントヒンズー教であったのだ!
2007年03月16日
2007年03月15日
Bisous!で壮行会

昨晩、高松市内で仕事関係の親しい方に壮行会をやっていただく。
場所はオシャレなワインバーBisous!(ビズー)。ここは昨年カンボジアにご一緒した白川さんのやっている店。
高級チリワインを次から次へと出していただくが、酒に弱い私は直ぐに味がわからなくなる。(@_@;)
役人、大学助教授、ベンチャー経営者、上場企業支店長、それに同業者も。共通するのは地元ベンチャー振興に熱心なこと。私に関係なく(笑)話も盛り上がり、よい会になった。
今日、まだ酒が残っているみたいです。<m(__)m>
2007年03月12日
2007年03月11日
大窪寺参拝

今日は親子お遍路ハイキングなる催しに参加。琴電長尾駅からコミュニティーバス(100円なり)で前山お遍路サロンへ。そこから約10kmを子供と歩く。
前半峠を越える。1時間かけて歩いてその間すれ違った車は1台。こんな道でも立派に舗装してある。いくら税金があっても足らないはずだ。
このところ「お遍路ブーム」ということで、またぞろ、ここに箱物を作りたい利権が動いている。遍路道沿いに、休憩所なるコンクリート作りの小屋が出現。おそらく、真面目に歩き遍路している人はこういった税金で作られた立派過ぎる休憩所は好まないのでは?地元民の「お接待」の心が感じられないのである。
道中、ゴミを拾いながら歩く。あっという間にレジ袋がいっぱいになる。レジ袋お代わりして、拾うのに興味を持たない人に持ってもらいながら、計4袋。それでも最後はあふれてしまったので、途中落ちていたズタ袋を拾い最後はそれもいっぱいに。
歩き遍路にはポイ捨てをするような心がけの悪い人はいないだろうから、地元民および観光気分で車で巡礼する人の仕業だろう。車で走ると気にならないが、歩くとそこかしこに空缶、空ビン、ペットボトル、コンビニ袋に入ったゴミが落ちているのが目に付く。
9時に前山を出発してから、3時間余り、12時過ぎに目的地の大窪寺着。四国八十八箇所参りの終着、結願の寺である。ここを訪れたのは、おそらく、小学校のころ初詣か何かで来て以来のことだ。
よく運動したし、地元のためにも貢献し、よい気分で帰途に着いた。
一方、地元民が地元を大切にしなくなっていること、相変わらずの行政の無駄遣い、それに歯止めをかけられない、あるいはそこに巣食う政治への問題を感じた。
2007年03月09日
木の葉売ります
木の葉、売ります。―ベンチャーに見る日本再生へのヒント
高齢化が進んだ徳島の山奥に、70を過ぎたおじいさん、おばあさんが数百万円、中には1000万円を超える年収を上げる村があるという。一応、「町」なのだが、人口2100人、65歳以上が45%(日本全体では20%)というから「村」といった方がいいだろう。
山の木の葉をおじいさん、おばあさんが集め、それを村にある株式会社いろどりが出荷する。顧客は木の葉や小さな花を料理のツマモノにする日本料理店などである。
これだけ聞くと、ニッチマーケットでのアイデア勝負か?、と思うが、それだけではない。その裏にはどの企業にも必要なマーケティングとIT技術の活用がある。
それは読んでのお楽しみ。
本には他のベンチャーの事例が米国企業も含め7例紹介されているが、いろどりのインパクトの前に霞んで見える。逆に、いろどりの事をもっと深く書けばいいと思うのだが。
2007年03月08日
高松に戻りました

昨日の役員会での報告を終え、午後高松に戻る。
新橋駅での銀座線から浅草線への4分での乗り換えは厳しかったなー。大きなキャリーオンをゴロゴロいわせて走り、何とかエアポート快特に間に合いました。
おかげで、羽田ではさくらラウンジで。最近これが楽しみになっています。
月末東京に引っ越すので、高松での長期滞在はこれが最後かも。
2007年03月06日
GLOCOMセミナーに参加

GLOCOMで行われた「インドのIT産業とインド情報技術経営大学」に初参加。GLOCOMとは国際大学(新潟)の六本木にある研究機関である。
内容は・・・最近良くあるこの手のインドセミナーとしてはレベル低いといわざるを得ない。まず、Indian Institute of Information Technology & Management, Gwaliorから来ていた教授が役人出身ということもあるのか、ビジネスが分かっている感じがしなかった。
しかも、いくつかの(私でも知っている)インドに関する基本的な経済統計数字を間違えていた。これで、この人の言っていること信用できるのか?と疑わしくなった。
それを補完したGLOCOMフェローの小林さんの方が、IT業界出身とあって、日本IT産業の抱える問題点を的確に提起していた。だが、インドの教授が主役ということもあって、深く掘り下げることが出来なかった。
その後久しぶりで会った友人が、偶然にも、「カレーが食べたい」というので、一緒に赤坂TBS前のMOTIに行った。以前は気づかなかったが南インド料理が充実していて、これを中心に食べる。
セミナーはイマイチだったが、こっちはイケタ。(何の関係もないけど!)
2007年03月05日
2007年03月04日
MBAインタビュー

昨日は休日返上でMBAの候補者選考面接。
うちの学校では卒業生が世界各国で書類選考を通過した候補生の面接を行う。この結果でほぼ合格するかどうか決まるので、候補者は真剣である。我々ボランティアで面接官を務める卒業生も、候補者の人生、学校の評判に大きな影響を及ぼすので真剣である。
最近の傾向:
1.会社派遣が増えている
バブル崩壊まで日本からの受験生は殆ど会社による派遣、それも、ご褒美的派遣が多かった。よくやっているから英語の勉強ついでに1-2年骨を休めてこい、というわけである。当時バブル経済で、新卒採用でのイメージ作りもある。
ところが、MBAで目覚めてしまった社員は、会社に戻っての現実に失望し、多くが会社を「裏切って」辞めてしまう。バブル崩壊後の業績悪化も伴い、殆どの日本企業がMBA派遣制度を縮小、あるいは廃止してしまった。
バブル崩壊後のリストラを完了し、再び攻めに転じた優良企業は、ここ数年MBA派遣を再び増やし始めた。国内での成長が頭打ちになった今(バブルとその崩壊も、元はといえば、既に頭打ちであった国内成長を無理やり伸ばそうとした事に一因がある)、海外市場に目を向けざるを得ない。
こういった企業では「MBAの使い方」の経験も積み、MBA取得者に、そのやる気と能力にふさわしい職務と待遇を卒業後用意するようになってきた。また、辞められて「けしからん」と感情的になるのではなく、最初から辞められることも想定して、留学する社員と退職する場合の条件契約を交わすところが増えた。
昨日面談した候補者は全員が会社派遣であった。(上場大手企業、上場ベンチャー、外資系日本法人含む)
2.優秀
少なくとも、書類上は完璧。毎年のことだが、東大卒が多い。例外なく頭がいいし、会社の推薦を受けているだけあって、実績を残している。総じて、恵まれた環境で育ってきており、人柄もよさそう。
逆に、打たれ強さとか、逆境に立たされたときの対応力、精神力はどうか?と心配してしまう。
そうなってみなければ分からない、といえばそうなのだが、面接ではそういった「困難に直面したときにどう対応したか」の片鱗を探るようにしている。
写真:Regent's Parkから見た校舎