2006年01月
2006年01月31日
丹羽宇一郎
人は仕事で磨かれる
今日は、地元高松の監査法人の先生とうどん。地元ベンチャーの情報交換。
その後、香川銀行が招いた丹羽宇一郎・伊藤忠商事会長の講演へ。
一般的な商社マンイメージであるギラギラさの無い方であった。尤も、若い頃は米国で穀物相場を張っていたそうだから昔からそうだったかどうかは知らない。若い頃「怖い」と周囲に思われていたような人が年を取ると丁度いい感じになる事が多いのを私は知っている。
あまりに穏やかに話されるので途中寝てしまったが(笑)、次のようなポイントであったと思う。
・Innovation = Technology + Market + Finance
米国ではLife Science(生命科学)分野に多大な研究投資をし、世界をリードしている。日本もこの分野で存在感を示す必要がある。
・エリートが必要
真のエリートが不在。国を引っ張っていけるエリートの必要性を認め、養成していく必要がある。
・二極化の進行
過去30年間で米国民の二極化が進行し、その資産の偏在度は1929の世界恐慌直前の水準にまで高まっている。日本もその道を歩んでいるように見えるが、日本の強さは優秀な中間層が支えてきたといえ、今後強さを維持できるか心配。
最後は丹羽さんが支援しているWFP( 国連世界食糧計画)への協力の呼びかけがあり閉会。ちなみに、日本事務所長はLSE出身の玉村さんがやっており、私も一度共同で同窓会を行ったことがある。
多くの宗教で「断食」の習慣がある。これなど、空腹の苦しみを忘れるな、そして空腹の人には優しく、ということを思い起こすためかもしれない。日本人も年に一回くらいはやった方が良い。デトックスになり、体にもいい。
私も帰り際募金を済ませ、帰路に就いた。
2006年01月30日
仕事ができる人の心得
仕事ができる人の心得
先日勉強会を行った、株式会社武蔵野の「経営用語解説」社内テキスト。
私は会社に直接発注し、実際にこれを活用している早朝勉強会(730-830)の様子を録音したカセットテープ(未だに・・・)も買い求めた。出張時はテープ学習するのだそうだ。
大きな事から小さな事まであらゆる経営に関することが網羅されている。
【男のロマン】
仕事、女、バクチ以外に情熱を向けられる人のことを言う。
【同じ事を聞く】
レベルが上がります。聞くのが面倒だとか、恥ずかしいと思ってはいけません。前向きな姿勢なので評価されます。
【お礼状】
手書きでないと心が伝わらない。ヘタな字でもよい。
【最大の敵】
時代です。
など、など。
中には読んだだけでは意味が分からないものもあるが、これらを毎朝ランダムに15-20個くらい唱和させ、小山社長が一つずつ解説を加えていくのだそうだ。
先日の勉強会のときにも書いたと思うが、凡事徹底が出来た会社だと思う。日本一、世界一のことが一瞬でもできる人もすごいが、平凡なことでも長く続けられるのはまた凄いことだ。
2006年01月26日
初釜

昨晩は国の登録有形文化財に指定された、高松が誇る料亭二蝶のお茶室で「初釜」。
茶室で抹茶を頂くのは何年ぶりだろうか。今回は、扇子、懐紙、袱紗も用意し、かなり本格的。勿論、私は作法は忘れてしまっている。(何しろ、10年に一回のペースなので・・・)
今回初めて、「濃茶」を体験。滅茶苦茶濃い。ドロドロして、量が多ければ、絶対箸がお茶碗の中で立つ。
その昔、まだ車も少なかった頃は、「料亭で飲んでも、最後に茶室で濃茶を飲めば、運転して帰っても平気」という感覚だったそうだ。さもありなん、という程の一般人のお茶の常識を超えた濃さである。
たまに私が観光地の庭園などで頂く抹茶は「薄茶」というらしい。十分に濃いと思っていたが、成るほど、濃茶に比べればすこぶる飲みやすい。
「受付→待合へ→汲み出し→濃茶席のためのお菓子→濃茶席入→濃茶席→薄茶席(席改めず)→散会」という流れで終了。
9時からのカンファレンスコールに間に合わせるべく、チャリで夜の街を疾走。ロンドン、スイス、スウェーデン、NY、アルゼンチン、ナイジェリアと学校の寄付金集めの相談。10時過ぎ終了。それから食事。グゥー。
2006年01月25日
歴史70年周期説

近代史が70年周期で似たようなことを繰り返している、という説がある。私が始めて読んだのは大竹愼一(NY在住のファンドマネージャー)の著作で。今年正月の神田昌則のメルマガでもそれがテーマになっていた。
以下、1月13日のアルマナック・メルマガより引用。
1920年 株価暴落、戦後恐慌がはじまる
(1990年 12月28日 バブル崩壊)
1927年 金融恐慌はじまる
(1997年 11月24日 山一證券破綻)
1935年 17年ぶりに貿易収支が黒字化
(2005年 景気回復宣言)
引用終わり。
では、70年前の今年は・・・というと、1936年。2.26事件のあった年なのだ!
先週はライブドアで株式市場が大混乱。私の持ち株もあおりを受け、今年の値上がり部分を吐き出し、元に戻ってしまった。検察局と同じで、私もニュースを見たとき「ライブドアを持ってなくて良かった。」とホッとしただけで、ここまで市場全体に影響を及ぼすとは思っていなかった。
果たしてこのライブドアショックが2.26並の大事件への引き金となるのか?全く別の大事件が起こるのか?注目したい。
写真:旧首相官邸。私も15年前、当時の宮沢首相に会いに行った覚えがあります。握手した宮沢首相の手が凄く柔らかかったのが印象的。
2006年01月24日
2006年01月20日
2006年01月16日
ドングリランド

先週、13日の金曜日(コワー)「夜学会」なるものに参加。とてもためになり、また楽しかった。
今回のテーマは「香川の里山はコンビニだった?!森にストレスフリーの原点を探る」。
案内してくれるのは、どんぐり銀行仕掛け人、県庁の大石さん。
瀬戸内沿岸にかなりの人が住むようになって1000年。その間、里山は人に煮炊きの燃料である薪や落ち葉を供給し続け、そのため、長年松林だった。
1960年代、エネルギー革命により、香川の田舎までガスや電気で煮炊きし、風呂を沸かすようになり、人は里山に入らなくなってしまった。
他人の手が入らなくなった山では落葉樹が勢力を伸ばし、1980年代以降猛威を振るった「松食い虫」(実際は線虫ということ)により、現在では殆どが落葉樹林となっている。
県外の人が来る度に言われるのが、「香川の山はどうしてみんなおむすび形なんですか?」という質問。
これについては、下部が侵食に弱い花崗岩で形成され、その上には侵食に強い黒雲母安山岩と呼ばれる火山岩が乗っかった地層の為山頂部が残りこのような形になったということ。台形に残ったものをメサ(屋島が典型)、香川に多いおむすび形をビュートと呼ぶらしい。(そういえば、地学で習ったような・・・)
花崗岩は風化するとコンクリートの骨材として最適で、そのため、高度成長期からバブルにかけて、沢山の砂利採取が行われ、昔からある里山がいくつも消えた。
山が無くなった後には、やはり京阪神方面から産業廃棄物が持ち込まれ、投棄された。その上には土が被せられ、最後は宅地として売りに出されたのである。これが「香川の山は三度美味しい」と言われた所以。(恥)
私は原則、自由主義・規制緩和信奉者だが、国防、外交、環境についてはそれでやっていけないことは明白。経済は所詮短期の世界。ところが、環境での失策は数百年単位で悪影響を及ぼし、場合によっては取り返しのつかないことになる。
美しい環境からしか天才は生まれないとも言う。(『国家の品格』藤原正彦) 政治、行政の積極的関与が求められる。
2006年01月13日
松原聡 「構造改革と日本経済の行方」

114新春講演会に出席。
講師はサンデープロジェクトなどに出演中の松原聡。肩書きは東洋大学経済学部教授となっている。私はよく知らなかったのだが、『民営化と規制緩和』が専門で、小泉首相とは関係が深いらしい。
印象に残った論点を数点。
1.人口減少が始まったが、購買力で見ると、購買力の高い中高年層が今後20年間は減少しないので、消費は大丈夫だろう。
2.日本企業の研究開発費は平成不況を通し拡大。結果、戦後一貫して入超であった特許料収入が黒字となり、黒字幅の拡大が続いている。技術力の優位が続く限り安泰。
3.郵政民営化が決まったが、残る懸念は「財政赤字」。構造改革継続と共に、消費税アップは避けられない。
4.残された改革は「通信と放送」
2006年01月12日
産学官連携ベンチャーフォーラムin四国

表記フォーラムに出席。
話す予定はなかったのだけど、講演途中の旧知の講演者から指名を受け、私の携わっているVCファンド運営などについて現況の説明。
参加者は、ほとんどが主催者関係で余り広がりはなかった。要するに、地元香川大学の産学連携関係者と学生が少数、と言ったところ。内容は悪くなかっただけに残念。
面白かったのは、大学ベンチャー推進役であるはずの経済産業局から来ている部長が大学ベンチャーに否定的であったこと。大学ベンチャーの抱える問題点はそのとおりであった。しかし、そこで、経済産業省が出しゃばって「ベンチャーこうあるべき」とやるのは余計なお世話というものである。
ベンチャーとは自立、独立であるべきなのに、話題になった日経ベンチャー記事にあったとおり、補助金に頼った事業も少なくない。そこが成功しようが失敗しようが個人になにも関係のない人が書類が整っているかどうかで可否を決めている補助金は百害あって一利なし。財政難の折、真っ先に廃止すべきと思う。
投資の結果が少なくとも人事考課に結びつく民間VCがやる方が100倍良いし、エンジェルが個人で出すならなお良い。結果的に成功するかどうかは時の運もあるが、補助金に頼った「ぬるい」ベンチャーからは失敗からの教訓すら生まれない。
世の中には保護を受けなければ生活のままならない弱い人もいる。国民の生命と財産を守るのが国の使命なら、そのためのお金もかかる。その資金を強い人、稼げる人から税金として徴収している。
ベンチャー立ち上げは大変だ。赤字になりしばらく税金が払えないのも致し方ないこと。しかし、その上に、「貰わなければ損」という根性で補助金を当てにするのは止めた方が良い。
2006年01月10日
「できる人」の時間の使い方
「できる人」の時間の使い方~なぜか、「時間と心に余裕のある人」の技術と習慣~
どこかで聞いた話やテクニックばかり。フランク・ベドガーやデール・カーネギー、あるいはピーター・ドラッカーのようにはっきりと引用されているものもあるが、それ以外の内容も目新しさはない。
では、読む価値はないか?
時間管理は知識だけ知っていても実行できていない人が大半。(私も!)結局、何度も読んで、気持ちを新たにし、習慣になるまで繰り返すしかない。
ここに一人それを実践した人がおり、その原動力は(またしても)不幸な家庭環境というコンプレックスだったことが明かされている。
そのため「『いい家庭を築く』のが一番の目標」となり、そのために「『宝塚の女優』か『スチュワーデス』と結婚する」と決め、実践する辺りは圧巻!
結局、徹底して実践できる人は何らかのコンプレックスを抱えた人なのか?と思った次第。何のかんの言って、「世の中幸せな人が多い」ということですね。
2006年01月08日
Life After The Oil Crash

最近取り始めたFORTUNE誌でおもしろい記事を発見。
特集されているのはRichard Rainwaterという投資家。推定資産20億ドル以上。Stanford BSの同級生だったBass家の資産運用に携わり、1970年から15年で$50millionを$5 billion(100倍)にした後独立して財を成す。
彼は本気で石油危機がくることを心配しており、次のものへの投資を狙っているという。
1.通貨
資源国通貨の買い 例:カナダ
2.石油と天然ガス
国内(米国)に資源を持つオイルメジャー
3.食料
農産物
日本でも有名になったInvestment BikerのJim Rogersと見通しが似てますね。
2006年01月05日
東山魁夷せとうち美術館
国家の品格
正月休み最後の今日、昨年開館した東山魁夷せとうち美術館に出かけた。
東山画伯の祖父が瀬戸内海の櫃石島出身だったことが縁で、遺族より版画作品270点の寄贈を受け県立美術館として開設されたもの。こじんまりした良い美術館だった。作品を鑑賞し降りたところが喫茶室。ここから瀬戸内海の風景を見渡せる。
目の前には巨大な瀬戸大橋の橋脚が島から島へと立ち並んでいる。日本の土木工事技術の優秀さを示すモニュメントだが、丁度、東山魁夷が描いた自然美を見てきた目からすると、どうしても、自然破壊のほうが目に付いてしまう。
瀬戸大橋の建設とそれに伴う観光開発(その殆どは失敗)で島のあちこちが崩れ、無残な姿をさらしている。
そんな時、今話題の藤原正彦の「国家の品格」を読んだ。
どうしてそうなのかは本を読んで頂くことにして、藤原氏は国家に品格があるかどうかの指標として次の4つを挙げている。
1.独立不羈
2.高い道徳
3.美しい田園
4.天才の輩出
面白いのは、藤原氏が本職の数学者として、数学の天才が生まれた地域を訪ね歩いたところ、「美しい田園」という共通項が浮かび上がったのだという。
経営の世界でも最後に決め手になるのは「美意識」であるような気がする。天才あるいは神様といわれるような経営者は美術や芸術にも造詣が深い場合が多い。どうやら自然の中で培われた美意識は一流になるのに不可欠であるようだ。
実家の辺りでもそうなのだが、いつの間にか、川はコンクリートで固められ大きなどぶ川と化し、ゴミだらけになっている。家の前の一日に数えるほどしか車が通らない道まで拡張され、かって蛙が住み、それを餌にする蛇もいたあぜもコンクリートで固められ生き物が住めない「用水路」と化してしまった。
こんな環境では、「人類に役立つこんな天才を輩出するのだから日本になくなってもらっては困る」と言われるような天才は当分出そうにない。
2006年01月04日
天外伺朗
運命の法則―「好運の女神」と付き合うための15章
正月休み4日目。
世間は動き出したので、朝から電話が何件か携帯に入る。「うちは来週からです」と手短に済ませ、実家に持参したインタビューCDを聞くことにした。
タイトルは「フロー経営の極意」。この5年間で最も成功したコンサルタントの一人である神田昌典が天外伺朗をインタビューしたもの。私は知らなかったが、『CD』や『AIBO』の開発責任者として世界的に知られるソニーの元技術者である。
筆者はソニーでの多数の開発を振り返り、大成功したプロジェクトにはいくつかの共通点があるという。それは、合理的なプロジェクトマネジメントでも何でもなく、開発チームが「燃える集団」となったとき、運がよくなる、というのだ。
アイデアが湯水のように湧き出、必要な人に必要なタイミングで出会い、基幹部品が入手できるというような「共時性」が次々と起こるという。
これを「フロー状態」と言っている。
フロー状態がソニーで多く生み出されたのは、井深大の創業理念が大きく関わっているという。東京通信工業(後にソニーに社名変更)設立目的は次の言葉で始まる。
一、真面目ナル技術者ノ技能ヲ、最高度ニ発揮セシムベキ自由豁達ニシテ愉快ナル理想工場ノ建設
こういう社風であったから、内発的動機に基づく燃える集団が形成された。それは目標管理といった外発的動機では形成されないという。
2006年01月03日
2006年01月02日
こんぴらさん

明けましておめでとうございます。
大崎では地元の居木神社に毎年初詣に出かけていたが、今年は琴平までコトデンで出かけ、こんぴらさんへ。
実家からだと車で15分。大学の4年間、冬休みで帰る度に正月は表参道の土産物屋が駐車場に仮設したうどんやでバイトした。大晦日から元旦にかけては泊りがけで仮眠を取りながら交代で店を開ける。正月は一番のかきいれ時。5日間のバイトで結構なバイト料をはずんで貰った。
私は4年間ずっとうどんを茹でる係り。ピーク時になるべく沢山の客に対応するため、うどんは釜揚げのみ。参道に面した場所で大きな釜で茹でると湯気が客引きになるし、第一、うどんを水で締める手間が省ける。
ただし、揚げるタイミングが難しい。讃岐うどんはコシが命。ところが、昼間、押し寄せる客に釜のキャパが間に合わない。魚を入れておくような網にうどんを入れ、それぞれの網ごとに時間を計って管理しているのだけれど、待たせた客が怒り始めるので早め、早めに揚げて出してしまう。結果は真ん中に芯が残ったうどんとなる。
逆に、客の少ない時間は揚げたうどんが伸びてしまう。
そんなことを思い出しながら石段を登った。