2006年10月
2006年10月31日
学校訪問
Palakkad最終日、ふと思いついて地元の学校を訪問しました。
地元ではトップクラスの学校ということで、キリスト教系の女子学校を訪問。幼稚園から高校まで3000人の生徒が居ます。先生は110人居るということです。
インドの学校は、タイプ別にInternational School、私立学校、公立学校に大きく分かれ、International Schoolはもちろん英語、私立の多くも英語、公立は英語で教える学校と地元の言葉で教える学校(州によって言葉が違い、公用語だけで15)があります。
私が訪問したのは、私立の英語で教える学校、ということになります。
大都市の学校と違い、外国人、特に日本人を見るのは初めてということで、学校に入った瞬間から注目されています。
皆非常に礼儀正しく、すれ違うたびに、
Good morning, Sir!
と明るく挨拶してくれます。
あるクラスに飛び入りし、自己紹介しました。教室に入ると、クラス全員がさっと立ち上がってくれ感激。あまり広くない教室にぎっしりと50人くらいが入っています。
まずは名前を名乗り、黒板に日本語と英語で書いて、苗字の由来など紹介。「日本もつい50年位前まで農業国で、苗字も自然に根ざしたものが多い」などと説明すると皆一様に関心。
次いで、「何か日本に関する質問はある?」と聞いたけど、何か遠慮しているみたいなので、こちらから、
「では、日本というと皆どんなことを思う?」
と質問。
最初に出た答えは、広島・長崎。
これは世界で唯一の被爆国として嬉しいことです。すかさず、当事広島の人口は30万人で、10万人以上が死亡したことを説明。
次に出た答えは、ロボット。
やはりハイテクのイメージなんですね。ロボットといっても、実際に多く使われているのは自動車工場で溶接なんかやっているんだよ、機会があったら見に来てね、と説明。
まだまだ面白そうな答えが出てきそうでしたが、Coimbatore駅に向かう時間となったため退出しました。
昨晩Bangaloreに戻り、これから地元の同窓生に会った後、深夜KLに向かいます。
2006年10月30日
2006年10月24日
2006年10月22日
2006年10月20日
靖国神社参拝

朝食を昨日会った米国IT企業に勤めるインド人と取る。その後、DFが出展しているログ解析関係の展示会出席。午後、神保町のインドセンターへ。研究員とインドのビジネス機会について議論。
その後市ヶ谷のDFへ向かう。途中にあるのが靖国神社。その後アポがなかったので、先日の「游就館の展示説明に批判(日本はルーズベルト大統領の策略にはまって開戦せざるを得なくなってしまった)」という記事を思い出し、今のうちに行っておかないと靖国神社が変わってしまうかもしれないと思い、参拝することにする。
大学以来20年近く東京で住んでいたわけだが、靖国神社に参拝するのはこれが2回目か。游就館を見たのは初めてだ。
目に留まったのが、「インパール作戦とインド独立」というパンフレットがあった。以下パンフレットより引用。不覚ながら、インド国民軍が日本軍と一緒に戦ったのは知りませんでした。インドのパル判事が極東裁判で唯一日本を無罪としたわけです。
でも、こんな事をインドの若者は知っているのだろうか?ますます来週のインド訪問の意欲が掻き立てられた。
昭和16年12月8日、日本は米英に対し宣戦布告し、大東亜戦争に突入した。
開戦初期、日本はハワイ真珠湾、マレー、シンガポール作戦等で戦果を挙げたが、昭和17年6月ミッドウェー海戦において航空母艦の大半を失い、その後戦況は逆転の様相を呈してきた。
その時、インド独立の活動を続けていたチャンドラボースが日本への支援を要請してきた。日本はその要請に呼応し、インド国内の要衝インパールを奪取して、インド国内の反英独立勢力の支援と、混迷する戦局の打開を計るべく、インパール作戦の実施に踏み切ったのである。
ビルマ方面軍第15軍傘下の7万8千、そしてインド人の志願兵によるインド国民軍(INA)2万もチャンドラボースの統卒下に参加した。
昭和19年3月8日 先ず第33師団「弓」はインパールを南方より攻撃すべく行動を起し、主力は3月15日払暁を期し、一斉にチンドウイン河を奇襲渡河し、アラカンの峻険を超えて進撃を開始した。
3月28日 第15師団「祭」の挺進隊はミッションを占領、インパール−コヒマ道を遮断、次いで、4月5日 第31師団「烈」はコヒマを占領、祭の主力はインパール北及び東北インパールを指呼の間に見る地区に進出した。
「弓」兵団もインパール南方に進出、英軍団をコヒマ、インパール付近に捕捉する態勢を確立したかに見えた。
インド国民軍も「烈」と「弓」の両兵団と行動を共にして、遂に念願のインド国領土(コヒマ及びモイラン)に進出、インドの三色旗をひるがえしたのである。
しかし英軍の抵抗は極めて頑強で、戦線は膠着、更に空輸により潤沢な補給を行い、反攻を加えてきた。日本軍はこれに対し死闘を繰り返したが、食料弾薬共に全く杜絶し、戦力の消耗は極限に達し、6月遂に撤退を開始した。
その時アラカンは雨季の最盛期に入り、連日の大豪雨に河川は氾濫、路なきジャングルの中、英軍の急迫を受け惨澹たる結果となった。
インド独立
戦後、昭和20年11月 インドを支配していたイギリス当局は 「インパール作戦に参加したインド国民軍は、イギリス皇帝に対する反逆者である」として、3名の将校を極刑に処そうとした。インドの民衆の意向に背いて、軍事裁判を強行した英当局に対する大衆の怒りは爆発した。
抗議運動はインド全土に広がり、いたるところで官憲と衝突、流血の惨事となった。 更に英国本土にショックを与えたのは、英海軍のインド人乗務員の一斉反乱であった。
英国も遂に事態収拾困難と考え統治権を譲渡、昭和22年8月15日 インドはパキスタンと共に独立したのである。
戦没者 日本軍4万9千名、インド国民軍も3千名
しかし この作戦が直接の契機となり、今後相当の年月がかかるであろうと言われていたインド独立が、戦後わずか2年で達成されたのである。
それぞれの国と家族を思う純粋な心と信念をもって戦った、日本軍とインド国民軍(INA)の英霊を私達は忘れることはできない。
月の光がこの大地を潤すかぎり、
夜空に星が輝くかぎり、
インド国民は日本国民への恩は決して忘れない。
インド国民は大義のために生命を捧げた勇敢な日本将兵に対する恩義を末代にいたるまでけっして忘れません。 我々はこの勇士たちの霊を慰め、御冥福をお祈り申し上げます。
1998年1月20日 於 ニューデリー
2006年10月19日
だから、部下がついてこない!
昨日上京しました。だから、部下がついてこない!
乗り慣れたJAL機中で珍しい体験をしました。日経新聞を頼んだところ、FAが持ってきたのが先週金曜日の新聞!何でこんなことが起こったんでしょうね?
羽田から市ヶ谷へ直行し、取締役会出席。最近長くなる傾向。1時開始で終わったのは5時。
夜はカルチャー・アセット・マネジメント嶋津社長の処女作「だから、部下がついてこない!」の出版記念講演に出席。アマゾンと新宿紀伊国屋で売れ行き一位になっていたようです。
嶋津社長はフォーバルの元トップセールス。24歳で最年少営業部長。サラリーマンとして最初のIPOを経験。その後28歳で独立して仲間と作ったレカムをIPOした経営者です。
「よい上司を作ることが日本を良くする」という信念で、現在は教育・研修事業をされています。
2006年10月15日
2006年10月14日
小中高合同演奏会
栗林小学校の校長がまたやってくれました!
校長の発案かどうか知りませんが、今日小学校で栗林小学校、桜町中学、高松一高の合同演奏会があり合唱と吹奏楽部の演奏を楽しんできました。
生徒の合唱に演奏?そんなの聞くに堪えるの?と思われたアナタ!
栗林小学校合唱部 NHK全国学校音楽コンクール県大会 銀賞
桜町中学合唱部 同県大会 銅賞
桜町中学吹奏楽部 全日本吹奏楽コンクール県大会 金賞
高松第一高校合唱部 全日本合唱コンクール県大会 金賞 四国大会 金賞
高松第一高校吹奏楽部 全日本吹奏楽コンクール県大会 金賞 四国大会 銀賞
と高松の中の半径1kmにある3校が音楽ではレベルが高いのです。これは偶然ではなく、クラッシック音楽が盛んな地域性、そして旧制中学の伝統を受け継いだ県一番の進学校である県立高松高校に対するアンチテーゼとして、芸術に力を入れている市立の一高のリベラルな校風が影響しています。
こういった形で、小学校から高校まで、そしてその父兄や地域住民まで巻き込むのはよいことですね。核家族化で進んでいる世代間の断絶を和らげます。
特に小学生にとっては、テレビや生で見る大人の遠い世界ではなく、「あと何年して中学生になったらここまで出来るんだ」とか、「高校生のお兄さん・お姉さんはスゴイ」とか身近な目標が出来るのが良いね。
2006年10月12日
徳島のタクシー運転手

昨日から急用で東京へ。
スーツケースがあったので都内でタクシーを利用。
行き先を告げたら、「新人でまだ良くわからないので・・・」という話。一月前に始めたのだという。顔を覗けば、いい年をしたオッサンである。
余計なお世話と思いながらも、前職を尋ねてみると「商売をしてました」という。
私:どこでやっていたんですか?
運:徳島なんですよ。
私:エー!私、香川から出張に来ているんですよ!
運:そうなんですか。
私:徳島市内ですか?
運:はい。市内で八百屋やっていました。ま、小さなスーパーですね。「もうそろそろ限界かな」と思って。
なんでも、家族は徳島で、単身赴任中という。昔は、徳島は大阪と結びつきが強く、大抵徳島の人は大阪に出て行くものと思っていたが、これも「東京一極集中」の表れか?
2006年10月11日
栗林公園で始業式

昨日は地元小学校の始業式。高松の小学校は2学期制で、今頃始業式がある。休みが終わって、さて「始業式」で無いのに多少違和感。
娘の小学校では今年校長先生が交代し、新校長の発案で、初めて栗林公園で青空始業式を実施。天気にも恵まれ、開放感があり◎。
始業式に続き、第二部はコンサート。児童の合唱に加え、地元出身のプロのオペラ歌手がオペラやカンツォーネを披露。
流石プロ。凄い声量に、よい声でした。
これも校長の発案で、「本物にドンドン触れさせる」という教育の一環だとか。期待できます。
2006年10月09日
美しい国

今日も高松は快晴。
サンポートで行われていたイベントに出かける。沖にヨットが多数。
瀬戸内の美しさは格別。思わず今話題の「美しい国」を思い出す。
このフレーズどこかで聞いた事あると思ったら、メルセデスの宣伝に永らく使われていた事を思い出した。
「美しい国の美しいメルセデス」
メルセデスが考える、メルセデスに乗って欲しい層に訴える、上手いコピーだと思った。
田舎では「ベンツはやくざの乗る車」というイメージが一定以上の年齢層ではあるらしく、地元の成功した経営者が、「本当はベンツに乗りたいんだけど、妻が嫌うのでBMWにしている」と言うので笑ってしまった。
実際、香川ではベンツよりBMWを見かける事が圧倒的に多く、ベンツはイメージで損をしている。
さて、安倍首相の「美しい国」に戻ると、『安倍内閣メールマガジン』によれば、安倍首相はコう述べている。
「今日よりも明日がよくなる、豊かになっていく、そういう国を目指してい
きたい。世界の国々から信頼され、そして尊敬され、みんなが日本に生まれ
たことを誇りに思える「美しい国、日本」をつくっていきたいと思います。」
これに反対する人は居ないと思うが、具体策はどうなのか?
検索してみたら、「美しい国づくり政策大綱」というのが出てきた。平成15年7月に国土交通省が出している。
これには全面賛成。しかし!元を正せば国土交通省(当時建設省)が日本中画一的に自然破壊をすすめてきた一因であった。破壊と再生、両方で税金を使っている。
なんなんだろーナー、と思わずには居られない。
写真:今日の高松港
2006年10月08日
F1日本GP

三連休真っ只中。天気も秋晴れで最高。
だというのに、昨日も今日も明日も家に居る。私の最大の趣味は旅行で、あちこち行っている方だ。高校生のときは修学旅行に行かず、その金でサイクリング車を買って冬休みに南九州を回った。(団体旅行は逆に苦手なのだ) 大学時代はバイクで日本中旅した。
それが昨年香川に引っ越して以来、四国では慌しい出張のみで旅行をしていない。日本中からわざわざ飛行機に乗って観光に来ていると言うのにもったいない話だ。
月の内半分くらいしか家に居ないので、居る間は「家族でどこかに行こう」と誘うのだが、母と娘で異口同音に、「クラブ活動がある」とか「車はイヤ」とか「疲れる」とか文句ばかりでのってこない。
一方、まとまった休みには妻の実家に娘共々1週間、2週間と滞在している。私は当然置いてけぼりとなる。祖母・母親・娘の三代に渡る屈折した関係を「不条理のトライアングル」と名づけたのは高校の先輩で、経営コンサルタントの都村長生さんだった。
そんなわけで、メール処理の合間にF1GPを一人TV観戦。Mシューマッハはまさかのリタイア!今期で引退ですが、ホント「皇帝」の称号の似合う王者でした。
ドイツ人ドライバーが、フランス人がチーム代表を務めるイタリアチームのマシンを駆る。実力勝負の現代欧州を象徴するようなF1GPなんだけど、オリンピックやWBC同様、国別対抗があるともっと盛り上がるのに、と思う。
元々はモータースポーツも国別に車体色も決められ、欧州列強の国威発揚の場であった。政治経済分化で違いが少なくなっただけに、敢えて違いを強調するのも面白い。
写真:先月秋葉原で展示されていたF1マシン
2006年10月05日
父親のすすめ
父親のすすめ
もうなっちゃってるんで「すすめ」られるまでもないんだが、文春新書続きです。
日垣隆と言えば、私にとっては毎日新聞社週刊エコノミストの巻頭コラム。ズバリと本質に切り込む姿勢に好感が持てる。
自分で面白いと思った点をいくつか:
・新聞代と書籍代と旅費と映画代は別会計で与える
親が執筆業なのですから当然と言えるかもしれませんが、これらを経済的に奨励しているわけですね。特に、本代は無制限とか。「それでも毎月せいぜい1万円しか買ってくれない」 ま、そんなもんでしょう。その代わり、大学生への小遣い(生活費)は月5万円だとか。
合わせれば(これも親が負担している部屋代以外に)約10万円で、平均並。違いは半分の用途を限定して、「領収書を添付して(親に)毎月請求させる」こと。大人社会への呼び訓練の一つとか。これはいいかも。
ちなみに、塾に行きたいと言ったときは止めなかったが、「塾にいくと勉強しているように見える時間が増えるだけで、肝心の『自分で勉強する力』が落ちて着た事が明らかだったので、それ位なら死ぬほど遊べ、と言ったら、三ヶ月くらいで行くのを止めた」とか。
・15歳で海外一人旅、高校で短期留学
困難克服や成功体験を一人で体験させる。「親にも色々ある」という事実を学ばせる。
昔からの格言どおりですね。私が一人で泊りがけの旅行をしだしたのは高校からでしたが、目的地さえ決まっていればもっと早くていいでしょうね。
2006年10月04日
一万年の天皇
一万年の天皇
先日、文春に行ったときお土産に新刊書を頂いた。そのうちの一冊。
今回の皇位継承問題では、最長でも皇紀2600年を対象に議論されたわけだが、縄文時代まで一万年遡り、「天皇」の起源を推定する興味深い書。
簡単に言うと、「天皇」は古代大自然との間を取り持つ「巫女」であったとする。武力を持って豪族を統一したのではなく、祭事を司る大切な人として崇められたのが起源だとする。その名残は今でも田植えや稲刈りを天皇が行う行事として残る。
なるほど、こう考えれば、ヨーロッパや中国の王朝が続かなかったのに対し、天皇家が武家時代も乗り越え、代々続いてきた事に納得する。覇権の末、前王朝を倒し、新王朝を造るのとは訳が違うわけだ。
とすると、明治以降終戦まで、天皇に髭を蓄えさせ、サーベルをつるし、軍服を着せて「皇帝」に仕立て上げたのは誤りだった、ということだ。巫女に軍服は似合わない。
天皇が「結婚」したのも明治天皇が初めてで、これもヨーロッパの王室に倣っての事で、全く伝統を無視した事になる。それまでの天皇は生涯独身であり、外に出ては「ツマドイ」を繰り返して来たらしい。
では、今後の天皇の役割は?
2006年10月03日
山のふぐ

日曜日に東京から戻ったばかりだが、月曜日から投資先経営会議出席のため高松から半日掛けて宇和島のそのまた先、愛南町に向かう。
この投資先は山の中でふぐの養殖をしている。先週、今週のビッグコミック「築地魚河岸三代目」に登場するオデッセイフーズのモデルである。マンガに出てくるとおり、社長はアメリカ人。
アメリカ人社長が四国の中でも最も不便な地域の地元の人たちと力を合わせて世界初のふぐの陸上養殖をしているというのがユニーク。
3時から始まった会議が終わったのは午後10:30であった。その間休憩一度もなし。その後食事(この時間、居酒屋しか開いてない)を済ませたのが0030。それから宿に向かい、就寝したのが1:30。
今朝、久しぶりで工場見学をし、ふぐの成長を確認する。元気そうに泳いでいます。長いこと飼っていると、ふぐごとの性格もわかってくるそうで、出荷のときの気持ちは複雑だとか。
2006年10月01日
落ちたリンゴを売れ!
落ちたリンゴを売れ!~成功者が密かに実践する「生き方のルール」~
仕事は金曜日で終わりだったが、土曜日まで残り、箱田氏のセミナー出席。
「20代、30代のための・・・」という触れ込みであったが、カリスマ講師と評判の箱田氏のセミナーを見てみたくて1万円を払い出席。
セミナーの運びが上手い。最初、隣と自己紹介させて緊張をほぐす。さらに、肩まで揉ませて体もほぐす。それからクイズを出して、頭をほぐす。
そう、参加者の「コップを上向き」にしてから、無理なくセミナーをスタート。
PPTの使い方も上手い。プロジェクターをつけっ放しだと、参加者の注意がスライドに行ってしまう。スライドに行って欲しいときはスライドに、講演者を見て欲しいときはプロジェクターを切ることが望ましい。
私もOHPでやっていたときはON/OFFが容易なのでそうしていたが、PPTをプロジェクターで映すようになってからサボっていた。あのスムーズな切り替えには何か工夫があるようだ。
セミナーで尤も心に残った言葉:「そろそろ本気になろう」
◆プロフィール◆
箱田 忠昭 (はこだ ただあき)
年間300回以上のセミナーをこなすカリスマインストラクター
超一流企業をはじめ、多くのクライアントからひっぱりだこ。
そのスケジュールは、1年先まで埋まっているほど。
フォレスト出版主催セミナーでも、超人気をほこり、
満足度は毎回限りなく100%という一度は受けてみたいセミナー。
慶応大学商学部卒業、ミネソタ大学大学院修了。
日本コカコーラ広報マネージャー、エスティ・ローダの
マーケティング部長、パルファン・イブ・サンローラン日本支社長を歴任。
その間、デール・カーネギー・コースの公認インストラクターを務める。
83 年にインサイトラーニング(株)を設立、現在代表取締役。
交渉、セールス、プレゼンテーション、時間管理などの
コミュニケーションスキルの専門家として、ビジネスマンの教育研修に専念。
年間300回以上の講演・研修をこなす。
一介のセールスマンから、外資系企業のトップまで上りつめた体験と、
20年以上の坐禅で培った人間的魅力で、各企業からひっぱりだこの名講演家。
全国に多くの箱田ファンを持つ。
趣味として、サーフィン、ボディビル、
そしてスポーツカーを含む車4台を乗り回す。